ー13ー ゲイブはなぜ、現れない?

 もうすぐ雪の季節は終わり、春がやってくるだろう。

 肌寒さを感じさせる一筋の冬風が、腕をまくっているジェニーの細い腕を撫でていった。ジェニーは流れ続ける涙をぬぐい、自分の家の残骸へと手を伸ばした。

 破壊しつくされてしまった自分の大切な家。

 物心つく頃より、祖父・アダムとともに暮らす自分の成長を見守ってくれていたともいえるこの家は、自分とそう年の変わらぬ魔導士の少年にここまで木っ端みじんにされたのだ。

 今、ジェニーは両手に頑丈な手袋をつけて、祖父のアダム、そして近所(といってもかなり距離が離れているが)や有志の人々のありがたい手助けのもと、この家を葬ろうとしているところであった。



 ジェニーが1才の時、一つ屋根の下に暮らしていた祖父アダム以外の家族は全員、事故で死亡した。大雨の日、崖からの落石が家を押しつぶしたのだ。

 その事故当時、ちょうどアダムは外出せざるを得ない事情があったらしい。

 アダムの帰りを今か今かと待っていた彼の妻、彼の娘とその夫(婿)、彼の孫娘2人(うち1人はジェニー)、そしてまだ独身であり同居していたアダムの息子は、誰一人として魔力を持たずにこの世に生を受けていた。

 事故の知らせを聞き、血相を変え、自宅へと戻ったアダムが見た光景は、無残に押しつぶされた家と、次々と運び出されていく家族たちの遺体であった。その遺体の中には、孫娘の1人(ジェニーの姉)の小さな遺体もあった。

 まだ雨が冷たく降りしきるなか、犠牲となったアダムの家族5人の遺体が並べられていった。

 残る1人はまだ見つからない。

 身を守る術など持ってはいない小さな赤ん坊。誰もが、彼女――ジェニー・ルー・タウンゼントの生存は絶望だと思っていた。

 だが、アダムはその絶望の中にある一縷の望みにかけ、全身全霊を集中させ、彼女の気を探した。

 そして――

 彼のその思いに呼応するかのように、倒壊した家の中より、赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。押しつぶされた家具同士が生じさせたわずかな隙間で、ジェニーは泣き声をあげたのだ。

 ジェニーが救助されたその光景は、その場に居合わせた者全てが奇跡だと思わざるを得なかっただろう。

 土砂で汚れた小さなジェニーの体。真っ赤な顔で泣き続けるジェニーの熱いその体を確かに抱きしめることができたアダムは、その場に崩れ落ち、むせび泣いた――

 

 

 ジェニー自身は、父や母、祖母、姉たちの間に覚えている思い出もなければ、顔すらも思い出せなかった。1才違いの姉に至っては、本当に物心つく前にわずか2年と少しの短い生涯を閉じたのだ。

 アダムは時々、自分が知らない家族たちについての思い出をジェニーにも話してくれた。

 そして「あの日、わしがもう少し、早く帰っていれば……今もあいつらは生きていたかもしれんのう」という言葉も。

 時の流れという自然の摂理に従うはずならば、年長者から先に死んでいくはずであった。だが、自分の妻も娘も息子も、娘を愛してくれた婿も、孫娘も自分より先に死んでしまった。

 悲しさとやりきれなさ、そして魔導士の力を持っていながらも家族を救えなかった苦しみ。その時のアダムの瞳に永遠に枯れることがない涙が浮かんでいるようにジェニーには見えた。


 ジェニーは思う。

 だからこそ、先日のあの少年魔導士の襲撃に、祖父は自分の全身全霊の力で、自分たちを守り抜いたのだと――

 その時に自分の死を覚悟していたジェニーは、あの魔導士の少年の”生まれ持った”魔力の威力を思い出すと、今だにこの身が震えてくる。

 だが、その恐怖と同時に、ジェニーはあの少年魔導士に煮えたぎるような怒りも覚えていた。

 それは自分の人生の一部であった、この家を破壊されたことに対する怒りだけではない。せっかく魔導士という力、しかもこれほど強い力を持って生まれたというのに、あの少年はなぜ、このようなことにその力を使ったのか、ということに。

 ジェニーは自分が、ほんのわずかでも魔導士の力を持って生まれていたとしたら、今以上に祖父の力になれていたはずだと思わずにはいられなかったのだから。

 そう、あの凍った騎士フレデリック・ジーン・ロゴについても――


 200年以上の時に渡る陰険な魔術による呪い。

 その標的となった凍った騎士7人のうち、6人の魂は無事に解放することができた。

 最後の凍った騎士であるフレデリックは「蘇生」してしまい、本来の彼が生きるはずなどなかった現在という時のなかに取り残されてしまった。

 「蘇生」より約1週間たった今、彼の肉体は腐り朽ち果てることもなく、顔色は少々悪いが見た目には普通の人間と全く変わりがないようにジェニーには思えた。

 けれども、アダムの話では、やはり普通の生者とは違っていると。

 彼は飲食には問題がない。だが、若者特有の弾力が見て取れるその肌は氷のように冷たく、外部からの痛みを感じないとのことであった。食物を自分の肉体の中に取り入れることは可能であるが、外部からの刺激には反応しないようであった。


 今、当のフレデリックはこの場にはいなかった。

 自分たちが仮住まいとしているアレクシスの町の宿にて、首都シャノンよりやってきた魔導士である、カールとダリオとともにいるはずだった。

 当初はパニックを起こしかけていたフレデリックは、段々と自分が生きていた時の記憶も思い出してきたらしい。その記憶が洪水のように押し寄せ、混乱している彼をさらに苦悩させることとなっていた。

 わずか19才で、戦火のなかで一度目の死を迎えたフレデリック。

 彼の心残りと無念はいかばかりであったろう。

 だが、彼は騎士として、アドリアナ王国に対する忠誠心を今もなお、失っていないようであった。

 フレデリックは、この王国の直系の王族に仕えるカールとダリオの話が聞きたいと自ら申し出たのだ。

 そして、アダムもカールとダリオを信用して、フレデリックを彼らに預けたのだ。


 あのカールとダリオという名の2人の男性の間には、間違いなく血のつながりがあるとジェニーは思っていたが、彼らは全くの他人であった。だが、あそこまで顔が似ている他人が同じ年に首都シャノンで生まれ、ともに魔導士という限られた者しかつけない職に就くとは運命を思わずにはいられなかった。


 今、彼らがいる宿には、レイナたちも残っているはずであった。

 レイナと同じ部屋に泊まっている(ジェニーの場合は仮住まいであるが)ジェニーであったが、レイナやルークたちに「夕方までに戻るね」とだけ伝えて、アダムと一緒にこうして、かつての自分の家まで戻ってきたのだ。


 彼女たちは使命がある。

 精霊? 神様? ジェニーにはよく分からなかったが、何か特別な存在から使命を授かったとのことであった。

 そんな彼女たちに、とても自分たちの後始末の手伝いをお願いすることができなかった。もうすぐ、彼女たちはこのアレクシスの町を発ち、ジョセフ王子がいらっしゃる首都シャノンへと向かうのだから。

 ジェニーがレイナと出会ってから、まだほんのわずかな時間しか経ってはいない。

 だが、同年代の少女があまり周りにいなかったジェニーは、レイナと気が合いそうでこれからも仲良くできれば、と淡い期待を抱いていた。

 レイナの外見は、このアドリアナ王国のマリア王女のものであり、本当に同じ女でも見惚れてしまうほどの美貌ではあった。けれども、そのレイナの魂は慣れぬ異世界で暮らす寂しさと緊張のためか、内気で大人しい感じがするも、いたって良識的で優しい女の子のように思えた。もっと彼女と仲良くなりたかったし、彼女の魂が暮らしていた異世界のことをいろいろと聞いてもみたかったと。



 その時、ジェニーは自分の近くにいるアダムの様子がおかしいことに気づいた。

「おじいちゃん?」

 アダムは日焼けし節くれだった手で、古びた木の板を手に持ったまま、ブルブルと震えていた。顔からは血の気がなくなり、ジェニーの声すらも聞こえていないようであった。

「どうしたの?! おじいちゃん!」

 ジェニーは慌てて、アダムの元へと駆け寄った。

「すまない……そういうことだったのか……よくも”こんなこと”を……!」

 手をさらにブルブルと震わせ、血が滲むほどに唇を噛んだアダム。

「おじいちゃん?! どうしたのよ!」


「……ジェニー……すまない。ちょっと疲れがでたようで……」

 かつてないほど険しい表情をしているに違いない自分を呼ぶ孫娘の声に、アダムはハッと我に返った。


 アダムが疲れてしまったわけでないと、ジェニーにはすぐに分かった。アダムの手にある木の板、それは――

「それって、あの魔導士の男の子が乗っていた板よね……? それに何か……」

 ジェニーは口をつぐんでしまった。

 彼女は理解したのだ。

 自分にとっては、ただの古びてささくれだった木の板にしか見えないが、魔導士の力を持って生まれた祖父には分かったのだろう。

 その木の板がただの木の板ではないということを。そう、祖父をこれほどまでの表情にさせる”何か”であるということを。


「おーい! タウンゼントさん、これはまだ使えるようだがどうするんだ?」

 後方より、手伝いの男性の声がかけられ、ジェニーとアダムは同時に振り向いた。

 その時――

 ジェニーとアダムは気づいた。自分たちの元へと駆け付けてくれた者たちの姿に。



 レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエル、ヴィンセント、そしてカールとダリオ、フレデリックの10人も、崩壊させれた家の後片付けをする民のなかにいる、アダムとジェニーの姿を認めた。


「お、お前ら……」

 アダムが驚きの声を出した。

 首都シャノンへと向かう準備をしている最中だと思っていた彼らがやってきた。おそらく彼らは町の誰かより、自分たちがここにいることを聞いたのだろう。

「じいさん、俺らも手伝うぜ」

 ルークが腕まくりをする。

「この家が狙われたのは俺らにも原因があるし。それに、少しでも人数が増えていた方がいいよ」

「そうだな。こういう力仕事なら、俺たちにもってこいだ」

 ディランとトレヴァーも、ルークに続いた。

「さてと、やりますか」

 ヴィンセントも腕もまくりをした。

 ダニエルが彼の言葉に頷いて、腕まくりをした。ダニエルのその腕は、何年も日に当たっていないかのように真っ白で細いものであった。

 そして――あのフレデリックも、彼らの後に続いた。



「ダリオ、すごいな……この惨状は……? 本当に子供の魔導士がたった1人でここまで、やったのか?」

 悪魔が嵐を運んできたように破壊されつくした一帯。

 カールもダリオも、唖然としていた。

「……レイナやルークたちの報告によれば、この地に襲撃してきたのは男の子供と若い女の2人だと。けれども、魔導士の力を持っているのは、男の子供の方だけで間違いないらしい。ローズマリーという名の女の方はなんていうか……若い女ではあったものの、トレヴァーの女版みたいな体格をしたムキムキの大女で……しかも怪力で凶暴であり、あいつらもビシバシしばき回されたって言ってたな。トレヴァーにいたっては、金的蹴りもされそうになったと……」

「き、金的蹴り……それはちょっとぞっとするな」

 カールがわずかに身を縮こまらせるような動きを見せた。


「しかし、ダリオ……結構鍛えられているはずのあいつらを、しばき回すほどの女って……どれだけ強烈な女なんだよ。俺たちが若い女って言われて思い浮かべてしまうのは、アンバーやマリア王女みたいな女だし」

 カールとダリオが、顔を見合わせ、頷きあった。

 10才の時から、首都シャノンの城内にてともに修行を積んでいた彼らは、城から出ることはたまの休みにしかなかった。町を自由に動き回る機会も同世代の若者たちに比べてずっと少なかった。

 そんな彼らが思い浮かべる若い女というのは、アンバーやマリア王女――自分たちより背が低くて、細い腰つきをした女なのだろう。


 破壊された木の残骸を運びながら、カールとダリオは話を続けていた。

「カール……話は魔導士の子供に戻るんだが……確か”ネイサン”っていう奴だと、あいつらは言っていたよな」

「ああ、そうだ。ご丁寧にも、自分から自己紹介したらしいぜ。自分の犯行を誇示したがるとか……元々の性格か、それともフランシスの影響を受けたのかのどっちかだろうな」

「なあ……確か、数年前にアーロン・リー・オスティーンが足を運んでまで城の魔導士へと勧誘した子供の名前が”ネイサン・なんとか・スライ”って言ってなかったか?」

 ダリオが少しだけ声を落とし、カールに言った。

 そのダリオの言葉を受けたカールがしばらく手を止め、自分の記憶――それも数年前のものに頭のなかで問合せを行っていたらしいが、すぐに照合ができたらしく、ポンと手を叩いた。

「そうだ! 思い出したぞ! すごい力を持って生まれた子供がいるっていう噂が首都シャノンまで届いていたから、アンバーの父親が自ら出向いたんだ。だが本人は頑として首を縦に振らなかった。周りの聞き込みによると、頭は決して悪くはないが、天邪鬼でかなりの問題児とのことだったと。まあ、城の魔導士となるか、ならないかは、強制ではなくて本人の選択だから、それはいいとして……もしかしたら、その”ネイサン・なんとか・スライ”が、あのフランシスの仲間になった可能性もあるな」


 首都シャノンにまで生まれ持った魔力の強さの噂が届いていた子供と、今は自分たちの前にこれほどの破壊の魔術の痕跡を残している子供が同一人物であり、あのフランシスの仲間となったかもしれないということ。

 そのことは極めて芳しくないことであった。立ち込めている暗雲が、さらに濃く禍々しい色へと変化していくように――

「それに……フランシスの元には他にも2人、魔導士が確実にいるんだ。あのサミュエル・メイナード・ヘルキャットと、あとヘレンという名の”子供”も……」

「ダリオ、その風変りな気の使い方をしていたヘレンという名の”子供”だが……中身は”子供”ではないだろうな」

「そうだろうな。恐らく、フランシスと同じく、神人の特性を手に入れていると考えるのが自然だ」

 手足を動かしながらも、器用に口も動かしているカールとダリオはフーッと息を吐いた。


「……あっちには、フランシス、ヘルキャット、ヘレン、ネイサンと4人も魔導士の力を持つ者たちがいる。しかも、いずれも精鋭ぞろい。だが、対するこっちは、ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセントの誰1人として、魔導士の力を持っていない。ヴィンセントは、いまだによく分からないが……」

 約1週間前まで、ヴィンセントをスクリムジョーとラストネームで呼んでいたカールであったが、今はルークたちと同じくファーストネームで呼ぶようになっていた。それはダリオも同じであった。

 このアレクシスの町に瞬間移動してからというもの、夜はずっとヴィンセントと同じ部屋で休みをとっていたカールとダリオであったが、ヴィンセントに不審な点は一切見られなかった。

 それに、ヴィンセントが性的にやや浮ついたところがあるのは薄々分かりかけてきていたものの、悪しき心を持つ人間には思えなかった。けれども、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーがごく普通の人間であるとも、思えなかった。

「鍵となるのはヴィンセントか、それとも……」

 ダリオが、カールに目くばせする。

 彼らは互いにそっと視線を移した。

 アポストルからの手紙に、ヴィンセントとともに名指しで名前を書かれていたアダム・ポール・タウンゼントへと。


「……ジョセフ王子の直接のご命令としたら、タウンゼントさんも同行しなければならないだろう。ジョセフ王子の命令に背くことができる人間は、国王と引きこもっている王妃の2人しかいない」

「しかし、ダリオ……失礼な言い方だが、老人の肉体に鞭打つようなことは人道的に躊躇してしまうな。83才という年の割に、肉体も精神も非常にしっかりしているようで、その魔力も健在のようではあるが……」

「だが、魔導士として後を継ぐ後継者もタウンゼントさんにはいない。そもそも、あのゲイブがまだ現れないということは、やはり”ともに船を漕ぎゆく英雄全員”は揃ってはいないということか?」

「そうだな、せめてゲイブが現れたら、この止まってしまったような物語の流れも変わるような気はするな……」


 カールとダリオの目には、その年の割に頑強な足腰をしているアダムが、キビキビと動き、自分の家の残骸を片づけている姿が映っていた。

「どっちもこっちも、魔導士不足だな。まあ、もともと魔導士は数が少ないけど……」

 カールが溜息を吐いた。

 もし、彼らのいずれも魔導士としての力を持たずにこの世に生を受けていたとしたなら、ともに商家の次男坊である彼らは、22才の現在となればすでに嫁でも娶り、生家を大きくすることに尽力していただろう。

 家の残骸はまだまだ方々に散らばっているため、ともにかがみ込んだカールとダリオはまだまだ話を続けるらしい。

「カール……レイナの話では、マリア王女の魂もまだ消滅していないと……」

 ともに顔を見合わせた彼らの脳裏に、マリア王女の断末魔が蘇ってくる。

 魔導士・フランシスに慈悲の心もかけられず、地獄の灼熱のごとき業火に焼き尽くされたはずであった、あのマリア王女の魂がまだこの世界に残っていた。フランシスが気まぐれで、あの淫乱で残虐な王女の魂を残しておいたのか、それとも何か別の理由があってマリア王女の魂が消滅しなかったのかは分からない。

 だが、マリア王女の魂が生きているということ、くすぶり続けている彼女の命の残り火は、新たな2つの火種をも運んできたのだ。

 その1つは――

「……マリア王女を救うために、オーガストはこれからもフランシスと行動をともにするはずだ」

「あいつは――オーガスト自身は、力などは持ってはいない。でも、もう何も捨てるものがなくなった。いや、愛する女以外は何も守るものがない男ってのは、何をするか分からないぞ。ほぼ捨て身だろう。マリア王女を元に戻すためなら、あいつはどんなことだってするはずだ」

 そう言ったカールは、ダリオに目くばせをした。

 そして、彼らが思う2つ目の火種。それは、今後もレイナ(マリア王女の肉体)が狙われる可能性が蘇ってきたということだ。

 彼の視線の先にいるレイナは、ジェニーと揃いの手袋をつけ、ジェニーと共に一生懸命、家の残骸を細く白い腕で運んでいた。マリア王女の肉体の中にいるのが、本来のマリア王女の魂であったとしたなら、考えられない光景であった。

 レイナの話を聞いた限り、マリア王女の元の肉体、つまりはレイナの魂を追い出し、マリア王女の肉体を戻すという方法をフランシスはとるわけではなさそうだった。以前のように、マリア王女の元の肉体にこだわる必要がないと――



 レイナが、力仕事どころか水仕事もしたことがなさそうな白い手を、荒々しく削られた木の欠片に伸ばそうとしたのを見たジェニーは、慌てて分厚い手袋を彼女に手渡した。

 今、レイナは自分と一緒に家の梁だったものの一部を運んでいる。

 レイナの透きとおるほど白い頬はこうして体を動かしているためか、ほんのり上気し、薔薇のような色に染まっている。その愛らしい唇も、紅など塗っていないのに、頬よりも濃い薔薇のような色に艶やかに光っていた。月を思わせる青い瞳を縁どる長い睫毛は、繊細な影を彼女の頬に落としている。

 曇った冬空の下にいても、レイナの金色の髪と青い瞳はキラキラと輝きを放ち、この場にいる者全てを惹きつけずにはいられない。

 一語で「美人」といっても、世には様々なタイプの美人がいる。

 でも、今、自分の目の前にいるレイナ(マリア王女)は、個人の好みなど超越した美しさを放っていた。その輝きに、ジェニーは劣等感すら抱くことができなかった。


 一体、前世でどんな善行を積んだら、これほど美しく生まれることができるのか。そのうえ、この王国の王女という、この上ない身分に生まれることができたのか。

 だが、しかし、本当のマリア王女の魂がどのような性質であったのかは、ジェニーも知っている。

 アドリアナ王国に生きる10代少女のなかで、生まれながらに抜きん出てハイスペックなこの絶世美女の王女の魂は、その外見の美しさの欠片もなかったことを。


「ジェニー……どうかした?」

 レイナの声に、ジェニーは我に返った。

 ジェニーに「どうかした?」と聞いたレイナではあったが、レイナ自身もジェニーが自分(マリア王女)の類いまれな美貌に釘づけになっていると理解していた。

「ううん、ごめん。ボーっとしていて」

 ジェニーが首を横に振る。 

 そして――

「ねえ……レイナ、いつにこの町を発つの?」

「……えーと、カールさんやダリオさんとも話し合ったんだけど、もうそろそろ、この町を発つ予定なの。首都シャノンで、ジョセフ王子もお待たせしているわけだし、カールさんとダリオさんの2人だけの力ではこれだけの人数を瞬間移動させるのは不可能だから、馬車で移動するしかないけどね」

 レイナは目を細めて、ジェニーの顔を見た。

 この異世界に来て初めての同世代の女の子の友達といえる存在。もうすぐ、このジェニーともお別れとなるのだ。

 そして、自分とルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、ダニエル、そして”フレデリック”は、カールとダリオとともに首都シャノンへと向かう決意を決めている。

 そう、フレデリックは自ら、ルークたちと行動をともにしたいと――


 アダムとジェニーは、フレデリックのその決意をまだ知らない。

 そのうえアダムは、フレデリックを200年の呪われた凍てつきから解放するための術の途中で邪魔が入り、彼を「蘇生」させてしまったことに非常に責任を感じている。

 きっとアダムは魔導士として生まれ、魔導士として生きていた誇りにより、自身の残りの人生をかけて、残酷にその生涯を断ち切られた青年を救いたいのだろう。

 だが、残酷に人生を断ち切られ、その後、蘇生してしまった凍った騎士にも、その魂の中にくすぶる続けている情熱が蘇ってきたのだ。

 ”生前”の彼の心残りと無念、それは……


「レイナ、少し休もうか」

 ジェニーの声に、レイナは頷いた。

 レイナの喉も渇き、まだ冬だというのに肉体は熱くほてり、長く真っ直ぐな両脚に膝下スカートが絡みついてもきていた。

 レイナは下着が見えないように手でスカートを押さえ、ジェニーとともになぎ倒された木の根元に腰を下ろした。着ていたのが学校のジャージだったら、もっと動きやすかったろうにとレイナは思わずにはいられなかった。

 座り込んだレイナとジェニーの元に「ほら、あんたたちも」と中年女性がカップに入った飲物を運んできた。

 「す、すいません」とレイナとジェニーは同時に立ち上がり、頭を下げ、それを受け取った。

 親切に後片付けの手伝いに来てくれた、その中年女性のたっぷりとしたスカートの裾も、彼女の動きの合わせて揺れていた。

 どうやら、アドリアナ王国での女性(ただし一般人に限る。ジェニーたちの家を壊した一味の超武闘派の女性は除く)は、ズボンをはくという選択肢はないらしかった。


 どこか紅茶を思わせるような飲物が、レイナの喉を潤わせていく。

 今、自分は生きているということを感じる。自分の元の肉体は滅んでいるも、自分の魂はこうして「生」を感じているのだ。


 周りを見回すと、皆、体を休めているようであった。

 ルークたちも、それぞれ水分補給をしたり、汗ばんだ首筋を拭いたりしていた。

 レイナは考えていた。

 ルーク・ノア・ロビンソン、ディラン・ニール・ハドソン、トレヴァー・モーリス・ガルシア、そしてアダム・ポール・タウンゼント、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーと、アポストルからの手紙に書かれていた5人の男は全員揃った。

 だが――

 5人の男が確かに揃ったにもかかわらず、あのアポストルからの少年・ゲイブは、一向に現れない。

 以前は全く予想もしていない時にいきなり現れ、自分を腰を抜かさんばかりに驚かせたというのに。

 そもそも、5人の男が揃った時といえば、約1週間前の朝にヴィンセントがカールとダリオに連れられ、首都シャノンより現れた時であるだろう。

 それから、1週間たった今も、ゲイブの今は、影も形も――いや、光や形も見えやしない。


 ゲイブが現れなくても、レイナたちは首都シャノンへと戻る。

 だが、その旅路のより具体的な道標となるのは、少年・ゲイブに使わされるアポストルからの手紙なのだ。

 まだ続く物語の道標。

 レイナは、あのゲイブが持ってきた2回目の手紙の一部を心のなかで反芻した。


「暗黒に飲まれし民たちを救わんと

 ともに船を漕ぎゆく英雄全員が集いし時、

 私はまたゲイブに手紙を託す」


――えっと、”暗黒に飲まれし民”とは、ユーフェミア国? の民である可能性が高いのよね。でも、ゲイブは、自分が暮らしている国は闇になど包まれていないって言ってたし……分からないわ。それとも、”ともに船を漕ぎゆく英雄全員が集いし時”という言葉こそが手掛かりとなるのかしら? まずひっかるのは、”英雄全員”という言葉……ルークさん、ディランさん、トレヴァーさんは、最初の手紙で「彼らは英雄となる」とはっきりと書かれていたから間違いないはず。でも、2回目の手紙では、”以下の者たちをたずねよ”としか、書かれていなかった。英雄は5人だけでないということ? 5人だけではない……ということは、ヴィンセントさんとジェニーのおじいさんをたずねる過程で、ルークさんたちとともに行動することになった、もしくはともに行動していくことになりそうな人と言ったら……


 レイナはゴクリと唾を呑み込んだ。

 アダム・ポール・タウンゼント、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーを探し出す過程で、ルークたちの仲間に加わった者は2人。

 ヴィンセントの昔馴染であり、彼を兄のように慕う元貴族のダニエル・コーディ・ホワイト、そして200年に渡る冷たい眠りから目覚めることとなった騎士フレデリック・ジーン・ロゴ。

 フレデリックに至っては、今後、アダムとの話し合いを行うようであったが、彼がルークたちとともに首都シャノンへと向かいたいという意志は、非常にかたいように思われた。

 やや小麦色の肌、涼し気な目元とハスキーな声で、今は言葉少なでクールな印象を与えるフレデリックのなかで、湧き上がった熱い思い。


――そうよ、ダニエルさんとフレデリックさんも、”ともに船を漕ぎゆく英雄”として、物語は紡がれているのかもしれない。でも……でも……そう考えたとしても、もう既に全員が揃っているってことよね。まだ、これからも必要な人に出会うのかしら? それとも……揃った人たちの中に”何か”が足りないのかしら?


 ゲイブはなぜ、現れないのか?

 アポストルからの手紙に書かれていた通り、物語はまだ続く。その物語の道標となるゲイブを自分たちは待ち続けている。

 けれども、レイナはふと思った。

 もしかしたら、ゲイブをただ”待つ”のではなく、ゲイブを”呼ぶ”ことこそ、物語を切り開く鍵となるのではないかと――

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