第5話『まどかの力』
午後八時。
ようやくまどかの荷物整理が終わった。
俺がダンボール箱をまどかの部屋まで運び、まどかが中身を取り出して整理をすると言った感じだ。その中には背の高い俺でないと置けないもあったので、整理は実質二人でやったと言った方が正しいだろう。
久しぶりに体を長い時間ずっと動かしたからか結構疲労が溜まっている。あと、昼飯がカロリーメイカーだけだったこともあるかな。
俺はソファーに座って、コンビニで買ったお茶を飲みながら一息ついている。
「ありがとうございました、篤人さん。篤人さんのお陰で思ったよりも早く荷物整理を終らせることができました」
「まどかの指示が良かったからだ。俺はただ荷物を運んだり、高い所に物を置いたりしただけさ」
「そんな謙遜しなくても。でも、男の方がいるのっていいですね」
そう言って、まどかは俺の隣に座る。
何だか久しぶりに幸せな感覚を味わっている。俺のしたことに感謝をしてくれるなんて何時以来だろう。しかも女子から。実家には姉と妹がいるけど、あいつらは兄弟の中では俺が家事をすることを当たり前だと思っているから感謝なんて一つもしてくれない。
「お茶、いただきますね」
「あっ、それは……」
止める前に飲んじまったよ。俺の飲みかけのお茶を。まどかのためにコンビニのキャンペーンで貰った未開栓のお茶を彼女の前に置いておいたんだけどな。疲れているのかまどかはゴクゴクと飲んでいるし。
「お、お前って気にしないのか? そのお茶……俺が口を付けたやつなんだけど」
「……あっ」
何だか指摘しない方が良かった気がした。
何かスイッチが入ったように、まどかの顔が一気に赤くなる。
「あううっ。あ、篤人さんと間接キスをしてしまうなんて! ごめんなさいっ!」
「まあ、飲んじゃったものは仕方ないし……」
「うううっ、ごめんなさい……私、気づかない間に自分のではなくて他の人の物を飲んでしまうことがあって……」
ああ、天然ってことか。
でも、故意にやったようには見えなかったな。未開栓のお茶が隣にあるのに真っ先に俺のお茶を取っちまうのかよ、とは思ったけど。何の気もなしに俺のお茶を取って飲んでしまったという感じだった。
「この失態、どう責任を取れば……」
「……じゃあ、まどかが今飲んだやつはやるよ。俺に返せ、なんて言えないし。まあ、午後から何度か俺の飲んでいるやつでも良いならだけど……」
本当に難しいところなんだけど。でも、返してもらったら再びまどかと関節キスをしてしまうし。まあ、俺が何度か口を付けたお茶をやるっていうのも考えてみればどうかしているんだけど。
しかし、予想外にもまどかは一つも嫌な顔をせず、
「私は……篤人さんであれば構わないです。ええと、篤人さんのことを異性として見ていないとかそういう意味ではありませんよ!」
「そんなにネガティブに考えねえよ。貰ってくれるなら、最後まで飲んでくれ」
「はいっ。じゃあ、この開けていないお茶を篤人さんにあげますね」
「交換成立ってやつだな」
「そうなってしまいますね。では、交換成立で」
まどかは嬉しそうに微笑んだ。
まさか貰ってくれるとは思わなかった。最悪、捨ててしまうのも仕方ないと思ったんだが。女の子の考えることは時として、俺の想像を絶することがある。
ということを思ったところで、俺は荷物整理の前、まどかに謝ったときに彼女が言ったある言葉を思い出した。
『でも、私には分かってしまうんですよ』
この言い方に、俺は疑問を抱く。
今ならその真意を知ることができるかもしれない。
「なあ、まどか」
「何ですか?」
「一つ、訊きたいことがあるんだ」
「どうかしましたか?」
「……お前さ、俺がどんなに酷いことを言ってもそれが本心じゃないって何度も言ってくれるよな」
「そうですね」
「まどかは人の心を見抜くのが得意かもしれない。でも、失礼だけど……お前は俺の心の全てを知っているように思えるんだ。思い返すと、お前は俺のことをずっと優しいって言い続けていた。大半の奴は俺のことが恐いとか金髪の不良だとか、そんなことばかり言っていて優しいなんて誰一人として言わなかった」
そう。こいつには俺の本心が見えていたかのように思えたのだ。あんな騒動は起こしたくない。平穏に過ごしたいっていう俺の本心が。学校ではずっと防衛本能が前に出ていて本心を見せる隙もなかったはずだ。
だから、疑問に思ったんだ。俺は優しい人だと何度も言ってくるまどかのことを。
「さすが、あの方が目を付けるだけのことはありますね……」
「えっ?」
「いえ、なんでもありません。ただ、篤人さんは凄いなと思いまして」
「凄いってことはやっぱりお前……」
「ええ、篤人さんの言った通りです。私には人の心が見える能力があります。正確にはその人を取り巻くオーラの色でどんな感情を抱いているのかを判断する能力ですけど」
ということは、まどかはその能力で俺の本心を察知したわけか。今朝の騒動の時についても、男達を殴ったという俺の行動とオーラの色が食い違っているのが分かったのか。
つうか、それ以前に能力者って実際にいるんだな。これこそ漫画やアニメとかフィクションにしか存在しないと思っていた。
「今、私のことを得体の知れない人間だと思いましたね。まあ、今のは能力を使わなくても表情を見れば分かったことです」
「いや……実際に特殊能力を持つ人間がいるんだなって」
「戦闘力のある能力でもありませんし、そこまでかっこいいものではありません。最近はコントロールができるようになりましたけど、小さい頃はどんな人のオーラが自然と見えてしまいましたから外に出て歩くことさえ怖かったんです」
まどかの言っていることは分かるような気がする。
誰がどんな感情を持っているのか分からないと不安になるのはもちろんだけど、全て分かってしまうのも逆に辛いものがあるんだな。誰か人がいれば、必然的にオーラが見えてしまうから。
「そういえば、色でその人の感情を判断するって言っていたけど、何色がどんな感情とか分かっているの?」
「……それは実際に外に出て確かめましょう。私が言うよりも、実際に見てもらった方が分かってもらいやすいでしょうし。百聞は一見にしかずとも言いますし」
「俺にもその能力を体感できるのか?」
「……ええ。そのためにもバルコニーに行きましょう」
俺はまどかに言われるように、彼女と一緒にバルコニーを出る。
夜だし、五階建てだから人なんて全然見えないと思っていたが、意外にも街灯などの明かりで特別寮の前の道を歩く人々が見えている。
「素敵な夜景ですね、篤人さん」
「そうだな」
南西の方向に市の中心部があり、そこには高層ビルなどが建っている。それらの光が綺麗な夜景を演出している。
初めて見る光景だからか、まどかはうっとりとしていた。女の子ってやっぱりこういうものには弱いのだろうか。
「篤人さん、私のことを……後ろから抱きしめてくれませんか?」
「……は?」
いきなり何を言い出してくるんだ? まさか、このロマンティックとも言えるような雰囲気に飲まれてまどかがついに――。
「抱いてくれないと能力を見せることができませんから」
「ですよね」
そんな甘い展開になるわけがないか。ならなくていいんだけど。
まどかの能力も見たいので、俺は指示通り彼女を後ろからそっと抱きしめる。
「あっ……」
まどかから漏れる小さな喘ぎ声がやけに可愛らしく思える。
「も、もっと強く抱いてくれませんか? 体がある程度密着していないと、篤人さんに私の能力を伝えることができないので。心が通い合っていけば手を繋ぐくらいでできますけど、まだ私達は初対面です。なので、このくらいしないと駄目なんです」
「分かった」
そう言いつつ、一度は躊躇するが、まどかも覚悟を持って俺に強く抱きしめることを頼んでいるのだと思い、俺はまどかのことを強く抱きしめる。そして、その時にまどかが可愛い喘ぎ声を上げるので何とも言えない気持ちになる。
こうして抱きしめてみると、まどかって結構小さいんだな。丁度彼女の脳天の高さが俺の首筋くらいだ。
「つうか、バルコニーでこうしているのが恥ずかしいんだが」
「大丈夫ですって。周りから見れば、人様に自分達の愛を見せつけているバカップルのようにしか見えませんから」
「バ、バカップルねぇ……」
恋人同士と言うと凄くときめくものがあるが、バカップルと言うと本当に馬鹿な男女二人組にしか思えず軽い気持ちになってくる。
まどかは俺の手をぎゅっと掴み、
「それでは、篤人さん。今から私の力が篤人さんにも反映されるように念を送ります。篤人さんは私のことをぎゅっと抱きしめたままでいてください」
「分かった」
「では、始めますね。歩いている人それぞれに何らかの色が付いたオーラが見えるようになりますので、そうなったら教えてください」
「了解」
怖い気持ちもあるが、まどかの能力のことは知っておきたい。
まどかに掴まれている部分が段々と熱くなっている気がする。今、彼女が一生懸命俺に念を送っているのだろう。
特別寮の入り口の前に携帯電話をいじっている三十前後の男性がいた。とりあえず彼を見て変化を確かめることにする。今のところはまだ変化はない。
「どうですか、オーラは見えましたか?」
「いや、まだ見えない」
「では、もっと強く抱きしめてください。私ももっと強く念を送るので」
まどかの指示通り、俺は更に強く彼女のことを抱きしめる。
すると、特別寮の入り口にいる男性から煙らしきものが上がっているように見える。それは段々と大きなものになり、色も白から青に変わっていく。
「見えたぞ、まどか」
「どの人のオーラが見えましたか?」
「特別寮の入り口前にいるスーツ姿の男だ。彼から青いオーラが出ているのが見える」
「ああ、あの男の人のことですね。私にも彼から青いオーラが出ているのが見えるので能力の伝達に成功したということです。ちなみに青色のオーラは悲しい気持ちや怯えた気持ちを持つ人から出ます。きっと、あの男性は上司から報告書のダメ出しなどをされてがっかりしているのでしょう」
「まどかにはその人の過去まで見えるのか?」
「いえ、これはあくまでも私の推論です」
「そうかい」
今は夜だから色もぼやけているけれど、これが昼間だったらちょっと気持ち悪いかもしれないな。まどかが辛かったと言うのも分かる気がする。
「色々な人のオーラを見てみましょう。篤人さん、入り口近くの道を歩く別の高校のカップルのことを見てください」
城崎学院とは別の高校の制服を着た男女二人が……しゅ、修羅場を迎えていた。女子が男子の胸元を掴んでいる。女子からは赤いオーラ、男子からは青いオーラが出ている。
「おそらく、男子からは青、女子からは赤いオーラが見えていると思います」
「ああ、同じだ」
「赤いオーラは怒りや悔しさを抱いている人から出ます。きっと、男子があの女子以外に浮気でもして、彼女に怒られているのでしょう」
「らしいな。たった今、女子が男子の頬を平手打ちしたよ」
これがまどかの力ってわけか。それぞれの人から出ているオーラの色を見て、その人の抱いている感情の種類を見分ける。
その後も、猫を撫でていることで優しさを表す白いオーラが出た女性や、車に引かれそうになったことで驚きを表す黄色いオーラが出た老人などを見た。
「こうして見ると、一つの道路に様々な感情を持った人が歩いているんだな」
「そうです」
「この能力を使って、今朝の俺の気持ちも見分けたわけか」
「ええ。赤いオーラも見えましたが、それもすぐに消えて白いオーラが濃く出ました。色の濃さによってその感情の度合も分かりますので。濃い白のオーラが出たということはとても優しい気持ちや正義感に溢れている気持ちの持ち主であると分かりました」
「そう、だったのか……」
「教室での篤人さんも、この家での篤人さんも一貫して白いオーラが出ていました」
だから、玄関でまどかを壁に追い詰めても……まどかは泣くことなく俺に抱きついてきたわけか。心ない言葉の奥にそれとは反する本心があったから。
「しかし、青いオーラも出ていましたので、先ほど篤人さんが言った防衛本能というものの所為で本心がなかなか表に出せない残念な人だということも分かりました」
「おいおい、はっきりと傷つく言葉を言わないでくれ……」
まさにその通りなんだけど、残念な人とはっきり言われると萎えてしまう。
「……あれ、おかしいな」
何かさっきよりも視界がぼやけているように思えるんだけど。ピンク色の何かが俺の視界を遮っているような。
「どうかしましたか?」
「いや、下からピンク色の煙みたいなのが上がってきていて、周りの景色がよく見えなくなってきたんだ」
「……そ、それは……私から出ているオーラだと思います」
まどかにそう言われたので目線を下に向けると、彼女からピンク色のオーラが出ているのが分かる。あまりにも密着しているため、彼女のオーラが俺の視界を遮ってしまったわけか。
「ちなみに、ピンク色はどんな感情を表すんだ?」
「……え、ええと……興奮の感情を表しています。主に恋愛や性的な興奮で……」
その後、まどかは「はうっ」と喘いで黙ってしまった。
今、もの凄く申し訳ない気分だ。何とも気まずい空気となってしまい、何を話しかければいいのか分からない。
意識すれば意識するほど心臓の鼓動が速くなる。それはまどかも同じようで、俺の腕に彼女の鼓動が伝わってくる。
「こんな感情を抱いてしまうのは当たり前ですよ。例え、能力の説明のためでも男性の方に強く抱きしめてもらっているわけですから……」
「……そ、そうか。能力のことはもう分かったし離そうか?」
「いえ、もうちょっとだけ……このままでお願いできますか?」
その言葉を体現するように、まどかは俺の腕を強く掴む。
まどかの今の言葉の本心は何なのだろう。ピンク色のオーラが出ていることから、彼女の言葉に嘘はないと思う。
だが、まどかから放たれるピンク色のオーラに青色のオーラが混ざり始めた。青いオーラの出る量が段々と増えていく。
「何か悲しいことでもあったのか?」
「……青いオーラが出ているんですね。篤人さんの言う通りです」
「まどかさえ良ければ何があったのか聞かせてくれないか? 今、このタイミングで青いオーラが出たということは、何か俺に話したいことがあるんじゃないかと思って」
さっきまでは全く青いオーラが出ていなかった。
しかし、まどかの懇願の後になって段々と青いオーラが出た。つまり、これはまどかなりの俺に対するサインなんだ。
「さすがはあの方が気に入られただけはありますね」
「あの方って?」
「……堤奏先輩のことです」
どうして、まどかが堤先輩のことを知っているんだよ。
堤先輩の名前を聞いた瞬間、俺には嫌な予感しかしなかった。
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