トウタと傘ぼうし

シウタ

 ここはまわりを山と長距離送電鉄塔にかこまれた田舎町、護岸世ごがんぜにある祖父母のすむ家にトウタは毎朝母親に連れられあずけられる。トウタの両親はともに働いており、ついては小学生にはまだとどかぬ彼の世話を両親のいぬ間、世の役目を退役した彼らが見るかたちとなっている。



「ばあちゃん来たよ」


「それじゃ、母さんよろしくね」


 トウタの母は玄関まで彼をやると職場にむかった。


「よく来た坊や、さあおあがり……ほらじいさんトウタが来たよ」


「さて世界情勢はふむ、よくおいでなすった。まずはお茶とチョコレートいかがかな」


 座椅子にかけているじいちゃん。


「まったく新聞ばかり読んでしょうがないよ。そんなのよんでも」


 ばあちゃんは台所からお茶とチョコレートを持ってくる。


「とってるんだから読まないともったいないもんだ。こういうのは。自爆テロ、なるほど中東か」


「よいこと書いてあればいいけどね。所詮ひとづてもの。悪意やら思惟、誘導なんてのでいっぱいさね。嗚呼嫌だ嫌だこんな話……そうだ、そうだった。トウタいいものがあるよ、とっておきのやつが、いいもんがね」


 新聞を下ろすと老眼眼鏡のすきまからトウタを見て笑う。


「はて良いものとはなにかな」


 ばあちゃんは奥の部屋から何やら箱を取り出してきた。


「坊やにこれをあげる。どうだい珍しいものも世の中あるんだよ。ほうらかぶってみな。右も左も自由さ、これで雨の日も安全だね」


 箱をあけてとりだすと包みをとってトウタの頭にちょっとのせた。


「ばあちゃんありがとう!」


 それは、ぼうしなのか傘なのか、赤白黄色のいかにもな、カラフルな傘ぼうしは彼によく似合った。


「半分はじいちゃんからだよ」 


「じいちゃん、ありがとね」


「おお、……いいもん付けとるなあ。若い頃そういえばそんな子したカッコウの」


「あべこべだよ」


 ばあちゃんがじいちゃんの肩を叩く。震度1でじいちゃんは一往復よこにゆれる。


「はは、こりゃどうも……ちょっと、わしにもかぶらせてくれ」


「あんたがあげたんでしょ!」


 頭に拳が飛ぶ。


「そうだったか。ふむ。良いぞ。決まっておる男前だ、わしに似ないでよかった。ばあさん今は見るも昔は大そう美人で」


「今はどう見えてるんだよ!」


 じいちゃんの頭が縦におおきく揺れる。


「痛たた、そうわしなんかがよう求婚できたなと、はてどうやってこうなったんだか」


「もういいよ昔のはなしは。トウタが退屈でしょ」


 ばあちゃんは空になった箱を仕舞いに奥へいく。


 じいちゃんは老眼眼鏡をとる。


「遊んでおいでたくさん。晴れの日も雨の日もそれがあればどこへでも行ける。いろんな人に自慢してやるといいさね」


 ひとまず、トウタはチョコをくちに含みお茶を流し込む。これが彼のお気に入りだった。上目使いにその赤白黄色の傘ぼうしを見る。頭を少しふってみる。けっこうかるい。甘い口の中はお茶とチョコが良く合うもんだ。


 じいちゃんとばあちゃんは何かにつけて言い争いのような会話をしている。


「呆れたよ、あげたものすぐに取り上げようとするじいさまがどこにいるかね。ここにいるね」


「いやたしかに昔あんなこしたこがいたんだよ。あれはまだいそぎあしの若かったころだ」


「おかしなこともあるね。とうとう来たか、残念だよそりゃお互い棺桶に片足半分つっこんではいますけどねじいさん、子供たちに迷惑だけはとあたしはしっかり気をつけてきたけど、あんたのそれはぼけというやつじゃないかね。それはきっとそうだよ」


「たしかに変ではある。あのハイカラなものは昔には似合わないがしかし、うむ……既視感というやつか。これは」


「ぼけたら面倒みるのはわたしなんだから、まったく大事になったら山にほっぽりだすからね」


「姥捨て山、ふむ。これはじじ捨て山か。この歳でサバイバルというのは結構な冒険になりそうさな。そのときトウタ迎えにきてくれるかね」


「うん、これかぶってじいちゃん迎えにいくよ」


「いかなくていいよ!」


 ばあちゃんの手が触れてじいちゃんの顔が横に残像を残してゆれる。


「来てくれるか、そうかそうか。やまにクマはおらんがイノシシには気をつけるもんだ。足が早くてあれでまっすぐじゃない、器用にまがれるからの」


「今日はやけに私を無視するのね。よいことよいこと。この方、独立とはうれしいじゃない。晩御飯抜きでいいのね」


「いやそれには待ったをかけさせていただきたいと存じ上げ候、とまあいった次第で。このとし食物が楽しみの種という人間でしてね。ばあさんやここは一つ…」


「今度は私にくちごたえとはこれはとうとううれし涙出てきたよ。新聞で腹が膨れてよかったじゃないか」


「感動にはまだ早いですぞ。その、いや……なんといいますかな」


 ばあちゃんは口元をへの字から三日月にゆがめていく。じいちゃんは困って、掛け時計と新聞、ばあちゃんをそれぞれみる。





 じいちゃんを小突いて四十数年、こういう形でしか愛情や夫婦なんてものを表現できない。ばあちゃんは不器用な人だ。じいちゃんの死因はきっと数ある殴打の中の一つにはまるのではないだろうか。それでもじいちゃんは笑ってられる。昔はすごくせっかちだったと自分でいうけど、今にしたら落ち着いている。ビンタの一つにも動じない。固い人だ。もしかしたら若いとき急ぎすぎて鈍感なのかもしれないけど。


 そう、前にこんなことがあった。ばあちゃんはトウタを買い物に連れて行った。すべて買い物が済んで店をでるとき、ちょうどそこにはタバコの自動販売機があった。


「ばあちゃんこれ買わないの」


 トウタはいつもそれを買い。今日だけそれを買ってないことを知っていた。


 そう告げられて十秒固まって、目がしばしばになったばあちゃん。それ以来トウタの前でタバコは吸わない。もう吸ってない、そう振舞うようになった。でもこっそり抜け出し隠れて時々すっていることはにおいでわかる。だけどみんなそれ以来気づかないふりをしてあげることにした。




「お外に遊びにいっていい?」


 トウタはばあちゃんに訪ねた。


「いいよ、いっておいで」


 家の主は基本的に彼女だ。何の許可を出すにもじいちゃんが先にこたえることはない。


「道に気をつけるんだよ。道路に飛び出しては危ないよ。知らない人についていっちゃいけないよ」


 じいちゃんの役目はばあちゃんが口をすっぱくしなくていいようにすることだ。


「おやそれ付けていくのかい?今日は晴れって天気がいってたよ」


 ばあちゃんはあごでトウタの頭の傘ぼうしを指した。


「だめかなあ」


 トウタは傘ぼうしを下ろそうとする。


「いやいいとも。そのとしで日傘とはシャレている。ハイカラな蛮傘ぼうし、うむ。趣があるね。ほらあとぜき忘れずにいっといで気をつけるんだよ」


 じいちゃんは老眼眼鏡を再びかけると、トウタをよく見て何度もうなづいた。


「いっといで」


 ばあちゃんは傘ぼうしをトウタの頭にしっかりはめてやると、玄関まで見送った。

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