―5― ジョセフ王子の終わらぬ苦悩(5)

 ジョセフのぬくもりと匂いが残る上着というアイテムを手に入れたマリアは、その白い頬をうっすらと赤く染め上げ、鼻歌を歌いながら、部屋を出ていった。

 彼女は”ひとまず”自分の部屋へと戻り、”しばらくの間は”大人しくしているのだろうと、ジョセフもアンバーも思った。

 だが――

 彼女が自分のベッドの上で、ジョセフの上着にくるまって、何をするつもりなのか……

 妹が兄を思い、自分を慰める。

 ごく普通の兄妹なら考えられないようなおぞましいことを想像するだけで、ジョセフもアンバーも、全身の毛穴をブワッと開かせ、血が湧きたたせる妙に”熱い”不快感で、彼らの背筋は”冷たく”なりそうであった。




 互いに無言のままのジョセフとアンバーの靴音が、静まり返った長い廊下に響きわたる。

 ジョセフは唇を一文字に結んだまま、ただ前を向き、目を伏せたアンバーは数歩後ろより、ジョセフと歩調を合わせて続いた。


 長い廊下の果てにあるような1つの扉の前に辿りついた彼ら。

 アンバーが頭を下げ、すうっとジョセフの前へと出て、扉に手をそっとかけた。

 まるでひっかき傷を残すかのような軋んだ音を立てながら、重々しい扉は開いた。



 扉の向こうにいた者たち。

 彼らは王子殿下の姿を認め、規律正しく訓練された動きでその場にザッと跪いた。

 アンバーの父親であるアーロン・リー・オスティーン他、城に仕える数人の魔導士たち、そして……

 ジョセフの視線にいち早く気づいたアーロン・リー・オスティーンが、一歩前に静かに進み出た。

 ”今日、この場で初めて王子殿下にお目にかかる者”の紹介をするために。



「殿下。この者は、ミザリー・タラ・レックスの母親のノーマ・リン・レックスでございます」

 アーロンにそう紹介された中年女性――アドリアナ王国に仕えて、今年で9年となる魔導士ミザリー・タラ・レックスの母親は、隙のない優雅な立ち振る舞いでジョセフへと恭しく頭を下げ、自らも名を名乗った。



※※※


 ノーマ・リン・レックス。

 彼女の年齢は、ジョセフの母であり、このアドリアナ王国の王妃であるエリーゼ・シエナより少しばかり、年上かと思われた。

 ノーマの髪の色、そして顔立ちは、ノーマとミザリーが母娘であることを示していた。

 ジョセフとマリアが一目で兄妹だと分かるように、このノーマとミザリーが並んでいたら、世の大多数は一目で母娘と分かるだろう。

 ノーマは、ミザリーの背をもう一段ほど低くし、肌の色はもう一段白くして、うっすらと脂を乗せたような、ふっくらとした肌をしていた。そして、横幅もミザリーに比べると、もう一回りほど貫禄があった。

 造作的には美人とは言い難いノーマであるが、彼女からは母性的な優しさが発せられていた。安心感を伴う母性的な優しさ、それは彼女自身の揺るぎない意志が放つオーラなのか……

 彼女――ノーマもまた、魔導士としての力を授けられて生まれた者であった。だが、彼女は魔導士として身を立てれるほどの力は授けられていなかった。

 そのため、少女時代の彼女は自分の人生で歩むべき道を、薬師としての道へとシフトしたのだ。自分の進むべき道を見極め、そこで自分が咲かせることをできる大輪の花を咲かせ、いまや首都シャノンにおける”医療業界”では右に出る者がいないほどの薬師となっていた。

 そして――

 彼女は、自分以上の魔導士の力を授けられて生まれることとなった一人娘・ミザリーを女手一つで育て上げてもいた。


 ミザリー・タラ・レックス。

 アンバーがわずか5才で、そしてカールとダリオがともに10才で、アドリアナ王国に仕える魔導士となるために、首都シャノンの城の門をくぐったことを考えると、15才の時に門をくぐった彼女は、やや遅い修行の開始ではあったろう。

 だが、城の中での立ち振る舞いや礼儀などについては、上の者が新たに教え込むことなどがなかったミザリー。それはおそらく、母・ノーマの幼き頃からの教育の賜物であったに違いない。


 生まれ持った魔力は、アンバー、そしてカールやダリオに比べると数段劣ってはいるが、大変な努力家であり、何一つ問題を起こすことなく、魔導士たちのなかに自然に溶け込み、日々アドリアナ王国に貢献しようと努めていたミザリー。

 そんな彼女に向かってでさえ、妹・マリアは(主に彼女の容姿について)酷いことを言っていた。

 ジョセフは「お前はなんてことを言うんだ」と、その場でマリアを厳しく諌めたこともある。

 だが、マリアは「本当のことを言っただけですわ。私やお兄様みたいに美しく生まれた者にとっては、こんな醜女は目に毒じゃありませんこと? じゃあ、おうかがいしますけど、お兄様はこの女を抱けまして?」と、この世に比べるほどもないほど美しい顔と涼やかな声で返しただけであった。

 世の中の人間を男か女か、あるいは性欲を感じるか、感じないかの二択でしか見ていない王女・マリア。

 その時のミザリーは黙って下を向き、自身の心を鋭く切り裂いたマリアの言葉に耐えているだけであった。



※※※



「……いわゆる催淫剤に使われるものであっただと?」

 ジョセフのその声に、部屋の空気は”より一層”気まずいものとなった。


 マリアがデメトラの町で赤ン坊を殺したであろう薬。

 カールとダリオの機転により、この城に(赤ン坊の吐瀉物としてであったが)持ち帰ることのできた薬。

 魔導士たちが何日も頭を抱え、城外のノーマ・リン・レックスに助言を求めることとなった薬。


 ついに、その薬の分析結果が出た。

 ノーマのふっくらとした白い手に握られている小瓶に入った枯草が、その催淫剤――いや、罪なき赤ン坊の命を奪った毒物の成分となった薬草である可能性が高い。

 だが、なぜこれほど、毒物の特定に時間がかかったのか……

 それは、その枯草がアドリアナ王国に生息していないものであったからだ。

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