―4― ジョセフ王子の終わらぬ苦悩(4)

 マリア王女が全裸で床に転がっている。

 その光景に言葉を失ったアンバーであったが、すぐにマリアからパッと目を逸らし、俯いた。


 そんなアンバーの様子を見たマリアは、可笑しそうにクスクスと笑う。

 そして、床の上から上体を起こし、美しい黄金色の髪を左耳へふわりとかきあげたマリアは、アンバーとジョセフの顔を交互に眺めた。

「アンバー。もしかして、あなた……自分以外の女の裸を見たのは初めてなの? まあ、確かに……毎晩、抱かれたい男を思って自慰ばかりしている万年処女には、同性の裸とはいえ刺激が強い光景よね」


 

「なっ……私はそんなことは……!」

 アンバーは、その白い頬を即座にカッと赤く染め、反論しようとした。

 けれども、ジョセフが小声で「相手にするな、アンバー」と囁いた。

 彼の声に「はい」と頷いたアンバーも分かっていた。

 このマリア王女は、自分をからかって面白がっている。


 普段のアンバーなら、無礼にならないように彼女の言葉を受け流すことができただろう。けれども、今日のこの場にはジョセフ王子もいる。マリア王女はわざとジョセフ王子の前で、”あなたは毎晩、お兄様を思って自分を慰めているんでしょう”と、暗に匂わせるような言い方をしたのだ。



「マリア王女……何か服をお召しになってください」

 アンバーは極めて冷静に、マリアに伝えた。

 だが、マリアはニッと笑い、首をゆっくりと横に振った。

「嫌よ。ただの臣下のくせに、王女の私に命令するなんて、無礼にも程があるわよ。そもそも、私とお兄様がお話をしていらしたのよ。あなたなんて、誰も呼んじゃいないわ。早くここから出ていきなさいな」

 アンバーにそう言い放ったマリアは、天上の天使のごとき笑みを浮かべていたが、彼女の麗しき唇から紡ぎ出されるその声は全く笑っておらず、冷たいものであった。

 それにマリアは、この部屋でジョセフと話をしていたというわけではない。



 アンバーはまたしても理解していた。

 今のこの状況にいたるまでに起こったであろうこと。

 マリア王女が城内にいる若い男の誰かを誘惑し、この部屋に連れ込んで、自分の美の魅力にあらがうことのできないその男とともに、肉の快楽に溺れようとしていたのだろう。

 そこにジョセフ王子が突入し、彼女たちを叩き切らんばかりの勢いで叱責した。ジョセフ王子の剣幕に恐れをなした男は、服を着るのもそこそこに、扉から、もしくはこの部屋の窓より逃げていったのだろうと……

 マリア王女の美貌と淫乱な性質によって、今までに何度も繰り返されきた”いつものこと”だ。

 けれども――

 今日のその背景にあるのは……


 先日、マリア王女はデメトラの町で平民の赤ん坊をその手にかけた。その時、アンバーは城で留守番をしていたため、マリア王女がその赤ん坊を実際に殺したところは見ていない。

 だが、マリア王女が赤ん坊に触れるのを慌てて阻止しようとしたジョセフが言うには、不可解であまりにも残酷な死に様であったと――

 小さな赤ん坊の突然死というには、無理があるような死に方だと。

 

 当然のごとく、ジョセフはマリアを、いや、ジョセフだけではなく――国王ルーカス・エドワルドも我が息子・ジョセフ、そして彼の供として同行していたカールやダリオ、兵士たちからも一連の話を聞き、マリアを尋問した。

 だが、マリアは頑なに「私は何も存じ上げません」と、その天使のような顔で父と兄に向かって”微笑んだ”。

 そのうえ、マリアはこうも言っていた。

「そもそも、私に無礼な振る舞いをしたのは、あの平民の母親ですわ。あのように高貴な者に対する立ち振る舞いも知らない馬鹿で迂闊な母親の元に生まれた、あの赤ん坊の運命だったのだと……それに私、赤ん坊と自分以外の女は嫌いなんですもの。それと、腐りかけたお年寄りも……」

 マリアのこの言葉は、自分が殺意を持って赤ん坊を殺したと認めているものであったが、彼女は”何の証拠がありまして?”と言いたげに愛らしく小首を傾げるばかりであった。


 ジョセフも国王も疲れ切っていた。

 それでなくとも多忙な国王は、ついにデメトラの町の一件の対応を全てジョセフに一任し、公務へと戻っていった。


 だがアンバーたち魔導士は、そしてアンバーの父親であり、主に国王の側近であるアーロンも協力し、ひっそりと調査を行っていた。

 あの日――

 赤ん坊を殺された母親は泣き叫び続け、惨たらしい殺人の現場を目撃してしまった子どもの幾人かがまるで伝染したように次々と嘔吐するなど、現場は阿鼻叫喚の状態であったらしい。

 だが、そのなかにおいて、カールとダリオは、助けるすべもなく絶命した赤ん坊が口から噴き出した吐瀉物を城へと持ち帰っていたのだ。

 あの場において、賢い彼らは機転を利かせ、赤ん坊の吐瀉物が大地に完全に吸い込まれてしまう前に自分たちのハンカチーフにそっとそれを染み込ませた。マリア王女には決して気づかれないように――


 そして、かなりの日数を要したがアーロンたちが吐瀉物を調べた結果がついに先ほど出た。

 その結果を報告するために、アンバーはジョセフを探し、この部屋へと足を踏み入れたのだ。




 ジョセフが苛立たし気に上着を脱ぎ――

 その上着を全裸のマリアに向かって投げつけるかのように、乱暴に放り投げた。

「出ていくのはお前だ、マリア……さっさとこの場から消えろ」


 抑揚のない冷たいジョセフの声。いや、彼は溢れ出んばかりの怒りを必死で押さえているのだ。

 その様子を見た、マリアは「まあ、怖い」と少しだけ後ずさる真似をしたが、すぐに微笑みを浮かべ、ジョセフの上着をその肌身にふわりと羽織り、すっくと立ちあがった。


「ふふ……あたたかい。それにお兄様の匂いがするわ……」

 長く濃い睫毛に縁どられた、青い瞳を輝かせたマリアは、うれしそうにジョセフの体温のこもった上着を身にまとい、恍惚とした表情を浮かべていた。


 彼女のその様子を見たアンバーの背筋がゾクリとする。

 マリア王女の淫乱な性質――城内にて好みの男と見れば誘惑し、性交へと持ち込む(それも100%に近い成功率で)のは知っている。だが、それに加え、”やはり”彼女は神に背いて、血のつながった兄と禁断の果実を嗜むことを企んでいるのでは……

 ジョセフ王子の人格からして、マリア王女の誘いに乗ることは100%ないに等しいだろう。

 だが、もし……ジョセフ王子が薬でも盛られたらどうなるのか?

 そう、マリア王女がデメトラの町で、何の罪もない、いたいけな赤ん坊を殺したであろう薬は、まさにそういった目的のために使うであろう薬であったのだから――

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