―75― 襲撃(19)~ペイン海賊団~

 船の甲板にて”前方からの”敵に対峙する者たちは、まだ知らない。

 血に飢えた海の獣たちは、”後方からも”自分たちを挟み撃ちせんと、穏やかな波をかき分けながら迫り来ていることを――



 後続船は、航海士などの海のプロでなくとも、エマヌエーレ国の貴族階級所有のものであることが一見して分かり、”そのまま外観だけを見たなら”海賊船などとは正反対のオーラを放っており、豪奢なつくりではあるもどこか上品さも醸し出していた。

 偶然にも、出港からずっと自分たちと同じ航路を辿っているあの後続船は、この船と適度な船間距離を保っての航海中であり、”今日というこの日まで”おかしな動きなどは一切見せてはいなかった。



 だが、今というこの時「海賊の襲撃」という危険を間違いなく知らせているのに一向に舵を取りはしない後続船の姿に、ぬぐい去ることができない違和感と不吉さを船にいる他の者たちよりもいち早く感じている者がいた。

 花火と”赤旗”にて、この船が直面している危険――後続船にも飛び火するであろう危険を知らせていた航海士ドミニク・ハーマン・アリンガムは、船のバルコニーにて自身の魂にこびりついてくる血のごとき違和感と不吉さにただ1人、直面していた。



――なんだ? 何か、おかしい……後続船の船長は一体何を考えて……!?


 今よりわずか数刻前、甲板より異常事態を知らせる銅鑼の音が鳴らされた。

 その甲板からの銅鑼の音は、重なり合っていた。おそらく、”今も甲板にいるであろう”同僚の航海士ジャイルズ・エリス・マードックとマルコム・イアン・ムーディーが鳴らしたものであるとアリンガムは推測した。

 自分の任務を――と、船内の廊下を駆けるアリンガムは窓より確かに見た。

 前方からやってくる、”明らかな海賊船”を。

 黒い靄につつまれた、悪夢の産物のごとき海賊船の姿を。



――あれは……あの船は、ペイン海賊団だ!


 同僚の航海士たちと同じく、”海の悪党”からの襲撃記録をアリンガムもまた、きちんと頭に叩き込んでいた。

 そして、アリンガムが十数秒のうちに思い出した記憶、すなわち被害者の供述記録通り、不気味で邪悪な黒鳥は襲撃の翼を広げ、”狙いを定めた本日の獲物”を威嚇したのであった。


 幾つもの花火玉と赤い旗を抱えた彼は、近くの部屋にあらかじめ備え付けてあったロープをつたい、バルコニーへと飛び降りた。

 おそらく、あの黒鳥が発生源であるであろう不快な臭いは、彼の身にもまとわりついてきた。その生臭く真っ赤な血を口元から滴らせているかのごとき獣の臭いは、彼の生存本能を刺激し、震わせるのに充分なものであった。

 

 何の力も持たない一航海士など、いとも簡単に握りつぶされてしまうであろうことは明白だ。 

 臆病な性質の者なら、この時点でロープをつたい再び船内へと戻っていたであろう。

 いや、実際にそうしていた方が、”結果的には”賢明な判断であったと言えたに違いなかった。

 だが、ドミニク・ハーマン・アリンガムは、ペイン海賊団の魔の手をこの船で留めることを――そう、長く苦しいゼロからの下積み時代を抜け、航海士となるべくしてなった彼自身の使命を果たすことを選択したのだ。




※※※




 このドミニク・ハーマン・アリンガムという、今年の冬の”いずれかの日に”44才となる”はずであった”男の今日というこの日まで積み上げてきた人生について、ほんの少しばかり記しておく。

 自分の正確な誕生日すら分からぬ彼は、港町の孤児院にて生まれ育った。

 彼もまた、”希望の光を運ぶ者たち”の大半と同じく孤児――いわゆる社会の底辺にいた者であった。 

 航海士という職業に就くために必要であった土壌は、彼の人生の始まりに用意などされていなかった。


 この船に乗る他の航海士たち――ともに27才のマードックやムーディーなどが中の上程度の家に生を受け、教育を受けられる環境という土壌が生まれながらに用意されていたのに比べると、アリンガムはやや彼らと同じスタートラインへと並ぶまでに相当の時間を要した。

 ごくたまにつきあいで酒を嗜むぐらいで、買う・打つなどは一切せず、真面目で勤勉、温厚と見事に三拍子揃っている彼であったが、社会の底辺にいた者がいわゆるエリート職である航海士にまで登ってくることに、何の苦労もなかったわけがない。それに、出会った全ての者が彼の味方であったかと問われれば、アリンガムはきっと首を横に振ったであろう。


 働きながら、睡眠時間も惜しみ、独学で読み書きを習得したアリンガム。

 最初は、船の雑役係などをしながら乗船経験を地道に積み上げていった。そして彼が、正式に航海士となった時すでに30才を超えていた。

 見事、幼い頃に夢みた航海士の職についた彼は、なんとアドリアナ王国側から、いずれ名誉となるであろう旅の航海士にまでも選出された。

 彼の生き様と実力は、身分や家柄を超えて王国側にまで評価されたのだ。これは異例のことであっただろう。

 何の家柄も財産もなく、多少の運も左右したとはいえ、彼は地道に積み上げた努力一つでここまでやってきたのだ。


 けれども――

 出立前、アドリアナ王国側に今回の旅の誓約書を提出することとなっていた。

 だが、”後見人”としてアリンガムが提出する誓約書にサインを記してくれる者の当てはなかった。

 後見人は男性と定められている。仮に彼が妻を娶っており、妻の父や男兄弟がいたなら、頭を下げて、頼み込むことができただろう。だが、彼は生まれた時と同様、天涯孤独の身のままであった。


 年の近い友人などに、こんな後見人を頼むことなども躊躇すると、困り果てていたアリンガム。

 だが、この時――ともに同じ船に乗る船長ソロモン・カイル・スミスが、アリンガムの後見人として誓約書にサインをしてくれたのだ。


 アリンガムとスミス船長は、幾度も乗船経験をともにしていた。

 折り目正しく威厳のあるスミス船長には、職業によって人を少し蔑んでいるかのような一面もあった(特に自身の息子が夢中になっている娼婦たちには厳しい視線を向けていたようであった)が、”生まれ”で人を蔑むことはなかった。

 いわゆる底辺の生まれであっても、途中でドロップアウトすることなく地道に努力を積み重ね、今というこの時、ともに船を支える者となっているアリンガムのことはしっかりと認めてくれていた。

 どこから来たかなんてことではなく、今どこにいるか、そしてどこに向かっているかに、スミス船長は重きを置いて評価してくれたのだ。

 スミス船長が自分の誓約書にサインを記してくれたその春先の夜、アリンガムは薄い毛布にくるまり、恩人の優しさにあたかな涙を密かに流した。総合的にみると辛いことや苦しいことの方が多かった今までの人生であったけど、そのなかでも、どんな宝石や財産にも代えられぬ素晴らしき出会いもあったと――


 

 

 ※※※




 長く苦しいゼロからの下積み時代を経て、今ここで、航海士としての職務を懸命に果たそうとしているアリンガムが打ち上げた幾つもの花火は、青い空へと吸い込まれていった。


 操舵室では、スミス船長も必死で舵を取っているのだ。

 そして、上の甲板からの指示。

 恩人の息子――まるで香水の残り香のように、いつもうっすらと酒の匂いを漂わせているバーニー・ソロモン・スミスより、今から瞬間移動が始まるから何かにつかまっておけという指示が降りかかってきた。


 バルコニーの手すりを掴み、未知なる瞬間移動に備えたアリンガムの視界も甲板にいた者たちと同じく歪み……いや、自分の肉体も魂も一つの大きな渦の中へと巻き込まれていくのが分かった。

 それは、アリンガムが滅多に飲まない酒を一生分飲みつくしたかのごとき、酩酊状態へと誘うもののようであった。


 けれども、アリンガムの酩酊状態は、あっけなくも打ち切られてしまった。

 手すりを掴んだまま、自身の身に中途半端に残っている残る胸のむかつきと眩暈を堪え、姿勢を立て直したアリンガムの両の瞳に映ったのは、先ほどと変わらぬ煌めきを放つ青き水平線と、先ほどの変わらずゆっくりと歩みを進めてくるエマヌエーレ国の後続船であった。


――これは……失敗したのか?

 

 赤旗の柄をグッと握りしめたアリンガムは、甲板を――すなわち、青き空を見上げた。

 甲板で何が起こっているかなどは、彼には見えないし、分からない。

 瞬間移動は行われなかった。何らかが甲板で起こり、瞬間移動は失敗に終わったのだという事実は、魔導士の力を持って生まれていない者であっても悟ることができた。


 その事実をアリンガムが悟ったのに間髪いれず、黒い影がこの船の上――太古の時代にいたのかもしれない大きさの黒い鳥が何度も往復するのが見えた。

 その黒い鳥は、バルコニーにいるアリンガムには目もくれず(というも、ただ1人バルコニーにいるアリンガムの存在に気づいてはいないのだろう)、ただ甲板にいる者たちを嬲り続けているようであった。

 黒い怪鳥がまき散らす獣と血の臭いが入り混じった悪臭は、下方のアリンガムの鼻孔と視覚までも蹂躙してきた。


 あの得体の知れない怪鳥を操っているのは、間違いなくペイン海賊団の者であるだろう。 

 だが、不意に、不気味な黒鳥の攻撃はおさまったらしかった。

 ”上からは”怒声や罵声、剣が交え合う音は”まだ”聞こえてはこない。けれども、数刻後に間違いなく、そのような状況となるであろう可能性は高いなんてもんじゃない……



 アリンガムは、手の赤旗を再び握りしめた。

 赤旗の柄に残っていたアリンガム自身の体熱が、新たな熱と重なりあった。

 

「……何をやってる! 早く舵を取れ!」

 声を張りあげたアリンガムは、必死で赤旗を後続船へ向かって振った。

 

 後続船が、明らかな軍用船である場合は”白旗で”救援を求めるも、明らかに民間の船――戦闘のプロたちが乗る船ではない場合は”赤旗で”知らせるのだ。

 少しでも被害を少なくするために。

 ”舵を取れ、早く逃げろ”と。


 アリンガムが手元へと持って下りた花火はすでに全て使い果たしてしまった。

 あとは、船内へと花火を補充していっている時間の余裕などない。

 この赤旗で知らせるしかないのだ。

 


――なぜだ? なぜ、これほどまでに知らせているのに、あの船は近づいてくるんだ――!? 操舵室や甲板からこの赤旗が見えないわけじゃないだろう。いや、見えててあえて、こうして近づいてきているのか?!



 普通の船なら――戦闘と守備のプロが乗っている軍用船以外なら、打ち上げられた幾つもの花火と今、自分が降り続けている”赤旗を”見て、舵をとらないことなど普通は考えられなかった。

 そもそも、あれだけの規模の船に、海のプロが(花火と赤旗の意味を知らない者が)乗っていない可能性は極めて低い。

 だが、その反対を言えば、あれほどの規模の船に、船の持ち主であるであろう主人を守る護衛が乗っていないとも思えない。

 まさか、この船の救援に来てくれているのか? いや、でも、それは護衛達自身の主人を危険にもさらすことと同義だ。まず、自分たちの主人の身を守ることを考えるはずであるのに――

 今、この船が対峙している相手は海賊だ。しかも、あのペイン海賊団なのだから――



「早く舵を取れ!! これ以上近づくな!!」

 

 必死で赤旗を振り続け、喉がかすれるほどに声を張り上げ続けるアリンガム。

 アリンガムの前方には、穏やかな波をかきわけながらゆっくりと近づいてくる船が、そして”彼の後方には”彼自身の命綱であるロープが頭上の窓より垂らされていた。

 徐々に船間距離を縮めてくる後続船の甲板に並ぶ、10名弱のまだ若い輪郭を持つ男たちの姿が、彼にも次第にはっきりと見えてきた――


 





「……しっかしよぉ、いつもながら、生臭ぇ風だな」

 後続船の甲板の最前線の真ん中に立つ、ペイン海賊団構成員ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスは、そのわりと形のいい鼻をヒクリと鳴らした。


 この船に元からいた戦闘と守備のプロは、すでに全員殺害されており、今甲板にて肩で風を切るかのごとく立っているのは、このジムを含め”戦闘と殺戮のプロ”たちばかりであることなど、誰が予測できようか。


「……ま、あの”黒い鳥の方”には、頭上がんねんよな。俺らの仕事、かなりやりやすくしてくれてる魔導士サマだからよ。黒い鳥の”製作者”は、キモ過ぎるおっさんだけど」

 ジムのその言葉に、隣りのルイージ・ビル・オルコットも「だな」と同意を示しながら、ニヤニヤとして頷いた。


 ルイージが顎で前方をしゃくる。

「今ンとこは、エルドレッドやロジャーたちが時間稼ぎしてるようだな。もうすぐ、久しぶり……っつっても、約2週間ぶりぐらいの襲撃ってわけか。俺たちの武器は乾く間なんてねえな。しかも、今日の相手は”あいつら2人”とアドリアナ王国直属の兵士ってわけだし、腕が鳴りまくってるぜ」

 腕が鳴りまくるほどの楽しみ。

 彼の口元は、これから自身が腰に差している剣で吹き上げる血しぶきを――獲物の命を見事仕留めたという達成感を手に入れたいという欲望によって、歪み引き攣っていた。



 刻一刻と迫り来る襲撃の時。

 前からも後ろからもの挟み撃ちでの襲撃。

 ルイージだけでなく、ジムも、他の海賊たちも肉体の憶測から湧き上がってくる興奮と戦闘欲、そして獲物を全て壊滅させた後に満たされるであろう性欲にウズウズとしているようであった。


 だが、正確に今の彼らの状況を伝えるとするなら、甲板の海賊たちの中には数人、目を爛々と光らせ、下卑た笑いを浮かべながらも、その顔に少し怯みの色を滲ませている者も全くいないわけではなかった。

 ”襲撃”は自分たち捕食者によっても、死と紙一重であるのだから。

 しかも、今日の相手はアドリアナ王国直属の兵士たちだ。

 正統派のエリートと自分たちアウトロー軍団が剣を交える。

 結成以来、負け知らずのペイン海賊団であるとの触れ込みだが、絶対に自分たちに軍配があがるとは限らない。いや、結果的にペイン海賊団が勝てたとしても、自身はペイン海賊団の本船に”永遠に戻ることはできない”可能性だって含んでいると――


 さらに、この状況を正確に細部まで掘り下げて伝えるとしたなら、今、甲板にいる者たちは見事三通りに分類されていた。

 第一は、ペイン海賊団の要ともいえるポジションと戦闘能力の持ち主であるジムとルイージと同じく全く怯みなど見せておらず自分たちの勝利を当然のことだと考えている者たち、第二に、先ほど伝えたように獲物たちへの殺意をあらわにし、いきってはいるものの、どこか怯みと不吉な予感を滲ませている者たち。

 そして――これから数刻後に間違いなく起こる襲撃と殺戮に対しての、恐怖と”悔恨”に、甲板の片隅で頭を抱え込んで座り込み震えている少年ランディー・デレク・モットという三通りに――

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