―7― ジョセフ王子の終わらぬ苦悩(7)

 ”現在のアドリアナ王国”では、手に入れることができない毒物をマリア王女に渡した者がいる――


 ジョセフだけでなく、この部屋に足を踏み入れてからは、自分の分をわきまえて一言も言葉を発していないアンバーも、マリア王女に毒物を渡した者についての心当たりについて考える。

 いや、ジョセフとアンバーだけではない。アーロンを含め、この場に同席している魔導士たち全員が考えていた。

 重苦しい沈黙。

 だが、その沈黙は時間にするとわずか十数秒であった。このわずかな時間で、ジョセフだけでなく、アンバー、そしてアーロン含む魔導士たちも1つだけ確かな結論を導き出したのだから。


 魔導士だ。

 自分たちの同業者が、マリア王女に”災いの種”を手渡したのだと。

 マリア王女は、その災いの種を催淫剤としての淫らな花ではなく、残酷な人殺しの毒の花として、開花させてしまった。マリア王女の性格からして、おそらくほんの少し試すつもりで、まだ性の営みも恋すら知らない赤ン坊の無垢であり柔らかな皮膚にそっと塗り付けたに違いない。



 ジョセフは思い出していた。

 あの日――

 赤き夕陽が沈みゆくデメトラの町で、マリアが引き起こそうとしていることに気づいた馬上のジョセフは、即座に馬の手綱を握り、踵を返した。あの母親が、マリアに赤ン坊を近づけることを、そして何よりもマリアが赤ン坊に触れることを、阻止しようとしたのだ。

 ”駄目だ! そいつに赤ン坊を触らせるな!”、そして”お前は何をしようとしている?! 民に向かって何を――!”というジョセフの心中の叫びのような、その制止は間に合わなかった。


 赤ン坊――ビアンカに触れたマリアは、赤い夕焼けのなかでも分かるほどに青筋を立て、唇を怒りで震わせているジョセフの視線を受け、フッと鼻を鳴らすように微笑み、”残念でした”と声には出さずにその口元だけを動かしていた。

 それから、ものの一分もたたないうちに、ビアンカはその小さな肉体に最大限の苦痛を味あわされて、死に至った(殺された)。

 ビアンカの死に様と、彼女の母親の絶叫に、マリアは驚いたように”輝き続けている”青い瞳を見開いて口元を手で覆っていたが、ジョセフには分かっていた。

 マリアの青い瞳は驚愕でなく歓喜によって輝き、手で覆っている(隠している)口元は歪み、悪魔のような笑みが広がっていたということも――



 マリア王女に、残酷な狂気による歓喜を与えるため、毒物を手渡した者が近くにいたということ。

 だが、この城の中に――アドリアナ王国に仕えている魔導士の中に、マリアにそのような毒物を渡す者がいるとは、ジョセフは思えなかった。

 城内にて働く魔導士の身元は(彼らの一族も含め)全員しっかりとしている。不祥事の火種を灯そうなら、彼らの一族にまで飛び火することは理解しているだろう。

 そして、魔導士たちもマリアの狂気についても充分に承知のうえなので、マリアが自国の第一王女であるという絶対に崩すことのできない背景(身分)もあり、”触らぬ神に祟りなし”といった者がほとんどであったのだ。

 そもそも、マリア自体が自ら好んで魔導士に近づくことはあまりなかった。

 

 彼女が”遊び相手”に選ぶのは、見られる容姿をしている若い兵士たちが大半であったのだから。マリアがたまに気が向いた時にミザリーの容姿を中傷したり、アンバーをからかったりしているぐらいであった。

 

 そうなると、外部から侵入してきた魔導士の仕業か……?


 その時、アンバーが何かを思い出したようにハッとした。

「……どうかしたのか、アンバー?」

 ジョセフが怪訝な顔で彼女に問う。

「あ、あの……少し前に行われた舞踏会の翌日、マリア王女は左手の薬指にフェイトの石がついた指輪をしておりました。大変にご無礼なことだとは承知しておりますが、私はマリア王女にその指輪の送り主についてお聞きいたしました。無論、教えてはいただけなかったのですが……あの舞踏会の夜は、各地から大勢の方々が集まり……その中にマリア王女に毒物を渡した者が潜んでいたとしても、おかしくはない状況であったと……」


 アンバーの的確なその意見に、ジョセフも、そして彼女の父・アーロンも深く頷いた。

「……あの舞踏会の夜、私はあいつがまた邪な目で貴族の男たちを物色し始めていたため、舞踏会の途中で”部屋へと下がらせた”。もしかしたら、その前に何者かがマリアに接触していた可能性が高いな」

 ジョセフは額を手で覆い、重い息を吐き出した。


 彼のその様子を見たアンバーと、そしてジョセフがまだ赤ン坊であったころより、一定の距離はあったものの彼の成長をあたたかく見守っていたアーロンの胸は痛んだ。

 オスティーン親子は、理解している。

 一見、冷たそうな印象を与えるも、極めて真面目で正義感の強い王子が、まだ自身も子供である幼き頃より、マリアの邪悪な振る舞いに胸を痛め頭を抱えていることを。

 一日たりとも気が休まる時がない王子殿下。

 将来、アドリアナ王国の国王となる責務と努力に加え、悪魔のごとき妹の存在、そして(大きな声では言えないが)あまり頼りにならぬ両親という重圧もその若い背中にのしかかっているのだということを。





 その時――

 この部屋の重々しい扉がギイイッと軋みながら、突如開いたのだ。


「あら、お兄様も皆さんもお揃いで何のお話かしら?」


 その開いた扉の向こうにいたのは、マリア王女であった。

 いきなり現れたマリア王女。

 いつから話を聞かれていた? いや、それよりも……


 美しく清らかな微笑みを浮かべている彼女は、真白い肌身の上にジョセフの上着をふわりとまとったままであった。

 魔導士の何人かは、マリアが無造作に羽織っている上着からのぞく、白い肌とまるで彫刻のような豊かな胸の谷間にパッと目を逸らした。

 普段は長いドレスに隠されている形のいい、ほっそりとした白い両脚も剥き出しのままだ。

 まさか、マリア王女はこの痴女のような格好のまま、城内をウロウロとしていたのか?


 マリアは、全裸とはいかないまでも、自分の極めて性的な部分を見せていることなど、全く気にしていなかった。むしろ、彼女は、その美しい裸体への入り口ともいえる甘い香りが漂ってくるような白い肌をチラ見せし、兄含む男たちの反応を楽しんでいるのかもしれない。

 兄のジョセフ含め、この部屋にいる者たちをグルリと見回したマリアは口を開いた。


「しばらく見ない間にますます老けたわね、オスティーン。あと、余命幾年ってとこかしら?」

 真っ先にマリアの”口撃”の対象となったのは、アーロンであった。

 マリアのその言葉を聞いたジョセフは、眉根を寄せ、さらに険しい顔をし、アンバーも自身の父を目の前で侮辱されたことに、グッと唇を噛みしめた。


 だが、当のアーロンは、「おっしゃる通りでございます、王女殿下。ですが、私はこの命果てるまで、国王陛下にお仕えする次第でございます」と、声の調子を普段と全く変えることなく、極めて落ち着いた大人の対応をした。


「まあ、老いぼれがせいぜい頑張ればいいわ。それはそうと……この不細工なおばさんは一体、何なの? どこかで見たことある気もするんだけど」

 そう言って、可憐な花のような唇の両端をニッと上げたマリアは、その白く細い指で、ノーマをスッと指差した。

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