ー8ー 出港前夜

 馬車を下りたレイナは、靴ごしの堅い石の感触と、顔を覆い隠しているストールを揺らすやわらかな風を感じた。

 今はもう春といってもいい季節へと移り変わっていた。

 この異世界での時は、着実に流れている。

 吹き抜けるやわらかな風は、潮の香りまでレイナの鼻孔へと運んできた。

 そう、ついに今日、出港の地となる港町へと到着したのだ。


 約一週間前、国王、ジョセフ王子、並み居るアドリアナ王国の重鎮たち、そしてカールとダリオに見送られ、首都シャノンを発った。それから馬車に揺られ、幾つかの町を通り抜け、この港町まで来た。

 この世界で、魔導士の力を持たない者の陸地での移動手段は、徒歩か馬の2つしかない。車や電車、新幹線や飛行機なるものも、まだこの世界にはないのだ。レイナはついつい、元の世界の交通事情と比較してしまい、移動時間の長さにじれったさも感じていた。


 今、レイナの前に広がっている海は、空高く昇った春の太陽に照らされて美しく煌めきながら、涼やかな波の音を潮の匂いとともに、ここまで運んできていた。

――綺麗……

 レイナが元の世界で暮らしていた地域は内陸部であったため、彼女は元の世界においても海とはそれほど縁がなかった。

 異世界で見る初めての海。

 それは、この世界の月の色の青に、木々の緑を混ぜ込んだような色合いの海であった。別の言い方で表現するとしたら、レイナが元の世界で見た沖縄や海外のリゾート地の海の写真の記憶により近いものであった。

 

 けれども、この美しい海の遥か――そう、遥か遠くで今より59年前、悲劇が起こったのだ。

 小国ではあったものの、平和で豊かな自然に恵まれたユーフェミア国は、何の前触れもなく、暗黒に包まれた。

 その暗黒は、花が咲き誇る緑豊かな大地だけではなく、その大地にて生を営んでいた何の咎もない数多の民までも、飲み込んでいった。

 その悲劇から現在に至るまで、このアドリアナ王国のみならず、他国が救援ならび調査の船を、それぞれの港から幾度も出港させた。だが、ユーフェミア国自体が消失してしまっているため、生存者なども発見できず、今までに何の手がかりもつかめていないのだ。

 


「こちらですよ、レイナさん。裏側を回って、今夜の宿へと行きましょう」

 海の遥か向こうに視線と考えをやっていたレイナは、魔導士ミザリー・タラ・レックスの声に我に返った。

「ほら、もっと顔を隠して。遅れることなくついてきてください」

 レイナは慌ててストールで顔をしっかりと隠し、小走りでミザリーに続いた。

 ミザリーが示していた指の先は、石段が続く狭い路地裏のような道であった。

 いくらなんでもこの道に馬車を通すことはできない。レイナが視線を少し上にやると、高くそびえている白い壁の建物が見えた。白亜の壁を思わせるその建物は、港町らしい爽やかさを感じさせた。


 自分たちの前を走る馬車に乗っていたルークたちやジェニーは、先にこの石段を上がっていったのだろう。それとも、彼らは馬車に乗ったまま、宿の正門なるものをくぐったのか。


 首都シャノンの城を発つ時、レイナはアレクシスの町から首都シャノンまでの旅路と同じく、ジェニーやアダムと同じ馬車に乗ろうとしたが、この魔導士ミザリー・タラ・レックスに止められてしまった。

「レイナさん。ジョセフ王子は馬車を充分などご用意してくださっております。私と2人だけで同じ馬車に乗りましょう。そして……」


 そう、ミザリーは自分とレイナだけでなく、その他の者たちの馬車割まで瞬時に決めたのだ。

 まずはディラン、ダニエル、アダムの3人が同じ馬車に。だが、アダムが孫娘ジェニーの身を何よりも心配していることはミザリーも理解していたのか、ジェニーはアダムと同じ馬車に乗ることになった。

 そして、ルーク、トレヴァー、ヴィンセント、フレディの4人が同じ馬車へと。


 誰が誰と同じ馬車に乗ったって、そう大問題になるわけでもないし、レイナが見る限り”希望の光を運ぶ者たち”の中で仲が悪い組み合わせなどもないだろう。

 彼らはまだ、知り合って日が浅いと言えるが、それぞれ互いを認め合い、同じ船に乗る仲間として絆を深めていくと思われるのに……


「ほんの数日の間とはいえ、チームワークを強化する時間を設けました。これからの旅路には、きっといろんなことが起こるはずです。いつも隣にいる者が同じではいけません」

 やや強引ともいえるこの取り決めに、ミザリーはキッパリと言い切った。 

 確かにルークとディラン、ヴィンセントとダニエルの2組の組み合わせにおいては、彼らはそれぞれ幼き日からの付き合いであるため、共有してきた時間も他の者よりも長いはずだ。

 事前に彼らの生い立ちについての情報を聞いていたのかもしれないが、ミザリーは”希望の光を運ぶ者たち”を再度自分の目で観察し、一目でとりわけ付き合いの長い2組の組み合わせを見抜いたに違いなかった。


 当のレイナといえば、馬車の中でミザリーの集中講義を受けることとなった。

 時折、ガタゴトと揺れる馬車の中、必死でレイナはミザリーの口から奏でられる、この国の主な歴史や現在の治安状態、決してしてはいけないタブーなどを”頭の中に”書きとめた。

 アンバーにもらったノートを開いてペンを走らせようとしても、間違いなくインクがこぼれ、服を盛大に汚してしまうことになっただろう。


 魔導士ミザリー・タラ・レックスの年は25才。

 非常にテキパキとして、頭のいい女性である。

 異世界から来たレイナに、分かりやすく、そしてポイントを押さえて馬車の中での集中講義を行ってくれた。

 だが、アンバーのようにさりげなく頭の良さを感じさせるというよりは、ミザリーは正面からキッチリと隙間なく向かってくるようであり、レイナは少しだけ堅苦しさも感じていた。


 そのうえ、レイナは、出発当日に城内にてミザリーを初めて前にした時、彼女の容姿に少しだけ驚いたのも事実であった。


※※※


 ミザリー・タラ・レックスは、美人とは言い難い女性であった。

 彼女のトウモロコシの花を思わせるような色合いの艶のない髪の毛はたっぷりと暑苦しいと思えるほどの量であり、それを彼女は後ろで一つに束ねていた。

 そのうえ、彼女は顔の骨格がそのものが大きく、顔のパーツがその広い顔の中心に集まっていた。


――ミザリーさんの顔の輪郭……確か、どこかで……? あ、そうだ、あの漫画……地獄のミ●ワみたい…………ハッ! いけない、私だって、そんなに美人だったり可愛かったりしたわけじゃないのに、人の容姿のことあれこれ思うなんて最低だ……!!


 レイナがこの世界に来てからというもの、マリアの美しさはもちろんであるが、アンバー、ダニエルの母などの美しい女性、ジェニーのように可愛い女の子に出会った。ヴィンセントの恋人(いや、彼らは単なる大人の関係なだけかもしれない)のメグという名の女性も、超絶美人というわけではなかったが、華やかで人目を惹くなかなかの美人であったのように記憶している。

 最初の数か月で複数名の容姿のいい女性を見てしまい、今は絶世の美を持つ肉体の中にいるため、自分の目が肥えてしまっただけとレイナは思い込もうとした。

 が、思い込もうとしたレイナに、別の疑問が即座に持ち上がってきた。


――でも、このミザリーさんって人、アンバーさんが亡くなった時の戦いに首都シャノンより駆け付けた魔導士の中にいたかしら? 身元はしっかりしているはずよね。いつぞやの影生者の兄妹みたいなことにならないように。……確かに私は人の顔を覚えるのはそんなに得意じゃなくて、カールさんとダリオさんの見分けもなかなかつかなかったけど……ミザリーさんは、結構特徴のある人だし……いけない! 私ったら、また失礼なことを……


 馬車の中でのわずかな休憩時間に、レイナは思い切ってミザリーに聞いていた。

「……ミザリーさんは、アドリアナ王国に仕えてから何年ぐらいなんですか?」と。

 この一言でミザリーは、レイナの問いの裏側まで察したらしい。

「10年になります。15の時に城の門をくぐりました。それと、私ともう1人のピーター・ザック・マッキンタイヤーは、アンバーを失ったアリスの町での戦いにおいて、首都シャノンでの留守番組に属しておりました。だから、こうしてあなたと顔を合わすのは本日が初めてでございますね」


 レイナは、自分が本当に聞きたかったことを察して答えてくれたミザリーの頭の良さに驚いたのはもちろんのこと、少しだけ畏怖も抱いた。

 言葉の裏側にあるものをつかむのに優れているこの女性に、いつか心の中でも見透かされてしまうのではないかと。


※※※


 レイナに宿の裏道へと向かうミザリーに遅れを取らぬよう、彼女の背中を追う――というよりも、ミザリーは元の世界のレイナと同じく同じぐらいの身長であるだろう。

 彼女の背中ではなく、後頭部を追うレイナは、その石段の入り口に3人の青年がたむろしていることに気づいた。

 3人の青年たちの年はルークたちと同じぐらいであるだろう。

 彼らが身に着けている衣服や、側に無造作に投げ捨てられた酒瓶やゴミ、路地前の酒樽に腰をかけてだべっているところから推測するに、あまり素行が良いとは思えない青年たちであった。


 ”マリア王女はすごく美人だから、もし、あの人たちに目をつけられて、からまれでもしたら……”と、レイナはマリア王女の絶世の美貌をストールでさらに覆い隠し、ストールの裾をギュっと握りしめた。

 顔を伏せたまま青年たちの横を足早に通り過ぎようとしたが、やはり青年たちはニヤニヤと笑いを浮かべて、”こっち”を見ていることは目の端で分かった。

 だが、青年たちが肘をつつきあい見ているのは、レイナではなく、ミザリーであったのだ。


「おい、今の見ろよ」

「すっげーな」

「ヤバいだろ、あれ」

 レイナの背に3人の青年たちのドッと湧いた笑い声までがかぶさってきた。

 あの青年たちは、ミザリーの容姿を中傷したのだ。それも、ミザリー本人に聞こえるように。


 自分が言われたわけでもないが、レイナはいたたたまれなくなってしまった。

 先ほどの青年たちのように、徒党を組んで何の怨恨もない、通りすがりの女性の容姿を中傷するような者は、きっとこの世界だけでなく日本にだっているだろう。いたたまれなくなると同時に、レイナの胸は痛んだ。

 レイナ自身、元の顔はそう可愛くもなければ、美人でもなかった。だが、さすがに通りすがりに指を差されたり、笑われたりしたことなどは一度もなかった。

 そんな自分ではどうにもできない容姿のことを言われて笑われるなんて、例え血は流れなくとも、どれほど心が傷つくのか……


 先ほどの青年たちはルークたちと同じ年頃であったが、ルークたちは絶対に今の青年たちのようなことはしないだろう。

 こういっては失礼だが、ルーク、ディラン、トレヴァーは育ちが良いというわけでもなく(正式な教育を受けていないという意味で)、いわば社会の下流で生まれ、生きてきた。

 だが、彼らにはもともとの資質というか、思いやりや正義の心をきちんと持ち合わせている青年たちなのだ。


 ミザリーがクルッと振り返った。

 彼女の顔は無表情であり、レイナの胸はさらにズキン痛んだ。

 そうだ。彼女にも先ほどの青年たちの笑いが聞こえなかったはずがないのだ。

「……早歩きでいきましょうか? もう、皆さんも先に待っているはずです」

 小さく「はい」と頷いたレイナは、再び前を向いた彼女に続き、石段を登ろうとした。

「先ほどのことなら、あなたが気にすることなどありません。私の心が傷ついていないと言ったなら嘘になると思いますが、もう幼き頃より言われ慣れていることですので……」


 またしても、レイナはミザリーに心のうちを見透かされてしまった。

「以前は、マリア王女にもよく言われてておりました。『あなたほどの醜女は滅多にいないわ。前世で一体、どんな罪を犯してそんな姿で生まれてきたの』や『あなたは一生、殿方に抱かれることなどないでしょうね。ブスは恋愛のスタート地点にも立てないのですもの』など……」


「!!」

 今のミザリーの言葉を聞いたレイナは、胸の痛みがさらに強くなると同時に、胃がズンと重くなった。

 マリア王女はそんな酷いことまで、目の前のこの女性に言っていたのだ。彼女になんて言葉を返してよいのか分からなかった。

「……ご、ごめんなさい」

 重苦しい沈黙のしばし後、レイナの口から出たその一語を聞いたミザリーはクルッと振り返った。

 ビクッとしたレイナは、その場に固まってしまった。


 ミザリーは、レイナの瞳をまっすぐに見て口を開いた。

「レイナ……あなたは、マリア王女なのですか? あなたが私に先ほどの言葉を言ったのですか?」

「……い、いいえ、違います……」

 小さな、でもはっきりとした声で、レイナは彼女に答えた。

「そう、あなたはマリア王女ではありません。よって、あなたが謝る理由は1つもないのです。ジョセフ王子の計らいにより、あなたに与えられた戸籍上の名前は、レイナ・アン・リバーフォローズ。年はもともとのあなたと同じく15才という設定。もし、これから先、マリア王女の顔を知っている者にあっても、すっとぼけていきましょう」

 ニコッとレイナに微笑みかけたミザリーのその笑顔は、とても温かかった。




 レイナがミザリーとともに石段を登っていた頃、先に今夜の宿に着いていたルークたちが今いる部屋の広い窓の向こうにも、青く美しい海は広がっていた。

 この宿は、ひときわ高い高台にあり、おそらくこの港町では一番高いところから海を見渡せるに違いなかった。

 中庭の噴水の中心部にあった、200年前のアドリアナ国王ジョセフ・ガイの彫像も、一見しただけでも素晴らしいものであり、この宿のグレードはかなり高いものであるだろう。


 太陽の光を受けてキラキラと宝石のように輝く、青く美しい海の潮の香りがやわらかな風に乗り、広い窓から流れ込んできた。


 ルーク、ディラン、ジェニーは内陸部や山間部での暮らしが主であり、海を見るのは初めてであった。海を見ることもなく、一度目の人生を終えたフレディも今日、初めて海を前にした。長期間に渡り、引きこもっていたダニエルも、彼が読んだ本の中の海――つまりは彼の心で描いた海にしか見たことがなく、こうして本物の海を見るのは初めてであった。


 以前まで旅一座に属していたトレヴァーは、アドリアナ王国の各地を回っていたことがあり、海を眺めるのは何度目かのことである。孫娘が海の美しさに見惚れている姿を眺めているアダムにとっても、彼のその83年の人生において、海を見るのは初めてのことではなかった。だが彼ら2人にとっても、海はいつにあっても美しいものであると思わずにはいられなかった。

 ヴィンセントは、アリスの城での勤めを辞めた後は、各地――といってもダニエルを影ながら見守ることができる内陸部を転々としていたこともあり、海を前にするのは自分が老教師・スクリムジョーに拾われた時以来かもしれないと思っていた。

 それと、同時に彼は懐かしさを感じていた。あのどこまでも広がる海のどこかに、”自分”の始まりがあったのだ。母を思わせる懐かしさに彼の心は静かに満ちていった。


 言葉少なとなった、この部屋の中に波の音がかすかに響き渡る。

 遠い海の彼方から船がやってくるのも見える。方向から推測するに、近くのエマヌエーレ国からの来訪者であるのだろうか?


 そして、希望の光を運ぶ者たちは一様に思う。 

 あの美しい海の遥か向こうに、アポストルの言う通りなら自分たちが救うであろう、ユーフェミア国があるに違いない。そのうえ、”海にて美しき女たちに出会う”のだと――


 明日より船に乗り、このアドリアナ王国の大地を離れる。

 今夜がアドリアナ王国にての最後の夜――出港前夜だ。

 窓より見下ろす港町はにぎわっていた。

 それは今日が国王ルーカス・エドワルドの生誕日であるからだろう。他国には質実剛健な国と評されているらしい、このアドリアナ王国であるが、今日ばかりは無礼講であり、自国の平和を喜び合う祭りが各地で開催されるのだ。


 彼らはそれぞれ、昨年の今日のことを思い出していた。

 ルークとディランは、夜通し酒を飲み明かして笑いあっていた。翌日の昼過ぎに、彼らが目覚めた時には重なり合うようにして床に転がっていた。

 トレヴァーは当時の恋人と酒を傾けながら未来を語り合い、同じベッドでぬくもりを感じ合いながら、眠りについた。

 アダムは、今はもうなくなってしまったアレクシスの町の自宅でジェニーが祭りのために焼いた七面鳥の旨さに舌鼓をうっていた。ジェニーの料理の腕の上達を褒めると、ジェニーはとてもうれしそうな顔をした。

 ダニエルは、リネットの町の宿の一室にて寂しさを感じながら本の頁をめくっていた時、外から窓を叩く音に気づいた。窓を開けると、酒瓶とパンを手にしたヴィンセントがにっこりと笑って立っていた。


 それから、わずか1年しかたっていないというのに、今年の国王生誕日は去年のように楽しめる状況にはなかった。

 魔導士フランシスの口から自分たちに伝えられた予言――絶対に信じたくない予言によると、自分たちのうちの3人は再びこのアドリアナ王国の地を二度と踏めないかもしれないのだから。


 美しい海と祭りの賑わいを前にしての巨大な不安。

 自分たちを呑み込もうとするようなあまりにも大きな不安であった。

 だが、この部屋の中には今、まさにその”不安”にさらに1つのスパイスを加えるような人物がいるのだ。


 魔導士ピーター・ザック・マッキンタイヤー。

 アドリアナ王国からつかわされた魔導士。そして、自分たちと同じ船に乗る魔導士。だが、ルークたちはその彼に、いや正確に言うと彼の振る舞いに多大な不安しか感じなかった。


 ピーターは部屋の椅子に背をもたせかけ、ずっと居眠りをこいている。彼のその半開きになった口から発せられている、スースーという寝息までもが海の音に混じり合い、聞こえてくるのがから。


 首都シャノンの城を発つ当日の朝、ルークたちは魔導士ピーター・ザック・マッキンタイヤーと顔を合わせた。

 25才の彼はアドリアナ王国に仕えてから今年で13年。

 一緒に船に乗ることになった複数の兵士に聞いた話によると、そこそこの高級な宿を経営している家で生を受けた者らしい。だが、その宿の次期経営者としての適性が彼には全くなく、彼の将来について思い悩んだ父親が城の魔導士として売り込むという無謀であり少し無礼でもある試みの後、現在に至るとのことであった。


 ピーターの体型は中肉中背といったところか。

 なおざりに櫛を数回入れただけのような、ぼさぼさの頭。それに比例にするように、いつも眠そうにトロンとした瞳。さらに比例するように、口回りには無精ひげ。猫背で、ペタペタとだらしない足音を立てて、歩くピーター。

 気性が荒そうには到底見えないが、あまりにも覇気が感じられず、いかにもやる気なさげな魔導士であった。 


 いくら、温厚な気質の者が多い”希望の光を運ぶ者たち”とはいえ、「おい、お前、そろそろいい加減にしろよ」と言いたげに、自分のペースを全く崩そうとしないピーターの振る舞いに呆れていた。


 ピーターとともに自分たちの旅に同行することとなり、今はレイナと一緒にいるであろう、もう1人の魔導士ミザリー・タラ・レックスは何事にも隙間ない感じで、大変なしっかり者であると思われるため、彼の頼りなさはさらに際立っていた。

 出発から約一週間の間、ミザリーがほとんど全てを――自分たちの馬車割までも取り仕切り、ピーターはいつも眠そうにボーッとしているだけだった。彼の声を聞いたのも、ほんの数回である。

 思えば、カールやダリオ、そしてアンバーは、背筋もそれぞれしっかりと伸び、顔つきからも知性が感じられ、話し方や立ち振る舞いなども、見た目から受ける印象通りのいわゆる正統派の魔導士であった。

 仲良しの仲間だけで旅行に(しかもアドリアナ王国の大切な税金を使って)行くというわけではない。だが、カールとダリオがこの場にいたとしたら、非常に心強かっただろう。

 城内においての、慎重な審議の結果、2人の魔導士ピーターとミザリーが選ばれたのは事実である。

 そもそも、城お抱えの魔導士となる時点で、相当の実力を持っているという設定が前提となる。

 まだ、ピーターが自分たちの同じ旅路を歩み始めて、一週間程度だ。

 この頼りなげな魔導士が、それ相応の理由があって選ばれたのだと信じたかった。単に能ある鷹が爪を隠している、だけの状態であるだと――


 この部屋の中でピーターと同じく魔導士の力を持つアダムは、城を発つ前夜に、アンバー・ミーガン・オスティーンの父親アーロン・リー・オスティーンから聞いた話を思い出していた。

 善きこともあれば悲しき別れもあった自分たちの人生、そう、本来なら自分たちより先に死ぬはずがなかった家族への思いに、熱く渋い茶を互いに傾けあっていたあの夜、アダムが旅の同行に選ばれた2人の魔導士の名をアーロンに告げると、アーロンはこのように言っていた。

「レックスは大変な努力家で実力もまずまずであり、あの者が今回のことに選ばれたのは頷けます……ですが、もう1人のマッキンタイヤーはなんといいますか……いろいろとふり幅が大きい魔導士でありまして……一見、不真面目なように見えますが、いずれ彼の力が必要になる事態に遭遇することを見込んでの選定だと思われます」と。



 ※※※


 

 アドリアナ王国で迎える最後の夜。

 宿内の貸し切りの広い食堂で、早めの夕食を切り上げたレイナたち。これから後は自由時間となった。

 だが、自由時間といっても、遊びに来たわけではないことは言われなくてもここにいる全員が承知しているため、興味深そうな視線を向けながらも、この食堂にまで賑わいが聞こえてくる祭りに行きたいと言い出す者は1人もいなかった。


 レイナも異世界での祭りなるものに、少しだけ興味はあったものの、明日からのことを考えるとやはり、今夜は早めに床について、体調を万全に整えておくことを第一に考えるべきだと思っていた。

 そもそも、祭りに参加している時に悪しき者たちの襲来を受けることが全くないとはいえないだろう。だが、それはフランシスの性格や言動から推測するに、非常に可能性が低いことであった。


 涼しい潮風が吹いてくる窓から、色とりどりの星のように広がっている煌びやかな祭りの灯りをジェニーとともに、見下ろしていたレイナは、ふと後ろにミザリーの気配を感じて、振り返った。

「……この宿の前ぐらいまでしたら、祭りを見にいってきても構いませんよ。中心部の賑わいからは外れてはおりますが、前の道に幾つか出店も出ておりますし、祭りの雰囲気はわずかですけど、楽しめるでしょう」

 ミザリーは言葉を続ける。

「ですが、2つだけ条件があります。1つ目は、レイナさんもジェニーさんもお二人だけでは絶対に行動せずに、複数の男性とともに行動してください。そして2つ目は、彼らとともにこの城に今より30分以内にこの宿へと戻ってくること。それだけです」

 

 簡潔に言い放ったミザリーは、レイナたちに背を向けて、食事はとっくの昔に終わったにも関わらず、椅子に背を持たせたまま、スースーと寝息を立てているピーターの元へと歩いていった。


 30分だけではあるが、祭りに行ってもいいという許可が出た。

 顔を見合わせたレイナとジェニーが視線を少しだけ横にずらすと、近くにいたルーク、ディラン、トレヴァー、フレディーの4人と目が合った。

 つまりミザリーは複数の男性――ルークたちとなら祭りにいっても構わないとの遠回しに言ったのだろう。


「びっくりした。ミザリーさんって、テレパシーの力も持っているのかしら?」

 ジェニーもミザリーの先の先まで読む能力に驚いたようであった。

 だが、それは彼女が生まれ持ったテレパシーなどといった能力などではなく、ミザリー自身、幼き頃に自身の容貌に気づき、表面にも惑わされないように物事の真実を見つめようとした勤勉で実直な努力によるものであったのだが。


「せっかくだから、皆で行ってみる?」

 ディランが言う。

「そうだな。今、こうしている時間も30分にカウントされているっぽいしよ」とルーク。

「俺は中庭の噴水の中のジョセフ・ガイの彫像もじっくりと見てみたい」とフレディ。

 彼ら3人の言葉を聞いたトレヴァーが、頷き、微笑んだ。

 こうして、レイナとジェニーはルークたちと、祭りの雰囲気を少しだけ楽しむこととなった。”ほんのわずかの間の安らぎ”というか、出発前の息抜きの時間を設けることができたのだ。


 アダムは自分の目の届く範囲であると思ったのか、祭りに行くことに何も言わなかった。いくらなんでも四六時中、ジェニーに張りついているわけにもいかないのだろう。ジェニーだって、それはさすがに嫌がるだろう。

 ヴィンセントとダニエルは、このまま宿に残るとのことであった。内向的でいかにもインドア派なダニエルが祭りに参加しないというのはなんとなく予測できたことであったが、ヴィンセントもあまり祭りそのものには興味がないようであった。彼らは静かな落ち着いた大人の空間を好むのだろう。


 レイナがルークたちと連れだって、階下へ向かおうとした時、ピーターの肩を軽く揺すり続けていたミザリーが、ついに彼を起こすことに成功したらしかった。

 彼女たちのヒソヒソ声が少しだけ聞こえてきた。


「ピーター、もしかしてまだ彼らに話していないのですか? 一週間も時間があったでしょう」

「……そのことはミザリーに任せるよ」と、ピーターは欠伸混じりの眠そうな声で答えた。

「もう、しっかりしてくださいよ。私の口からではなく、当事者のあなたの口に出して説明をしなければ……彼らは完全にあなたを訝しんでいます。ご自分で彼らとしっかりとコミュニケーションをとるべきです」

「まあまあ、俺があの力を使う時が来なければ、その方がいいじゃないか」と、言い終えたピーターが更なる大きな欠伸をした。

「それは事実ですけど……でも、今後のことを考えて……」


 ルークたちに続いて階段を下りるレイナは、いくら自分に社会人経験が全くないとはいえ、立派な大人といえる年齢であるピーターの振る舞いには不思議というより、不愉快に近いモヤモヤとした感情を抱かずにいられなかった。彼はアンバー、カール、ダリオ、ミザリーとは、全く異なるタイプの魔導士である。

 でも、今の会話から推測するに、彼のあの様子には何か理由があるということなのだろうか……



 首都シャノンを発つ夜に見た月は、満月であった。

 そしてこの出港前夜、夜空に幾多の星をともに輝く月は、満月より欠けていく種まき月であった。

 青い月明かりの下でも、レイナは用心して顔をストールで覆い隠し続ける。

 だが、祭りの出店でジェニーともに買った冷たい飲物を飲む時は、口元のストールを少しだけずらした。そっと口づけると、苺を思わせる味が口の中に広がっていった。それとともに、頬も少しだけ熱くなったようにも感じた。

 綺麗な色のジュースだと思って手に取ってしまったけど、もしかしたら、これはお酒だったのかも……と、レイナは思う。

 その思いに追い打ちをかけるように、同じものを飲んだジェニーが「なんだか、フワフワする。今なら、私、何だってできそう。空だって、飛べちゃうかも」と、そのすべすべした頬を月明かりの下、桃色に染めていたのだから。


 未成年飲酒、という五文字がレイナの脳裏をよぎっていった。

 だが、ここは異世界であるため、レイナの元の世界の法律などは何の効力もない。それに、このマリア王女の肉体は酒をたしなんだこともあるだろうし、セックスだって多数経験しているのは確実だ。

 この肉体は大人がすることをすでに経験済である。だが、レイナの魂は、誰かに咎められているわけではないのに、いけないことをしている罪悪感より背筋を丸めてしまっていた。


 レイナたちから少し離れたところでは、ルーク、ディラン、トレヴァー、フレディの4人が、別の出店で買った明らかに酒であると分かる飲物を、グビグビと各々の喉仏を鳴らしながら、飲み干していた。

 レイナがギョッとするほど、彼らは豪快な飲みっぷりであった。

「明日のことも考えて、この一杯だけにしておこうか」

 一番、最初に酒を飲みほしたディランが言う。

「底なしの蟒蛇のくせに。よく言うぜ」とルーク。

 優等生っぽい外見に似合わず、ディランは酒に非常に強い体質なのだろう。同じ分量の酒を飲みほしたにも関わらず、即座にジェニーと同じく頬を桃色に染めたルークに比べると、ディランの顔色は全く変わっていないように見えた。

「部屋の中で酒を飲むのもいいけど、春の夜空の下で飲む酒もやっぱり格別だな」とトレヴァーは、そのガッチリとした背中をそらせるようにして、夜空を見上げた。

「本当だな」と呟いたフレディ。彼もディランと同じく、それほど顔色が変わっていないようにレイナには思えた。


 祭りの雰囲気を楽しみ、酒まで飲んだレイナたちは、互いに顔を見合わせ合い、宿へと戻ることにした。

 30分ときっかりと決められた時間には、まだ余白があった。残る時間は、フレディの希望を受け入れ、宿の中庭の噴水にある国王ジョセフ・ガイの彫像を眺めることにしたのだ。

 美術や芸術などにはそれほど興味がなかったレイナであるが、ひときわ存在感を放っているあの彫像は、どこか心惹かれるものであった。


 宿の正門への短い道を歩くレイナたちは、これから祭りへ向かうのだろう幾人かの人々とすれ違った。

 ジェニーと隣り合って歩くレイナも、ある若い1人の男性とすれ違った。

 その時だった。

 レイナは顔を覆い隠していたストールをしっかりと手で押さえてた、そしてこの場に吹いている風も穏やかなものであった。それにも関わらず、まるで何かの強い力ではぎ取られたように、レイナのストールはバッと宙を舞ったのだ。

 そして、ストールは先ほどすれ違った男性の前にふわりと落下した。


「ご、ごめんなさい」

 レイナは慌てて、駆け寄る。

「これは、失礼」

 そう言った男性は腰をかがめ、ストールを拾い上げ、レイナに手渡した。

 月明かりの下、レイナは至近距離で男性の顔を見た。

 発せられた低い声に似合わず、男性は非常に甘やかな顔立ちをしていた。レイナの元の世界風に表現するなら、ベビーフェイスと言えるだろう。

 男性の年は25前後といったところか。月明かりの下であるため、正確な髪や瞳の色ははっきりとしない。だが、わずかに癖のついた髪の毛はいかにもやわらかそうで、その甘さと清廉さをあわせもった彼の顔立ちを際立たせていた。

 絶世の美男子というわけではないが、魅力的な容姿をした男性である。


「レイナ、大丈夫?」

 ジェニーの声が背中にかかった。

 レイナが振り返ると、ジェニーもそして前を歩いていたルークたちも心配そうにこちらを見ていた。

 だが、男性にからまれたわけではなく、単にストールを拾ってもらった状況なのは一目瞭然であるので、ルークたちは何も言わなかった。

「本当にすみませんでした」

「いいえ、こちらこそ」

 レイナと男性は互いに頭を下げあった。

 その時、レイナは気づいた。頭を上げた男性が、目の端で自分の後方にいる”誰か”の姿を2、3秒をとらえたことに。


「レイナ、今の人みたいなのが好みなの?」

 再び一緒に歩き始めたレイナにジェニーが問う。酒の力だけでなく、先ほどの男性の美貌にレイナが見惚れ、頬を朱くしてしまったのだとジェニーは思っているのかもしれない。

「いや、そういうわけじゃ……ただ、ゲイブちゃんが大人になったら、あんな感じなのかなって。さっきの人の髪や瞳の色はよく分からなかったけど、ゲイブちゃんと顔の系統が似ている気がして」

 それは真実であった。

 そして、ジェニーが自分の言葉に同意してくれるのではないかとも思っていたが……

「ジェニー、どうかした?」

「いや、何だか、今の人……怖い感じがして……目が合ったんだけど、なんだかその時、目の奥に”何か”があるような気がして……確かに今の人、見た目は好青年風だけど職業不詳な感じ……いや、おじいちゃんと同じ匂いを感じたの。つまりは……魔導士なのかもしれないって……」

 

 レイナは思う。

 ジェニーは自分などより遥かに多くのこの世界の人間を見てきている。そして、彼らの服装や放つ雰囲気より、おおよその職業を当てることができるという特技まで持っている。その彼女は、先ほどの彼に何かを感じ取ったのだ。

 思い返せば、少しだけレイナも先ほどの男性に少しだけ違和感を感じていた。

 第一、あの男性は、このマリア王女の絶世の美貌にそう驚いてもいなかった。単に月明かりの下で、この顔がはっきり見えなかっただけかもしれない。でも、中にはこの絶世の美貌に息を止まらんばかりに驚く人も多数いたというのに。

 それに、ジェニーはあの男性の職業を魔導士だと推測もしている。無論、城に仕えている魔導士たちやフランシス一味は、人数的にはこの世界における魔導士の一握りだ。市井に生きている魔導士だって多数いるはずであるが……

 そもそも、先ほどの男性は、単に道にすれ違っただけの人物だ。

 明日にアドリアナ王国の地を発つ自分たちが、先ほどの彼に再び会う可能性は極めて低いだろう。けれども……


 今来た道を不安げに振り返ったレイナであったが、先ほどの男性は夜の闇に包まれるがごとく、すでにその姿を消していた。

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