偏執狂の猿にタイプライターを無限に打鍵させたとき、猿のテキストが偶発的にレイ・ブラッドベリを凌駕する確率に関する実験報告

D坂ノボル

限界世界

 まるで世界の終わりみたいな――それはまあ、あながち比喩や誇張というわけでもないのだが――とにかく気の滅入る光景だった。新古典主義の荘厳な廃虚群に挟まれた巨大街路を、黒塗りの高級車が王者のように走り抜けていく。やたら広大な歩道に人影はほとんどなく、レストランの厨房から逃げ出してきたのか、みすぼらしい野良犬の群れが闊歩するのみ。建物に並ぶ窓は割られ、石造りの壁や屋根がそこかしこで痛ましく崩れ落ちている。

「これがあの有名な南京路です、サー。世界最大規模の交通量を誇ったこの往来も、こうなるとまったく無惨なものでございますな」

 銀縁眼鏡を指でずり上げ、運転席の若い秘書が感情のこもらぬ声で感嘆してみせる。

「かつて二四〇〇万の人口を誇ったメガ・シティ――世界的人口減少の波はここ上海シャンハイにさえ容赦なく押し寄せています。市の人口は最盛期のニ四パーセント、出生率は〇.〇三をついに割り――」

「もういい、もういい! たくさんだ!」

 水天宮すいてんぐう大臣は後部座席で向精神薬をばりぼりとかじる。今回の国際視察――長旅のわりに成果らしきものは微塵たりとないのだから、苛立ちが募るのも無理はない。

「あのな、子安こやす。疲れてんだよ、おれは。体力的にというよりは、精神的にだ。なんだ、おまえ。ロボットかなにかか。おれに気を遣って、もう少し落ち込みながら話してくれたらどうなんだ」

「いえ、仕事ですので」

 えい、いまいましい。水天宮は舌打ちする。さいきんの若いやつってのは、全員ひとりっ子育ちだから、とにかくマイペースで調子が狂う。

 水天宮はいまいちど車窓の外を見遣った――土埃にまみれた廃車たちが長い葬列を成す、巨大なゴースト・タウンを――しかし。ロンドン。ニューヨーク。ローマ。ソウル。アブダビ。カイロ。モスクワ。アムステルダム。いままで見てきた大都市も、大同小異のありさまだ。

 世界的人口減少――それは留まるところを知らない災厄だった。いや、人類史上、最大の危機といってもよいかもしれぬ。この数十年、世界人口は国連の試算をはるかに上回るハイペースで激減、限界集落ならぬ限界国家が続出。すでに三十を超える途上国が地図上から消滅した。先進国とて、例外ではない。都市機能はめりめり目減りし、このままでは国民が底をついてしまう。思えば世界大戦など、この災厄に比べればそよ風みたいなものだった。

 人口減少の主な原因、それは少子化である。環境ホルモンの影響か、たびかさなる原発事故による放射性廃棄物の影響か。半世紀前より世界レベルで男性の精子減少、男性ホルモン減少が観測されるようになった。これらは性欲の低下、生殖行動の忌避を引き起こした。大問題である。そもそも、男性が立身出世を目指すのも、芸術、スポーツに打ち込むのも、戦争が起こるのも、すべて鬱屈したリビドーが形を変えて発露したものでしかない。ナポレオンが世界征服をもくろんだのもガガーリンが宇宙に飛んだのもプルーストが「失われた時を求めて」なんていうクソ長い小説を書くために膨大な時を失ったのもマジック・ジョンソンが見栄えするノー・ルック・パスにこだわったのもエジソンの九九パーセントの努力もイエスが姦淫した女を赦したのも、突き詰めればすべて女にモテたかったのである。人類文明の発展を支えてきたのは、崇高な使命感や正義などではない。純粋に、男性の性欲、それのみであった。その性欲が枯渇すれば、果たしてどうなるか。文明の発展にブレーキがかかるのは自明の理だ。若者は労働をなげうった。闘争意欲、競争心を失った。恋愛や生殖行為を、完全に放棄した。草食動物のように、やがて植物のように、世界は活力を失った。それは、ゆるやかな死! 草食男子という呼び名は、いまや人口学の学術用語として扱われるようにさえなっている。人類、絶滅の危機! 国連や政府が危機感を煽れども、若者たちは奮起さえしない。

「しかし昨今の人口減少は世界の危機であるとともに国家の好機でもある、と捉える向きもあります、サー。この中国もそう考える国家のひとつで――」

 そんなこと、わかりきっている――後部座席の水天宮は唸る。人口減少により世界各国の経済力や軍事力のパワー・バランスは滅茶苦茶に崩壊した。特に国力の減衰が顕著なのは、これまでマッチョなジョック野郎の溢れんばかりの性的エネルギーだけを頼みに国力を維持してきたアメリカである。いまやかの強国もゲイ・カルチャーにどっぷり首まで浸かり、猫も杓子もハウス・ミュージックでピコピコしてるかリッキー・マーティンでアーアーアーだ。つまりこの混乱期、人口減少問題をV字回復させる秘策さえひねり出せば、アメリカから世界の覇権を奪いとることも夢ではないのである。

 各国首脳が巨額の税金を投じてありとあらゆる少子化対策を競うようになったのも、むべなるかな。水天宮少子化対策大臣の任務は、国際視察で各国の動向を探ること――というわけである。

「で、中国の少子化対策とはなんなんだ」

「俗に〈人豚計画〉――と呼ばているようです、サー」

 人豚――? なんだそりゃ?

「じっさいご覧いただいたほうが早うございます」

 子安がパチンと指を鳴らすと、フロント液晶ガラスにショッキングな映像が浮かび上がった。水天宮は、思わずキャッと悲鳴を上げる。

 それは世にもグロテスクな映像――どこかの施設であろう、何百と並ぶ白いベッドに、赤ん坊が寝かされている――しかし、かれらに四肢はない。縫合の痕が、あるばかりで。つまり、生まれた瞬間、根元から、両手両足が切断されているのである――所謂いわゆる達磨だるまというやつだ!

「こりゃいったい、なんのグロ画像だ!」

「失礼しました、サー。これが人豚でございまして」

 子安はこともなげに続ける。

「江戸川乱歩の『芋虫』という短篇小説をご存知でしょう。そこに登場する傷痍軍人は戦地で四肢を失いまして、ほかに愉しみもないゆえに日々ひたすら妻と淫らな遊びに耽る淫獣として描かれています。中国の人豚も同様の理屈。赤ん坊の時期に四肢を切断することで、四肢を成長させるべき栄養を生殖器に一点集中! 思春期を迎えるころには生殖器と性欲は異常に発達、生殖力は常人の二十倍に達すると試算されているそうで。中国では古来より女性の足を小型化する纏足や睾丸を摘出して皇帝への忠誠を誓った宦官、暗殺者として育てられる小頭児など、この手の人体改造技術は卓越しておりますからね、少子化対策にもお国柄が出るものですな、サー。ちなみに人豚というのは中国の歴史書『史記』に誌される逸話、前漢時代の政権争いに於いて呂后の不興を買って四肢を切断され厠に落とされたせき夫人が人豚と呼ばれ蔑まれたことに由来し――」

「もういい、もういい」水天宮は、さも不快げに唸る。「さっき喰った小龍包を吐いちまいそうだ」

「恐れながら、ご不快になるのはこれからと存じます、サー」

 車がゆるりと停まった。眼前には、白い巨大施設が聳えている。御影石の表札に大きく彫られた「人豚研究所」の文字を捉え、水天宮はキャッと悲鳴を上げた。

「巨額の費用を投じて育成された人豚の第一世代がすでに第二次性徴を迎え、実用段階に達したそうでございます」

 子安は後部ドアを開け、恭しげにそう告げた。

「人豚同士を日がな交配させ、大量の赤ん坊を産ませる。それをさらに掛けあわせることで、ネズミ算式に人口を跳ね上げるもくろみですよ。人権よりも人口を採る。わが国にとっても学ぶべきことは多々あろうかと――」

 淫欲だけで蠢く夥しい達磨どもが這いずり合い、芋虫の如く乱れ交わる――地獄のような想像を、突如響きわたった悲鳴が掻き消した。全身真っ赤な血に染まった黒縁眼鏡の施設長が、大慌てで飛び出してきたのである。

「施設に野良犬が侵入したようでして」

 施設長はハンカチで黒縁眼鏡の返り血を拭き拭き、説明する。

「人豚は全員、犬に喰われちまいました。なんせ手足がないんです、文字どおり手も足も出ません。なすすべもなく、全滅です」

 水天宮大臣は、あきれ顔で秘書を見やる。

「また視察の成果なしだぜ、子安」

「なに、国際視察はまだ始まったばかりですよ、サー」

 小型端末を取り出し、敏腕秘書はつぎの予定を確認する。

「少子化対策の先進国フランスではウサギの一種レッキスの遺伝子を国民に組み込む施策が実験的に行われておりますね。ご存じのようにウサギは多産で性欲旺盛、妊娠中でもさらなる妊娠が可能です。結果、フランスでは真っ赤な眼を血走らせたウサギ人間たちが日夜乱交し、GDPは崩壊してますが人口だけは大幅増加に転じています。あちらの政府はアムール計画とか呼んでいるそうですが――」

「率直にいうぞ、子安」水天宮は肩を竦める。「日本に帰りたいという気持ちしかない」

「ドイツこそが目玉です、サー。こちらはもはや若者に生殖行為をさせることをあきらめ、国家モデルとなる優秀なアーリア人を選定し、アメーバみたいに分裂させて強引に人口を増加させる研究がさかんです。分裂国家を経験したからこその発想だ、とか得意がってるそうですが、これ素朴な疑問ですがなにか犯罪が起こったとき遺伝子捜査で全員容疑者になって国家機能が麻痺したりしませんかね、サー?」

 水天宮少子化対策大臣は、後部座席で大きな溜息を吐いた。

「これはオフレコで訊くがな、子安」

「なんでございましょう、サー?」

「もしかして、どこの国ももう〈人間〉って呼べるやつは絶滅してるんじゃあないか?」

「それは多分に哲学的な質問でございますね」

 子安は銀縁眼鏡を指でずり上げた。世界の終わりのような静けさのなか、エンジン音がふたたび無遠慮に響きはじめる。

「容易にお答えいたしかねます。ご期待に添えず、残念です、サー」(了)



2016年、原稿用紙換算11枚、3965字

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