夕方

 夏の朝は意外と寒い。それは昼に暑くなるしらせでもあり、野鳩はあつくならないうちに低音を響かす。朝から昼への移り変わりをみんなに知らせる。


「ばあちゃん来たよ!」


 今日は一段と元気にトウタは祖父母のすむこの家にあずけられた。


「母さん、仕事で今日少しおそくなるかもしれないから。ご飯トウタにたべさせておいてくれると助かるわ。それじゃ」


 トウタの母は足早に職場へ向かう。


「あら、そうなのって、あの子もういない。せわしい子ね。坊や、夕飯なにがいい?」


 ばあちゃんはエプロンで手をふきながら玄関でくつを脱ぐトウタにたずねた。


「カレーとごはん」


 すぐに答える。


「あいよ」


 ばあちゃんはまた台所にもどっていった。


「さて世界情勢はっとふむ、よくおいでなすった。まずはお茶とチョコレートいかがかな」


 新聞をおいて座椅子から立ち上がり、台所にじいちゃんはむかった。


「あのね、今日ね、今日ね」


 お茶とチョコレートをもってもどってきたじいちゃんへとせっかちに話す。


「まずはほら、これでも食べて、一息。落ち着きなさい。時間はつねに君の見方さ」


 お茶とチョコをトウタの前へ、そして新聞に手をかける。


「今日、あの子とまた会う約束きのうしたんだ。待ちきれないや、早くなんないかな。早く時間すぎないかな」


 体を上下にゆらしながらチョコをほおばる。


「ほおそれはさぞ、楽しみだろう。うんと楽しみにするといい……そうするといい。ところでその子はどんな子なんだい?」


「えっとね。……うん……同い年くらいの女の子であの傘ぼうしを見てかけよってきて仲良くなったんだ」


 トウタは嘘をついた。


「あいびきというやつか。うらやましいのう。ほほ」


 じいちゃんの頭がめの前でひろげた新聞に突っ込む。後頭部には洗剤のあわがついている。


「へんなこと言うんじゃないよ!」


 ばあちゃんは音もなくじいちゃんの後ろに仁王立ちしていた。また今日も日常がはじまった。


「いやはや。これはなんとも、新鮮で」


 じいちゃんはいらない今日の広告紙で頭をふいている。トウタはチョコとお茶を食べ終えると、よこになった。


「僕すこし寝るね。きのうなんだかあまりねむれなかったんだ」


 そして目を閉じる。


「……嵐のまえの静けさかな」


 じいちゃんは新聞をよみはじめた。ばあちゃんはまた台所にもどった。





 お昼。十二時を知らせるおんがくが、近くの防災行政無線から聞こえてくる。トウタはかけられていたタオルケットをはねのけてとびおきる。


「今何時! ……ああ、どうしよう。なんで起こしてくれなかったんだよ。もう。やくたたず」


「トウタ、どうしたんだい」


 新聞と老眼眼鏡をおいて、じいちゃんはトウタをのぞきこむ。


「もう! もう!」


 目は今にも泣きそうで、唇をかんで堪える。床を数回つよくふみつけて玄関にむかう。


「そんな、床にあたるもんじゃないよ。ほら落ち着いて」


 じいちゃんはトウタをなぐさめようと手をかけるが、トウタにはらわれる。


「うるさい」


 トウタは傘ぼうしをかぶり、靴をはく。


「お昼、今つくってるよ。たべていかないのかい。それに外はほら雲行きがあやしいよ。今日はやめたほうが」


 台所からばあちゃんが様子をみにでてきた。


「いってきます」


 トウタはかまわず飛び出していった。


「わし、悪いことした。……あのこがあんなに楽しみにしていたのだからもっと気を配ってやればよかった」


 じいちゃんもなんだか泣きそうだった。


「いいんだよ。こどもはああいうものさ。大事なのはちゃんと受けとめてやることだよ」


 ばあちゃんはやさしくじいちゃんの肩を押す。




 外にでるともう、白いポツポツがふりはじめていた。トウタは空をみあげている。傘ぼうしの本領がはっきされるはずなのだけれどトウタはうれしそうでない。


「僕はうそつきだ。急ごう」


 トウタは昨日小川の方へいった道と反対をいく。あっちは神社へはまわり道。こっちのほうが少しはやく神社につけるはずだ。その道はわきの土手に穴がいくつもあいていた。


「おやおや、今日は暗いね」


 トウタは立ち止って声がした穴をみる。右わきの穴からマグが顔をだす。


「雨ふってて曇りだからね」


 続いて左。


「天気が心情をだいべんする。じょうとう手段だね」


 右後ろ。マグ、べス、アンリは三人穴からトウタみつめていた。何もいわずトウタはまた走りはじめた。


「おや。お寂しい」


「善は急げかな。顔が暗かったよ」


「ここは一つ演出しとくかね」


 三人は穴から出てきて道路の真ん中で手を天にかざす。


「雷鳴よ。どどろけ」


「嵐よ。まきおこれ」


「突風よ。ふき荒れよ」


 空が光る。遅れてどんと一発でかいのが落ちた。それを合図にして雨が強くなってきた。風もでてきた。三人のおばあさんは車にクラクションをならされた。


「おや」


「あら」


「狭い日本……」


 三人はすぐに道のわきに退散する。


「まったく、家にかえりましょう。もうずぶ濡れ。風邪ひくと肺炎で一発だよ」


「着替えて、熱いお茶のみたいね」


「たまには成功することもあるもんだね」


 三人はそれぞれもとの穴の中にはいっていった。



 一本道まで続く交差点にやってきた。車がこないか確認するけど、手をあげている暇なくトウタはわたる。雨は強くなる一方。傘ぼうしのおかげで胸より上は濡れていないけど。ズボンはもうすっかりぐっしょり。靴も歩くたびに水のおとがする。そうして最後の一本道に入る。


 下り坂だからおりるのは楽だしスピードもたくさんでる。勢いにまかせてただすすむ。そこに石ころひとつ、ちょいと足へあたる。あっという間に地面へと顔から突っ込むいきおいでこける。


「あっ」


 手を前に出す。でもそれが地面につくことはなかった。雷ひとつ。……そして強い風がトウタを丸ごと拾い上げた。




「くん……とう、ん。トウタくん」


 トウタはゆすられて目を覚ました。


「ウヲッチ、どうしたの」


「どうしのじゃないよ。こんなとこで寝たらいけない。ここにいてはいけないよ。さあ帰ろうあの小川まで送って行くよ。さあ立って。ほら」


 日差しがつよい。雨はあがって晴れていた、すっかり。濡れていたはずの服が乾いている。トウタは頭をおさえる。


「どうしよう、傘ぼうしがない」


 ウヲッチが待ってましたと、彼のあたまにのせてあげる。


「大丈夫、あっちに落ちてたのを拾ってきたよ。安心して僕はかぶってなんかないよ。君の許可なしに

そんなことしない。信じられないならぼうしの匂いを嗅いでみるといい。君の匂いしかしないはずだ」


「ありがとう、ウヲッチ。……ところで」


 トウタは立ち上がって全方位を見渡す。彼らがいるとこは草っぱらのようだ。回りに田んぼも、神社も、川も見当たらない。森が脇に、鉄塔のない山が遠くに広がっている。


「ここはどこ。ウヲッチおしえて僕、あの神社にいかなきゃいけないんだ」


「いやはや……これは困った。うん、はてここはどこかな」


「ウヲッチ! ふざけないで教えてよ」


 トウタはウヲッチの服をつかんでゆらす。


「ここは私の家の近く、まぁ庭みたいなものかな。トウタ」


 トウタの後ろには黒いワンピースに羽織を着た、二ーナが仁王立ちしていた。


「ひどいなあ、魔女は約束を破らないのにトウタは約束やぶるのか。これは、おしおきが必要だね。さてどうしようか……煮るのがいいかな香草焼きも悪くないね。いっそカレーの具にするのもありだね」


「黒様どうかご勘弁を!」


 ウヲッチが膝をついて手をすりあわせてお願いする。トウタは口をあけたまま固まっている。


「ウヲッチ! 別にあんたのこと言ってるわけじゃないのよ、なにやってるの。あ、おーいトウタ」


 固まったトウタのめのまえで手をふり二ーナは笑う。


「ごめんなさい。僕寝坊して、いそいで神社にむかったけど途中で雨ふってころんで。気がついたらここで」


 うなだれ、トウタは正座して弁解する。


「それだけ?」


 二ーナは上からトウタを覗き込む。


「嘘つきました。じいちゃんに、あと変なばあちゃん三人にも。道わたるとき手もあげなかった。お母さんのいいつけ守らなくて、ちゃんと夜寝なかった。僕、悪い子になったんだ。だから神さま怒って天罰がくだったんだ。ごめんなさい。でも食べないでください、僕たべてもおいしくないと思います」


「だめよ。ひとのせいにしちゃね。たとえそれが神さまでも。……それに冗談よ。食べるわけないじゃない。この若さで火刑にかけられたくなんてないわ。世界が絶望するもの。ねえウヲッチ」


「え、あ、はいもちろんですとも。私めは、生きる気力がなくなり湯船の堤にでも投身しますきっと」


 ウヲッチは立ち上がり、笑って何回も首をふる。


「あの、二―ナさん。許してくれますか」


 トウタは顔をうかがう。


「二ーナ!」


 膨れる二―ナ。


「……二―ナ」


 トウタは答えた。


「よろしい、別に怒ってなんかいないわよ。このくらいのこと。ただちょっとからかってみたかっただけ。さ、時間がもったいないわ。こんなつまらないとこじゃなくて、私の家においでなさい」


 二ーナはトウタに手をさし出す。それをつかんで彼は立ち上がる。


「手て、手を……。いかん悪夢だ。これは何かの前触れだ。そうに違いない。でなければとても……そう」


 ウヲッチは震えだす。横の森から物音がした。


「ダメよお」


 現れたのは、壁を常に背負い首に音の出る機会をしている巨漢の男、ソケット。この大きな肉の塊が三人めがけてつっこんできた。三人はそれぞれ一歩さがり、ソケットは地面に突っ込みめり込むかたちとなった。


「痛たたたまったくひどいめに。……あらだめよ! トウタちゃん。子どもはもう帰るじかんよ」


 ソケットが起き上がる。


「何寝ぼけてるの。まだ昼過ぎよ」


 二ーナが口をはさむ。


「あ、これは黒様。いらっしゃったんですか。……いえいえそんな全くそのとおりで」


 ソケットは下がってウヲッチと並ぶ。ウヲッチはさっきから、トウタと二ーナが手をつないでいる、その手をみて「手、手、手」と言いながら震えている。


「トウタは私のお友達。私がここに招いたのよ。何か問題あって? それともなにかしら。あなたたち二人して私に逆らう気? いいのよ、私うれしいわ。独立ってすばらしいと思うの、本当うれしくて涙できそう」


「めっそうもございません」


 ウヲッチとソケット、声をそろえて言う。


「よろしい。さあ行こうトウタ。余計な時間かかっちゃったけど私の家に案内するわ」


「うん」


 うなずいて、手をしっかりにぎる。トウタと二ーナは手をつないで森の中にはいっていった。





「これは、いよいよまずいことになった。さてどうしたものか」


 ウォッチはその場でかけ足をはじめた。


「やめなさいって。その癖、地面に穴が空くだけよ。まずは二人して落ち着きましょう」


「お前だって自重で膝まで土にいつのまにか埋まってるじゃないか」


「あらやだ、本当。恥ずかしいわ、もう」


 二人して深呼吸する。ウォッチは足をとめた。ソケットは土から膝を持ちあげる。


「とりあえず、あそこの木陰に移動しましょうよ。ここ土が柔らかすぎてきっと五分もしないうちに、わたし地球の反対側までもぐっていっちゃうわ」


「はて……さて。このままいくと彼はめでたく。ここの住人だ。神隠しってやつで両親親戚大騒ぎになるぞ」


 ウヲッチとソケットは木陰に腰かける。


「木があるだけあって地面しっかりしてるわ。よかった。……よくないわよそれ、大変。一体ぜんたいどうしましょ。本当に時間がないわ。もうやだ! あなたの時間ないない病。うつっちゃったじゃない」


「ところでソケット。今日は臭わないな。どうしたんだ」


 ウヲッチは鼻をうごかす。


「あら本当?」


 ソケットは自分の服や体の匂いをかぐ。


「お風呂に入ったのよ。当然でしょ。話をそらさないで! そんなことどうでもいいのよ」


「ああ。トウタくんは……いい子だ。実によい子だ。いなくなったら両親はもちろん、あの傘ぼうしをあげた、おばあちゃんとおじいちゃんも悲しむだろうな。これは我らが責任もってもとの場所に帰してやることこそ。勤めであると、大人の義務だ」


「あんた、話まとめてから話しなさいよ。でもそう、なんとかしてね。黒様からあの子を離さないといけないのはたしかね」


「お互いここは協力するしかない。君とは敵ではある僕だけど、なあソケット」


「そうよウヲッチ。ここは一時休戦よ。だって目的がなくなったらもともこもないもの」


「……いや、違うんだ」


 ウヲッチ立ち上がる。


「君以外だれもいないかい。ソケット」


 ウヲッチはあたりを見まわす。


「君と私だけよ。ウォッチ何よ、何かはじめようとでもいうの」


「そうさ。僕はいよいよ。我慢がならなくなってきた。時間がないんだ。ひとの時間が欲しいんだ」


「何よいつもそうじゃない。そんなことよりも」


「だまれ! 話はまだ終わってない。ソケット違うんだすまない。つまりだ、その……いよいよ口にしなくてはいけないんだ。君とはけっこうな付き合いだがあの言葉をまだ本人はおろか、君にすら相談……口にすらしていない。つまりもうそれがたまってたまって。爆発寸前我慢らなん! っとまあいった次第なんだ」


 ウヲッチは拳を高く天につきあげる。


「何よ。意味がわからないわ」


 ソケットも立ち上がる。


「つまりもう認めようと思うんだ。僕は大好きなんだ。黒様……二―ナがさ」


「何を言い出すの。恐れ多いわ。そんなこと口にしたら最後よ。手なんてのばしたら」


 ソケットはウヲッチの肩をつかむ。


「恥ずかしいんだ。あんな小さな子が自分のうそを認めたのに僕が僕のうそを認めないのは。嫌なんだ、他人に取られるのが。我慢ならないんだ、これを伝えないことが。もうやめだ!」


「すべて終わりなのよ……ここにだっていられないじゃない。いいの、それでいいの?」


 ソケットはウヲッチを力いっぱいゆする。ウヲッチは次第に白目をむいていく。



「聞いちゃったね。べスさんや」


「ああ、聞いちゃったよ。アンリさん」


「高根の花さ。高望なんてやめときなウヲッチ。希望は毒さね、気の毒さ。なあマグさん。ウヲッチあんた自分の顔鏡でみたことあるのかい」


 ウヲッチとソケットが腰かけていた木の後ろから三人が順番に顔を出す。


「糞ばばあ三人衆。あんたらいつからそこに」


 ソケットが三人を睨む。


「あんたらがここで話はじめた最初からいたさね」


「なめるんじゃないよ。気配ぐらいなら消せるよ」


「私らだってこれでも魔女ね」


 ウヲッチは天をあおぐ。


「終わりだ! こいつらに聞かれたら。明日にはもう世の中みんな知っている。俺はもう時間の終わりお陀仏だ」


 ウヲッチは頭を振り回しかかえてしゃがんでしまった。


「希望のないものに」


「希望は抱かない方が」


「身と心のためってもんだね」


 三人そろって笑いはじめた。


「貴様らあ。ない根性振り絞ったんだ。たとえ二人言でも口にするのにウヲッチは勇気がいったんだ、時間がとてもかかったんだ。それを馬鹿にするのか」


 ソケットの肉が波打ち、巨体がうなりをあげ固い地面に足がめりこむ。


「うるさい。うるさい。あのなあ」


 ウヲッチは立ち上がると割ってはいって三人の眼前にたつ。声をはりあげ叫んだ。


「僕にだって好きな人はいるだ。きれいな人をすきになっちゃいけないのか。どうしようもない酷い、醜い顔だと自覚があっても、無理をわかってるけど。だってそんな悲しい話があるかい。誰だって、じゃなきゃ、生きていけないじゃないか」


「ふん。気分悪いよ」


「知らないよ。絶望ってのは、避けたいときほどあたるもんさ」


「まーふぃーの法則だね」


 三人はそう言って地中にきえてなくなった。


「…………いいなあ、僕はだめだから。まだウヲッチ、君みたいにはなれないよ。休戦じゃなくてぼくの負けになっちゃったなあ……。また」


 ソケットは苦い表情でウヲッチに笑う。


「こうなればそう、時間はいよいよない。僕に与えられたすこしの残されたものも、あと僅か。やることは一つしかできない」

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