―6― ジョセフ王子の終わらぬ苦悩(6)

 何の罪もない赤ん坊ビアンカに、絶大な苦痛を与え、絶命させた原因となった薬物。

 小瓶に入っている萎びて枯れ果てた黄土色のその薬草は、ノーマのつややかでありふっくらとした白い手に対比するがごとく、ジョセフの瞳に映っていた。


「……その薬草はエマヌエーレ国においてでしか、手に入れられないということか」

 ジョセフのその問いに、ノーマだけでなく、アーロン含む魔導士たちも深く頷いた。この場を代表するように、ノーマが口を開いた。

「はい。この薬草は、エマヌエーレ国の南部の”本当に限られた場所で栽培されていた”ものです。このアドリアナ王国で、この薬草を手に入れることは”普通に考えると”不可能に近いでしょう。そして、本来、この薬草は人を死に至らしめるためのものではありません。ですが、一連のお話をうかがいました限り……成人している男女は意識が朦朧とするだけであっても、赤子の小さな体では耐えきれなかったのと、元々の赤子の体質もあって拒否反応を起こして、死に至ったのだと……」


 毒物の分析に見事に成功した、一番の立役者であるノーマは、はっきりとした明瞭な声で、滑舌や言葉のテンポも極めて上手い具合でジョセフに答えた。この場で”上手い”という表現で彼女の立ち振る舞いを表現するのは、やや違うのかもしれない。だが、王子殿下を前にすると(しかもこんなに近距離で)大の男でさえ、大変な緊張で声が震える者もいるというのに、この小柄なノーマは王子殿下を敬いつつ、なお自身も全く憶することなく、言葉を紡いでいた。


「温暖なエマヌエーレ国においても、より高温多湿なある地域がございます。そこに居を構えて”いた”ある魔導士がこの薬草を開発し、大量に栽培して暴利をむさぼって”いた”と記録には残っております」

 ジョセフへと、さらに言葉を続けたノーマの声は落ち着き払っていた。だか、やはり、彼女も心のうちでは摩訶不思議なこの事例に対しての”明確な回答”を導き出すことができないでいるのだ。


 そのノーマの言葉を継ぐように、アーロンが続けた。

「殿下……この禁じられた薬草を栽培しておりました魔導士は、すでにこの世にはおりません。かなりあくどいことをしていたらしく、薬草の栽培に反発を唱えた民衆たちの手で70年ほど前に惨殺され……その魔導士の養子となっていた男は持てるだけの財産を持って、アドリアナ王国へと逃れておりますが……彼もまた、58年前の神人殺人事件の”被害者”として、遺体で発見されております」



 見るからに神経質そうな顔を、さらにしかめたアーロンは思い出す。

 58年前、まだ若さに満ち溢れた少年であったアーロン・リー・オスティーンはしっかりと覚えているのだ。

 自分より年長の魔導士たちに連れられ、「神人殺人事件」の血なまぐさい現場に足を運び、自らも調査を行ったことを。そこで感じた、今もなお忘れ得ぬ魔導士サミュエル・メイナード・ヘルキャットの恐ろしい気を。悪しき魔導士たちの攻撃の巻き添えを喰った一般人たちの苦痛に満ちた無念の死に顔を。肉体のあらゆるところがちぎれ、赤黒く光る臓物がはみ出ている罪なき者たちの遺体を。

 そして――

 無惨な遺体のなか、一つだけ奇妙な遺体があったのだ。

 顔も分からないほどに爛れ、焼け焦げた男の遺体。

 その遺体の身元が分かったのは、遺体が両手の指10本に身に着けていた指輪とネックレスであった。

 両手の指、全てに指輪をつけるという悪趣味さ。

 どうやら、アドリアナ王国の魔導士たちが奇妙な遺体の男について調べていくと以下のことが分かった。

 その男はエマヌエーレ国で生を受け、このアドリアナ王国に命からがら逃げていたということ。そして、体だけは立派な中年男性となっていた男は……小児性愛者向けの裏娼館を経営していた……

 目玉が飛び出るほど高い価格設定のその裏娼館であったが、人知れず通う身分の高い者が多数おり、かなり盛況していた。10才にもならないうちに、娼婦にされてしまった少女たちもいずれも粒ぞろいの器量よしで様々なタイプを取り揃えていたと――

 だが、その男は自分のお気に入りの少女だけは、自分1人だけで大変に”可愛がって”いた。その少女の名が彫られた、純金のネックレスを身に着けるほどに。

 遺体の焼け焦げた胸で光るネックレスには、その少女の名であるらしい”我が妖精 ヘレン”という文字が彫られていた。

 彼が片時も離そうとしなかった少女・ヘレンらしき遺体は、見つからなかった。行方が全く分からない彼女については、同じ娼婦である少女の目撃情報が、ただ一つであり最後の手掛かりとなっている。

 ”ヘレンなら、銀色の長い髪の背の高いおにーさんとやわらかそうな髪の優しそうなおにーさんとどこかへ行ったわ”と――

 まだ天真爛漫な子供と言える年齢にある、唯一の目撃者の少女であったが、彼女の甘い喋り方やしなの作り方は、大人の娼婦顔負けであったとも、アドリアナ王国の調査の記録には残っていた……




 何十年も昔の記憶が生々しく蘇ってきたアーロンは、今、目の前にある現実に慌てて自分自身を引き戻そうとした。

 目の前の現実。

 デメトラの町で赤ン坊を殺したのは、絶対にマリア王女であると、ジョセフ王子だけでなく、この場にいる誰もが確信していた。

 マリア王女生誕の日、第一王女の無事な誕生にこのアドリアナ王国が湧きたっていた日より、アーロンはマリア王女のことをずっと身近で見ていた。王妃エリーゼ・シエナのほっそりとした腕に抱かれた赤子のマリア王女は、身も”心も”まるで天使のごとき美しさを授けられて、この世に生を授けられた方だと当時は感じずにはいられなかった。

 けれども、誕生より数年の月日が流れ、日々成長していく美しき王女にぬぐい去ることなど到底できない不穏な何かを、アーロンは感じていたがそれをうまく言葉にすることはできなかった。アーロンだけでなく、滅多なことは言えないはずの侍女たちも影では「ねえ、マリア王女、何だか、おかしくないかしら?」などと口ぐちに言い合っていた。

 それから、さらに数年の月日は経ち、不穏な予感は杞憂などではなかったとことを実感する。マリア王女から放たれる不穏な予感は、まるで暗雲のように、この首都シャノンの上空から王国全体へとどす黒くひろがっていくがごとく……


 王妃が城内での”不幸な事故に遭い”、産まれてくるはずであった第3子は神の元へと召された。

 そして、今回のデメトラの町での事件――


 マリア王女の悪意、いや歪んだ欲望によって引き起こされた殺人。

 その歪んだ欲望による犠牲より、一つの糸口を見つけた。だが、その糸口はジョセフ王子がマリア王女に確固たる証拠を突き付ける手助けをするどころか、この事態をさらにこんがらがらせた。

 城内から滅多に外出することない(というよりも、ジョセフ王子が外出させないようにしている)マリア王女が、何十年もの昔に絶えた薬草から作られた毒物(多情なマリア王女は催淫剤として、使うつもりだったのだろう)を手に入れることは”普通に考えたら”不可能である。

 だが、あの王女が裏で――ジョセフ王子や我々の目を盗んで”普通ではない者”の手を借り、あの毒物を手に入れ、隠し持っていたのだとしたら……

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