第8話

  塔の中にシャルロットの乙女は住んでいる。

 昼も夜もタペストリーを織っている。

 それが乙女の仕事。

 そして、外の世界を直接見てはいけないと、乙女は定められていた。



「見たら? どうなるのさ?」

 好奇心に駆られて少年が訊く。青年は答えて、一言。

「呪われる」



 だから、乙女は鏡に映った世界しか見ることができなかった。

 タペストリーを織る織り機の横、窓の傍に大きな鏡を置いて

 朝な夕な、そこに世界を映して眺めていた。



「頭いいなあ、そのやり方!」

「だが、ある日、突然、世界は変わるんだ」



 その日、颯爽と馬を駆って、

 騎士ランスロットが塔の前を通りかかった。

 その軽やかな蹄の音。

 シャルロットの乙女は我慢できず、タペストリーを織る手を止めた。

 そして、直接、窓の外を見てしまう。

 その刹那――


 《 鏡は横にひび割れて その身に呪いが降りかかる 》




「それで、どうなるの?」

 堪えきれずに、また少年が訊いた。

「うん、乙女はね、自分の目で見た騎士を追って、塔から飛び出すのさ」




 けれど、騎士は、遠く地平のその先へ駆け去った後だった。

 川辺に小舟を見つけた乙女。

 それに乗り、騎士の住むキャメロットの地へと漕ぎ出した……




「〝漕ぎ出す〟と言うより、〝流れ着く〟ことを乙女は願ったんだろうな」

 蒼真は悲しそうに首を振った。

「ひたすら、流されて、流されて、流れ着くように。小舟に乗り込む際、乙女は自らの名を舳先へさきに記してるんだよ。〈シャルロットの乙女〉と」

「それ、どう言う意味?」

「まあ、最後まで聞くといい」



 船が目的地キャメロットに着いた時、

 乙女は冷たい亡骸(むくろ)となっていた。

 キャメロットの住人は口々に「これは誰?」と問い交わす。

 集う群衆のその中に騎士ランスロットの姿があった。

 騎士は舳先の名を群衆に向けて声に出して読み上げる。

「そは〈シャルロットの乙女)なり!」




「だが、そこまで。騎士にできたのは、憐れな娘のために、天を仰ぎ神に祈ること。

 『この〈シャルロットの乙女〉に、神よ、恵みをたれ給え……!』

 乙女が何故、命を賭して船出したのか、騎士は知らない。まさか、自分に恋焦がれて、全てを捨てて船出したとは。

 皮肉なもんだろう? 全ての原因は騎士にあるのにね?」

「ねえ? どんな気持ちで、乙女は船に乗ったんだろう?」

 少年は知りたがった。

「うん、僕が思うに」

 と、蒼真。

「舳先に自分の名を書いた時点で、自分の口ではその名を告げられないことを――つまり、生きては其処へ辿り着けないことを乙女は知っていたんだろうな?」



 この話の間中、あまりの重なり具合に杏子は一言も口がきけなかった。

(テニスンですって? アーサー王伝説ですって?)

 そんな西洋の話題はよく知っているくせに?

 乙女の〝心〟がわからないとは……!

 騎士ランスロットが、シャルロットの乙女の熱い思いに気づかなかったように、

 あなただって、紫(ゆかり)ちゃんの思いに全く気づいていないじゃないの、蒼真さん?

 それとも――


 本当は気づいていた?

 気づいていたのに、気づかないふりをしている? 

 乙女に降りかかった不幸な出来事が、自分と関わりのあることを認めたくないから?


 シャルロットは死に、紫は失踪した。

 乙女の人生を狂わせた麗しい男たち。

 騎士ランスロットも、画学生角田蒼真も、知らんぷりを決め込んでる……?




 その夜、杏子は夢を見た。

 五百木邸の納屋の中。

 帆君が曳き下ろした田舟。乗っている乙女は紫の顔をしていて、

 垣根の向こうを駆け抜けた白馬の騎士は、浴衣を肩脱ぎした蒼真だった。

 藍色の吉原つなぎの袖がヒラヒラと風に閃ひらめいて、とっても綺麗。

 ところで、自分は一体何処にいたのだろう?

 流れ着いた小舟を取り囲むその他大勢の群衆の一人?


 ソンナノハゼッタイ イヤ。


 顔のない群衆より美しい亡骸(むくろ)の方がいい。







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