第7話

「一体、何事だよ?」

「?」

 蒼真(そうま)の声に駆け出す帆(かい)。一緒に杏子(きょうこ)もついて行った。

「この船は何だい?」

 納屋の内、壁に立てかけてある一艘の平船を蒼真は繁繁と眺めていた。

「外国のことは詳しいのに」

 少年は一瞬、吃驚したように目を見張ってから、からかうような声で言った。

「日本の、田舎のことになると全然ダメなんだね、蒼真さん?」

 納屋の戸を引き開けて中に入る。

 船を撫でながら帆は言った。

「これは〈田船〉と言って、稲を刈る時使うんだ。尤も、最近じゃ使わなくなったけどね」

「稲だって?」

 御祖父(おじい)様が教えてくれたよ、と少年。

「昔は、米が作れそうな所は何処だろうと必死になって作ったものだって」

 そして、それは〝場所〟だけではなく〝種類〟でもそうだった。

 この辺り、山合の狭小地では池を利用して、そこでも米を作った。

 その場合、米は丈の伸びる――優に10mを超える――種類の米である。

「だから、刈り取る時、船を浮かべて、そこから、水面に顔を出している部分だけ刈り取るんだ」

 流石に、そんな米はもう作らなくなったが。

「船もさ、もういらないんだけど、御祖父様は過去の歴史――大変だった時代を忘れないようにって、敢えて残してあるんだよ」

 納得して、蒼真も笑った。

「そうだったのか。僕はまた、あっちの池に浮かべるのかと思った。〈シャルロットの乙女〉みたいにさ」

蒼真が言った池とは村にある池のことだ。

 帆と杏子、同時に顔を強ばらせる。

 それを見て、逆に驚いて蒼真、

「な、何だい? どうかしたのか、二人とも?」

 少年がボソリと言った。

「あの池は……ヒトが入っちゃいけないんだ」

「え?」

 杏子が言い添える。

「この村の禁忌なんです。あの池――タマトリ池は昔からの決まり事で、人が入ってはいけないことになっているんです」

 古都に近く、女学校や中学へは電車でそちらへ通っている杏子と帆だが、とはいえ、村で育ったので、この教えは深く身に染み付いていた。物心つくとから言われ続けて来たから。

「へえ?」

 逆に部外者の蒼真はこれをひどく面白がった。

「何故、ダメなんだろう? その理由――〝謂(いわ)れ〟みたいなのは伝わっているのかい?」

「あ、いえ」

 上半身裸で詰め寄られて、思わず顔を赤らめる杏子だった。

 自分の反応が憎らしい。蒼真は気づいたろうか?

「その、ただ、ずっと……古くからそう言われ続けて来たみたいで……」

「うん。村に住んでると当たり前過ぎて、理由なんか深く考えなかったな」

 帆も頷いた。

「あの池に〝何故、入ったらいけないのか?〟なんて、僕、今まで気にしたことなかったよ」

「うーむ、理由は忘れ去られて禁忌(タブー)だけ残ったのか。地域に古くから伝わる伝承の類にはよくあることらしいが」

 蒼真は顎に手をやって頻りに考え込んでいる。

 意外にも骨ばって、男らしい手だった。

 そういう大きな手を杏子は美しいと思った。

 この男の持っているモノは全て美しいのだろうか? どんな部分も?

「つまり、僕みたいな異邦人(エトランゼ)ほど気づいたり、気になったりするってことだな」

「それより」

 美しい男をしっかりと見据えて、杏子は訊いた。

「さっき言ってらした〈シャルロットの乙女〉って何ですか?」

「ああ! アーサー王伝説に纏わるお話の一つさ。特にこの〈シャルロットの乙女〉は有名なんだ。詩人のテニスンも詩に書いてる。聞きたいかい?」

 低いがよく通る声。滑らかな口調で蒼真は語りだした。





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