第2話『AGC』
目を覚ますとそこは見覚えのない白い天井だった。
背面全体に柔らかい感覚があり、左側に黒い背もたれのようなものも見えるので、どうやら俺はソファーに仰向けの状態で寝ていたようだ。
体を起こすと、さっき教室前で出会った金髪女子がすぐ側に立っていた。
「奏先輩、目を覚ましたようです」
「やっと目が覚めたのね、どうもありがとう」
今の話からして、俺を眠らせることを考えたのはこの金髪女子じゃなさそうだ。
金髪女子が一歩下がって、その代わりに赤いポニーテールの女子が俺の前に立つ。金髪よりもかなり背が高く、スタイルも抜群である。また、水色の髪の女子のような顔立ちの男子生徒もいる。
誰なんだ、こいつらは。少なくとも俺のクラスにいた奴じゃない。
「やっぱり、かなりの警戒心を持っているようね」
ポニーテールの女子は余裕の笑みを浮かべながら面白そうに言った。
こいつ、只者じゃないことだけは分かる。これは本当に細心の注意を払っていないと何か危険なことに巻き込まれる危険がある。むしろ強気でいかないと。
「お前らの目的をさっさと話してもらおうか。目的があって俺を眠らせたんだろう?」
本当はさっさと帰るつもりだったけど、こいつらは薬を使って俺を眠らせたんだ。その理由を訊いておきたかった。それ相応の理由がないと、本気で怒ることになるが。
「普通なら眠らせずにここへ連れてくるんだけどね。私もあなたの起こした今朝の騒動は知っているわ。男数人を一分も経たないうちに倒したのよね」
「一番大切なところが抜けている。その前にここの女子生徒が絡まれていただろう」
「そうね。でも、今重要なのは……あなたが普通の男子高校生じゃできなかったことを見事に成し遂げたことなの」
「それが男数人を瞬殺したことだって言いたいのか?」
「そうよ」
はっきり言ったよ。
それに、俺がここまでの力を持っているのは、自分の身を守るために体を鍛え続けた賜物だ。特別な能力があるわけではない。ただ、過剰な防衛本能が付いてからは友達と呼べる存在もほとんどいなくなったし、それ故にトレーニングに費やせる時間が有り余っていただけだ。悲しいことであるが。
ポニーテールの女子は笑っているけど、常人からかけ離れている俺の振る舞いを見たことで、栗橋やその他クラスメイトは恐い思いをしたのかもしれない。
「成瀬篤人君。私はあなたのその力を見て、あなたがAGCに入るに相応しい生徒だと判断し、あなたを招待したの」
「え、えーじーしー?」
何かの略称だろうけど、全く分からないぞ。
「Anti Guilt Children。私達はAGCと呼んでいるわ」
「あ、あんちぎるとちるどれん?」
さっきからオウムになったような気分だ。突然のことで訳が分からず、ポニーテールの女子の言うことを復唱することくらいしかできない。
「何のことかさっぱりって感じね。AGCは学校から公認されている団体で、活動内容は主に刑事事件を解決することなの。学校内外問わずにね」
「いわゆる探偵組織みたいな感じか?」
「さすがは特待生! 理解が早いわね」
「……それはどうも」
俺が特待生であると知っているということは、もしかしたら俺の個人情報は既に彼女の手の中にあるかもしれない。
事件を解決するということは罪を暴くということだ。だから、Anti Guiltなのか。そして、生徒だけで成り立っている組織だからChildren。なるほど、それらを略してAGCと称しているわけか。
「私はAGCの創設者でリーダーの堤奏(つつみかなで)です。三年一組にいるわ」
ポニーテールの女子、堤奏先輩は微笑んで俺と握手をした。
先輩だったのかこの人は。思い返してみれば、初めて見たときから同級生にしては大人びた妖艶な雰囲気が感じられたからなぁ。
というか、やばいじゃないか。この流れだと後ろにいる金髪女子と童顔男子も上級生である可能性が十分にあるぞ。ここ、一つの部活みたいなものだし。
「うちのメンバーを紹介するわ。金髪の女の子は二年生の宮永紗希(みやながさき)ちゃん。水色の髪の男の子は同じく二年生の上杉香織(うえすぎかおり)ちゃんよ」
やっぱり先輩だったか。
すると、上杉香織先輩が爽やかな微笑みを浮かべながら俺の方に歩み寄ってくる。
「上杉香織です。これからよろしくね」
そう言って多少強引にも上杉先輩が握手してくるが、不思議と防衛本能が働く気配が全くない。この人は大丈夫だと判断したのか? 優しそうな人だけど、警戒心さえも起こさせない男性なんて初めてだ。
「僕、男の子が入ってくるのをとても楽しみにしていたんだ。僕なんて男の子なのに体力とか全然ないから、成瀬君みたいな男の子がいると凄く安心できるよ」
「そ、そうですか」
まあ、あえて警戒するのなら上杉先輩の笑顔が女子並に可愛いという点だ。油断するとこの人に心が奪われそうで恐い。
どうする。俺、AGCに入る意思なんて全くないのに、もう既に俺が新入部員として歓迎されている空気になっている。とっとと入会しない旨を伝えて早くここから立ち去らないと。俺、事件捜査になんて関わりたくないし。
「じゃあ、次は紗希ちゃんね」
「あっ、はい……」
先輩方は俺の苦悩なんて露知らず、歓迎ムードを絶やさない。
上杉先輩が一歩下がると、次に宮永紗希先輩が俺の前に立つ。堤先輩の前だからか、宮永先輩は俺を眠らせたときの不機嫌な表情なんて想像付かないほど汐らしい態度になっている。俺のことをジロジロと見てくる。
「え、ええと……宮永紗希、です。さっきは薬を使って眠らせるような――」
「今更何言っても許さねえよ、この薬物女が」
一瞬、この場の空気が凍った気がした。
な、何を言っているんだ俺は! いくら防衛本能がフルに発揮されたとしても相手を侮辱するようなこと言っちゃ駄目じゃないか!
いえいえ、そんなことこれっぽっちも思ってません、と言おうとしても、
「俺が危険な奴だとか言いやがって。初対面の奴に薬を使って眠らせる方がよっぽど危険人物じゃねえのか? そんなことも分からねえのかよ」
宮永先輩を余計に挑発するようなことを言ってしまう。俺の防衛本能、性格悪すぎじゃないか……。本当にどうにかならないのか。
今の俺の言葉に堤先輩は苦笑いをして、上杉先輩はただただ驚いている。
そして、言われた本人である宮永先輩は、
「言わせておけばあんたねぇ……!」
激怒していた。当たり前だけど。
「あたしだってああいうことはしたくなかったのよ! あれは奏先輩の命令なの! 第一にあんたが狼みたいに暴れるような奴なのが悪いのよ! 今の態度を見ると、薬で眠らせるっていうのは英断だったようね。それに、薬物女言うな! この狼男がっ!」
とてつもなく大きな声で言われたため耳が凄く痛い。
狼男という部分はさすがに気に入らないけど、今朝の騒動を起こしてしまったことは事実なので宮永先輩の言うことは妥当である。
それでも、これは大きなチャンスだ。俺のことをここまで嫌うメンバーがいればAGC自体に影響が及ぶだろう。事件捜査はチームプレーだろうし、メンバー間に何か問題があればまともに活動できなくなる。俺だってAGCの活動をおかしくするようなことはしたくないし、ここは勢いで逃げてしまおう。
「俺、ここに入るつもりはありませんから。俺がいたってどうにもなりませんし、それに俺のことを薬で眠らせてここに連れて来ようと考えるリーダーの団体に俺は絶対に入りたくないんで。それに、高校生なのに事件捜査だなんて何考えているんですか。真実を見つけて犯人を捕まえるのは警察の仕事でしょう。事件捜査をすれば犯罪者に関わることになる。下手したら死ぬことになる。他人から寒い目で見られて孤独な生活には慣れていますけど、それでも俺は死にたくないんで。孤独でも普通の日常を送りたいんで。だから、俺はAGCなんかには入りません」
そうだ、これでいいんだ。この人達に最悪の印象を付けられれば。
俺は言いたいことを好きなだけ言って、俺は自分のバッグを持って部屋を出ようとドアノブに手をかける。しかし、
「逃がさない」
堤先輩のその言葉に対して振り返った瞬間、彼女は俺のことを強く抱きしめてきた。その時に感じる女性特有の匂いが鼻腔を刺激する。
俺は必死に堤先輩を引き離そうとするが、それでも彼女が俺を抱きしめる力は増すばかり。引き離すどころかますます俺と彼女の密着する面積は広がる。
「ふざけるのも大概にしてくれませんかっ! 例え堤先輩でもこれ以上変なことをするなら俺だって容赦しませんよ」
「こいつの言う通りですよ! 帰りたいと言っているんですから、好き勝手に帰らせればいいじゃないですか。それに、こんな狼男が一緒にいるなんて――」
「黙りなさい、紗希ちゃん。私が逃がさないと言ったら逃がさないんだから」
「うっ……」
さすがにリーダーだと宮永先輩まで黙らせられるのか。それに、今の一言に凄い気迫がこもっていたように思えた。
うううっ、ますます逃げたくなってきた。女子の先輩に力強く抱かれるなんて夢物語のように思えるけれど、それでもここにいるくらいなら孤独な日常の方がよっぽどマシだ。
「放してくれっ! 俺はお前等なんかに束縛される身なんかじゃない! 俺だって人間なんだから、AGCに入るかどうかは俺が決めていいはずだろ!」
「そう言われるとますます放したくなくなっちゃうのが私なのよ。それに、そんな棘のある言葉で言われると何だかゾクゾクしちゃうし」
「はぁ?」
見かけによらずドMなのか? この人。
「私ね、あなた以上に感情を揺さぶってくれた男の子に出会ったことがないの。今朝の騒動での姿、普通の男の子じゃ味あわせてくれなかったわ。その瞬間に決めたのよ。成瀬君をAGCに入れようって」
これってもしかして、遠回しの愛の告白……なんかじゃないな。そう思わせる色仕掛けだ、きっと。ハニートラップっちゅうやつだきっと! 騙されないぞ、俺は!
「ちなみに、AGCに入るにはメンバーから招待される必要があるの」
「凄い上から目線の団体だな。そんなことで続くのかよ……」
「続けるためにこうして交渉している訳じゃない。私だって後輩は欲しいのよ? それにね、今は女子二人とほぼ女子が一人しかいないから、男子にしか強引に誘えないの。だから、今後のために女子対策として成瀬君には是非入って貰いたいと思って。成瀬君って結構かっこいいし」
「女子対策のために入れさせられるのかよ! それにほぼ女子が一人って、上杉先輩が可哀想じゃないですか!」
「だ、大丈夫だよ。僕、女の子だって間違われることに慣れてるし……」
と、上杉先輩は微笑みながら明後日の方向を見てしまっている。唯一、まともだと思える先輩なのでここは凄く同情してしまう。
ふざけてるぞ、この団体。即戦力として期待されているなら少しは考えたが、女子の勧誘に使われるなんてまっぴらごめんだ! それに、あの騒動の所為で学校中での俺の評判は初っ端から最悪なんだ。集まるどころか非難されちまうって。
「……まあ、冗談はここまでにして」
「冗談だったのかよ!」
「当たり前じゃない。あの騒動のせいで残念なことになってる成瀬君をマスコットキャラクターにしても、AGCに来る生徒なんていないわよ」
うううっ、自虐していることを実際に他の人から言われるとこれほどショックが大きいとは。やっぱり、あの騒動の所為で俺の評判は最悪になったのか。
「でも、私が成瀬君に興味を持ったのは本当。あの時のあなたの姿に惚れたと言ってもいいわ。とにかく、私はあなたをうちのメンバーとして欲しい」
その時の凛とした表情は誠実そのものだと思えた。今の俺でも、AGCに入ってみてもいいかもしれないと思えたほどだ。
でも、俺の気持ちは最初から決まっている。
「堤先輩が俺を評価してくれることは嬉しいですけど、それでも俺は何の変哲もない生活が送りたいんですよ。学校で勉強して家でそれなりに家事をやって、趣味を少しでも楽しめれば例えこの先ずっと孤独でもいいんです。一緒に事件を解決しようとか、そんな高校生らしくないことを俺はしたくない。それが俺の気持ちです」
面倒だ、こんなところに入るなんて。危険な目に遭うくらいなら、さっさと家に帰って一人で好きなことをする方がよっぽど楽しい高校生活になるはずだ。
でも、出会ってからこれだけ短時間で冷静に物事が伝えられるってことは、先輩方が本当にいい人達だと本能が感じているんだ。それだけに申し訳ない気持ちもあるが、これから始まる高校生活に影響することなので意地でも俺の意見を通させてもらう。
「もう、俺に関わらないでください。俺に期待したって幻滅するだけなので」
「あんたね、奏先輩が頼んでるのよ!」
宮永先輩は堤先輩を引き離して俺の前に立つ。
「先輩の気持ちも考えたらどうなの!」
「それはこっちの台詞だ。俺の気持ちは考えたのかよ! 俺のことをAGCに入れようと思った堤先輩は! 薬で眠らせる命令を受けた宮永先輩は! 俺はお前等に好き勝手に使われる駒なんかじゃねえんだよ! 金輪際関わってくるな」
やっぱり防衛本能が発揮してしまったか。穏便に断れるかと思ったんだけど、宮永先輩の激昂が非常に危険だと判断してしまったみたいだ。
俺はそれから何も言わずに部屋を出て、急いで城崎学院の校舎を出るのであった。
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