第7話『バッシング』
四月五日、金曜日。
まさか、まどかが俺よりも先に起きて既に朝食も作ってあって、俺の部屋まで来て甘く囁いて起こしてくれるとは思わなかった。昨日の朝は今朝がこんな風になるとは想像できなかったよ。
俺はどうやらベッドの上で気づかぬ間に意識を失っていたらしい。まどかに言わせれば寝息を立てていて気持ちよさそうに寝ていたらしいが。
制服に着替え、まどかの作った朝食を一緒に食べ……まどかと一緒に学校へ登校することになった。
「朝食、美味かった」
「ありがとうございます、篤人さん」
「それよりも、本当にいいのか? 俺と一緒に登校しているところを見られたら評判が悪くなるんじゃないか?」
「何を言っているんですか。篤人さんは私を助けてくれた立派な人なのですから、そんな風に言う必要はありませんって。一緒に登校するに決まっているじゃないですか」
「……好きにしろ」
ちくしょう、そんな風にしか答えられない自分が情けない。
その後は防衛本能が発揮されたのか、それとも本当に話したくなかったのか……学校に着くまで一度も言葉を交わすことはなかった。
城崎学院の校舎に入ると俺はたくさんの生徒から注目を浴びることに。昨日の騒動のことが全校生徒へ広がったためだろう。
それでも、隣で並んである歩くまどかはほんのりと笑顔を浮かべたまま表情を変えることはなかった。
そして、一年二組の教室の前まで辿り着く。
「……まどか、先に入れよ。俺が入ると一気に教室の空気が悪くなる」
「大丈夫ですよ。一緒に入りましょう?」
さっきのこともあってか、まどかに何を言っても答えは変わらない気がしてきた。さすがに防衛本能も彼女に歯が立たないと判断したのか、
「……分かったよ」
と、俺は素直にまどかの意見を受け入れた。
とにかく、教室ではなるべく空気を乱さぬように、できる限り防衛本能を押さえていかないと。
俺とまどかは一年二組の教室に入る。
すると、予想通り教室内の空気が悪くなった。クラスメイトの大半がすぐに嫌悪そうな目でこっちの方を見てくる。
「噂をすれば来たよ……」
ああ、昨日の騒動のことで話が盛り上がっていたわけか。女子ってそういう類の話題が好きなのかね……。
だが、その直後にとんでもない言葉を耳にする。
「妹さんが逮捕されちゃったんだって……」
妹が逮捕された? ま、まさか……。
俺はすぐに隣にいるまどかの方を見た。
まどかは今までになく深刻そうな表情をして俯いていた。
「まどか、大丈夫か?」
俺が小さく声を掛けると、すぐにまどかは笑顔で俺のことを見て、
「……大丈夫ですよ。今日はいつもより早く起きたので眠気が来ただけです」
いつもの声のトーンで俺に言った。
「だったらいいけど。あまり無理するなよ」
「……無理、していませんよ。じゃあ、自分の席に行きますね」
まどかはそう言うと、俺から離れて自分の席へと向かう。
その時に俺は見てしまったのだ。クラスメイトの視線が俺から離れて、歩いて行くまどかの方に移っていくのを。
そう、教室に入ったときに大半のクラスメイトが見たのは、俺ではなくてまどかだったのだ。おそらくその理由は、
『妹さんが逮捕されちゃったんだって……』
という一言に尽きる。
その後、担任が来るまでななみさんのことで話題が尽きなかった。
俺はまどかの方を見てみるが、彼女は一人ぼっちで俯いたままだ。昨日、まどかと仲良く話していた女子達は別のグループに行って、皮肉にもまどかの方を卑劣な目で見ながら笑っていた。
そして、担任が来てホームルームが開始される。
予定通り、今日は自己紹介から始まる。順番は出席番号順だ。男女混合であるためまどかの方が先である。
俺は自分の自己紹介よりも、まどかの方が心配だった。
誰かが前に出て自己紹介をしているときは、大半の生徒は前を向いていたが……それでも、ななみさんのことについての話している連中がいた。
――そこまで面白いのかよ。クラスメイトの妹が逮捕されたことが。
一発言えれば苦労しないのだが、俺にそこまで言える勇気がなかった。それに、恐ろしい目つきで見られるということを恐れて防衛本能が止めているのだろう。担任が気づいて止めてくれれば良いのだが、真面目なのか自己紹介を聞くことに夢中になっていて到底気づきそうにない。
そして、気づけば次はまどかの番になっていた。栗橋という苗字だから順番もすぐに回ってきてしまう。つまり、ななみさんの話題の熱が冷めないうちに来てしまったのだ。
「次は栗橋まどかさんですね」
担任からのその言葉で、まどかはゆっくりと立ち上がる。
そして、その瞬間に訪れる、静寂。
大半の奴が面白そうに、蔑むようにまどかのことを見ている。真面目にまどかを見てくれている奴もいることがせめてものの救いだが、今のこの空気ではそんな少数派の視線は飲み込まれてしまっていた。
まどかは教壇の前に立つが、下を向いて黙ったままだ。
その状態が続いて一分が経ったときだった。
「ねぇ、黙って立ってるくらいならさっさと帰ったらどうなのよ」
既に女子のリーダーポジションを獲得した金髪の女子……相川がそんなことを言い出した。
「あたし、殺人犯の妹を持つ子の自己紹介なんて聞きたくないんだけどぉ。ていうか、そんな子がクラスにいるなんて超メイワクなんですけど」
何を言っているんだこいつはっ!
俺が段々と怒りが増していく中で、相川を中心に周りの女子の大半が笑い始める。その笑い声はすぐに止むどころか、男子にも広がったことでむしろ大きくなっている。
「く、そっ……!」
ここまで声が出かかっているのに、どうして言えないんだ!
「あなた達! いい加減に――」
「せんせー、多数決を取ったんですけどぉ、栗橋さんはここからいなくなる方が良いことに決定しましたぁ」
相川のその言葉に男子も交えてクラスの八、九割の生徒が拍手を送る。それに対して担任も何も言うことができなくなってまった。何なんだ、このクラスは!
とにかく、俺はまどかの方を見る。
「うっ、うっ……」
まどかは必死に堪えていた。泣いたら負けだと言わんばかりに。
それを見たクラスメイトの大半はまどかに向かって誹謗中傷の言葉を浴びせる。あともう少しでまどかを追放させることができるぞ、と面白がっているように見える。
そして、まどかの目の中にあるダムもついに決壊する。突如、彼女の目から、大量の涙が溢れ出す。
「……ごめん……なさい」
まどかは背一杯になってただ一言そう言って、教室を出て行ってしまった。
「あ~あ、泣いちゃった」
当たり前だろうが。あんな言葉を浴びせられたら、泣くのは当然だ。
「でもさ、泣くってことは悪いって認めたってことだよね? これであの子も明日から来なくなるしスッキリしたぁ!」
「だけど、何時か復讐されるんじゃない? 殺人犯の姉ならやりかねないよ。ちょ~怖いんだけど」
「その時はみんなでやっちゃえばいいんじゃね?」
「それマジやばいかも!」
まどかは妹さんが悪いって認めた訳じゃない。お前等が心ない言葉でまどかを追い詰めるからだろうが!
心の中でははっきりとそう言えるのに、言葉に乗せて口で言うことができない。俺が何か言えればまどかは少しでも安心できたかもしれないのに。あいつはそれを期待して涙を堪えてまでもあそこで立ち続けたかもしれないのに。
まどかを笑うクラスの奴らも酷いけど、一番酷いのは……俺だ。
まどかはずっと、妹さんが逮捕されてから苦しい思いをし続けてきた。そんなまどかを俺が突き放したんだ。色々話して、まどかも俺に信頼し始めてくれたのに、俺は自分のことだけを考えてあいつの抱いた信頼に対して裏切ったんだ。俺でもまどかを助けることはできるかもしれないのに。
だから、俺の心にずっと引っかかっていたんだ。断ることは悪いことだ。それは本心で言ったのか、って。
「では、次……成瀬篤人君ですね」
俺が色々と考えている間に、自己紹介は進んでいたのか。
信じられない。あんなことがあったら、中止するのが筋じゃないのか。でも、そんなことを言うことはできず、
「あっ、はい……」
と言って、俺は教壇の前に立つ。
――言うんだ。今こそ本心で言わなきゃいけないんだ。
何度も喉まで出かかっているが、どんな目で見られるのかが恐いなんていう防衛本能なんて関係あるかよ!
まどかを笑う奴らが許せない。
まどかの助けを断った自分はもっと許せない。
だから、俺は――!
「黙れ……」
俺がそう言ってもクラス内のざわつきが収まらなかったので、
「黙れって言ってるのが分かんねえのかよ、お前らっ!」
俺は教卓を蹴り倒した。
その時の衝撃音のせいか、クラスメイトの私語もさすがに止む。
「ちょっと、成瀬――」
「お前は黙れよ。あんなことがあったのに続けやがって。普通なら、中止にしてまどかを探しに行くのが筋じゃねえのかよ」
俺が不満をぶちまけると、担任は黙り込んでしまった。
だが、今となってはそんなことはどうでもいい。問題なのは目の前にいるまどかのことを追い出させた大半のクラスメイトだ。
「さっきまでまどかのことで笑ってた奴さ、一つ聞きたいんだけど……まどか本人が何をしたって言うんだよ。なぁ、教えてくれよ」
俺は鋭い目つきで教室の端から鋭い目つきで見回していく。
しかし、誰も答えることができない。黙ったままだ。当たり前だ、まどかが悪いことを何一つしていないからだ。
「予想外だな、あそこまでまどかに酷いことばかり言っていた割に誰一人答えてくれる奴がいないじゃないか。ほら、もったいぶらないで誰か教えてくれよ。……教えろっていうのが分からないのかっ!」
俺は右手を握り締めて黒板をぶっ叩く。
さて、俺の挑発に誰が乗るか。
暫く黙っていると、やはり相川が最初に変化を見せ始めた。彼女がクラスの女子のリーダーであり、誹謗中傷を言った中心人物だからな。
「べ、別にあたしらはあの子本人のことについて言ったわけじゃないし。っていうか、何であんたに説教されなきゃいけないわけ?」
「お前等がまどかに酷いことをしたからだろ」
「別にあたしら事実を話しただけだし。殺人犯の妹がいるってこと。そんな妹を持つ姉なんてここにいる資格なんてないこと。本当のことを言って何が悪いの?」
「……殺人犯の妹がいる、ということに間違いがあったらどうする?」
「えっ?」
「例えどんな真相が待っていても、まどかは妹さんが無実かもしれないと思って、辛い現実に向き合おうとしているんだ! あいつは本当に妹さんが無実だと信じているから、この学校にあるAGCにも助けを求めてるんだ!」
そうだよ、まどかは何一つ間違ったことはしていない。
「例え妹が殺人犯でも……それでも、まどかは優しい奴に変わりはない! それなのにお前等はあたかもまどかが悪いように言って、それを笑いやがって。それであいつの心がどれだけ痛んだのか分かってるのかよ! それで泣いて出て行ったまどかを笑うなんて。他人の不幸は蜜の味なのかよ! まどかの気持ちも考えずにあいつのことを笑った奴らは、殺人犯のしたことと何も変わりねえんだよ!」
こいつらにはこのくらいのことを言わないと気が済まない。
まどかにやったことがどんなことなのか。どれだけ酷いことなのか。それぞれの胸に痛むほどに焼き付けて欲しいところだ。
「相川、お前言ったよな。まどかにはここにいる資格はないって」
「い、言ったけど……」
「いる資格がないのはむしろお前だ。そして、お前のようにまどかのことを笑った奴ら。クラスメイトのことを誹謗中傷して追放させようとする奴こそ追放されるべきなんだ。クラスメイトの気持ちを尊重してやれとは言わない。どうしても気に食わない奴だっているだろうし。それでも、同じ空間で学校生活を送ることくらいはできるはずだろう。俺達はもう高校生になったんだし」
俺がこの場でできるのもこのくらいだろう。まどかのいない中、彼女を助けるにはこれが精一杯だ。
「最後に言っておく。もう一度、まどかの気持ちを考えろ。そして、自分がまどかにどれだけ酷いことを言ったのか思い知れ」
そして、俺は一息ついてから、
「……以上が、俺の自己紹介です。先生、俺は早退するのでこれで失礼します」
担任に軽く頭を下げ、自分のバッグとまどかのバッグを持って教室を飛び出した。
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