―39― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(21)~レイナ、そしてルーク~

 ”何も身に着けていない”ルーク……すなわち、真っ裸のルーク。


 彼のそのありのままの姿を見てしまったレイナの喉が「ヒッ!」と鳴った。

 彼のそのありのままの姿を見たディランが「ルーク!!」と声を荒げた。


「レ、レイナ?!」

 だが、この場にいる誰よりも慌てていたのは、当のルークであった

 丸出しの肌身を隠すよりも、両手をワタワタといった感じで、自身の顔の前で動かし――


「い、いや、だって、おまっ……お前らの声しかしなかったから……っっ!!」

 確かに、シャワーカーテンもどきの布の後ろで服を脱ぎ、訓練稽古での汗をぬぐっていたであろうルークが聞いたのは、ディランとトレヴァーの声だけであったのは事実だ。

 彼も、この部屋の中にレイナがいるとは全く想像していなかったのだろう。


「いいから、早く隠せ!!」とトレヴァー。

 そのトレヴァーの声にハッと弾かれたように、ルークはシャワーカーテンもどきの大きな布をシャッを引っ張り、ようやく何もかも丸出しのその若い裸体をレイナたち3人から隠した……



 気まずい沈黙。


「す、すまん……」と、ルークは今にも消え入りそうな声を発した。

 大きな布の向こう側で顔が真っ赤になっているに違いないルークの声は、より一層、気まずい沈黙の中に皆を……いや、ルーク自身をも落とし込むものであった。



 ルークは羞恥によって真っ白な頭と真っ赤な顔になっているに違いないだろうが、レイナは驚愕(と、もしかしたら男慣れしていないこの娘は恐怖もあるかもしれない)で青ざめた顔で固まっている。きっと彼女の頭の中も真っ白になってしまっていのだろう。

 そんなレイナの様子を見たディランとトレヴァーが、どうフォローしようかと(いや、これはさすがにフォローできるとかできないとかの問題ではない)、苦々しさを浮かべている顔を互いに見合わせた。


 だが、レイナは数歩、後ずさったかと思うと、目にも止まらぬ速さで……そう、普段のおっとり(少しオドオド)している彼女からは想像できないほどの素早い動きで踵を返し、この部屋を飛び出し、逃げていった――




「レイナ!」

 ディランとトレヴァーがハモるように自分の名を呼ぶ声が背中に聞こえてきたが、レイナは構わず廊下を駆けた。

 ただ、ミザリーが待っているであろう階上の部屋を一心に目指して――

 鼻孔に届けられる、この船室フロアの男の匂いから逃れるために。

 そして、先ほどのルークの……



 ”希望の光を運ぶ者たち”の部屋から、自分とミザリーの部屋までは、そう何十メートルもあるわけではない。

 だが、単にスカートの裾が長いという理由だけではなく、両脚は自分のものではないように(いや、本当にもともと自分のものではないのだが)、どこかここではない場所を懸命に駆けているように感じた。

 そのうえ、進行方向からは2人の男性が歩いてくる姿までも目に飛び込んできた。


 ヴィンセントと、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリー。

 ともに長身の彼ら2人はまるで”ウフフ、アハハ”といった雰囲気でにこやかに談笑していた。

 ほてった肌をしたヴィンセントとパトリックは、首筋に滲んだ汗を各々ぬぐいつつ、各々の歩みを進めている。

 彼らはおそらく、訓練の休憩時間に入り、それぞれの自室へと戻るところであるのだろう。

 そんな彼らも、強張った表情で懸命に廊下を走る、というよりも何かから必死で逃げようとしているようなレイナの姿を見てギョッとし、ピタッと話をやめた。



「レイナさん?!」と、ヴィンセントの驚いた声。

「なぜ、ここに……?」と、ヴィンセントの傍らの、やや古風な顔立ちで長髪を後ろで束ねているパトリックも、本来ならこの船室フロアにいるはずがないレイナの姿と、その彼女のただならぬ様子に、驚きで目を丸くしていた。


 だが、レイナは、そんな彼らの前で立ち止まって事情を説明することなどできるわけなどなく……

 自身のスカートの裾をガッを掴み上げ、階上の船上フロアへと続く階段を一段飛ばしどころか、数段飛ばしで駆けあがった。




 ※※※



 時刻は夜。

 船内の食堂もまた、訓練を終えた若々しい雄の肉体の匂いと、彼らの肉体の燃料となる夕餉の芳ばしい匂いに満ちていた。


 その食堂の一角のテーブルにて、ルーク、ディラン、トレヴァーの姿があった。

 夕食のトレイを前に、他の者たちが同じテーブルに揃うのを待っている彼らであったが、昼間の”事件”のショック(?)が長引いているのか、特にルークにはいつものような陽気さはなかった。


「……ううう~、これから先、レイナと顔合わしずれーよ。でもよ、俺だって、すっげー恥ずかしかったんだよ……”臨戦状態”じゃなかったのがせめてもの救いだ……」


 羞恥に満ちたあの場面を思い出し、再び頬を赤く染めたルークは、視線を落としたまま呟いた。

 自分の全裸を、恋人でもないレイナに見せてしまったことは彼自身も相当に恥ずかしいことであったし、何よりレイナに不快な思いをさせてしまったことは、ちゃんと理解はしている。

 だが、あの時、”彼自身の状態が通常”であったことは、彼にとってのせめてもの救いではあった。


 彼の向かい側に座るトレヴァーが、少し呆れ顔で口を開いた。

「俺とディランは同じ男だし、”もう見慣れたから”別にいいけどさ……お前とフレディは着替えの時とか堂々とし過ぎ。レイナは俺らと同じ平民だし、あの通り大人しい子だから、大事にはなってはいないけど……もし、あそこにいたのは肉体も魂も”マリア王女”だったとしたら、とっつかまって懲役くらっていたかもしれないぞ」

「いや、トレヴァー……あの王女だったら、むしろ喜んでむしゃぶりついてきてたような気がするよ……」 

 溜息交じりのディランにトレヴァーが「まあ、それもそうだな」と言葉を返した。



 話し声や笑い声が飛び交う食堂で、自分たちのいるテーブルへと近づいてくる足音に、ルークたちは顔を上げる。

 トレイを手にしたヴィンセント、ダニエル、フレディの3人がやって来て、自分たちと同じテーブルへと着く。


 ”希望の光を運ぶ者たち”のうちの6人。

 そして、いつもテーブルを同じくする6人。

 乗船してからまだ3日目の夜であるということもあるが、この船に乗るまでの過程に至っても、ルークたちはこの同じメンバーで固まっていた。

 首都シャノンからともにやってきた、つまりはすでに3日以上の時間を共有している兵士たちの大半、そして港町にて新たに合流した兵士たちと自分たち6人の間には、目に見えぬ溝があることはルークたちも感じていた。


 上の船室フロアで寝泊まりをしているアダムは、ここにいる兵士たちとはカテゴリー違いの魔導士だ。

 それに兵士たちの大半とアダムとでは、祖父と孫ほどに年が離れているので、最初からはっきりとある程度の線引きがされた関係であると言えるだろう。


 そもそも、自分たちは遊びに行くために、この船に乗っているわけではない。

 兵士たちと親睦を深め、仲良しこよしとなることが、自分たちの使命というわけではない。

 

 それに、兵士たちの誰もが分別はつく年齢である。

 時々、自分たちの挨拶が”聞こえなかったのでは”と思われることがあっても、あからさまに侮蔑や嫌悪の視線を向けたり、”訓練時間外に”暴力を奮われたりなどといったことは、一度もなかった。

 休憩時間などに、船医ガイガーや息子スミスの噂を面白そうに教えてくれる兵士も数名はいた。

 

 だが、自分たちは、他の兵士たちに決して心からの歓迎はされていないことは感じ取れた。


 長年、男の団体に所属し、規律正しい振る舞いと兵士としての訓練を受け、剣を手に切磋琢磨していた彼ら。

 そんな彼らからすると、自分たちは単なる成り上がり者だ。

 社会においての光が当たる場所ではなく、どちらかといえば影に近い場所にいた自分たち。

 そんな自分たちが、選ばれる心当たりもなく、明確な理由も分からないまま、闇に消えたはずのユーフェミア国の民たちを救うとの啓示をアポストルから受けた。


 底辺層(唯一、ダニエルだけは元貴族であるが)の者が、人智を受けた存在からの啓示を受けたことによって、平民にとっては雲の上の存在である国王陛下や王子殿下ともお近づきになり、とんとん拍子に事は進み(いやいや、途中に悪しき魔導士の襲撃はあったが)、こうして船に乗っている。

 社会の影にいた者が、地道に社会においての光へと近づこうとしていた者を押しのけ、グイグイとしゃしゃり出てきた。

 仮に、自分たちと彼らが逆の立場であったとしても、今のこの状況は面白くないだろう。


 「いただきます」と礼儀正しく手を合わせて、それぞれの口に夕餉を運び始めたルークたちではあったが……

 時折、近くのテーブルで食事をしている兵士の幾人かが、自分たちの方を見てヒソヒソしあっているのは、兵士たちの方を見なくても感じ取れた。



「ふー、いろいろとやりづれえな。でもよ、人が何人も集まりゃ、派閥もできるし、気の合わない奴だっている。そりゃ、当たり前のことだしな」

 そう言ったルークは、スープへと手を伸ばした。

「まあね……でも、言っちゃいけないけど、俺たちがレンガ積みの仕事をしていた時の同僚たちに比べりゃ、かなりマシな気がするよ」

 そう言って、ハハッと乾いた笑いを漏らしたディランも、ルークと同じく、スープへと手を伸ばした。



「……お二人がレンガ積みの仕事をされていた時は、肉体だけでなく、”人間関係も”といった具合に精神的にきつかったのですね」

 ナイフとフォークで綺麗に肉を切っているヴィンセントが、しみじみとした感じでルークとディランに相槌を打った。

 ヴィンセントのその相槌にディランが、首を少しだけ横に振った。

「ごめん……誤解を与える言い方だった。皆が皆、嫌な奴ってわけじゃなかった。中には気の合う奴だっていたよ。でも、なんていうか……俺やルークも含めてだけど、ちゃんとした躾や教育を受けた者なんて、ほぼ皆無だったからさ。誰もがまだ子供だってこともあったけど、暴力沙汰の喧嘩なんて日常茶飯事だったんだ」


 そう言ったディランに、ルークは口の中のスープをゴクリと飲み込むと同時に、頷いた。

「……俺たちの3つ上に特に気の荒い奴が2人いてよ。中でもそいつらがしょっちゅう、喧嘩の火種をまき散らしていたってわけ」

 顔を見合わせたルークとディラン。

 彼らの頭の中では、自分たちより3才年上で、喧嘩というか虐めの火種をまき散らしていた、かつての同僚――ジェームス・ハーヴェイ・アトキンスとルイージ・ビル・オルコットという2人の少年が、見事に合致していた。



「一応、大人もお前らと一緒に……というか、大人がお前たちの指揮をとっていたんだろ? その大人……”親方”だっけ? 子供同士とはいえ暴力沙汰の喧嘩がしょっちゅう起こっていたことに気づかなかったのか? それとも、知っていてあえて何もしなかったのか?」

 トレヴァーの疑問に、ルークとディランは同時にコクリと頷いた。


「もちろん、知っていたぜ。あの親方は……でもよ、”好きなだけ、やらせとけって”感じだったし、そもそも親方は親方ですげえ気ィ荒かったしよ」とルーク。

「男に生まれたからといって、誰もが喧嘩をふっかけられて、相手と対等にやり合えるわけがないのにね」

 ディランもルークに相槌を打った。


 もう数年も前のことになるが、少年たちの中でも体力も飛び抜け、身体能力も高い2人の少年、ジム(ジェームス)とルイージは、自分たちの気に入らない少年に難癖をつけては、小突いたり、蹴ったり、時にはなけなしの給料まで借りて(というよりも奪って)いた……

 ルークとディランが彼らの暴力を止めに入ったことは、一度や二度ではない。


 ジムとルイージは今はもう、21才の男となっているだろう。

 非常に気が合っていた彼らは、今の自分たちと同じようにずっと行動をともにしているかもしれない。

 今ごろ、彼らは何をしているのか? どんな大人となっているのだろうか?



「あーやめやめ、腹がたってくるあいつらのことを思い出すより……いい奴らのことを思い出すか。あの頃も、何もかもが最悪ってわけじゃなかったんだ。心の手綱はちゃんと明るい方向へと向けてやる。人生ってのは、暗闇ばかりじゃねえんだ」

 ルークが、自らを奮い立たせるように、首をブンブンと横に振った。


「……お前の言う通りだな。俺もお前たちと気が合っていた”いい奴ら”の話を聞いてみたい」

 そう言ったフレディは、豆料理にフォークを刺し、スッと口に運んだ。

「わ、私も聞きたいです……っ」

 まだ食事は終わってはいないが、ナプキンで上品に口元をスッとぬぐったダニエルも、フレディに同調した。



「うーん、皆とは面識もないだろうし、俺たちの言葉だけでそのいい奴らについて、うまく伝えられるかどうかは分からないけどさ……」

 そう言ったディランであったが、彼は言葉を続けた。

「一人、暇さえあれば絵ばかり描いている、物凄く絵が上手い奴がいてさ……将来、絵描きになれるんじゃないかってぐらいの腕前だった。正直、レンガ積みなんて肉体労働よりも、画家に弟子入りしていた方がいいじゃないかって……」


「それは、エルドレッドのことか?」

 ルークが問う。

「そうだよ。画家に弟子入りなんて言っても、俺たちみたいな身分じゃ、コネもツテも皆無なわけだから……きっと今頃、エルドレッドは絵を描きながらも、ずっと肉体労働を続けているんだろうけど……」


 絵の才能を授けられて生まれたエルドレッドという名の少年。

 だが、身分なく生まれた彼は、その才能を最大限に生かせる場へと行き、そこで生を紡ぐことは極めて難しい。

 今は青年となっているだろう彼は、彼の魂が求めている仕事よりも、日銭を稼いで単に生きるための仕事に今も従事しているのだろうと……


 なんだか、話がまたしても湿っぽい方向へと向かい始めている。

 そう、話し始めた当のディランが”しまった”と言いたげに苦い顔をした時であった。



「おいおい、お前ら、何、そんな暗い顔してンだよ。葬式の話でもしてンのか? 縁起悪ィ奴らだな」

 突如、自分たちへとかけられたその声。

 酒やけしたその声は、ガラの悪い喋り方であった。

 そのうえ、その声の主は、酒瓶をまるまる一瓶手にし、ラッパ飲みをしながら、こっちへと向かってくる。


 バーニー・ソロモン・スミス。

 船長の息子であるという家柄は兵士たちの中でも、トップクラスであろうが、ガラの悪さと品の無さも、間違いなく兵士たちの中でもトップクラスであろう彼。

 そのうえ、大の娼館好きであり、100人斬りの記録保持者であるらしいが、おそらくいわゆる素人童貞に違いない彼。。


 口からプハッと酒の息を吐いたスミスは、ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながら、ルークたちのテーブルへとやってきた。

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