第3話『謎の入居者』

 城崎学院の校舎が見えなくなるまで、俺は走り続けた。

 まだ昼食も取っていないこともあってか、走るのを止めたときには全身に物凄い疲労が襲ってくる。

 時刻は午後三時過ぎ。今から昼飯を食べても、夕飯がまともに食べられなくなりそうだし……コンビニでカロリーメイカーと緑茶を買って家で食おう。

 近くにあるコンビニに入り、カロリーメイカーと緑茶を購入する。

「キャンペーンで緑茶をもう一本入れておきますね」

「ありがとうございます」

 コンビニの店員に笑顔で言われたので、俺も笑顔で返す。

 俺の防衛本能は少し複雑な部分があり、大人や自分より年下の子供に対してはよほどのことがない限り、一切発揮されないのだ。相手が笑顔であれば、俺も笑顔で話すことができる。

 しかし、同年代である高校生や少し上の大学生に対してはすぐに防衛本能が発揮され、ささいなことでも過剰な反応を示してしまう。まあ、防衛本能が付いてしまったきっかけが同級生によるものだったから仕方ないのかな。俺もできるだけ防衛本能が発揮されないように心がけているつもりなんだけど、本能ということもあってかなかなか抑制することができない。

 せめても俺のことを知る人がいない所へ行けば少しはまともになるかも、と思って鏡浜市へ上京したわけなんだけど、まさか上京した先で今朝のような騒動を起こしてしまうとは。本当に思ってもみなかった。

 少なくてもいいから友人を作って、たまには放課後にどこかへ遊びに行きたかったけどそんな夢も今朝のことで儚く散ってしまった。

 でも、唯一の救いは同じ軽蔑でも全く知らない人たちに軽蔑されるということだ。中学生の頃はそれまで仲の良かった友人を含めて、かなりの知り合いに軽蔑されていたからそれを経験している身としては今の状況なんてまだいい方なんだ。そう考えれば故郷から離れたのは正解だったようだ。

 それにしても、どうして堤先輩は俺にあそこまで拘っていたのだろう。今朝の騒動を見て招き入れることに決めたと言っていたけど。俺の暴れ方がそこまで堤先輩の心を揺さぶったとでもいうのだろうか。

「まあ、どうでもいいや。入らないって決めたし」

 そうだ、入らない団体のことを考えるだけ無駄だ。

 コンビニから出ると、強い日差しと走ったことによる疲労のせいで汗が出てきた。さっき買った冷たい緑茶を三口ほど飲む。

「……美味い」

 今日、家を出てから初めて落ち着けた気がする。それがもう放課後というのが何とも言えないのだが。

 コンビニから数分ほど歩くと、城崎学院の特別寮が見えてくる。

 一人暮らしをすると決めたので家はどうしようかずっと悩んでいたけど、特待生などの限られた人物だけが住める特別寮の話を聞き、しかも家賃や光熱費、水道費が無料だというのだから断るわけがなかった。

 特別寮というだけあって外観も普通の集合住宅よりも豪華な印象を持つ。寮であるから二人部屋や四人部屋もあるが、俺は四人部屋に一人で住んでいる。当初は他の生徒と一緒になるんじゃないかと不安だったが、誰もいないと聞いて安心した。家の中まで気を張らなければならないのはかなり辛いものがある。

 特別寮の入り口近くの道路に引っ越し屋の大型トラックが一台駐車していた。新年度が始まったばかりだけど、誰かが特別寮に住み始めるのだろうか。挨拶に来たときには防衛本能が発揮されないように細心の注意を払わないと。

 トラックの横を素通りし、俺は特別寮の玄関に入る。

 特別寮は五階建てで、各階に三つしか部屋がない。俺の住む家は五階の西側にある五〇一号室である。最上階に住めるとは有り難いことだ。

 自分の部屋のポストを確認し、俺はエレベーターで五階まで行く。

 五階に着き、自分の家に向かおうとすると家の玄関の扉が開いているのが見える。

「何があったんだ?」

 空き巣か? それだったら今朝の奴らよりもコテンパンにしてやらないと。しかし、

「引っ越しの作業、終わりましたので」

 と、二十代後半くらいの引っ越し業者の男性二人が玄関までやってきた。

「大きな家具は指定された通りにセッティングしました。荷物の入っている段ボール箱は全てリビングに置いておきましたので」

 爽やかな笑顔を浮かべながら片方の男性が俺に言ってくる。

「ちょっと待ってください。誰かが引っ越してくるなんて聞いていないんですけど」

 担任からも連絡はなかったし、何時の間に決まっていたんだ?

「まあ、四人部屋ですから引っ越しの決定については何も言いませんが、せめて引っ越すことくらいは俺に知らせてくれないと。これから一緒に住むわけなんですから」

 今から中止しろなんて言えないし。引っ越してくる人の事情だってあるだろうから。

「すみません。しかし、本日急に決定されたらしく……成瀬様の言いたいことも分かるのですが……」

「えっ、今日決まったことなんですか?」

「ええ、あまりにも突然のことだったので。家具のセッティングについての紙を貰い、それに従って家具や荷物をここまで運んできたんです」

「じゃあ、どんな人が引っ越すのか分からないんですか?」

「恥ずかしいことなのですが。ただ、女子の生徒さんということしか……」

 じょ、女子かよ。

ここは高校の寮だっていうのに、男女を同じ部屋に住むというのを学校側は許したというのか?

「成瀬様。ここに引っ越し作業完了の確認のサインをお願いできますか?」

「あっ、はい……」

 今更何を言っても何の意味もないし、この二人には何の罪もない。二人は自分のやるべき仕事をちゃんと果たしただけなのだ。

 俺は差し出されたボールペンで作業終了確認書にサインする。

「どうもありがとうございました!」

「……お疲れ様でした」

 引っ越し業者の二人の姿が見えなくなるのを確認すると、俺は家の中に入る。

 まったく、またも予想外のことが起きた。しかも今回は女子生徒がこの家に引っ越してくるという。世間は俺の事情なんてお構いなしだと思っているんじゃないか。

 とりあえず荷物がリビングにあるということなので、俺はリビングに向かう。

「……多いな」

 女子だからか色々と運ぶ荷物が多いのだろう。段ボール箱の数も結構多い。

 段ボール箱に名前が書いてあるかもしれないと思い、全ての段ボール箱を見てみたが名前が書かれているものは一切なかった。前に住んでいた場所から直接運ぶものだし、名前なんて書く必要はないのかな。

 さすがに中身を見ることはできなかった。何だかプライバシーを侵害しているようで嫌だし、下着を入っている段ボール箱を開けてしまったらそれこそ引っ越してきた女子に悪い。変態だと勘違いされたくないし。

 とりあえず、今のうちに昼食を済ませるか。

 二本で百円のカロリーメイカー。二百カロリーしか取れないが、三、四時間後には夕飯も食うしこれで十分だ。もう今日は家から一切出るつもりはないし。

「美味いな、チョコレート味は」

 やっぱりカロリーメイカーの味はチョコレートに限る。朝食以降、何も食べてないからか三分も経たないうちに食べ終わってしまった。

 緑茶で口の中を潤しながら、今一度運ばれてきた荷物を見る。

「今日から女子が一緒に住むんだよな……」

 他の部屋が空いてなかったのかな。それとも誰かが意図的にここの部屋に住むように言ったとか。いや、後者はあるわけないか。ただでさえ今朝のことで俺の印象が最悪なわけだし。

 同年代の女性は姉と妹以外にまともに話せない。防衛本能のこともあるが、防衛本能が付く以前から女性を前にすると何を話せばいいのか分からなくなる。まあ、防衛本能を発揮させないためにも最低限の付き合いをしていければいい。

 といっても、女子と一緒に住むわけだから一つ個人的な希望がある。一度だけでも良いから俺のために飯を作って欲しい。実家にいた頃は両親が出かけているときにはいつも姉と妹のために飯を作っていたから、女子が俺のために作ってくれたらかなり泣ける。

 それよりもどんな女子なのかが気になる。同級生なのか、先輩なのか。どんな性格の持ち主なのか。それらも荷物を見れば分かることなのかもしれないが、女性の荷物を勝手に開けてしまうなんて絶対にしてはならない。

 一刻も早く来てほしい気持ちと、一生来なくてもいい気持ちが交錯する。

 いてもたってもいられず、リビングの中を何十回も徘徊したところで、

『ピンポーン』

 家のインターホンが鳴り響く。

 ――ついに来たのか?

 とにかく俺はリビングの扉の横にあるモニターで来客者が誰なのか確認する。

 だが、モニターに映っている人物を見て、俺はそいつが偽物なんじゃないかと思った。もしくは今、夢の中にいるんじゃないかと思った。

 そう、モニターに映っている人物とは、

「く、栗橋……」

 俺が今朝助けたクラスメイトの女子、栗橋まどかだった。

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