ー12ー カールとダリオへの経過報告

 二度もお騒がせする状況で現れたヴィンセント。

 だが、レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァー、ジェニー、そしてここにいる誰よりも彼を知っているダニエルによって、ヴィンセントが慮外者であるという疑いはすぐに晴れることとなった。


※※※


 ジョセフ王子のベッドに忍び込んでいた男は、男自身が名乗った通り、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーであった。

 カールとダリオは頷き、彼の四肢につけられていた手枷を足枷を外した。

 ダニエルが「お兄さん……ご無事でよかった」とタタッと駆け寄る。

 「ダニエル、心配かけたね」とヴィンセントがダニエルの頭を優しく撫でた。これはとても、19才と23才の男同士がする仕草とは思えない。

 少しだけ妙な空気が流れたものの、ルークが切り出した。

「ヴィンセント、一体、何があったんだ? その手枷と足枷といい、お前が首都シャノンにいるはずのカールさんやダリオさんと現れるなんて……」


 ルークのその問いに、ヴィンセントは頬を赤らめて、事の顛末を話し始めた。恥ずかしさに頬を赤く染めることとなったヴィンセントと対照的に、彼の話を聞いていた全員の顔がみるみるうちにサアッと青ざめていった……

 アレクシスの町の宿で眠りについたはずなのに、目覚めると首都シャノンにいた。しかも、ジョセフ王子のベッドの中に、半裸姿で……

 本当に、何と怖い話なのだろうか。この王国に暮らす民にとっては、ある意味、どんな怪談話よりも怖い話を聞いたことになるのだろう、とレイナも思わずにはいられなかった。

「……下、履いてて本当に良かったね」

 ディランの言葉に、ヴィンセントがコクリと頷いた。

 下の肌着一枚とはいえ、履いていたのと履いていなかったのとでは、大きな違いがある。ひょっとしたら、ヴィンセントは生まれたままの姿でジョセフ王子に最初であり、なおかつ最後である謁見をしていたかもしれないのだ。

「……正直、あの場で斬り殺されても仕方がないシチュエーションだったからね。ジョセフ王子がきちんと最後まで民の話を聞いてくださる方で本当に命拾いしたよ」

 ヴィンセントのその言葉を聞いた、カールとダリオが頷いた。


 やっと緊張状態からとけたのか、ふうっと息を吐いたヴィンセントの姿を見て、カールとダリオは目配せしあった。

 まだ、全ての謎は解けてはいない。

 なぜ、魔導士でもないこの男が、10人近い魔導士の魔力と集中力が必要とされるあれだけの距離をたった1人で移動できたのか? まさか、強い力を持つ魔導士――例えばフランシスなどに移動させられたのか? 

 いや、それにしては、しっくりこない。あの陰険なフランシスがジョセフ王子のベッドに送り込んでくるとしたら、アンバーによく似た女だろう。まだ、血を流し続けているジョセフ王子の心の傷から、さらに血を流させるために。

 別の魔導士の仕業だとしても、そもそも目的が分からない。となると、やはりこの男自身の力で移動したと考えるのが妥当である。だが、この男の肉体に触れた時も魔導士特有の気の発し方は感じられなかった。

 この男――ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーは、見た目は大変に美しいし、色気はかなり過剰ではあるものの、貴族もかくやというほどの気品もある。だが、そのことを差し引いでもごく普通の人間のように”見える”し、”感じる”のだ。

 

 けれども……

 カールとダリオは同じことを考えていた。

 この男は、自分たちの生まれ持った魔力が及ばない相手なのでは、と。

 例えば自分たちが数字を10までしか知らないとする。対する相手は数字を100まで知っている。その相手と対峙した時、自分たちは知っている10までの力しか”見えない”し、”感じない”のでは、と。

 

 ジョセフ王子のベッドで、ジョセフ王子ともに眠った初めての男であるこのヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーが、これからも引き続き怪しい男であることには、変わりはない。首都シャノンに戻るまでの間、目を光らせておく必要があるのだ。


※※※


 ヴィンセントを連れてきた後も、カールとダリオは、すぐに首都シャノンには帰らず(というよりも、帰れないのだろう)、レイナたちと夕食をともにしていた。

 彼らは、昼間に少しだけ、連れだってどこかへ出かけ、何かを調べていたみたいではあったが、夕食の時間には戻ってきた。

 皆で夕食をとの話になったが、あのアポストルからの手紙に名前が書かれていたわけではないダニエルは同席することを遠慮していたが、カールとダリオはダニエルとも話がしたいということであったため、ダニエルも同じテーブルについていた。


――ジョセフ王子は今、どのようなご様子なのかしら? カールさんとダリオさんに聞いてみたいけど……必要な話なら、彼らが話してくれるよね。今は聞かないでおこう。それに……私たちもカールさんとダリオさんにいろいろと報告しなきゃいけないことがあるわ。それによって、今後のことを……


「しかし……お前たちもレイナもよくやったな。1か月もたたないうちに2人の男に無事に辿り着くなんて、びっくりしたよ」

 レイナが切り出すよりも、先にカールが口を開いた。

「いや……なんだか、偶然に偶然が重なりまして」

 謙遜するディラン。彼の両隣のルークとトレヴァーが、そしてレイナもディランの言葉に頷く。

「いや、本当によくやったよ」

 ダリオが言う。ダリオの首筋には、フランシスとの戦いでついた傷痕がまだ残っていた。


 カールとダリオも、驚いていた。

 いかにも頼りなさげな異世界からの娘と、腕っぷしはやや強いものの、ごく普通の平民である3人の青年が、こうも早くにアポストルからの手紙に書かれていた2人の男に辿り着いたという事実に。

 それは勿論、彼女たち自身が捜し歩いたという努力もある。

 けれども、あの少年・ゲイブが持ってきた手紙の一説にあった「全ては紡がれている」という言葉から考えると、アポストルはこうなることを知っていたのだ。全てはもう定められていることなのだと。

 例えば、あのデブラの町の宿で働いていた少女・ジェニー・ルー・タウンゼントが探し人アダム・ポール・タウンゼントの孫娘であったということ。これが物語であるとしたらなら、彼女との出会いは伏線と言えるだろう


 そして、カールとダリオは、今も同じテーブルを囲んでいる、静かな佇まいでありつつ、全身から自信のなさが透けて見えるような黒髪の青年の名前も知った。

 ダニエル・コーディ・ホワイト。

 聡明な彼らはすぐにダニエルの名と”元身分”を思い出した。ダニエル・コーディ・ホワイトは、アリスの城の領主夫妻の長男――つまりは次期領主の名前であった。


 単なる同姓同名か? いや、でもあの美人だがおっかない感じのするアリスの城の奥方を思わせる濡れた黒曜石のような綺麗な黒髪をしているが……


 カールとダリオが背筋を伸ばして、佇まいを今以上に正し出したのを見て、当のダニエルは慌てて自分はもう貴族の身分を捨てた平民であると説明した。ダニエルのオドオドとしたその様子を目の当たりにしたら、謙虚であまりスレていなさそうであるが、人の上に立つ――次期、アリスの城の領主となるには無理だろう、とカールもダリオも思わずにはいられなかった。


「……アダム・ポール・タウンゼントからの答えは、NOということか?」

 ダリオの問いに、レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァーは顔を見合わせ、頷いた。

 あのアポストルからの手紙に名前を書かれていたうちの1人であるヴィンセントは、これから自分たちと行動をともにしてくれるつもりでいるだろう。彼自身は、ジョセフ王子のベッドの中に、自らの意志ではないといえ潜り込んでしまったという最上級の無礼を働いてしまったという理由もあるとは思うが。


 家を失くしてしまい宿に仮住まいするしかない、アダムとジェニーは現在も自分たちと同じ宿に泊まっている。

 レイナは思い出した。

 カールとダリオが、現れた時に部屋の中にいた1人だけ老人が”あの”アダム・ポール・タウンゼントだと知ると、驚いていた。

 それは自分たちが2人の男をきちんと探し出すことができたという理由だけではないはずだ。


※※※


 ヴィンセントの身分が確認できたカールとダリオは、部屋の中にいる者たちのうち、1人だけ飛び抜けて年齢が高く、日焼けした顔に気難しそうな表情を浮かべていた老人へとその視線を移した。

 普通の魔術慣れしていない老人なら、光の玉より人が現れるなどといった光景に腰を抜かさないまでも、多少驚きの表情を見せるだろう。だが、あの老人は全く驚いた表情など見せてはいない。それに何よりもレイナたちと一緒にこの部屋にいるということ。まさか、あの老人は――


 カールとダリオが自らの名を名乗った後、老人も名を名乗った。


 老人はやはり、”あの”アダム・ポール・タウンゼントであった。

 だが、カールやダリオもやや拍子抜けした。

 現役の魔導士の間で伝説に近い存在となっているアダム・ポール・タウンゼントを思い浮かべる時は、俗世間を離れ、ひっそりと孤高に生きる静謐な老人の姿を思い浮かべずにはいられなかった。

 けれども、自分たちが実際にこの目で見たアダム・ポール・タウンゼントは、あまりにも庶民的であり、元魔導士というよりは農業を生業としてきたような老人であった。そして、傍らには1人の孫娘・ジェニーがいる。 

 おそらく、あの孫娘はあの事故の生き残りであり、今のタウンゼントの唯一の家族であるに違いない。


 カールとダリオが、首都シャノンの城にある書庫にある文献で知る限り、アダム・ポール・タウンゼントの人生は激動の中にあった。

 まずは59年前――

 当時、アダム・ポール・タウンゼントは、24才であった。

 ユーフェミア国が闇へと包まれて消えた同じこの年、このアドリアナ王国に”神人たち”が姿を現したのだ。一様にして美しい容貌をし、翼もないのに鳥のように空を飛べ、尾びれもないのに水の中を自由に泳ぐことのできる神人たちは、皆、男性であったと文献には残っている。

 その神人たちは、アダム・ポール・タウンゼント含む魔導士たちと友好的な関係を築き始めていた。特にアダムは、”トーマス”という神人と親しくしていたらしい。

 だが……

 ある日、サミュエル・メイナード・ヘルキャット含む複数の魔導士たちが襲撃をかけた。彼らはアダムの仲間である魔導士数人と、たまたまその近くにいた一般人10数名を巻き添えで殺害し、神人たちを1人残らず誘拐した。

 アダム含む他の魔導士たち、そして役人たちによる必死の追跡の結果、山の麓のある平らな一帯でおびただしい量の血痕が発見された。実際にその現場にいた者の話によれば、血痕というよりも”一面の血の海”といった表現の方が正しいとのことであった。

 アダム含む魔導士たちがその血の海に残っていた気を調べると、間違いなくその血はさらわれた神人たちのものであり、しかもその血痕量から神人たちの生存は絶望であると推測された。

 そして、当時、現場付近に居を構えていた複数の平民たちの話では、その神人たちの殺害推定時刻だと思われる深夜に、大きな船のような物体が上空にユラリと浮かび上がったと――

 その浮かび上がった”船”は、漆黒の夜空がまるで大海原であるかのように船を走らせ、そのまま漆黒の夜空に溶け込んでいった――との詳細な目撃情報まで文献に記されていた。

 

 その神人惨殺事件より43年。

 魔導士の力を持っていない女(記録によると宿屋の娘らしい)と結婚し、2人の子供(長女と長男)を持ち、孫(2人の孫娘)までなしたアダム・ポール・タウンゼントは、地方で暮らしていた。彼は67才となっていた。町の人の相談に乗りながら、細々と魔導士業を続けてはいたらしい。

 だが、彼がちょうど留守にしていたある大雨の日、彼の家を崖からの落石が襲い、彼の2人の孫娘のうちの1人だけが奇跡的に助かった。

 あの事故により、彼の妻、彼の娘、彼の婿、彼の息子、そして彼の娘が産んだ子供のうちの長子(長女)は死亡した。

 その悲惨な事故後、ふさぎこんで長い間世捨て人のようになっていた彼は、ただ1人生き残った乳飲み子の孫娘とともに姿を消してしまった。その後、彼が魔導士としての仕事をしたという記録は残っていない。つまり、彼の魔導士としての引退を意味していた。


 けれども――

 カールとダリオはベッドに横たわり、寝息すらも立てていないように見えるグレーの髪の青年へと視線を移した。

 非常に血の気のない顔をしたまま横たわっていたが、その青年より息づく生命の気はしっかりと感じられた。

 カールとダリオの視線に気づいたアダムが言う。

「やはり魔導士の力を持つ者たちに分かるのだな。その者は……死者でもなければ、生者でもない。200年以上も昔に、この地にその肉体だけでなく魂までもが氷漬けにされていた騎士だ」


 カールとダリオはともに思う。

 自分たちがこの世に生を受ける、はるかに昔。

 おそらく悪しき魔導士の力によって、この地に縛り付けられていた騎士が、こうして自分たちの目の前に横たわっている。

 200年以上昔に生きていた者。自分たちが出会うはずなどなかった者。

 このアダム・ポール・タウンゼントは、彼にかけられていた200年の時にわたる、魂をも凍てつかせていた”呪い”をたった1人でといたのだ。 

 魔導士を引退したとはいえ、その抜きん出た力はまだまだ衰えていないのだ。あのアポストルからの手紙に名前を書かれていたのは、こうした理由があるに違いないと。


※※※


「しかし……フランシスの奴、アドリアナ王国のちょっかいをかけるのは控えておくと言っておきながら、やはり刺客を送り込んでくるとはな……」

 そう言ったカールが、肉汁の垂れる肉をフォークで口の中に放り込んだ。

 カールのその”やはり”という言葉に、ダリオ除いた一同はひっかかったが、トレヴァーが口を開いた。

「……タウンゼントさんのおかげです。タウンゼントさんがいなかったら、俺たち全員、あのネイサンとかいうガキにやられて、今ごろ焼け焦げた死体となって、あの地に転がっていたはずです」

 頷いたカールが続ける。

「実はな……お前たちには伝えていなかったんだが、極秘でお前たちを追跡させていたんだよ」


「!!!」


 レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァーが顔を見合わせた。

 自分たちを追跡させていた?!

 だが、その追跡者が放つ気配には、誰1人として気づかなかった。リネットの町で、ダニエルが自分たちの後を付けていたのは、レイナ以外の3人の青年は気づいていたのに。

 追跡者は自分たちの前に姿を現すことなく、その気配すら全く感じさせなかったとは……?


「あ、あの、追跡って一体? 俺たち、そんな気配なんて、全く感じなかったんですけど……」

 まるで後出しのようなその情報にディランの声も狼狽が隠せなくなっている。

「まあ、お前たちがそいつらの気配に気づかないのは無理がない。というよりも、俺たちですら、そいつらが”本領を発揮したら”気配を掴むことができないからな……」

「??」

 普通の人間の自分たちがその追跡者の気配を感じないなら、まだ分かる。でも、魔導士であるはずのカールやダリオも分からないとは……?

 カールの言葉を継ぐように、ダリオが続ける。

「……アンバーが死んだ後、俺たちはアリスの城に数日、留まっていただろう。その時にアリスの城の領主夫妻を通じて、2人の兄妹を紹介されたんだよ。その者たちがお前たちを後から追跡し、万が一の事態が起こった場合はその力でお前たちを守るようにと」



「お前たちにその者たちのことを伝えていなかったのは、お前たちがどこまで自分たちの力でできるか見る必要もあると思ったからだ。お前たち……『影生者(えいせいしゃ)』という言葉を聞いたことがあるか?」

 カールのその問いに、ルークたちは首を振った。無論、異世界から誘われたレイナが知るはずなどもない。

 後出しに後出しを重ねるようなこの展開に、レイナは正直、面食らっていた。

 黙って聞いていたダニエルが口を開く。

「あ、あの、私、文献で読んだことがございます……確か、カールさんやダリオさんのように気を発することができる魔導士の方とは正反対に、対峙する対手に目くらましのように肉体を見えなくすることができる方たちで……魔導士の方が500人に1人の割合で生まれてくるとしたら、影生者の方は2000人に1人ぐらいの確率でしか生まれないと……」


 丁寧に『影生者』の出生の確率まで話してくれたダニエルに、「その通りでございます」とカールが答えた。

 ダニエルが貴族の身分を捨て市井の者となっているとはいえ、やはりダニエルに対してはつい敬語を使ってしまうのだろう。

「いわば魔導士の亜種版といったところですね。私たち、魔導士が肉体より光を放って生まれてくるとしたら、その『影生者』たちは透明に透きとおりながら生まれてきます。つまりは、外側に放つ気を増減させることで、肉体を透きとおらせることができるというわけです」

 ダリオが言う。

「その……放つ気の増減とはどういう状態なんですか?」

 つられたのか、ルークが珍しく敬語を使っていた。

 ダリオが首を振る。

「いや……分かりやすくいうと、ここにいるはずの者をいない者にしてしまうということだ」

「???」

 レイナも含め、ルークたちはますます面食らう。

「魔導士の力を持っていない人間でも、その肉体に気――まあ、つまりは魂が放つ輝きを持っている。『影生者』たちは、その外側に放つ気を増減させ、まるで目くらましのように、いるはずの者をいない者とすることができる。つまりだ……俺は今、ここでお前たちと食事をとっている。だが、俺が『影生者』であったとしたら、俺の姿はお前らの目には全く移らない。透明な人間となる。ただ、俺がこうして食べているテーブルの上の肉だけがいつの間にか減っていくというわけさ」

 このダリオの分かりやすい説明に一同、納得したようであった。

「っていうことは、女風呂にも入れるってことか」と小声で呟いたルークの太腿を、隣のディランがと無言でバシッと軽くはたいた。


 今度はカールがダリオの話を継ぐように続けた。

「正直、俺たちが真っ向勝負をして、あいつに――フランシスに勝つことは難しいだろう。だから、ジョセフ王子と俺たちはその逆手をとったんだ。『影生者』を雇うことで、お前たちの姿をフランシスから隠してしまえばいい。フランシスを倒すことはできなくても、フランシスから守ることはできると……」


 レイナは思う。

 よくよく考えてみれば、あのジョセフ王子が自分たちのような素人たちばかりで、アポストルからの啓示という人探しの重要な旅に出すことなど考えられないことであった。ジョセフはこうして、『影生者』のような護衛を付けて、自分たちの旅路を影ながら見守っていたのだろうと。


「……で、その『影生者』の方は今、どちらに?」

 トレヴァーがカールとダリオに問う。

 もしかしたら、姿の見えない彼らが、今、この場に同席しているのかもしれないと一同に緊張が走った。

 ダリオが、やや言いにくそうに言う。

「……それがな、逃げたんだよ」

「!!!」

 逃げた?!

 ジョセフ王子から直々に任務を賜っておきながら、逃げたと……


「俺たちはその『影生者』たち――まあ、この2人は兄妹であるんだが、ひょっとして俺たちが来たのにも関わらず、その姿を見えなくしているままであるのかと思ったが、そうではなかったらしい。アリスの町の役人所に、俺たち宛に手紙が託されていたんだよ」

 カールが魔導士の黒衣より、すっと黄ばんだ色合いの手紙をすっと取り出し、テーブルの上に置いた。

 昼間、カールとダリオは連れだって、どこかへ出かけていた。姿が見えないその『影生者』の兄妹の行方を探るためだったようだ。町2つぐらいだったら、途中に休憩を挟みながら、カールとダリオの2人で瞬間移動できる距離であったのだろう。


「手紙に書かれていたのは、たった2文だけであった。”もっと大切な任務ができました。許してください”と」

 ダリオが苛立たし気に息を吐いた。

 レイナたちは、アリスの町、リネットの町、アレクシスの町の順で移動してきた。アリスの町の役人所でその手紙が見つかったということは、『影生者』たちは任務を承ったアリスの町で、そのまま任務を放棄したこととなる。

「金だけふんだくって、責務を果たすことなく、トンズラってわけさ。”もっと大切な任務”って何だよ? あのアリスの城の領主夫妻からの紹介だっていうから、ジョセフ王子も信用なさったというのに」

 カールも苛立たし気に息を吐いた。

「も、申し訳ありません……特に父は、旨い話が来た時に碌に調べもせず飛びつくものですから……」

 そのアリスの城の領主夫妻の長男であるダニエルが顔を赤くし、うなだれた。


「い、いえ……そのようなつもりでは……!」

「厳密に言うと、あの『影生者』たちはアリスの城の領主夫妻に仕える兵士の1人との縁続きの者ということでしたので……」

 カールとダリオが慌てた。

 このカールとダリオ、その容貌だけでなく、話し方や仕草までもそっくりであるとこの場にいる彼ら以外の者は思わずにはいられなかった。やはり、何年も寝食をともにしているとそうなるのであろうか。


「しかし、あの持ち逃げ兄妹。見た感じはいたって礼儀正しく、良識的な者たちに見えていたな」

「そうだったな、カール。俺もまだあいつらの顔は覚えている。2人とも金髪に青い瞳で、身なりもなかなか良かったしな。おそらく、どこか貴族の館に仕えているとも言ってたな……こうして、文字の読み書きもできるわけだし」

 彼らの話によると、その持ち逃げ兄妹はこのアドリアナ王国の最上に高貴な身分である兄妹と共通する外見の特徴を持っているらしかった。

 

 レイナは思い出す。

 あのアリスの城での晩餐時に、やや赤らんだ顔に薄茶色の巻き毛で、年は40半ばの恰幅のいい領主ヘンリー・ドグ・ホワイトが「我が家は代々軍人系の家系でして……」と言っていたことを思い出す。ひょっとしたら、アリスの城の領主夫妻は、自分たちがジョセフ王子に何か役に立てることがあれば(手柄を立てることができれば)とその持ち逃げ兄妹を紹介したのだろう。

 だが、持ち逃げ兄妹は手柄を立てるどころか、アリスの城の領主夫妻の顔を叩き潰した。当然、彼らを領主夫妻に紹介したという兵士も、今後、アリスの城で働くことはできなくなったはずだ。

 そして、何よりも、ジョセフ王子に対して詐欺を働いた者たちとして、彼らは罪を問われることとなるのだと、レイナにも予測はついた……



 テーブルの上に並べられていた食事は段々と残り少なくなっている。

 カールとダリオへの経過報告の場であり、カールとダリオからの経過報告の場ともなったこの晩餐も、そろそろ終わりに近づいてきている。


「本当だったら、俺たちがお前たちの護衛に付くべきだったと思うし、ジョセフ王子もそうされたかったんだと思うが……なにせ、国王や王妃がいらっしゃる城をがら空きにしておくわけにはいかない。城の魔導士の数人は次々に退職してしまったし、今も人手不足はいなめない状態なんだ」

 カールがナプキンと口元を拭いながら言う。

「あ、あの退職したとは、魔導士の仕事を辞めたということですよね?」

 この晩餐で、レイナは初めて口を開いた。ダリオがじっとレイナを見て言う。

「……まあ、推測ではあるが、あのフランシスとの戦いで生まれ持った力の差を身を持って体感したんだろうな。それにアンバーが死んだことも一因だろう。アンバーがこの王国の直系の王族に虫けらのように殺されたため、このアドリアナ王国への忠誠心にも迷いが出てきたんだろう……」


「それぞれ、大切な家族……守りたい者がいるのは当たり前だ。悪しき魔導士たちとやりあって、火の粉が家族にまで飛ぶのを恐れた者もいる。それに人生は一度しかない。何を一番大切に思うか、それによってどんな選択をするのかは、各々違って当たり前だ……」

 カールがナプキンをバサッと膝の上に置いて続けた。

「だが……俺たち2人はともに10才の時に、あのシャノンの城の門をくぐった時から覚悟している。今後、どのようなことが待ち構えていたとしても、このアドリアナ王国、そして次期国王となるジョセフ王子にこの身を捧げると……」

 そのカールの言葉に、ダリオが頷き言う。

「……それに、俺たちはアンバーが抱いていた夢を命ある限り受け継いでいくつもりだ」


 アンバーの幼き日から夢は、カールとダリオ、彼ら2人の夢でもあるのだ。

 ジョセフ王子が王となったその傍らで、この命果てるまでこの王国に身を捧げるというその夢。

 悲劇が起こらなければ、このアドリアナ王国の精鋭の魔導士として、生涯の同僚であり仲間として、この雄大なアドリアナ王国の地平をジョセフの傍らで見ていただろう――



 レイナたちが酒場を出ると、シンと冷たい冬空の下、青き月が冴え冴えと輝いていた。夜空を見上げたレイナの瞳に、欠けゆきそしてまた満ちていくはず青き月が映った。

 のどかな田舎町ではあるものの、夜に町を歩いている人影はレイナにとって、やけに多く感じられた。

 二十歳を過ぎていないからお酒は飲めないと断ったレイナ以外は皆、酒の匂いをプンプンさせながら、夜道を歩き、宿の各々の部屋へと戻るのだ。

「おーい、スクリムジョー、お前は俺たちと同じ部屋だ」

 ダニエルとともに前を歩くヴィンセントに、後方よりカールが声をかけた。

「え……っ?」

 ヴィンセントではなく、彼と同室に泊まり、いろいろと積もる話がしたかったに違いない、ダニエルが不思議そうな声を出した。

「一応疑いは晴れたが、今朝のことにはまだ謎は残っている。一応、夜の間はしばらく俺たちの監視下にいてもらう」

 ヴィンセントは「仕方ないよ、ダニエル」とダニエルの肩をポンと諭すように軽く叩いた。


「承知いたしました。ですが、カールさん、ダリオさん……できれば、ベッドは別々にしていただきたいのですが……」

 いずれも上背がある3人の大の男が、宿のベッドにぎゅうぎゅう詰めになって、寝ることをヴィンセントは想像したのだろう。

「当たり前だ。俺たちだって、男と同じベッドに寝る趣味はない」

 ダリオが呆れたように言う。ルーク、ディラン、トレヴァーは笑いをこらえていた。

 今朝のことは当事者のヴィンセントにとっても、目撃者であるカールとダリオにとっても、恐怖を孕んだ苦々しいこととして、これからも記憶の片隅に残り続けるのだろう。



 そして、レイナたちは、明日にアダムからの衝撃の決断を聞くこととなる。そのうえ、あの蘇りし凍った騎士・フレデリックが今後の自分たちの旅路に深く関わってくるのだということも――


 更に言うなら、まだ先のこととはなるが、今夜、カールとダリオの口より聞かされた、『影生者』としてこの世に生を受けた金髪碧眼の持ち逃げ兄妹までもが、自分たちの旅路に、”過去からの来訪者”とともにねっとりと”絡んでくる”こととなるのだ。

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