第1話『成瀬篤人』

 四月四日、木曜日。

 今日は私立城崎(しろさき)学院高等学校の入学式が執り行われた。

 あの騒動の後、俺は現場に駆けつけた警官に色々と事情を聞かれた。傷害罪で逮捕されることまで覚悟していたが、あの騒動の全てを見ていた人が女の子を助けるために起きてしまったことだと証言してくれ、俺はお咎めなしとなった。そのおかげで入学式にも無事に間に合った。

 俺なんかのことを弁護してくれる人がいたことに非常に感動した。このことを機に、灰色の高校生活しか待っていないと悲観的にならず、俺は気分を明るくして初めてのホームルームに出席するために自分のクラスである一年二組の教室に向かう。

 だが、俺の持ち直した気持ちはすぐに奈落の底へ突き落とされることになる。

 一年二組の教室に入った途端、中にいたほとんどの生徒が俺のことを鋭い目つきで見てきたのだ。それに対して無視でもすればいいものの、

「ちっ」

 と、嫌みったらしく舌打ちをしてしまう。もちろん、これは俺の本心ではない。

 今朝の騒動も今の舌打ちも全て、俺の過剰な防衛本能にある。

 どんな些細な問題でも、何時か自分に降りかかってくるんじゃないか、という妄想を繰り広げ、大抵は防衛本能が危険と判断し、その問題の根源となっているものを力ずくで絶やしてしまうのだ。時には朝の騒動のように暴力行為に発展しまうこともある。防衛本能が大丈夫だと判断するまで続き、理性では一切セーブができなくなる。

 あの時は女子が俺のことを一瞬見たことから、俺が知り合いだと勘違いされて巻き込まれるんじゃないかと思ったことから暴力行為に繋がり、今の舌打ちは今朝のことで何か言われるんじゃないかと危惧したことからだろう。もちろん、本心では平穏に物事を進めたいと思っているし、わざわざ人に嫌われるような態度も取りたくない。

 この過剰な防衛本能は生まれつきのものでもないし、精神的な病気でもない。というかそう思いたくない。ただ、昔に危険な目に遭いその反動でついてしまっただけだ。

 中学生のときは防衛本能の所為で色々と酷い扱いを受けた。なので、俺は逃げるようにして実家から電車で二時間もかかる鏡浜(かがみはま)市へ一人で引っ越し、城崎学院に特待生として入学した。今は特待生など限られた生徒のみが入居することのできる特別寮で一人暮らしをしている。

 そういうこともあって、俺のことを知っている人間はそこまでいないはずだ。あの騒動を見ていたとしても、それは一部の生徒だけだろうし。どうしてほとんどの生徒が俺を軽蔑することになってしまったのだろう?

 とりあえず教室全体を見渡してみる。

 そして、とある女子を見つけた途端に視線が固定してしまう。

「お前、俺と同じクラスだったのか……」

 そう、朝、俺が助けた女子だ。黒色の艶やかなロングヘアが印象的で、頭につけているピンクのリボン付きカチューシャがよく似合っている。一言で表せば、大和撫子。クラスの女子の中では指折りの可愛い女子生徒じゃないだろうか。

 俺が声をかけたことで助けた女子はあの時のように怯えてしまい、友達らしき女子二人が助けた女子を宥めながら俺のことを睨み付けてくる。

 なので、俺も睨み返した。何やってるんだよと自分で思いながらも、ここでも防衛本能が圧倒的に勝ってしまっていた。

 俺は虚しさを覚えつつ自分の席へ着いた時に、

「大丈夫だからね、栗橋(くりはし)さん」

 という例の女子に向けられた言葉が聞こえた。あの女子、栗橋っていうのか。

 どうやら、栗橋の存在がこの状況を作り出した一因であることは間違いなさそうだ。そして、彼女が全てを語る前に周りの人間が俺を危険な存在であることだけを認識し、それがクラス全体に広がったのだと思う。そして、俺が教室に入った瞬間、あの騒動を見た生徒を中心にして俺を軽蔑するように見たと。

 俺はただ、栗橋を助けただけなんだけれど。

 そう言いたかったが、何を言っても分かってくれるどころか更に状況が悪化しそうな気がしたので、俺は何も言わずに担任が来るのをひたすら待ったのだった。



 高校生になって最初のホームルームは土曜日までのガイダンス期間の説明と、女性の担任の自己紹介だけだった。俺達の自己紹介は明日やるそうだ。それを聞いて、俺はとりあえずほっとしている。

 今日はこのホームルームで終わり。もう放課後になっている。

 時刻は十二時半。まさにお昼時だ。故に、周りの生徒はクラスメイトとの親睦を深めるために数人でこれからファミレスやカラオケに行くなど、俺の夢である普通の高校生らしいことをさっそくしようとしていた。

 そんな光景が羨ましいと思っている中、いかにも委員長になりそうな男子と女子がそれぞれ誘ってきてくれたのだが、

「俺は別にいい」

 と、どちらに対しても無愛想な態度を取ってしまった。さっきのことが影響しているのか防衛本能が未だに働いてしまっているらしい。

 もう、さっさと帰ってしまおう。ここにいても辛い思いをするだけだ。

 俺はバッグを持って席を立ち、教室を出た直後、

「成瀬篤人で間違いないわね?」

 金髪ツインテールの小柄な女子が俺に向かって話しかけてきた。不機嫌そうな感じだけどそれでも可愛らしい印象を持たせる。

「ああ、そうだけど」

 俺がそう答えると金髪女子はポケットから布のようなものを取り出し、


「こうすることを悪く思わないで。でも、あんたは危険な奴にしか見えないから」


 と言って、俺の口を布で塞いだ。

 その布に薬が仕込まれていたのか、俺は何も抵抗できずに程なくして意識を失った。

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