ー14ー 希望の光を運ぶ者たち

 ゲイブはまだ現れない。

 けれども、このアレクシスの町でいつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

 日がとうにくれた今、レイナたちは同じ部屋に集まっていた。机の上には地図が広げられている。

 この世界ではスイッチ1つで部屋を明るくできる、電気などはまだ通ってはいない。ただ、この部屋にいる人数と同じ11のランプの光が、それぞれの姿を照らし出していた。

 そう、11のランプの光。

 レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、ダニエル、フレデリック、カール、ダリオ、そして――アダムとジェニー。

 アダム・ポール・タウンゼントと、彼の孫娘ジェニーも自分たちとともに、首都シャノンへと向かう。

 つい先ほど、この部屋へとやってきたアダム当人の口より、レイナたちは彼の決意を聞かされた。


 だが、レイナにとっては、そのことはうれしくもあり、複雑な思いを抱かずにはいられなかった。

 レイナから見てもアダムの様子が明らかに変わったのは、破壊された彼らの家の後片付けをしていた時からにしか思えなかった。

 なぜか彼は、あの魔導士のネイサンが乗っていた古びた木の板を持ち帰って、宿の部屋に閉じこもった。

 1人でいた彼の元に、フレデリックが1人で自らの決意を伝えにいった。フレデリックの退室後、ジェニーが彼の部屋へと向かった。

 その後、アダムとジェニーは長時間にわたり、話し込んでいた。

 レイナが彼らの部屋の前を通った時、ジェニーの声が聞こえてきた。

「……私がおじいちゃんの足枷となっているんだとしたら、悔やんでも悔やみきれないわ!」「それで後悔しないの? 本当にそれでいいの? ――さんたちを救えなかった苦しみを一生、抱えて……」

 ジェニーの涙交じりの声。 

 話の詳細は分からなかったし、盗み聞きなどしてはいけないと思ったレイナは部屋の前をそのまま、通り過ぎたのだが……


 レイナは考える。

 辺鄙な田舎町にいるよりも、都会である首都シャノンの方が書物も充実し、魔導士も揃っているに違いない。フレデリックを救う手掛かりとなるものが多いだろういうことも、彼がルークたちと行動をともにしようと決意した理由の1つかもしれない。

 だが、”誰か”を救えなかった悲しみも、彼の腰を上げさせたに違いない。

 腰を上げたアダムは、何よりも守りたい者である孫娘・ジェニーに、その背中を押されて、自分たちがいる部屋の扉を叩いたのだ。


 そして、アダムの傍らにいる孫娘・ジェニーの前には、2つの道があった。

 レイナと同じく、力を持たずに生まれたごく普通の少女であるジェニーは、”今までと同じ生活に戻ろうとこの地に居続けるという道”よりも、”得体の知れない魔導士たちに狙われる可能性があるが祖父とともに首都シャノンへと向かう道”を選んだのだ。

 

 ランプの光に照らし出されたアダムの胡桃色の瞳に、より強い光が宿っているように、レイナは感じていた。

 ジェニーを連れて、危険が待ち構えている道へと赴くことを決めたアダムは、これから先も全身全霊で彼女を守り抜くつもりなのだろう。



 年季が入った木のテーブルの上では、カールとダリオが持ってきていた地図を広げていた。

 テーブルの上に置かれたランプが、レイナが読むことができない文字で地名が書かれたその地図を照らし出していた。

 ジョセフ王子の側近であり、優秀な魔導士である彼らは、人数分の馬車の手配などはテキパキと進めていたが、実際にその馬を走らせるとなると、どの道がより安全で、より近い道となるのかを、各地を転々としながら生計を立てていた者たち――特にトレヴァーの意見を参考にしようとしていた。

 広大なアドリアナ王国のおそらく南部で生まれ、数か月前までアドリアナ王国中を回る旅一座の用心棒をしていたトレヴァーは、ここにいる誰よりも実際の地形をよく知っているに違いなかった。


 カールの人差し指が、地図の上を滑っていった。

「……まずはアレクシスの町をこのルートから出て、次の町を越えた後はデメトラの町の農村部を通り抜けるか?」

 そのカールの意見に、ダリオも、そして文字は読めないものの、地図を覗き込んでいたルークもディランも頷いた。

 だが――

「確かにそのルートは治安もよく、首都シャノンにも早く着くでしょう。けれど……デメトラの町を通り抜けず、別のルートを探したほうがいいかと……」とトレヴァー。


 農村部というのどかな地域を通り抜けるというのに、なぜか、トレヴァーは難色を示した。

「なぜだ?」と問うダリオに、トレヴァーは「それは……」とわずかに彼らから視線を逸らした。その彼の新たな視線の先にいる、”レイナ”には決して気づかれないように。

 カールもダリオも空気を読み、トレヴァーの気づかいを無駄にしないように、”レイナ”へと、さりげなく視線をやった。

 数秒、彼らは「?」といった表情を浮かべていたが、彼らはすぐに”思い出した”らしい。あのデメトラの町での出来事を――


「そ、そうだな。別のルートを探すとするか」

「……道はここだけじゃないからな」

 今度は自分の目をまっすぐに見て、頷きあったカールとダリオの様子を見たトレヴァーは思う。

――俺がデメトラの町で、どんなことを見たかを”レイナ”がいないところで話そうかと思ったけど、その必要はなかった。俺は”あの時”、マリア王女とジョセフ王子にしか目がいっていなかったけど、ジョセフ王子の側近であるカールさんたちも”あの場”にいたということか。きっとカールさんたちは、城内で10年以上もともに過ごしたマリア王女の所業に……おかしな言い方だが、”慣れて”しまっていたんだろう。でも、俺はいまだに、あのデメトラの町でのことを――


 トレヴァーは、現在のマリア王女の中にいる魂が”レイナ”であると知った後は、あのデメトラの町で起こった――いや、マリア王女が引き起こしたことを、ルークやディランにも話してはいなかった。それは、彼の思いやりであった。


 トレヴァー、カール、ダリオ以外は皆、もちろんレイナも「?」と彼らの様子に不審さを感じたものの、引き続きランプの灯りの元での話は続いた。

 時折、ヴィンセント、そしてダニエルも、彼らが知っている知識を助言していた。元貴族のダニエルはもちろんのこと、ヴィンセントも文字の読み書きは一通りできるようであった。

 ランプの灯りが照らし出すヴィンセントの顔の彫りはひときわ深く愁いに満ち、ダニエルの肌はより一層白く透きとおるほどの透明さであるとレイナには感じられた。


 続く話の間に一瞬の間ができた。その時、あの凍った騎士・フレデリックが口を開いた。

「……敵とはどんな奴らなんだ?」

 無念のうちに命を一時、断ち切られた青年・フレデリック。

 彼が自分たちと行動をともにするに至ったのは、自分自身、そしてともに命を断ち切られた6人の仲間の無念と心残りを引き継ぎ、このアドリアナ王国のために身を捧げたいという強い決意であった。

 生者でもなく、死者でもない状態のまま、彼は今、ここにいる。これから先、どうなるのか彼自身にも分からない。

 だが、彼もまた”このままアダム1人に頼りきり冥海へと旅立てる日を待つ道”よりも、”自身が予測しているより短いにしろ、長いにしろ、今確かにある命の炎を国のために燃やし続ける道”を選んだのだ。


 フレデリック以外は皆、自分たちに――いや、アドリアナ王国に害なすであろう一味とは多少なりとも面識がある。だが、これからのためにフレデリックにも、この機会にしっかりと説明をしておいた方がよいだろうと、心のなかで思った。


「……お前がじいさんの家で目を覚ます少し前に襲撃してきた奴らは、ネイサンっていう調子に乗ったガキと、ローズマリーっていう凶暴な姉ちゃんだよ」

 ルークが言う。

 ネイサンとローズマリー。ともにパワーに満ち溢れた魔力と腕力。力の種類は違えども、生まれ持ったその力を鍛え上げ、彼らは自分たちに誇示してきたのだ。


「そして、同じ日の朝に襲撃してきたのは、ヘレンっていう魔導士の嬢ちゃん。で、一緒にいたのが、人形職人のオーガストって奴。ヘレンの方は、革靴をどろどろに溶かすほどのほどの強烈な攻撃を影から発することができる。俺ももう少しでヤバかった……」

 どこか影のある雰囲気をまとっていた魔導士の”少女”・ヘレン。

 まだあどけない少女の年齢にしか”見えない”彼女はあの時、ルークとたまたまその場を居合わせただけの中年男性を本気で殺そうとしたのだ。

「そしてオーガストは……このレイナ――つまりはマリア王女に心底惚れているってわけさ」

 ルークが”レイナ”をくいっと手で示した。

 フレデリックにも、レイナの肉体はマリア王女のものであることはすでに説明していた。


 眠りから覚めた後のパニックが少しおさまったフレデリックもまた、”レイナ”を見るなり、ハッとして言葉を失い立ちつくしていた。マリア王女の絶世の美は、200年以上前の時代に生きていた者にも見事に通用したのだ。


「えっと、それと、マリア王女の魂もまだ生きています……」

 レイナがルークの言葉を継ぐように言った。

 オーガストがマリア王女の魂はまだ消滅していないとはっきりと言ったこと、それにレイナ自身もしっかりと聞いた。オーガストが大切そうに抱えていた鞄の中より、あの残虐で淫乱な悪魔のごときマリア王女の声を――

 そのマリア王女に身も心も奪われて、今もフランシスと行動をともにしている人形職人の青年・オーガストも、マリア王女の本来の肉体を取り戻そうと、まだ自分たちに関わってくるに違いないのだ。


「あ、あのそれと……サミュエルなんとかって人も……」

 しどろもどろになりながらも、レイナは必死でアンバーからもらったノートに書き留めた、まだ自分たちの前に姿を見せていない(いや、永遠に見せないでいてくれることを心から望んでいるが)魔導士の名を思い出そうとした。


――サミュエルなんとかって人は、ジェニーのおじいさんと同じぐらい有名な魔導士で、かなり昔に起きた悲惨な事件の加害者である可能性があって……確か、名字に猫が含まれていたはず……

「……サミュエル・メイナード・ヘルキャットだろう?」

 レイナが思い出すよりも、カールとダリオが口を開くよりも早くに、アダムがしっかりとした声で言った。

「わしはあいつとは面識がある。すこぶる狡猾で陰険な奴だ。あいつがもし襲撃してきたなら、わしが表に立つ。お前らには絶対に手出しはさせん……」

 サミュエルのことを口に出したアダムのその表情は、いつにもまして渋く、そして苦々しいものであった。

 

「……で、あいつらの大将はフランシスっていう物凄い力を持つ魔導士。慇懃無礼な感じで、何を考えているのか分からなくて、とにかく不気味の権化みたいな奴だよ」

 ディランの言葉に、ルーク、トレヴァー、カール、ダリオ、そしてレイナは強く頷いた。

「正直、あいつには真っ向から勝負しても勝つのは難しいだろう。俺たちと対峙した時も、あいつは全ての力を出し切ってはいなかった……」

 ダリオが言う。

 アンバーを失ったアリスの城の山の麓での戦いにおいて、フランシスは余裕綽々としたその態度に時たまわずかに綻びは見せたものの、その圧倒的な力の差は誰が見ても歴然としていた。自分たちが全力を尽くしても、あいつにはまだ遊んでいる余裕すらあった。

 レイナたちがアリスの城を出発してからというもの、フランシスは自らの宣言通り、レイナたちの前に”直接”姿を現すことはなかった。だが、どこかで自分たちをあの妖しいほど美しいエメラルドグリーンの瞳で見ているのではないかと思わずにはいられなかった。

 

「得体の知れない力を持つ魔導士か……」

 フレデリックの表情にさらなる陰りが見えた。

 彼のその表情に、誰もが同じことを思い、いや推測せずにはいられなかった。

 フレデリックたちに、200年にもわたる強力な呪いの魔術をかけた魔導士とはまさか――

「フレデリック、その……酷なことだと思うけど、思い出せない? 君を……いや君たちをこんな目に遭わせた魔導士のこと……もしかしたら、その魔導士とフランシスは同一人物かもしれないから」

 ディランに助け船を出すように、ルークが言う。

「そのフランシスって奴は、見た目は30代ぐらいで、顔は美形ともいえるけど、見るからに怪しげで不気味で、身長も結構あって、エメラルドグリーンの瞳と銀色の長い髪で……」

 そう言ったルークは、フランシスの余裕綽々とした澄ましきった表情の真似と、彼のさらさらとした長い髪を表す動作をした。


 グレーの瞳を伏せたフレデリックの頬はこわばり、やや薄い唇も震えていた。

 恐ろしく、そして悲しい記憶を彼は、今、思い出そうとしているのだ。

 実際よりも長く続いたと思われた沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。

「……いや、お前たちが言うような奴ではなかった。不気味な魔導士には違いなかったけど、白髪頭のもう90近いと思われる爺さんで……今、考えても、俺はその爺さんに面識などはなかったはずだ」


 フレデリックたちを襲ったのは、フランシスではなかった。

 そのうえ、”普通に考えれば”彼らに邪悪な呪いをかけた、白髪頭の魔導士はもうすでにこの世にはいないはずである。

 だが……それなら、一体、何のために?


 200年ほど前、このアドリアナ王国が戦火に包まれていたなかに産声を上げ、幼き頃より騎士としての訓練を積んでいたらしいフレデリック。

 彼は、6人の仲間とともに冷たい雪が吹き付けるなか、あのアレクシスの町の山合いを仲間とともに通り抜けようとした時に、その魔導士の襲撃にあったのだ。 

 フレデリックや彼の仲間たちは王族でも貴族でもない。無論、誰一人として魔導士の力を持って生まれた者はいなかったと。

 平民の出身で、フレデリック自身も、どうにか自分の名前と王の名前と地名のいくつかが書け、読めるといった具合であった。

 彼らは単に戦地に赴く大勢の騎士のうちの7人であっただけであろう。

 明らかに通り魔的な犯行。

 けれども、仮にその魔導士が敵国に雇われた者であり、騎士の頭数を減らすことが目的なら、サクッと彼らを殺害してしまえば済んだだけの話だ。

 その魔導士とは、単に人が絶望の底で苦しむのが見るのが好む、例えばマリア王女のような性質の持ち主であったのか。それとも――その悪しき魔導士は、”何か”のために彼らを……?


「しかし、何でゲイブは現れないんだろう?」

 ディランが呟いた。

「そうだ。俺たちはヴィンセントとじいさんに無事に辿り着いたっていうのに、あの可愛い顔したチビがまだ姿を見せないなんておかしいよな。確か”船を漕ぎゆく英雄たち全員が揃った時、またゲイブに手紙を託す”みたいなことが手紙には書かれていたんだよな」

 ルークも同意する。いや、ルークだけでなく、ここにいる全ての者の疑問であった。


「あ、あのう……」

 レイナが口を開くと同時に、全員が振り返った。一度に10人もの人間の視線を集めてしまったレイナの頬は、瞬く間にカアッとほてり始めた。

 レイナ自身、今夜はやたら自分から口を開いていることが多いと分かっているし、今から自分が彼らに伝えることが正しいとの保証もない。全くの見当違いのことを言ってしまい、恥をかくだけかもしれない。でも――

「……私、思ったんです。ただ、あのゲイブ……ちゃんを”待つ”のではなく、ルークさんたちが、彼を”呼ぶ”ことが鍵になるのではないかと……」

 自分の顔にさらに強く彼らの視線が注がれ、レイナの頬はかつてないほど熱くなっていく。でも、彼らに伝えなければならないとの思いが、レイナの魂の底より湧き上がってきているような気がしてならなかった。


「……確か手紙に書かれていたのは、”暗黒に飲まれし民たちを救わんと ともに船を漕ぎゆく英雄全員が集いし時”という言葉であったと思います。この”救わんと”という言葉は誰かを救おうとする意志、そして……”船を漕ぎゆく”とは、ただ船に乗るだけじゃなくて……”船を漕ぎゆく”は比喩表現でもあるとは思いますけど、自分たちで船を漕ぎ、助けを必要としている人たちのところへ向かおうとすることなのではと……あ、あの、皆さんがその”暗黒に飲まれし民”の方たちに希望の光を届ける思いで、ゲイブちゃんを呼んだら、どうかと……」


 まず一番最初に言いたかったことを、言い終えた後、レイナは猛烈な自己嫌悪に襲われてしまった。

――私、偉そうになんてことを言ってしまったの? 希望の光だなんて、かっこつけたことまで言っちゃって……私は人生経験が豊富なわけでもないし、そもそも一番の役立たずで足手まといなのに……何もできやしないのに……

 頬をカアアッと赤く染めたまま、俯いてしまったレイナであったが……

「それも一理あるね」というディランの声に、レイナはハッと顔をあげた。

「ただ啓示を待って、その啓示に従うだけでなくて、自分たちの意志を持って、歩み始めることが必要ということですか」

 なんとヴィンセントまで、レイナに同意してくれたのだ。

 

 ”暗黒に飲まれし民たち”――その民たちとは、現時点ではアダムとフレデリック以外が生まれる前に、闇へと消えたユーフェミア国の民であると推測されている。もしかしたら、違うかもしれない。だが、1つだけ確かなのは、やがて英雄となる彼らの助けを待っている者たちがいるということだ。


 ルークが一歩前に歩み出た。

「俺たちでゲイブを呼んでみるか。毎日毎日、食事と寝床の心配ばかりしていて、身分も力も何も持たずに生まれた俺が誰かを救うことができるなんて、いまだに信じられねえけど……俺の……いや、俺たちの人生をかけてみよう。誰かに希望の光を運ぶことができるんだと」

 そのルークの言葉に頷いたディランとトレヴァーが彼の両隣へと並んだ。

 誰かを救わんとする強い意志。そして、自分自身を信じるということ。

 彼ら3人と同じく、アポストルからの手紙に名前を書かれていた、ヴィンセントとアダムも彼らの元へ……


「そ、それと、皆さん、アポストルからの手紙に名前を書かれていたのは5人だけですけど、”ともに船を漕ぎゆく英雄全員”は皆さんの他にもいるんじゃないかと、私は考えているんです……っ……」

 レイナはまだわずかに頬を赤く染めたまま、二番目に言いたかったことを、まくしたてるように彼らへと伝えた。

 

 アダム・ポール・タウンゼント、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーを探し出す過程において、仲間に加わった2人の青年――ダニエルとフレデリックに、彼ら2人を除く全員の視線がザッと集中した。


「わ、わ、わ、私なんかが皆さまと肩を並べることなんてできません! こ、このフレデリックさんのように、騎士としての訓練を積んだ方ならともかくっ……」

 白い頬をレイナと同じく赤く染めたダニエルが慌てて首をブンブンブンブンと、何度も振った。

 確かに見るからに優れた運動神経を持っていそうなフレデリックに比べて、ダニエルは武力という点ではあまりというか、全く期待はできないだろう。だが――

「おいで、ダニエル。そんなに自分を卑下することはない。人には、それぞれ与えられた役割があるんだ。君にしかできないことがきっとあるんだよ」

 ヴィンセントがダニエルを手招きした。

「で、でも、お兄さん……」

 ダニエルは、数年にわたる引きこもりの状態から脱出し、今、ここにいる。だが、すこぶる自己評価の低い彼は、その場で俯いてモジモジとしたままであった。


「……俺こそ、お前らと肩を並べることはできない。俺はただ、偶然が偶然が重なりあって、ここにいるだけなんだから」

 フレデリックも言った。

 けれども――

「フレデリック、アポストルの啓示では、”全ては紡がれている”とのことだ。もしかしたら、お前が今、こうしてここにいるということは、偶然ではなく必然であるのかもしれない」

 ダリオが言う。彼の隣にいたカールも、ダリオのその言葉に頷いた。


 ダニエルはヴィンセントに、フレデリックはアダムに、それぞれ手招きされ、ルークたちの輪に加わった。


「だが、ゲイブを呼ぶって、どうすりゃいいんだ? 叫ぶのか?」とルーク。

「円陣でも組んでみる?」とディラン。

「……そんな若い奴らみたいなこと、こんないい年したじじいが恥ずかしくてできるか」とアダムが言った。

 だが、「さ、おじいさん」というトレヴァーの声に、頬を染めたアダムはしぶしぶ若者たちに交じって、その腕を回した。


 円陣を組んだ7人の男たち。

 その中でも飛び抜けて身長が高いトレヴァーと、ルークたちに比べるとやや背の高いヴィンセントは少し苦しそうな体勢ではあった。

「ちょうど、7人か……」

 フレデリックが呟いた。

「……いや、俺が200年前、戦地に赴く前に円陣を組んだのも7人だったからな」

 

 軽く息を吐いた、フレデリックは続ける。

「皆、俺のことはフレデリックではなくて”フレディ”でいい。その方が呼びやすいだろう。あいつらも、そう呼んでいたから……」

 目を閉じたフレデリック――いやフレディは、すでに冥海へと旅立った仲間たちに思いをはせているのだろう。彼らの無念と心残りを引き継ぎ、必ずやこのアドリアナ王国のために、そして自分たちの助けを待つ誰かのために――


「わ、わ、私も、皆さまとともに……」

 決意したダニエルが、血の気があまり見られないその唇をギュっと結んだ。緊張で引き攣っていた頬をしている彼の肩をヴィンセントが優しく、力づけるようにギュっと抱き直した。

「よし、やるか。俺たちが、希望の光を運ぶんだ。それに、こんなフランシスなんかに負けねえよ」

 ルークがフランシスの澄ましきった顔の真似をする。

 その顔真似はあまりにも似すぎていて、それを見たディランが「ちょ、やめろよ」と言い、トレヴァーは吹き出した。


「……さあ、ゲイブを呼ぶぞ!」

 ルークのその言葉に全員が頷き、各々の瞳を閉じた。


 わずか十数秒の後――

「!!!」

 彼らの深く閉じられた瞼の裏は、まばゆい光に染まった。

 美しく、どこか懐かしく、切なく、そして荘厳な思いを抱かせる光――そう、あのアポストルからの使いである少年・ゲイブが現れる光が、こうも早くに現れた。その荘厳な光は、まるで光の波のごとく、この部屋を満たしていく――

 アポストルの言う通り、全ては紡がれているのかもしれない。今というこの瞬間に、7人の男が円陣を組んで、ゲイブを呼ぶことになったことを、アポストルはすでに知っている。

 だが、その紡がれゆく時という物語のなかで、1人1人が確固たる意志を持ち、助けを必要とする者たちへ希望の光を運ばんというその思いこそが、確かにゲイブを呼んだのだ。

 レイナの推理は見事に当たっていた。


 ルーク・ノア・ロビンソン。

 ディラン・ニール・ハドソン。

 トレヴァー・モーリス・ガルシア。

 アダム・ポール・タウンゼント。

 ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー。

 ダニエル・コーディ・ホワイト。

 フレデリック・ジーン・ロゴ。


 今から行われる、アポストルからの啓示。

 ルーク、ディラン、トレヴァーにとっては3回目の啓示であり、アダム、ヴィンセント、ダニエル、フレディにとっては初めてとなる啓示である。


 一層まばゆい光に包まれていく彼ら7人を後方より見守っているのは、これからアドリアナ王国を、第一王子ジョセフ・エドワードの傍らで影ながら支えていく2人の優秀な男性魔導士、カール・コリン・ウッズ、ダリオ・グレン・レイクであった。

 そして、2人の少女。

 愛する家族を失った魔導士・アダムの唯一の肉親であり、希望となっていた少女ジェニー・ルー・タウンゼント。不慮の事故で肉体の死を迎え、その魂のみをこの世界の王女の肉体へとへと誘われた少女・河瀬レイナ。

 豊かな胸の前で、そのたおやかな手をギュっと握りしめたレイナにも、まばゆい光の中にゲイブのシルエットがはっきりと見え始めた。


 希望の光を運ぶ者たちへの新たな啓示が、今、まさにこの場で行われるのだ――




※※※




 地上より遥か離れた神人の船にて。

 魔導士・フランシスの前には、いつもの覗き見の際の正方形のさざ波が映し出されていた。

 やがて英雄となるらしき7人の男が、希望の光を運ぶ決意をして、アポストルからの啓示を受けるというワンシーンを見ていたのは、フランシスだけではなかった。

 ヘレン、ネイサン、オーガスト、ローズマリーと、彼と行動をともにしている――彼と同じ船に乗る者たちもこのシーンを見ていた。


 フランシスがゆっくりと口を開く。

「……まあ、あの赤毛の超色男と名うての魔導士であるアダム・ポール・タウンゼントは別として、大半は私と同じ下級階級出身である彼らが一体、どこまで自分たちの力でいけますでしょうかね。私の以前の覗き見から推測していたのは、英雄となりし者は実際に名前が書かれていた5名だけだと思っていましたけど……あの7名の中では生まれ持った身分は一番高いけど英雄などとは程遠いような青年と、”あの例の青年”も組み込まれていましたとはね……」

 今のフランシスのいつものごとく長い台詞の節々に、皆「?」と思う。

 赤毛の超色男――ヴィンセントが、普通の人間ではないことをフランシスは分かっている。それと、例の青年――フレディについても、フランシスは”知っている”のだ。恐らく、彼があのような呪いをかけられた経緯についても。

「アダム・ポール・タウンゼントは余計なことをしてくれましたけど、まあ、それほど大打撃を受けたというわけではありませんし、良しといたしますか。土台さえしっかりしていれば、駒が108から101に減ったところで、それほど大きな打撃は受けませんからね」

 自分にだけ分かることを呟き、自分だけで完結させたフランシスはなおも続ける。

「しかし……あのルークとやら、私の顔真似をするなど、随分と馬鹿にしてくれますね。私は、あんな憎たらしい表情などしておりませんよ。彼もカルダリのコンビとともに、私のおしおきリストに加えておきましょうか……」


 彼のその言葉を聞いた者たちは、同様のことを心の中で思った。

”いや、さっきのルークの顔真似はそっくりだったよ。やっぱり、自分のことは自分では分からないんだ。そもそも、何だよ、おしおきリストって”と。


「ねえ、フランシスさん。あいつらの人数も増えたことだし、またあいつらにちょっかい出してもいいですよね。1人か2人ぐらいなら、サクッと殺っちゃっても」

 少年魔導士ネイサン・マイケル・スライ。

 力を持て余している彼は、これから起こること――いや自分が引き起こしたいことにワクワクとした表情を隠せないでいた。


「……また、負けたらどうするの?」

 ”女性”魔導士ヘレン・ベアトリス・ダーリング。

 小柄な彼女は小さく可憐な声で、ネイサンをたしなめた。

 まだ勝てる力なんてないんだから、大人しくしてなさいな、と。

 ネイサンはちょっとムッとしつつも、「まあ、それもそうですね」と一応は”年長者”をたてて頷いた。


「でも、体がなまっちまうな。フランシス、あの魔導士の爺さん以外なら、また会いにいってもいいだろ?」

 超武闘派の大女、ローズマリー・クリスタル・ティーチ。

 腰の剣をグッと強く握りしめたローズマリーの目線は、まっすぐに以前に打ち損じた一番の獲物・トレヴァーへと向かっていた。

「おやおや、ローズマリー。あなたのお目当ては、あの筋肉隆々の青年・トレヴァーですか。彼は本当に抜群の肉体美を誇っていそうですものね。あなたはその見た目どおり肉食系女子なんですね」

「馬鹿、そ、そんなんじゃねえよ」

 いろいろとひっかかる言い方――しかもかなり失礼なことも言われたが、ローズマリーは顔を赤くして首を振った。

「まあ、あなたのその鍛え上げられた武力は非常に素晴らしい。是非、これからの私の計画にも花を添えてくださることと期待しています」


 フランシスはローズマリーの隣で黙ったまま画面を見つめているオーガストに視線を移した。

 人形職人、オーガスト・セオドア・グットマン。

 職人として天才的な腕を持つ彼は、画面の中の”マリア王女”だけを見つめていた。

 愛しい女。彼の人生全てを掲げることになる女を。

 彼は”マリア王女”さえ、いればいいのだ。切なげに顔を歪めた彼は、自分の前面に抱えた鞄の中にいる、本当のマリア王女の魂のひとかけらを愛しそうに抱きしめた。

 アドリアナ王国第一王女、マリア・エリザべス。

 自分の計画に必要な女性魔導士・アンバーを殺害した、世にも稀な美貌の王女。

 近親相姦好きと凌辱好きという、幾重にも歪んだ性癖の彼女の欲望の一番の対象は、彼女の言動より推測すると兄のジョセフ王子であっただろう。

 自分の逆鱗に触れ、魂のひとかけらの状態となった彼女は今、何を思っているだろう。今の彼女の命綱となっているのは、彼女のお気に入りの男の1人であったものの、すぐに代わりがあるものとして軽んじていた人形職人の男であるのだ。

 


「しかし、フランシスさん、サミュエルさんはどこに行っているんです? まさか、あの計画から下りたんじゃ……」

 ネイサンからの問いに、フランシスはごくゆっくりと首を振った。

「もちろん、彼もあの計画に参加いたしますよ。彼の協調性がなく、個人プレーを好むところはやや難点ですけど、仕事はきちんとこなしますからね。私が求めていた以上のクオリティでね」

「……そのサミュエルって奴、なんでそんなにもったいぶって、なかなか姿を見せないんだ? 私なんて一度もそいつに会ったことないんだぞ。どれだけ強い奴なんだ」

「ローズマリー、あなたもネイサンと同じく、うずうずしているのは分かりますが、サミュエルの強さはあなたとはまた違った種類の強さです。あなたがその情熱をぶつけるに適しているのは、やはりあなたと同じく魔力を持たずに生まれたあの青年たちでしょう。そもそも、サミュエルは同じ船に乗る者でございます。揉め事は勘弁していただきたいと……まあ、キャラクターの濃い方たちばかりですから、一致団結とはいきませんが、なるべく仲良くやっていきましょう」

 まるまるとした頬を不満げに膨らませたローズマリーをフランシスがたしなめた。


「……でも、フランシス。あなたは……仮に”私たち”とサミュエルで、この船が分裂したとしたら、あなたは迷わずサミュエルを取るのでしょう?」

 再び小さく可憐な声でヘレンが言う。

 フランシスは、ヘレンのその痛々しいほど華奢な少女の姿にあるまじき、色気を放つ唇を見た。

「いやはや、これはあなたに痛いところをつかれましたね。まあ、それはあなたたちのご想像に任せることといたしますよ」

 フランシスはニッと唇の端をあげて笑った。

 ヘレンを初めてとして、その彼の笑みを見た者全員が、”こいつ、絶対に――”と感じ、背筋を震わせずにはいられなかった。


 魔導士・フランシス。

 計り知れない絶大な力を持つ魔導士。まるで神の化身にように美しいが、妖しい雰囲気も放つ男。そして、うんざりするほど雄弁であり、真っ当なことをたまには言うが、冷酷さも垣間見せるこの男。

 自分たちは彼の駒だ。

 その駒の利用価値はそれぞれ異なっている。もし、駒たちが仲違いを始めたら、彼は迷わず一番利用価値の高い駒を取るだろう。つまりは、サミュエルを……


「さてと、ちょっと嫌な雰囲気になりかけておりますから、話題を変えるといたしますか……」

 フランシスはなおも自分たちの前に、広げられている正方形のさざ波を見た。

 そこには、不安げな表情を見せているレイナの姿もあった。

「……しかし、あの少女……名前はレイナと言いましたかね。なかなかに検討していますね。アポストルからの啓示を待つ者たちに助言までできるとは……ごく普通の子供が住み慣れた自分の世界を離れて、こんな異世界の他人の……しかも、方々より恨みを買っている肉体で命の危機にさらされるなんて、気が狂ったとしてもおかしくないのにしっかりと自我を保ち、自分の足で立って歩き出そうとしている……あの『星呼びの術』では肉体という器に入れる魂は指定することはできませんが、アンバーはなかなかに良い魂を入れたこととなるでしょう……アポストルとなってしまったアンバーも、どこかであの少女の頑張りを見ているといいですね」

 フランシスは深く息を吐き出した。

「いずれ、あの少女にも私の計画の足掛かりとなって、もらいたいものです。私たちから見たら、彼女のいた世界こそ、時空を越えた異世界の1つでありますからね」


 そう言ったフランシスはパチンと指を鳴らした。正方形のさざ波もシュッと掻き消えた。

 そして――

「さあ、地上では追い風も吹いてきたようですし、私たちも彼らとと平行してこの船を進めるといたしますか」

 この神人の船に集いし者をぐるっと見回し、フランシスは言った。


 地上にて、やがて英雄となりし者たちが奏でていく物語は動き出した。希望の光を運ばんとする強い決意の集結。そして、アポストルからの新たな啓示という追い風とともに――

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