朝と昼の間、野鳩が低音を利かせている。農業用水用の小さな川にトウタはいた。カワニナがいた。これはホタルの餌、前に麦茶の薬缶を冷やしながらばあちゃんがいってた。


脇でカマキリが一匹通りすがる。トウタはカマキリを未だに手で捕まえられない。何度も挑むがその度にカマが伸びて、少し痛い思いをしてあきらめる。通りすがりにトウタの目へとつかまったカマキリはまだ成虫になりきっていない小さいやつだった。


 挑む。細い胴体に手をのばす。そこが彼たちの弱点だ。が、どうにも上手くいかない。勇気が足りないのか。元気が負けてるのか。カマキリは逃げ去った。


 トウタの後ろで砂利のすれる音がした。


「やあ」


 声のする方を見ようとして目線を正面に向けてそこでトウタはとまる。


「知らない人についていっちゃいけないんだ」


 小さくつぶやく。


「やあ」


 トウタはうしろを向く。


「やあ」


 そこにはその場で駆け足をしているおじさんが立っていた。黄色い帽子と半ズボン、かりあげ頭に剃って二日目のひげ、といった姿で登場。


「やあ、で君。今何時かわかるかい」


「わかんないよ。僕時計を、持っていないから」


「君、時計持ってないんだ。実は私もなくてね」


「おじさん、その年で黄色い帽子だなんて変な人だあ」


「待て待て。時間よ止まれ」


 その場での駆け足をやめる。


「おじさんと呼ばれるにはこう見えてもまだ若い。お兄さんだ。お兄やんでもいい。名前はウヲッチだ。いやもちろん本名じゃない。みな馬鹿にしてそう呼ぶのさ。でだ、君その頭に付けてるものいいね。カッコイイ」


「あげないよ。さっきばあちゃんから貰ったばかりなんだ。それ以上前に来ると叫ぶぞ! 警察よぶぞ」


 ソウタは拳を握って構えをとる。


「そのぼうし。ん、傘、両方かな。別に君から奪おうとは思いもしなかった、思いもしなかった」


 ウヲッチは再びその場で駆け足をはじめる。


「いかん。時間がないのであった。いやしかしその傘ぼうし。ぜひ、お近づきのしるしに、すこし私にもかぶらせてはくれまいだろうか」


「やだよ。かぶったらきっとにげちゃうよ。走る準備してるぞ」


「そうか。たしかに見える。そう見える。もちろんそんなつもりはない。ちょっとでいいんだ。……ああそれをかぶったらきっといい気分なんだろうな。とりかえしのつかない時間が、少年の頃が…時間が戻る。よい気分なんだろなあ、そうだったらなあ…とまあいった次第で」


 駆け足がはげしくなって土と石をまき上げる。


「僕のお気に入りなんだ。ぜったい。ぜったい嫌だね」


「それは。そう残念、いやこれは無理なお願いをしちゃったね。ごめん」


「わかればいいんだよ、変なおじさん」


「なに。おじさんとな! だめだ。ウヲッチと呼びなさい。呼んでください」


「いやだね! あっちいけ、せっかく捕まえようとしたカマキリがさっき逃げちゃったじゃないか。おまえのせいだぞ」


「なるほど。ふむ……大人は私を見てもだまってむっつり顔で時間を教えてくれる。まるでゴキブリかゲジゲジ、アシダカいや、そうムカデを見る目をして。子どもは実に素直だな。うん、だ、そうだ。そういうことか。時間とは難しいな。ところで君、今何時かね」


「だから、わからないってさっきいったじゃないか。もう忘れたの、変人め」


「え! もうそんなじかん大変。いそがなくっちゃ。失礼」


 ウォッチは川沿いの道を走っていく。足の回転は速く道の石や土、葉っぱなどを巻き上げて。だけどもその割にはあまり前には進んでいない。


「うわ、遅い。……ウォッチ! 前に進んでないぞ」


 トウタの声を聞くと、彼は振り返って眉毛を二回上下にやる。そして回転に見合った速度で道の先を曲がって消えて行った。


 トウタは小川をあとに、ウヲッチが走って行ったのと同じみちを歩いた。角にきて見ても、あの変人の気配はもう感じられない。車は走ってない、誰もいない。


「右よし。左よし。右よし」


 手をあげてわたって広い道路に出た。わきには黄色と黒の目立つ手すりがつづいている。


「右よしだってよ」


「左よしだってよ」


「また右よしだってさ」


 気がつかなかったのか、さっきまで誰もいなかったこのあたり。後ろに三人の割烹着をきた、おばあさんが手すりに腰かけてこっちを見ていた。


「右も左もよしだがね」


「世の中よくないよ」


「年寄りいじめだよ」


 おばあさんたちは右から順に口をひらく。


「とりあえず福祉が一番だよ」


「年寄り大事に、ってね。そういっとけば、若者は貢いでくれる。わたしら楽だよ」


「残念。君には選挙権ないよ。未来なんて知らないさ」


 トウタは歩き出す。


「待ちなされ。お若いの」


「年寄りの話は最後まで聞くもんだ」


「子どもには過ぎた話だよ」


「知らない人と口きいちゃいけないんだ。つれてかれるんだ。それに僕、いくとこある。さようならおばあさん」


 トウタは歩き出すが一歩進んでまた引き止められる。


「レディに名前を聞かないとは失礼さ」


「そうすれば知らないひとじゃなくなるよ。安全だよ」


「じょうとう手段だね」


「じゃ、ばあちゃんたち名前なんて言うの」


「名前を聞くときはまず自分から名乗るもんだ。最近の若いもんはなっとらんね。マグとお呼び」


「れでーふぁーすとってやつだね。べスだよ」


「ところで良い。めずらしいもの頭につけてるね。おいさき短いこのばあさまに貸してはくれないかい。アンリです」


「この傘ぼうしはだめです。トウタといいます」


 名前を言い終えると傘ぼうしを抑えて、走りだした。少しすると道は開けて十字路につきあたる。まっすぐ進んで坂になって、そのみちは神社へとつながっている。


 カーブミラーがふたつ。背の高いのとそれより低いの。どちらも赤く、さびている。その鏡にはさっきのおばあさん三人がうつっていた。


「わあ、なんで」


 トウタが振り返るとそこにたしかにさっきと同じように手すりに腰かけている三人の姿があった。


「急に走り出すと危ないよ。怪我されては大ごと」


「頭のやつたしかに変わった代物だ。わたしも欲しくなってきたよ。どこで手に入れたんだい」


「狭いにほん、そんなに急いでどこいくの」


「知らないんだ。ばあちゃんに貰ったからさ。さようなら」


 車がこないのを見て、手をあげながら走って十字路を渡る。そして坂をいっきに駆け降りる。途中カーブミラーが一つ、二つ、三つという具合にならんでつづく。全部で十一個。鏡が曇っているものや割れているもの。鏡がついてないもの。顔がみんな違う。


 坂が終わって立ち止まる。ここからは一本みちで神社まで続いている。あたりは、田んぼだらけだ。トウタは息があがって手をひざにやる。


「しつこい。……もう、三人いっしょで、うるさいよなあ」


「はっ、だから……ひい、急に走るのはおよしなさいと言っただろう」


「ふう、そうだよ。心臓、発作を、おこしちまうよ。へっ」


「車は急にとまれない……ほ、そんなに先を急がんでも、わしらはいそいじゃ、いないからさ」


 マグ、べス、アンリは胸を抑えて小言を言いながらトウタの後ろに立っていた。


「まだ、おっかけてきたの?ばあちゃんたち。そんなことしたって傘ぼうしあげないよ」


「老人は孫にものをあげる、買うのが仕事。奪うなんざするもんかね。安心しな」


「孫に一割残り九割棺桶代だよ。福祉様さま。いい世の中だよ」


「目先の孫はかわいいけど。その孫に借金作って死んじまうなんて滑稽さね。あら、それ私らのことか」


「もう、ついてこないで。難しいはなしは僕にはわからないし。ばあちゃんたちだってついてくるの大変でしょう」


「そうさ、大変さ世の中についていくのは。本当はわからないんだよ自分でも。誰が誰だか。だからその傘ぼうしとやら、おくれな。そうすればわかる気がするよ。君の気持ち」


「わかったときにはもう手おくれかもしれないよ。だからわかりたくもないのさ。自分が一番よ」


「ごめんね。坊やこれが老害ってやつ。この二人相当まいっててね。はなし相手が欲しいのさ。よくいっとくから勘弁してやってもう少し付き合ってやってね」


 深々と頭をさげるアンリ。


「あんたが言うんじゃないよ!」


 マグとべスが声をそろえる。


「雷鳴よ! とどろけ」


「嵐よ。まきおこれ!」


「今日は晴天。そんなこと言っても無理だよ」


「僕は……ぼくには時間。そう時間がないんだ。急ぎのようなんだ。ごめんね、ばあちゃんたち」


「そうか。若者にトキはカネなりか」


「そりゃ悪かったね。わしらそろそろおいとまするよ」


「今日はいい風がふくよ」


 アンリの声が合図たっだように、突風がトウタを襲う。傘ぼうしにあてられて、頭、体、足の順にうきあがりそうになる。あわててしゃがんで目をつぶってやりすごす。おさまって、そこにはおばあさん三人組みの姿はもうなかった。


 よくよくトウタはまわりを見る。本当に見当たらない。


「風、すごかったあ。飛べるかな。飛べるかな。ふわっ、ふわっ」


 トウタはスキップにジャンプ。空へ手を伸ばしてとびはねながら神社にむかう。


「嘘は泥棒のはじまり。時間はたくさんあるのに嘘ついちゃった。どうしよう僕、泥棒になっちゃうかな」


 そう下を向いて飛び跳ねるのをやめた。




 一本道が終わるとそこは神社の入り口。鳥居が構えている。鳥居の上には小石がいくつものっている。石をなげてうまくのせると、よいことがあるのかもしれない。トウタも足元のてごろな石をにぎりしめる。


「ふう……ふう、ふう」


 変な掛け声と一緒に後ろから足音が聞こえる。それは近づいている。


「し、しまる。……けて……くれ」


 その足音は後ろで止まった。


「ウヲッチ?」


 また彼がきたのかと思って振り返る。


「ふう……首がしまる!そこの坊やちょうどいいとこに、助けてちょうだい」


 うしろには巨漢の男が立っていた。顔が肉に埋もれそうで首に音の出る機会をかけている。コードがのびて背中に背負っている壁のようなもへささっている。


「なんだ、今度はだれだ。また奪いにきたのか悪党たちめ。……ああ、ナンカクサイゾ」


 トウタは鼻をつまむ。異臭はその男から発せられているもののようだ。


「あの、ごめんなさい。もうしませんから、お願いだから石をぶつけるのはやめてちょうだい」


 手を前に合わせて祈るように男はいう。


「え、これ違うよ。鳥居に投げようとおもったんだよ。それに石なんて僕、おじさんにぶつけてない。でもおじさんくさいよ。なんとかしてよ」


 そう言って石を地面にかえす。


「あら、そう? ごめんねえ。でもどうすることもできないの。この機会が首にはまってとれないの。ねえお願いだからこれとってちょうだいよ」


 巨漢の男はしゃがんで首をトウタに差し出す。


「……うん、いいよ」


 トウタは片手で鼻をつまみながらもう一方で機械をひっぱる。


「いやん、痛い! だめ、胃から何かでそうだわ」


 すぐに男は悲鳴をあげてトウタから離れる。


「なんだよ。そんなんじゃ取れないじゃないか。いっそ壊したらいいよ」


「だめよ! この機会からはとてもいい音が出てるの。それを耳にはめてしっかり聞くことができたら私。きっと、きっとすごいことになる。そうに違いないから壊すなんてだめよ」


「もうだめだ。臭いし。オカマ言葉だ。おまけにでぶっちょ」


「でぶっちょなんて、そんな酷い。せめてソケットって呼んでちょうだい。……あらよくみたらいい男。十年後が楽しみだわ。それにいいぼうししてるじゃない。おしゃれだわ。最近はこういうのが流行りなのかしら」


「おまえもか。ソケットこのやろう。あげないぞ。さわるな!よるな!くさいからもう僕、あっちいく」


「大丈夫よ。そんなことしないわ。だってその大きさじゃ私の頭に収まらないですもの。それよりそんなさびしいこと言わないでよ。協力してちょうだい。これ取れたら私。お風呂に入れるわ。そしたらもうあなたには臭わないはずよ」


 トウタは無視して鳥居をくぐり神社のなかにはいっていく。いっときしたとき、地鳴りがした。それはきまった間隔でおおきくなる。


「まってえ、……ふう……ふう、あなたの名前まだ聞いてないわ。これも取れてないわ」

ソケットがトウタをおっかけて走ってむかってくる。


「暴走機関車だ」


 トウタは走って神社の境内がある方向にむかう。この神社は広く鳥居と本殿までの距離が広くある。おくには小さな川と池がある。隠れるばしょやまわり道などたくさん入り組んでいるからトウタはそこに逃げ込むつもりだ。


「くんな、ついてくるな」


 振り返るたびに暴走機関車は距離をつめてくる。ソケットが手をのばす。トウタの服がソケットの手にふれる。


 そのときトウタは何かやわらかいものに全力でぶつかった。


「あら。大丈夫かい坊や。痛くなかった? ごめんね」


 それは女のひとだった。黒いワンピースに身をつつみ。黒い日傘をしている。


「ごめんなさい、僕まえをみないで走っていたから」


 女のひとはしゃがんでトウタに目線をあわせた。夕立のあとの晴れまの風のようなすずしさが彼女にあった。


「いいのよ。気にしないで子供が外で元気なことをあやまってはいけなくてよ。それよりソケット、子供を追い回してそんなに楽しいのかしら」


 ソケットはトウタのすぐ後ろまでせまっていたはずなのに、今は十歩半開けて立っている。


「こ、これは黒様。ごきげんうるわしゅう。はは、そんなつもりは決してないのですが」


 ソケットはポケットからハンカチをとりだして汗をふく。


「この子にあなたが何の用事がおあり?あなたの巨体がこの子をおいかけたら、間違ってつぶしてしまうんじゃないかしら」


「ふう……、名前をね。その聞こうとだけ思ったんです。それだけです」


「あのだめなおじちゃんに、名前だけおしえてあげてちょうだい。そうすればもういなくなってくれるわ。そうよねソケット」


「はい、もちろんです」


 ソケットは鳥に睨まれたナナフシといった具合、直立不動で答えた。


「ほら、はずかしがらずに。自分の名前は誇るものよ」


「トウタといいます」


「トウタちゃん。よい名前だわ。おほほ、ありがとうおしえてくれて……わたしは満足しました、追いかけてごめんなさいね。これでさようならごきげんよう」


 ソケットはそう告げて足早に逃げていった。巨漢に加えて壁を背負っているのに、足がトウタよりも早いことは驚きだ。


「ごめんなさいね。知り合いがひどいことしたみたいで。それにあの人、においがねえ。敏感なこどもにはきついよね」


「うん、いいよ。お姉さん助けてくれてありがとう」


 お姉さんからはとてもいい匂いがした。


「私のなまえは二―ナ。黒い格好ばかりしてるから、黒様なんてみんな呼ぶけど、あなたは二ーナって呼んでくれる?ねえトウタ」


「二ーナ……さん」


 うつむきにトウタは彼女のなまえをよんだ。


「二ーナでいいわよ。ただの二―ナ……あ、そうそうこれ言っとかないと。私、一応これでもこのあたりの魔女をやってるわ」


 立ち上がって、腰に手をあてて唐突に彼女は告白した。


「まじょ!」


「そうよ」


「魔女って。お菓子の家に子供を誘拐して食べちゃうあの魔女?」


「こわい魔女もいるかもしれないねえ。きみの好きな食べ物は何かな、……気つけるのよ」


 両手をあげて二ーナは襲いかかるマネをした。


「僕はカレーとごはんが大好きだよ。うん。二ーナはなんだか、違う気がする。そうだ魔女なら魔法みせてよ」


「カレーとごはんか、カレーとごはんねありがと、魔女みんなが魔法を使えるわけじゃないのよ。それに私はどうかしらね。とにかくそれは秘密」


「ねえ使えるなら魔法使ってみせてよ。ねえねえ」


「今日は無理かな、いまから用事があるの」


「いつかみせてくれる? また会える?」


「そうね。さっきから気になっているその不思議な傘のようなぼうしをわたしにもつけさせてくれたらいいわよ」


「本当?」


「魔女は嘘をつかない」


「ほんとにほんとう? ……特別だからね。今日ばあちゃんとじいちゃんから貰ったんだ。かっこいいんだ。僕に似合うんだ。でも二ーナにはいいよ、かしてあげる。特別だから、約束だからね」


 トウタは頭をさしだした。


 二ーナは黒い日傘をたたんで、トウタのあたまからやさしく傘ぼうしをとり、自分のあたまにのせた。


「どう?」


 片足をあげてポーズをとる二―ナ。


「似合う! 二―ナかわいい。この傘ぼうし、僕がかっこいいで二ーナはかわいい担当だね」


「ありがとう。短いあいだだったけど楽しかったわ。明日ここで同じ時間にまたあいましょう。いい? きっとね、きっとよ」


 トウタは大きくうなずいた。傘ぼうしをトウタのあたまにはめてやると、二ーナは再び日傘をさす。そしてトウタに手をふって神社をでていった。


「きれいな人だった、また会えるといいな。明日あえるといいな」


 手にもった傘ぼうしをふりまわしながら、トウタはスキップで宮のまわりを一周した。








 神社から家にかえりつくころにはお昼を少しすぎていた。今が一日で一番あつい時間だ。


「だだいまばあちゃん、じいちゃん。この傘ぼうしすごかった」


 トウタは靴をはねあげ、興奮に汗だくで帰ってきた。


「そうかい。それはプレゼントしたかいがあったね。さ、もう昼すぎだよ。昼ごはんができているからおあがりなさい」


 ばあちゃんはトウタから傘ぼうしをとってやると靴箱のうえにかけた。机にはでっかいおにぎりが一つとつけものが準備してあった。


「よく帰還なすった。小冒険、いかがだったかな。ささ、手をまず洗っておいで。そしたらじいちゃん特製のでかおにぎりをめしあがれ」


 じいちゃんは座椅子から立ち上がりタオルをタンスから取ると、トウタの後につづいた。トウタが手を洗うあいだに体の汗をふいてやる。そして机へと戻る。


「いただきます」


 トウタは自分の顔の三分の二はありそうなでかいおにぎりにかぶりつく。中身はおかかだ。このおにぎりはじいちゃんの特製でゆかに落としても割れなことが自慢だった。彼は家事一切をばあちゃんに任せてはいるがときどき気がむくと簡単なものをつくることがある。



おにぎりを食べ終えるとトウタは自然と眠くなって座布団によこになった。


「で……だ、どんないいことがあったんだい」


 じいちゃんは新聞片手にたずねる。


「うん。あれのおかげで……友達ができたんだ」


 そういい終わると目を閉じる。


「なるほどそれは……、おっと。戦士の休息か、どっこいしょ」


 じいちゃんは奥から持ってきたタオルケットをトウタにかけてあげた。




 トウタは傘ぼうしをかぶって道の真ん中に立っていた。両脇の土手にはあちこち穴ぼこがあいている。中には水が流れていた。灰色の猫が一匹ひと声鳴くと道の向こう、角をまがってはしり消えていった。


「シロ! ばあちゃんはいいの? もどらなくていいのかい」


 そう叫んでも猫はもどってこなかった。ひとつの大きな風がトウタをまきこむ。体が軽くなって、足が地面からはなれる。トウタは必死にもがくけど、どうしようもなく体はどんどん上昇していく。カラスが気の毒そうによこを過ぎていく。西はあかくなりはじめているのが見えた。家が、道路、たんぼたち、みんな米粒みたいに小さい。


「どうしよう。どうやってもどろう。二―ナごめん約束守れそうにないや」


 そのときあたりが真っ白になった。すごくたかく空に上ったのに足が地についた。


「……後生ふむ、なるほど、その世、未来、来世か」


 じいちゃんは広辞苑で何かを調べていた。


「シロがいたよ」


 トウタは眠りから覚めた。


「おきたか、おはよう。良く眠れたかい。寝る子は育つ。よく遊び学び、よく食べ、よく寝る。結構なこと」


 じいちゃんは静かに語りかける。トウタの隣ではばあちゃんも昼寝をしていた。


「じいちゃん。夢でね、シロが出てきたよ。あいつほんとうどこいっちゃったのだろうね」


 起き上がってじいちゃんの隣にトウタは座った。


「ほう。それはきっとトウタに久しぶりに会いたかったんだろう。猫はあるとき一人で旅にでるんだよ。しょうがないことさ。……後生」


「こしょう」


「ごしょう。まだトウタには難しいかな。おやそろそろお母さんが迎えにくる時間だね」


 眼鏡のすきまから時計をのぞく。外で車の音がした。


「いいタイミングだ。うわさをすれば、なんとやらといった次第で」


 じいちゃんはトウタをみて眉毛を上下させる。


「おや、そんな時間かね。これは寝すぎたかい、よっこらせ」


 ばあちゃんも起きた。


 玄関の戸があいてお母さんが帰ってきた。


「ただいま、父さん母さんありがとうね。明日もよろしく。ほらトウタ帰るよ」


 ばあちゃん、じいちゃんにさよならをいって祖父母の家をトウタは後にする。

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