―74― 襲撃(18)~鳥~

 ルークとディランという男はどいつらだ? と、海賊たちはそれぞれの完全に瞳孔が開いている瞳をギョロギョロと動かし、甲板の本日の獲物たちを見回した。


 エルドレッドは背後の海賊たちの襲撃開始の催促とも言える問いに、口元をフッと緩ませた。だが、決して彼は笑顔を見せたわけではない。

 ルークとディランより――そう、”かつての同僚”であり友でもあった2人より、スイッと目を逸らしたエルドレッドは「それは想像に任せる」と短く答えた。

 エルドレッドのその声は紛れもなく、ルークとディランの記憶の中にあるエルドレッドのものであった。


 「相変わらず、秘密主義だな。お前はよぉ」と、彼の”今の同僚”である者からの下品で騒々しい――バーニー・ソロモン・スミス以上に品がなくけたたましい笑い声が束となってあがった。


 エルドレッドは、ルークとディランが甲板にいるどの者たちであるのかを仲間たちに教えはしなかった。

 ルークとディランをかばおうとしたのであろうか?

 それとも、あの鉈の海賊が言った通り、”昔のダチや連れであっても今は何の関係もない”のであろうか?

 今というこの時は、ルークもディランも、単に彼の弓矢で狙いを定められる獲物たちの括りでしかなく、かつて共有してきた時間も培った友情も何もかもが果て遠き時の彼方へと……


 その時であった。

 漆黒の怪鳥の頭頂部にチョコンと乗ったまま、"はて?"といった感じに首を傾げていたオウムが、再び金切声で喚き始めた。

「ルーク! ディラン! ドイツラダ?! トモダチ! エルドレッドガ、ハナシテイタ、ムカシノトモダチ! クリスティーナニ”イタズラ”サレルマエノ、トモダチ!!」


 甲板の後方にまで良く通り、全ての者にしっかりと響き渡ったオウムの声。

 張りつめていた甲板の空気は、氷がザアッと流し込まれたように瞬時に冷たくなり、シンと静まり返った。

 凍りつき静まり返ったその空気の中には、亀裂のごとき気まずさがピシッと生じた。

 オウムが発した、多大な誤解を招くある一語にその亀裂の原因はあった。


 オウムの思わぬ暴露に、この時までポーカーフェイスを全く崩すことのなかったエルドレッドの頬に、ほんの一瞬、赤みがさしたようであった。


 ”イタズラ”?!

 エルドレッドは、クリスティーナという”女”にイタズラをされたらしい。

 それは、性的なイタズラをさしているのか? それとも……

 

 今、ルークとディランに対峙しているエルドレッドは、いや、正確にいうと彼の外見(肉体)は間違いなくエルドレッドの器だ。そして、自分たちのことを知っている、覚えているという記憶もその器の中にはしっかりと残っている。

 だが、ルークとディランの魂が覚えているエルドレッドと、今のエルドレッドはあまりにもかけ離れ過ぎている。

 俺たちの目の前にいるこいつは、エルドレッドではあるが、エルドレッドであるとは思えない。

 何か別の人間の魂が……自分の欲望や利益のためなら罪なき人を殺すことにも全く躊躇しない者の魂が、エルドレッドの魂に擦り合わされて融合されてしまったかのような……



「おい、お前ら……何、引き攣った顔で固まってンだよ。まだ、”少し時間がある”みてえだから、この口下手野郎(エルドレッド)の代わりに、俺がお前らに言ってやるよ」

 あの鉈の海賊が、脅しをかける様に自身の武器を身体の前でブラブラとさせながら、ズイッとさらに前面へとしゃしゃり出てきた。

「今のうちにさっさと俺らに降伏して、金目のモンと”最新の武器一式”と……んでもって、女どもをこの甲板に並べといた方がいいと思うぜ。女は多少、お前らの手垢がついていても、かまやしないしな」

 鉈の海賊は、口元を歪ませニタリと笑みを見せた。

 その笑い方に、ルークとディランはなぜか、ルイージ・ビル・オルコットのあの底意地の悪い笑顔を思い出さずにはいられなかった。

 鉈の海賊は、”今のうちにさっさと降伏しろ”と獲物たちに忠告している。

 けれども、殺して奪え、奪って殺せという最凶最悪のスローガンを掲げたペイン海賊団は、全くの無抵抗である者や降伏した者の命まで奪いつくす悪党の集まりだ。

 誰が、こんな奴らにおいそれと降伏などするものか。守るために絶対に戦い抜いてやる――



「……おいおい、俺たちを睨んでばっかじゃねえで、返事ぐらいしろっての。特にそこのロン毛の隊長っぽいおっさんよぉ」

 鉈の海賊は、ハンと馬鹿にした笑いを漏らし、甲板の最前線のパトリックに、その殺気がほとばしっている瞳をギョロリと光らせた。

 決して若いとは言えない年齢(たぶん40才前後か)ではあるも鍛え抜かれた長身の肉体、そして、その剣の構えからして、もともとの資質にさらに鍛錬を重ねてきたエリート中のエリート兵士であり、おそらくこの場の統括者であることが”鉈の海賊自身のかつての経験によって”一目で感じ取れる男・パトリックを――



「…………お前の名は、ロジャーで合っているか? 情けないものだな。かつて、アドリアナ王国の西部の町の軍にいた兵士が海賊に転落し、アドリアナ王国に仇なす側に回ったとはな」

 パトリックの怒りを抑え込んでいる声に、鉈の海賊はギョッとした。


「なっ……なんで、お前が俺の名前を知ってンだよ!? 俺はお前みたいなおっさん、知らねえってのに!!」

 さっきまでの威勢はどこへやら、鉈の海賊は明らかに狼狽し始めていた。

 プチパニックを起こし混乱し始めたのか、それかもともと頭がそれほどは良くないのか、彼は自分の名が紛れもなくロジャーであり、元兵士だということをこうして大勢の前で認めてしまっている。


 自分の隣で狼狽しまくっいる鉈の海賊・ロジャーに、エルドレッドが言う。 

「やっぱり、死人でない者の口と”目には”、完全に戸を立てることなんてできないものだな。おそらく、俺たちの人相書きかなんかがアドリアナ王国側に回っているんだろう」

 自分自身も紛れもない当事者であるというのに、どこか他人事のようで、全く焦りも見せず、ペースを崩すことのないエルドレッドにイラついたらしいロジャーは彼をギッと睨み付けた。



 エルドレッドの言う通りであった。

 パトリックがロジャーの名をピタリと当てることができたのは、アドリアナ王国より配布された”ペイン海賊団構成員たちについての、極めて精度の高い写実的な人相書き”によってであった。

 前日、パトリックがダニエルとともに確認した、約10枚余りの人相書きの上から6枚目か7枚目にロジャーの顔は描かれていた。

 姓は不明であるも、名前はロジャー。

 ロジャーは、アドリアナ王国の西部の町の軍にいた元兵士であるという過去を、海賊となってしまっては何の意味もなく、むしろその転落具合をより際立たせるだけの過去を、すさんだ酒場でしきりに周りにアピールしていたとのことだ。剣を扱っていた兵士であるのに、鉈の方が戦いやすいということで、奴の殺戮道具は鉈であるということも人相書きにはメモ書きされていた。


 観察力、洞察力、そして記憶力にも優れたパトリックがかけたカマに、ロジャーは見事にひっかかった。

 ペイン海賊団には、このロジャーのようにもともとは真っ当な職についていたも、ドロップアウトし海の悪党になったことが分かる者が他にもいた。もともとは旅一座の軽業師であったという情報がメモ書きされいる男の人相書きもあったのだから。


 だが、マイルズという名の凶悪な面のペイン海賊団の親玉をはじめとする10枚余りの人相書きにその顔面を写し取られていた海賊たちは、約30名程度であるらしいペイン海賊団構成員の中において、ほぼ固定されているメンバーである。つまりは、戦闘能力上位10名には、間違いなく入るメンバーであるということだ。

 その上位10名に入っている者が、ロジャーの他にもう1人この場にいる。


 エルドレッドという名の弓矢使い。

 見た目からはロジャーや他の海賊たちのように、凶暴さや荒々しさは感じさせないが、戦闘能力――殺傷能力は確かである男。

 そして、パトリックの隣で剣を構えているルーク・ノア・ロビンソンとディラン・ニール・ハドソンの昔の知り合いである――いや、あのオウムが言うには”友達”であった男。 

 今の奴は、武器である弓矢を下ろしたままだ。

 やはり、先ほどロジャーたちにルークとディランがどの者たちであるのかを教えなかったことといい、やはりいくらあのペイン海賊団の一員となっていても、かつての友を前にしては戦意を削がれつつあるのか?

 それとも何かを待っている……何らかのタイミングを計っているのであろうか?



 けれども――

 実際の経過時間よりも、長く冷たく感じられるこの時間が流れている間、この船と海賊船との距離はグングンと”開きつつ”あった。

 海賊船は、徐々に自分たちから遠ざかっていく。海賊船の甲板に、まだ約3分の2ほどの構成員を残したまま……

 それと反比例するかのように、後方のエマヌエーレ国のものである船との船間距離は徐々に縮まっているであろうことを、ルーク、ディラン含む全ての者が”前方の敵に対峙している”背中で感じた。


 奴らが乗っている鳥の形をした邪悪な気の塊を蹴散すことができれば、今すぐにでも決着は着く。空中での足場を失った奴らが海へと転落、または奴らを捕えたら、ペイン海賊団の魔の手をねじ伏せることができる。

 けれども今、この甲板には奴らの足場を蹴散らせることができる力を持った者は誰一人としていない。

 歯痒さ。

 エルドレッドの弓矢にて、魔導士3人は戦闘不可能の状態となってしまった。

 この甲板にいるのは、己の肉体のみで戦うことしかできない者たちだけだ。




「サンドウィッチ! サンドウィッチ! モウスグ、サンドウィッチ――!」


 突然、オウムの嬌声のごとき叫びが雲一つなき空にこだました。

 サンドウィッチ?

 腹が減ったというのか。薄く切ったパンに具を”挟み込む”料理を、あの”空気の読めないオウム”は欲しているというのか?

 とてつもなく腹が減っている駄々っ子のように、急激に興奮しだしたオウムは、その毒々しいまでに派手な翼をバタバタと旗のごとく、はためかせ始めた。

 


「ピート、しばらく船に戻ってろ」

 エルドレッドが言った。

 それは単にうるさくてウザいから戻ってろということなのか、それともこれ以上”余計なことを”叫ばれては困るから戻ってろということなのかは、エルドレッドに聞かなければ分からない。


 ピートという名のオウム(雄だったのか)は、意外にもエルドレッドの言うことは素直に聞き、頷き返すかのように小首を可愛らしく傾げた後、オウムにしては規格外の雄大な両の翼を広げ、海賊船へと戻っていく……


 だが、甲板にいる全ての者たちは、しっかりと見た。

 青き空にてピートの飛ぶ姿がフッと消えたかと思ったら、またフッと海賊船により近い青き空に現れたのを――

 ピートは、飛翔距離を大幅にショートカットしている?

 まるで魔導士のように瞬間移動を行っている?!

 あのピートは――ペイン海賊団のオウムは、ただのデカくてお喋りで空気が読めないオウムではないという事実を突き付けられたのだ。



 そして――

 先ほどのピートの”サンドウィッチ”という言葉の本当の意味を、海賊たちは分かっていた。

 ピートのうるせえ叫びは、ペイン海賊団の”二度目の殺戮開始のファンファーレ”とも言えるものであった。

 海賊たちは目の端で、自分たちが見下ろしている甲板の奴らの”より後方を”チラッと確認していた。


 自分たちが甲板へと下りない理由は、エルドレッドの弓矢があるとはいえ、このままでは人数面で圧倒的に不利であるということも、その1つであった。

 だが、もう1つ理由はあった。

 それは、”海賊としての先輩”に――このペイン海賊団結成時からの生え抜きのメンバーたちに、”赤い殺戮の花”を持たせたかったという理由だ。


 もうすぐだ。

 俺たちペイン海賊団が、目下のこのアホ兵士どもを、まさか後方の船までペイン海賊団の手に落ちているなど思いもしていない野郎どもを”挟み撃ち”して潰してやる。

 殺して奪いつくしてやる。奪って殺しつくしてやる。

 俺たちは、後方の船――ペイン海賊団がすでにその手中で握っている”囚われの船”のご到着を待っているだけなのだと……

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