―14― 曇りなき空を進みゆく船の中で(6)

 わずか数刻前と同じく、交わり合う2人の魔導士の視線――

 先に口を開いたのは、またしても、余裕に満ちた表情のフランシスであった。


「ふふ……私としたことが、いつもの調子が狂ってしまっておりますね。”今度は”私から折れることにいたします。売り言葉に買い言葉とは、誠に大人げないことをしてしまいました。この度は、大人として自分”にもあった”非を認めます」

 フランシスの口からは直接の謝罪の言葉は紡ぎ出されてはいない。だが、ここはひとまず(表面上は)仲直りをしておきましょう、ということだ。


 へッと口元を歪ませ、鼻から息を吐いたサミュエル。

「……お前の言う通り、ここは、ひとまずお開きとしておくか。どっちが色呆けのヤ×チンかなんて、ガキみたいな理由でやり合ったなんて、ヘレンたちもあきれ返るだろう。だが、まあ……大抵の諍いごとってのは当事者以外から見れば、阿呆みてえな理由で引き起こされるもんだがな」


「その通りですね……非常につまらない諍い事で”同士の命を失う”よりかは、半世紀以上にもわたって共にいる同士とこれからも絆を紡いでいくことの方が、今は大切ですからね」

 いつものように、非常に丁寧で穏やかなフランシスの物言い。

 だが、今の言葉を聞いたサミュエルは再び、眉をピクリと動かした。

 フランシスは今度は、サミュエルを”右腕”ではなく、”同士”と言っている。だが、”同士の命を失う”という、その言葉。やり合ったら、明らかに自分の圧勝であるということをこの後に及んでもアピールし、牽制している。


――この野郎……!!

 サミュエルの内で再び、いや何度目かに湧き上がった怒りの炎。

 けれども……

――やっぱり、やめておくか。何度も同じことの繰り返しになっちまって、全く話が進まねえからな……



 フランシスは「失礼」と言い、この部屋――サミュエルが寝室として使っている部屋の棚の上に置かれていた肌着の一着を取り、ずっと上半身裸のままであったサミュエルに手渡した。

「早く何か着てください。今度は風邪をひきますよ。あなたは生粋の神人というわけではないため、”病”という苦しみからは逃れらないのですから」

 サミュエルは、憮然とした表情のまま、フランシスから肌着を受け取った。


 発熱時の汗もおさまり、少し冷え切った上半身には清潔な肌着を身に着けたものの、下半身にはまだ汗を吸った寝間着がはりついている不快感に顔をしかめたサミュエル。

 彼はフランシスから目を逸らしたまま、口を開いた。


「フランシス……お前、マリア王女のことは、一体これからどうすんだ?」

 ”あんな綺麗なだけの毒蛇なんて、早いとこ、この船から放り出しちまえよ”という言葉が裏に隠されているような、サミュエルのその物言い。


「もちろん、マリア王女は私たちの計画が完了する”その時”まで、この船にいていただくことになるかと……それに、今となっては”マリア王女の魂の行方”という1つの物語の鍵を握っているのは、報われない愛に生きる青年・オーガストですからね」


「……何の力も持たずに生まれたただの平民のガキが、一国の王女の行く末を握っているとは笑えるな。しかし……あのオーガスト、長年生きてきたジジイの俺らが客観的に見てもそこそこの外見はしているし、真っ当な職についてはいたし、あいつ自身は常軌を逸したサディストではないし、あいつがその気になれば”普通の女”と添い遂げて、面白味はなくともそれなりの人生を送ることができるような気はするがな」


 今の、サミュエルの客観的なオーガスト評を聞いたフランシスはフフッと口元を緩ませた。

「人生に”面白味”とは、あなたもネイサンみたいなことを言いますね。そして、私も以前、オーガストには直接伝えてはいるのです。『マリア王女より容姿は数段……いや、数十段劣ったとしても日だまりのような魂の真っ当な娘と添い遂げることができるかもしれませんよ』とね。ですが、今も彼は……”運命の女”であるマリア王女を思い、神ではなく悪魔が仕組んだような縁という糸にひっかかったまま、愛の海に溺れているのです」


「おいおい……”愛の海”とか気色の悪いポエムみたいな言い方はやめろよ。むずがゆくなってくるじぇねーか」

 そう言ったサミュエルは、本当にむずがゆくなってきたらしく、顔をしかめて首筋を軽く掻いた。

 フランシスがサミュエルの様子を見て、フフッと笑いを漏らす。

「まあ……マリア王女が本当に求めている男は、オーガストではなく、兄のジョセフ王子でしょう。真っ当な彼はマリア王女の性の楽しみと残虐な試みを妨害する、目の上のたんこぶみたいな存在であると同時に……淫乱な彼女に流れている血が最も求めている男なのですよ。きっと、マリア王女は私とあのまま”パートナーとして付き合っていたとしたら”、最終的にはジョセフ王子の死を見届け、自身の”運命の男”の生も死の瞬間も全て自分のものにするつもりであったのでしょう」


 今のフランシスの言葉を聞いたサミュエルは、猛烈に顔をしかめた。

「いかれた残虐趣味のうえ、血のつながった肉親をそういう対象に見るなんて、やっぱりあの王女は、オーガストの手に負える女じゃねえだろ……あいつは優れた魔導士でないのはもちろん、腕っぷしもそう強くはないだろうし、何より俺たちが人体解剖を行っている場に居合わせて、真っ赤な顔でゲエゲエ吐いてた男に何ができるんだか……」


「いやはや、あなたもあの時のこと――あなたがオーガストとマリア王女に初めて会った時のことを思い出しておりましたか? あの頃はマリア王女の魂はまだ、本来の肉体にありましたが……あの時は本当に……マリア王女の生まれ持った矯正不可能な狂気がありありと伝わってきましたね。この私でさえ、少し背筋が冷たくなりましたよ」

 ”狂気がありありと伝わり、背筋が冷たくなった”場面を思い出しているのに、フランシスはどこか穏やかな笑みを浮かべていた。


 フランシスとサミュエル。

 幾度目かの彼らの視線の交わり。

 今度は、苛立ちでもなく、むかつきでもなく、敵意でもなく、単に同じ記憶を共有しているがために、交わっていた。

 その同じ記憶は、”臓物の血生臭いにおい”とともに彼らの脳裏で蘇ってきた。

 

 アドリアナ王国内の人里離れた、ある廃墟にて、彼らが目的のためなら手段も選ばず”手に入れた”男と女の人体解剖を行っていた時――

 件のマリア王女と、彼女にしなだれかかられ、彼女の体温と甘い匂い、そして乳房の感触に顔を赤くしたオーガストがやってきた場面の記憶が……

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