―15― 曇りなき空を進みゆく船の中で(7)

 ”臓物の血生臭いにおい”ともに蘇ってくる、2人の魔導士――いや、2人の”悪しき”魔導士の記憶。



※※※


 約1年前――

 春の終わりであり夏の始まりでもある、ちょうどその隙間に潜り込んでしまったかのような風が、アドリアナ王国の首都シャノンを吹き抜けていた頃――


 首都シャノンといっても、フランシスとサミュエルが今いる”ここ”は、町の賑わいからは遠く離れ、そして首都のほぼ中心部に位置する城からは、さらに遠く離れている廃墟であった。


 鬱蒼と生い茂る草原のなか隠れるように、長き年月にわたって容赦ない風雨を受け続けていた、主などとうになくしたこの廃墟。

 だが、ここを”空より”偶然に見つけたフランシスとサミュエルは、この廃墟の中はその外観ほど年をとっていないことを知った。

 若い肉体に老人の魂を持つ、自分たちとは真逆のようなこの場所で、彼らは”ある試み”を実践していたのだ。



 廃墟の一室にいるフランシスとサミュエルの前には、2つの長細いテーブル――かぶっていた埃を払い、一応は水拭きをしたテーブルが並んでいる。

 そして、それぞれのテーブルの上にふわりと敷かれた白い布の上には、男女が一人ずつ横たわっている。

 ともに30代半ばかと思われる彼ら。

 固く目と唇を閉じている彼らは、何も身に着けてはいなかった。


 乳房や陰毛、外に出ている性器をさらけ出した全裸であるだけではない。

 まさに、彼らは”何もかも丸出し”のまま、フランシスとサミュエルの目の前で冷たく横たわっているのだ。


 彼らの各々の鎖骨の少し下からまっすぐ一直線にスパッと切り裂かれ、言葉通り、”主なき肉体の中身”までさらけ出されていた。

 赤色のような、黄色のような、そしてやや紫色のような様々な色であり、そして”主の生前は様々な役割を担っていた”臓器たち――

 生々しい色合いの臓器が放つ匂いもまた、このうえなく血生臭いものであった。


 現に、フランシスもサミュエルも、大判のハンカチーフで鼻と口元を覆い隠していた。なお、彼らはそれぞれの両手には豚の皮でつくられた手袋を着用していた。無論、その手袋も横たわった男女のまだ生々しい血で赤く染まっていたが……


「……少し休みますか、サミュエル?」

 サミュエルが、こめかみに脂汗を浮かべていることが、この廃墟に差し込んでくる太陽の光によって分かったフランシスが言う。

「ああ、そうするか。しかし、結構強烈だな。これは……」

 ハンカチーフの下で口を動かし、フランシスの方に向き直ったサミュエルも、フランシスのこめかみに脂汗が浮かんでいるのを見る。


 自他ともに認める優れた魔導士である彼ら――

 折り紙付きの力の持ち主の彼らであるが、日々、その向上心を怠ることはなく、今日は”医学”という面で新たな試みを実践していた。

 人体解剖。

 そのために彼らが”手段も選ばずに”手に入れた男と女は、腹を裂かれ、廃墟の埃と黴の臭いをはるかにしのぐ、彼ら自身の臓器が放つ血生臭さの中で横たわっていた。



「体の内部ってのは、実際はこうなってんのか……」

「ふふ……私も人体解剖は初体験ではございますが、やはり本で読んでいただけではなく、実践というのは大切ですね。紙の上では簡略化ならびに、黄ばんだ紙の上に黒いインクというたった二色だけで表現されておりました人間の肉体の内部が、そしてこのように複雑で色鮮やかに目の前で展開されているとは……」

 そう言ったフランシスは、鼻と口元を覆い隠しているハンカチーフとは別のハンカチーフを取り出し、こめかみに浮き出ている汗をぬぐった。


 おまえ”も”気持ち悪くなってきたんだろ、と言いかけたサミュエルであったが、何も言わず、薄汚れ――というか曇ってしまっている窓への方へと歩み寄った。

 「窓を開けるぞ」というサミュエルの声に、フランシスは「どうぞ、”一刻も早く”そうしてください」と答えた。

「ここが街中なら、この臭いは苦情が来るというか……衛兵に通報されるレベルですが……この廃墟に自ら近づいてくるような”善良な”民はいないでしょう」とも。


「それもそうだ」とフッと笑ったサミュエルは、血に染まりきった手袋を脱ぎ、窓を開けようとした。

 だが――


「おい、フランシス……この廃墟に近づいてくる奴が2人いるぞ。まだ若そうな男と女だ。…………いったい、どこの盛ったガキどもだ?」

 チッと舌打ちをするサミュエル。

 曇った窓より、ぼうっとうかがえる外の光景。

 太陽の下でじゃれあっている若い男女――というよりも、女の方が積極的に男にじゃれついているように見える。

 女の顔ははっきりとは分からないが、太陽の下にいるためか、その女の金色の髪はやけにキラキラと輝きを放っていた。そして、その女は”輝く頭”と、男にじゃれつくという”頭の軽さ”がありありと分かる行動に似つかわしい、明るいピンク色のドレスを身に着けていた。

 対して、男の方は色味の薄い、いかにも質素で、労働階級だと一目で分かる衣服を身に着けているような……

 ”どっかの貴族のバカ娘が、召使いの男と遊んでいるのか? だが、実際に同じ貴族の男の元に嫁に行く時は、何も知らない純潔の花嫁ですって顔で、いけしゃあしゃあと偽りの初夜を迎えるんだろうな”と、即座に推察ならび想像までしたサミュエル。


 サミュエルの背後のフランシスが、コホン、と咳払いした。

「外にいる方々は、確かに”盛ったガキども”には違いありませんね。ですが……あの方は、このアドリアナ王国の第一王女、マリア・エリザベス様です。そして、その隣にいる、名も無き平民であり、素晴らしい腕を持つ人形職人である青年――彼の名はオーガストというのですが……オーガストはマリア王女のお気に入りの遊び相手の1人といったとこですね」

「!!!」

 今のフランシスの言葉に、さすがのサミュエルも数秒、言葉を失った。

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