第11話『事件捜査-School Side- ②』

 鏡浜東中学校は教室棟と特別棟の二つの校舎があるらしい。俺達がいる教室棟は普通教室や理科系の実験室、家庭科室などがある。そして、特別棟は音楽室や美術室などの特別教室が集まっているらしい。

 事件現場となった理科第一実験室は教室棟の七階にある。七階は理科実験室と資料室のみがあるフロアだ。

 エレベーターで七階まで上がると、理科第一実験室と思われる部屋の入り口に黄色いテープが貼られている。ニュースで良く見る『関係者以外立入り禁止』というやつだ。その手前には一人の警官が立っている。

 俺達が理科第一実験室の入り口に近づくと、警官がこちらのほうを向き、

「堤さん、お待ちしていました。今回も事件捜査に協力してもらえるとは……」

「いえいえ。それに、逮捕された栗橋ななみさんがこちらの彼女の妹さんで。妹さんの無実を証明してほしいという彼女の依頼により、事件の真実を見つけようと思いまして」

「そうでしたか……」

 あっさりと堤先輩の言葉を受け入れたぞ。警察官の立場として少しでも妹さんが犯人だと主張するかと思ったんだが。警官は堤先輩を相当信頼しているようだ。

「後ろの二人もAGCのメンバーなので、現場での捜査を許可させてもいいですか?」

「堤さんが言うのですから、もちろん許可しますよ」

「ありがとうございます」

 百聞は一見にしかず、ということでさっきの話も今までずっと疑っていたのだが、今のやりとりで疑念が払拭された。堤先輩、凄すぎるだろ。

 俺はさっそく理科第一実験室の中に入ろうとしたが、

「堤先輩。私、現場に入るのが怖いです……」

 と、まどかが一歩も動こうとしない。

「まあ、現場には血痕も残っているだろうし、女の子にその光景は酷かも。それに、ななみさんが犯人である可能性もゼロではないし。分かったわ、まどかちゃんは廊下でゆっくりしてもらえるかしら。何かあったら呼んで」

「ごめんなさい、堤先輩……」

「いいのよ。気にしないで」

 と、堤先輩はまどかの頭を優しく撫でる。

「篤人君は大丈夫よね? 男の子なんだし」

「だ、大丈夫に……決まってますよ」

 本当は怖いんだけど。血とかもあまり見たくないし。

「すみません、事件の資料を見せてもらえると嬉しいのですが」

「こちらです」

 堤先輩は警官から膨大な資料が入っていると思われる透明なファイルを受け取る。事件の操作資料まで見せてしまうとは。

「さあ、篤人君。現場に行きましょう」

「はい」

 俺と堤先輩は黄色いテープをくぐり、理科第一実験室の中に入る。

 理科第一実験室は縦に長い部屋だ。廊下からの入り口は二つあるが、俺と堤先輩が入ったのは黒板の近くにある方だ。

「事件当時は私達が入った方の入り口しか鍵が開いてなかったそうよ。あとは黒板横にある理科準備室に繋がる扉の鍵も開いていたって」

「理科準備室って何なんでしょう?」

「事件資料によると、理科専用の資料置き場らしいわ。あと、理科教員だけが使えるデスクがあるらしいわね」

「つまり、理科教員専用の職員室というわけですか」

「一言で言えばね。事件が起こったのは春休みだったからか、廊下から理科準備室に入る扉の鍵は開いていなかった」

「ということは、理科準備室に入るためにはこの理科第一実験室を通らなければ入れなかったというわけですね」

 ななみさんが犯人でないとすると、真犯人は越水さんを殺害した後すぐに廊下に出て逃げた可能性が高そうだ。

「事件が起きたのは……後方の窓側にある机の近くだって」

 そう言うと、堤先輩はさっそくその机の近くまで向かう。俺もその後をついて行く。

 問題の机の近くまで行くと、白い床に人の形に貼られた黒いテープが張られており、その部分を中心に広範囲に渡り血痕が付着していた。

「まどかちゃんは来なくて正解だったようね」

「そうですね。俺も少し気分が悪くなってきました。先輩は大丈夫なんですか?」

「こんな状況、何度も見てるわ。それに、何度か生の遺体も見ているから……それに比べれば今回の現場はまだいいわ」

 堤先輩は余裕の笑みを浮かべている。

 確かに生の遺体を拝むよりはいいけれど、それでもこの血痕は衝撃的だ。暫くは鮮明に記憶されることになるだろう。

「何度も刺されたからここまでの血痕となったんですか?」

「そう考えて間違いないようね。越水さんは仰向けで倒れていたそうだけど、何度も刺されていたから複数の傷口から出血していたんだと思う。遺体も写っている現場写真があるけれど……見てみる?」

「……ごめんなさい。写真でもきついです」

「いいのよ、初っ端から遺体を見ても精神的に持たなくなるものね」

 本当は見るべきなんだろうけど、血痕を見た後の状態ではさすがにきつい。

 それに比べて堤先輩はじっくり写真を見ている。彼女の精神の強さは普通の女子高生とはまるで違うんだろう。

「警察が来たとき、遺体にはナイフが刺さっていた。解剖の結果、そのナイフによって心臓近くが刺されていてそれが致命傷となったみたい。凶器のナイフの写真もあるけれど見てみる?」

「……が、頑張って見てみます」

 俺は堤先輩から一枚の写真を受け取る。

 その写真には越水さんものだと思われる血がべっとり付いたナイフが写っていた。うううっ、写真でもこれはきついな……。

「刃の部分には全て血が付いていますね……」

「ええ。つまり、犯人は相当強い力で越水さんを刺したことになるわね」

 ということは、真犯人は越水さんに強い恨みを持った人物だろう。一度だけでなく数回ナイフで刺しているわけだし。

 堤先輩にナイフの写真を返そうと思ったが、彼女は調査資料に夢中である。こんな女子高生、日本中探しても他にいないと思うぞ。

「妙ね……」

 と、堤先輩は資料を見ながら呟く。

「何か引っかかる点があったんですか?」

「ええ、この二つの写真を見て」

 俺はナイフの写真を堤先輩に返し、彼女が妙だと思っている二つの写真を見る。どちらも血の付いた服が写っている写真だ。

「こっちは越水さんが着ていた白衣の写真よ」

 堤先輩が指さす写真には越水さんが着ていた白衣が写っている。腹部から胸部にかけて血が付いており、白衣の上から刺されたのか穴が空いている。

「これと言っておかしい点はありませんけど。どこがおかしいんですか?」

「袖の部分を見て」

「袖……ですか?」

 俺は堤先輩に言われた通り、白衣の袖の部分を見てみる。

「皺が凄いですね。まるで買ってから一度もアイロンがけしてないみたいに」

「……そうね。じゃあ、今度はこっちの……ななみさんが着ていた制服の写真を見て」

 最近どこかで見た服だなと思ったら、この学校の制服だったか。

 ななみさんの制服の腹部にも血が付いている。返り血というやつだろうか。手で血を拭おうとしたのか、周辺も汚れてしまっている。

 堤先輩にまた袖を見てと言われそうなので袖の部分も見ておこう。多少血が付いている程度で他は何も目立った汚れはない。越水さんの白衣のように皺一つないし。

「俺は何もおかしくないと思うんですけどね。ななみさんの制服の袖に皺もないし」

「……それがおかしいのよ」

「えっ?」

「実際に試した方が早いわね。篤人君、これから犯行当時に何があったのかを再現してみるわ。私がななみさん役で、篤人君が越水さん役ね」

 いきなり何なんだ、犯行当時の再現って。再現してみれば何か分かるのか?

 堤先輩はポケットからピンク色のシャーペンを取り出す。

「このシャーペンが凶器のナイフだとしましょう。篤人君、ちょっと後ろに下がって」

「は、はい……」

 俺が後ろに下がると同時に、堤先輩は芯を少し出し、シャーペンの先端を俺の方に向けて両手で構える。

「篤人君、私……本気で行くから。篤人君はよく考えて私に対抗してみて」

 やばい、目が本気だぞ! これがナイフだったら殺されるところだ。

 俺がそう思った瞬間、堤先輩は勢いよく俺の方に向かって走り始めた。まるで俺をナイフで刺し殺すかのように。

 その圧倒的な気迫に足がすくむところだったが、

「……まったく、再現なんだからもう少し加減しろよ」

 防衛本能が発動したためか、両手で堤先輩の両腕を強く掴む。シャーペンが短いおかげで制服の袖を掴んでもシャーペンの芯が俺に刺さることはない。

「……期待通りだったわ。避けることやペンをはじき飛ばすことも考えられたけど、まさに理想の反応をしてくれたわね」

 俺の今の対応に満足したのか、堤先輩の顔にも笑みが浮かぶ。それを見て俺は両手を放した。

「今の再現で何が分かるんです?」

「二人が着ていた袖の矛盾よ」

「矛盾?」

「ええ。今、あなたはペンで刺そうとした私を必死になって止めたわね。それも、制服の袖の上から力強く」

「……はい。刺されないように必死でしたから」

「でも、その後に私のことを抱き寄せてくれても良かったのよ? 私、篤人君にだったら何されてもいいって思ってるし」

「現場で言うことじゃないでしょう」

 何を言っているんだ、この人は。堤先輩が俺に好意を抱いている……わけないか。単に後輩の男子をからかっているだけだ、きっと。

「篤人君はガードが固いわね。話は戻るけど篤人君が強く掴んだから、今……私の制服の袖には多少だけど皺がついている。越水さん役であるあなたがななみさん役である私を掴んだから」

「そうですね……あっ!」

 ちょっと待てよ。そう考えると、さっきの二枚の写真……おかしくないか?

「どうやら気づいてくれたみたいね。私の言った妙な点を……」

「ええ。袖に皺が付くべき服が逆なんですね」

「そういうこと。越水さんは腹部や胸部を刺されていることから、ななみさんに正面からナイフで刺されたことになるわ。それはつまり、さっきの再現のように二人は対峙していたと言える。そんな状態でななみさんが越水さんをナイフで刺そうとしたら、さっきの篤人君のようにななみさんの腕を掴むべきだわ」

「でも、実際にはななみさんの制服に皺が一つもついていなかった……」

「ナイフを掴んだのなら越水さんの手には切り傷がついているはずだけど、解剖記録に手の切り傷なんて記載されていなかったわ。手は血で汚れていたけどね」

 ということは、どういうことになるんだ?

 ななみさんの制服の袖には皺が付いていなかった。越水さんの手に傷が付いていなかったということは、彼がナイフを掴んだわけでもない。だったら、彼は何を掴んだというんだ?

 でも、越水さんの着ていた白衣の袖には皺が付いていたことも事実だ。さっき言った通り、皺の付くべき服が逆転している。

「逆、か……」

「皺の付いている服の袖が本来と逆だった。それが示すことは一つ」

 まさか、逆だったのは……袖の皺だけじゃなかったのか!

「ナイフで刺そうとしていた人物がななみさんではなく、越水さんだった……そう考えることができる!」

 そんな俺の推理に堤先輩は力強く頷く。

「その通り。ななみさんが犯人であれば、彼女は……越水さんに殺されかけたという可能性がある。でも、ななみさんは自分でナイフを用意して殺害したと言っている。これは矛盾しているわ。まだ、可能性の話だけど」

「でも、その話は……真犯人にも言えることじゃないですか? 真犯人が越水さんに殺されかけて、その結果彼が真犯人に返り討ちに遭ってしまった」

「私も同じ考えよ。白衣の袖は血で汚れているけれど、もしかしたら指紋が検出できるかもしれない。事件当時、犯人に強く握られたのだとしたら」

 そこから指紋が検出されれば、真犯人を特定できる可能性が大いに増すな。

 だが、真犯人が別にいて……越水さんがナイフを持っていたことが事実であるならどうしてななみさんが逮捕されることになったのだろう。

 でも、ここにいる限りそれは分かりそうにないし、それよりもまずは真犯人である可能性のある人物がいるかどうか探ってみよう。

「死亡推定時刻は何時頃だったんですか?」

「解剖記録よると午後三時から四時の間になっているけど、警察に通報されたのが午後三時四十分で、ななみさんも午後三時半に越水さんと会ったと言っているから、その時間に殺されたことになっているわ」

 じゃあ、ななみさんが犯人でなければ……午後三時から三時半の間に真犯人が越水さんを殺害したことになるわけか。

 この空白の三十分間、誰か越水さんと会っている可能性はないだろうか。それを知るためにはやっぱり、

「堤先輩、越水さんの携帯電話についての資料はありませんか? もしかしたらななみさんが現場に来る前に誰かと会っていたかもしれないので」

 携帯電話なら通話やメールの記録で残っているかもしれないからな。

「篤人君がそう言うと思って今、その資料を見ているところ。越水さんは事件のあった数時間前から頻繁にメールをしていたようね」

 堤先輩から越水さんの携帯の記録が記されている資料を見せてもらう。今、見ているのはメールの送信記録だ。事件のあった日の午後に絞られているようだ。

 まず、午後二時ちょうどに『松本麻美』という人にメールを送っている。その時のメールの内容は、

『午後三時十五分頃に第一理科実験室に来て欲しい。大切な話がある。このことは誰にも言わないでくれ』

 次に午後二時五十七分に『梅津卓巳』という人にメールを送っている。その時のメールの内容は、

『特別課題のことだけど、気が変わって昼に採点しておいた。思ったよりも早く採点が終わったから今日、麻美に渡すことにした。俺は用があって学校には暫くいないから、部活のある日にでも麻美のところへ行って受け取ってほしい』

 この二通が、越水さんが事件直前に送信したメールか。

「ここに有力な真犯人候補が挙がりましたね。松本麻美(まつもとあさみ)さんという人が午後三時十五分にここへ来るように指示されています。このことを誰にも言うな、というのが怪しいですよね」

「そうね。早々にななみさんが犯人であると断定され、殺害時刻も午後三時半だと思われているから、このメールについての詳しいことは分かっていないわ」

「じゃあ、彼女に色々と聞いてみる必要がありそうですね」

「ええ。彼女は越水さんの婚約者だったそうだし。梅津卓巳という生徒へのメールからすると、彼女はここの教師だろうから職員室にいるかも」

 婚約者となると、越水さんに一番密接に関わっている人だろう。そんな人であれば越水さんに動機を持つきっかけもありそうだし、逆に越水さんが松本さんに動機を持つきっかけもありそうだ。

「俺はもう一つの梅津さんへのメール内容も気になります。松本さんへのメールも見ると特別課題は松本さんの手に渡り、梅津さんに返されたとは思いますが」

「……実は一度、証拠品として警察が押収したそうよ。遺体の側のテーブルの上に置かれていたから」

「な、何ですって!」

「どうして現場にあったのかは分からないけどね。でも、血痕も全く付いていなかったし……後日、松本さんへ返されたそうよ」

 今の話を聞く限り、事件に直接関わってはいなそうだけど少し気になるな。

 どうやら、俺達が次にすべきことは松本さんに話を聞くことだな。あと、梅津さんと会えたら話をしたいところだ。

「ちなみに、受信記録の最後がななみさんからのメールだったわ。午後三時半頃にここへ来るという旨の内容で、このメールがななみさんは犯人であると断定する証拠の一つになったみたいね」

「なるほど。ななみさんがどんな理由でそのメールを送ったのか知るためにも、越水さんの携帯の送信記録をもっと知りたいですね。多分、ななみさんの携帯に例のドタキャンに関するメールが送信されていると思います」

「そうね。それに、午後二時以前の送信メールに第三者と事件に繋がるやりとりがあったかもしれないし」

 ここで調べられるのはこのくらいかな。

 堤先輩も事件資料のファイルを閉じている。ここでの捜査は終わりだろう。

「このくらいかしら。まあ、別の可能性が見つけられたのは大きかったわ」

「本当は越水さんが真犯人を殺そうとして、その返り討ちに遭ったのではないか、ということですか」

「ええ、押収した証拠品などを詳しく調べればその可能性が高まるかもしれない。そこのところは警察に頼んで、私達はここから出て聞き込み調査でもしましょう」

「そうですね」

 俺と堤先輩は第一実験室から出るのであった。

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