―73― 襲撃(17)~鳥~

「……早く中に!」

 トレヴァーとヴィンセントが、血染めの肩から弓矢を生やし、苦痛に呻き続けているアダムを2人がかりで素早く抱え上げた。


 彼らとほぼ同時に、兵士たちも”頭上からの奇襲によって”負傷させられたピーターとミザリーを船内に保護しようとしていた。

「レックスさん!」

 ミザリーを抱きかかえようとした若い兵士の1人が、手を伸ばし彼女に触れた時――

「……わっ!」

 思わず大声をあげてしまった兵士は、その場にドスンと尻餅をついた。


「何をやってる!? どうした!?」

 他の兵士からの声が飛んできた。

 ”何やってる!? ペイン海賊団の奴らとヘンなオウムを乗せたあの黒い鳥から、また弓矢が飛んでくるかもしれないんだぞ? 一刻も早く負傷者を船内に運べ! 一体、どうしたっていうんだ?!”と、言葉の大半を省略しての問いであった。


「い、いや…………す、すぐに彼女を運ぶ!」

 彼もまた言葉の大半を省略して、その問いに答えるしかなかった。

 ”い、いや……俺がレックスさんに触れた時、何かすごく恐ろしいものに触れた気が……レックスさん自体が恐ろしいとか、嫌だとかそんなんじゃない。魔導士の力を持っていない俺にだって、伝わってくるほどの何かが……いや、ここでウダウダ言ってる場合じゃない! す、すぐに彼女を運ぶ!”と。


 若き兵士はミザリーを保護するために、再び彼女に触れた。

 彼が覚悟していた”あの何か恐ろしいものに触れた”ような先ほどの感触は、今というこの時には伝わってはこなかったが……


 兵士たちに運ばれるピーターとミザリーは、ともにかつてない痛苦に呻き続けていた。

 呻き声をあげることすら、今の彼ら2人にはその痛みと苦しみを、より深い痛みと苦しみの渦の中へと巻き込んでいくようであった。”上から貫かれた瞬間”に気を失うなどしていた方が、まだ少しはマシであったかもしれない。


 ピーターは明らかに誰が見ても分かるほどの重傷を負っていた。彼の”右肩”には、アダムと同じく弓矢が突き刺さっている。血に濡れた右肩のその赤の地図は、みるみるうちにその面積を大きく広げていっている。

 対するミザリーの白い顔は血で染まっているも、それはピーターの返り血である。

 彼女自身は、血は一滴も流していない。頭上からの弓矢も、彼女の肉体には突き刺さってはいなかった。

 彼女は――普通の人間なら心臓がある方の半身である左肩に、一般的な成人の親指の爪ほどの大きさの穴が開いており、そこから黒い煙がシュウシュウと立ち上っていた。

 だが、火傷を負わされたようには見えない。肉が焦げる臭いも漂ってはこない。

 

――あの弓矢の海賊は、一体、彼女に何をしたんだ?


 ミザリー・タラ・レックスは、魔導士としての力は持っているも女性である。

 だから、あの悪名高い海賊団とはいえ、彼女にだけは”弓矢で体に傷をつけること”は、躊躇したとでもいうのか。いいや、体を傷つけるだけではなく、もっと何か……別の恐ろしいものを彼女はその肉体に植え付けられてしまったのかもしれない。

 ミザリーの女性らしいラインを描く左肩から立ち上がり続けている黒い煙は、まるで彼女の存在を悪しき者に知らせることを強制された”何やら恐ろしい”狼煙のごときものに兵士たちには思えた。




 甲板から船内へ――

 扉のすぐ近くには、船医ハドリー・フィル・ガイガーが青ざめた顔で待機していた。

 アダム、ピーター、ミザリー3人の有様をしっかりと見た、彼のやや細面の顔はさらにサアッと青く引き攣り、腰もへっぴり腰のごとく引けてしまっており、その腰にはおそろく護身用と思われるナイフ(万が一の時に彼がこれをフル活用して自身の身を守りきれるとは思えないが)も見えた。

 そして、彼の足元には、彼の相棒である医療道具の一式が内蔵されている木箱も用意されていた。

 こざっぱりとした身なりであるが、大変な軽薄さと金に対するだらしなさも滲みださせ、決して性格がいいとは言えないガイガーではあるも、このようなただならぬ事態に、自分だけ自室のベットの下やクローゼットの中に隠れて息を潜めていたりはせず、船医をしての責務を果たすためにこうして待機していたのだ。


「俺たちは甲板で海賊の襲撃を食い止める!」

「だから……頼みましたよ!」

 トレヴァーとヴィンセントのその声に、ガイガーは血の気がいつもの五割減している唇を少し震わすように動かし、頷いた。

 腕だけは確かなことは折り紙付きのガイガーに、アダム、ピーター、ミザリーを託したトレヴァーとヴィンセント、兵士たちはすぐに甲板へと引き返していった。

 ”ここで(甲板で)襲撃を食い止める。決して、奴らを船内には侵入させやしない”と――




 甲板の上空にては、真っ黒い影――その漆黒の翼をザアッと広げた怪鳥は、まるで”嬲り脅す”かのように、獲物たちの上空を行ったり来たりを繰り返し続けていた。


 血生臭い獣の臭いは、右から左から、はたまた前から後ろから吹き付ける風とともに、自分たちを本能的に鳥肌だたせ、目までチカチカとさせた。

 臭気に目がやられてしまっては、致命的だ。

 だが、いつ弓矢が”頭上から”飛んで来るやもしれない。

 普通なら上から飛んでくることなどあり得ない弓矢の攻撃に備えて、しっかりと目を開いて、剣を構えておかなければ、自分の魂はこの船を離れ、”冥海へと向かって舵を取る船”へと乗らざるを得なくなるのだから。



 飛び続けている怪鳥より、魔導士3人だけを的確に狙って、真っ先に戦闘不能の状態にした弓矢の海賊。

 やはり、なんという弓矢の腕だ。それに、なんという動体視力だ。

 弓矢の海賊・エルドレッドは、最初に殺した航海士2人については、今以上に距離があったにも関わらず、狙いを外すことはなかった。けれども、魔導士3人に関しては殺害はしていない。彼の腕なら、彼らの脳天を一発で貫くことも恐らく可能であったに違いないのに。

 一般的に考えて、航海士よりも魔導士の方が戦闘能力(海賊たちに歯向かえる力)は高いはずだ。

 それなのに……なぜだ?



 漆黒の怪鳥が放つ、獣と血の臭いに満ちた生臭い風による”無言の攻撃”はまだまだ続く。

 アダムに散らせれた邪悪な気の残りを練り上げたものに違いない”ペイン海賊団の乗り物”は、その漆黒の翼をザアッと広げたまま、なおも自分たちの頭上を行ったり来たりを繰り返す。


 4本目――いや、正確にいうと、襲撃開始から6本目に当たる弓矢はなかなか発せられない。

 怪鳥の背には7名の海賊が乗っているも、この甲板で剣を構える兵士たちは20名超であり、人数の面においては奴らの方が不利だ。

 このまま甲板へと下りても、負けることは明確であるから、奴らは下りてこないのだ。エルドレッドの弓矢で、獲物の頭数を減らしてから、襲撃を開始すべきだと踏んでいるのだろう。


――どこだ? どこから、来る! ”エルドレッド”はどこから……?!


 勇ましく剣を握り闘志をあらわにしているも、冷たい汗を全身から吹き立たせたまま、右往左往するしかない獲物たちを見下ろしている海賊たちの下卑た笑い声が、ルークとディランにも聞こえた。

 獣臭さは、自分たちの瞳や鼻孔だけでなく、足元までも蹂躙していくかのようであった。

 幾多もの罪なき者の血をおのが手で流させ、何もかも奪いつくし、獣のごとく生きてきたペイン海賊団。

 エルドレッドも、その一員となっている。自分たちの目の前でアダムを、ピーターを、ミザリーを、弓矢で貫いたのだから……



――もしかしたら、俺はこの手であいつを斬らなければならないかもしれない……


 唇を結んだルークとディランが、手の内の剣の柄を強く熱くたぎるほどに握りしめた時、あのオウムの場違いなほどに明るくけたたましい声が吹き付ける風に混じり合い、聞こえてきた。


「イケドリ――! オトコマドウシハ、イケドリ、キュウシュウ――! オンナマドウシニハ、プレゼント――! クリスティーナニ、プレゼント!! クリスティーナハ、ホンモノノオンナノニクタイヲ、ノゾンデル――!」

 オウムがドヤ顔で叫んでいるに違いないハーモニー。

 自分たちが弓矢で魔導士に打撃を与えたことを称えて、歌っているようでありながら、自分たちの手の内(狙い)をもチラ見せしているハーモニー。


 男の魔導士は生け捕り、吸収。

 そして、女の魔導士はプレゼント。クリスティーナにプレゼント。クリスティーナは、本物の女の肉体を望んでいると――


 クリスティーナの名前を聞いた限りでは、その者を女と考えるのが普通であるだろう。だが、おそらく女に違いないクリスティーナが、本物の女の肉体を望んでいるとはどういうことなのか?

 


 と、その時――

 怪鳥は上空にて、ピタリとその動きを止めた。

 少しばかり、臭気の風も和らぎ始めた。

 そして……怪鳥は似つかわしくない優雅な羽根さばきで、スイーッと甲板の前線へと回り込んできたのだ!



 甲板の前線――ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディ、パトリックは、普通の鳥のように翼をはためかせることもなく空中にブワッと浮かび続ける、”鳥の形をした邪悪な気の集合体”を見上げることとなった。


 まるで青き空に、両の翼を広げたまま磔にされたかのごとき鳥の頭部には、例のオウムがチョコンと乗っていた。

 けばけばしいというか、毒々しいというか、青き月明かりのみの夜の海にても、目立つであろう派手やかな色彩のオウム。

 羽毛もすこぶる艶やかであり、専門家が見たらおそらく滅多にお目にかかれることのないほどの上等な美貌のオウムであるだろう。

 だが、それだけではない。

 ”で、でけえ……!”と、ルークやディランたちだけにではなく、後方で剣を構えている兵士たちにも思わせるほどのオウム。

 オウム界で言うところの規格外の肉体を持つ者――雄か雌かは分からないが、人間ならトレヴァーやローズマリーに該当するであろうムキムキマッチョなオウムであるとも言えた。

 けれども、鳥類独特の光のない瞳、そしてその嘴は人間の肉などたやすく裂けそうなほどに尖っていた。


 つい先ほどまで、アダムの反撃にパニックを起こし、おそらく半べそ状態で”クリスティーナなる女”に助けを求めていたオウムであるも、意外に立ち直りというか、気持ちの切り替えが早いのだろう。

 今は襲撃者の先頭――最前線にて、下で剣を構える獲物たちを小首をかしげたまま、ジイイッと光無き瞳で見下ろしている。



 そして、鳥の背に乗っている1人の海賊がスッと前に歩み出た。


――エルドレッド……!!


 直面する現実。

 現実を直面するしかない今――

 ルークとディランの震える唇からは、そして渇いた喉からは、かつての友の名を呼ぶ声すら出すことすらできなかった。

 信じられない、今でも信じたくなどない。でも、これはまごうことなき現実なのだ。

 

 自分たちと同じ18才となった、エルドレッド・デレク・スパイアーズ。

 ホワイトアッシュの髪、青い瞳の青年。

 ルークとディランの記憶の中にあるエルドレッドの面影は、海賊としての今の彼にも残り過ぎているほどにあった。

 全体の面影を残しつつ、順調に第二次性徴期を通過していったのであろう彼の顎のあたりのラインや、肩幅などは実に男らしくなっていた。細身ではあるも、元から(13才時点で)高めであった身長も順調に伸びて今というこの時に至っているに違いなかった。


 当のエルドレッドもまた、自分たち2人を黙って見下ろしていた。

 彼は今、何を思っているのであろうか?

 ルークとディランは、エルドレッドの瞳には自分たちの姿は映っていないように思えた。彼の青い瞳には光が宿っておらず、まるで何もかも”焼き尽くされたかのごとき”空虚なものであったのだから……

 

 そして、エルドレッドの背後に控えている、荒み切り、卑俗で、野蛮というトリプルでの裏社会のオーラを放っている他の海賊たちと比較すると、彼はやはりそう美貌と呼べるほどの整い具合でなかったが、その佇まいだけはまだどこか品なるものを保っている分だけ、やや異質な存在に見えた。

 これはルークとディランだけでなく、彼を前にしたトレヴァーたちや他の兵士たちも、同じであった。

 弓矢の海賊・エルドレッドの外見だけを見れば、とてもペイン海賊団の一員――すでに2人の人間を殺害し、3人に重傷を負わせた悪党には見えやしないと……



 エルドレッドの背後に控えたままの海賊の1人が、なかなか弓矢での襲撃を開始しないエルドレッドに痺れを切らしたのか、ズイッと前へと出て、”自分たちの獲物”を覗き込んだ。

 その海賊の、日焼けしてがさつき、柔らかいとはいえないであろう肌理の粗い肌、落ち窪んではいるが爛々と輝く瞳、そして張り付いたようなわざとらしすぎる笑顔。

 品性の欠片もない嫌な笑顔を獲物たちに見せた、その海賊の男の手には剣ではなく、大型の鉈が握られていた。

「エルドレッド……お前の昔のダチや連れがいたとしても、お前にも俺たちにも”今は”何の関係もねーよなあ」


 その声に弾かれたように、ウズウズしているらしい他の海賊たちもズイッと身を乗り出した。

「……お前の昔のダチって、もしかして、元お絵かき仲間か? だとすると、殺(や)りがいのねー奴らだな。話になんねえぞ。俺らがあっという間に瞬殺しちまうぜ」

 下品な笑い声がドッとあがる。

 

 手に数多の犠牲者たちの血で乾く間ももなかったであろう殺戮道具を、獣が舌なめずりをするようにギラリと光らせ、殺気をほとばしらせている海賊たち。

 自分たちの下には、何やら隊長ポジションっぽい長髪のおっさん(パトリック)もいるが、あとはほぼ揃いの服を身に着けている同じ年頃の若き兵士たち――つまりは獲物たちが剣を構えたまま、自分たちを睨み上げている。

 俺たちに――このペイン海賊団に、無駄な抵抗をしようとしている。

 そのアホな獲物たちの中に、この”何を考えているのかなかなか掴めない、すかした弓の名手・エルドレッド”の昔の知り合いがいようがいまいが構やしない。

 俺たちには、関係ない。いつものように、殺して奪え、奪って殺せだ。


「……なあ、エルドレッド。どれが、ルークとディランって奴らだ?」

 鉈を手にした海賊は、ニタリと口元を歪ませ、再び獲物たちを覗き込んだ。

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