―11― ヴィンセントは一足先に

 夜。

 アレクシスの町の飲み屋の貸し切りの個室にて。

 こんがりといい色に焼き上がっているパン、湯気が立ち上がっている野菜のスープ、肉汁が滴り落ちそうなほど煮込まれた肉料理、そして数種類の酒がレイナたちの前に並べられていた。

 レイナと同じ円形のテーブルについているのは、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエル、首都シャノンからやってきた魔導士のカールとダリオ、そして彼らに”首都シャノンより連れてこられた”ヴィンセントの8人であった。

 アダムとジェニー、今も深い眠りについているらしいフレデリックの3人は、この場にはいない。きっと、アダムとジェニーは2人だけの話があるのだろう。


 レイナの右隣に座るルークが、大ぶりの肉にかぶりついた。ディランやトレヴァーも、思い思いに酒を傾けながら、料理を楽しみ始めた。

 今、この場にいるのは皆、平民(1人は元貴族であるが)であるため、レイナはいつかのアリスの城での晩餐のように、必要以上に自分自身のマナーや立ち振る舞いを気にすることもなく、気が楽であった。

 だが、やはり元貴族であるダニエルの食事作法は洗練されており、品があった。彼は音を立てることなく、静かにナイフとフォークを使い、肉料理を口へと運んでいた。

 その彼の隣に座っているのは、ヴィンセントであった。

 レイナは彼と会うのは、これで2回目となる。

 彼のあの物怖じしない堂々とした態度は変わっていないように思えたが、今の彼はどこか言葉少なに思えた。

 やはり、今朝のバツの悪さがまだ続いているのかもしれない。


 今朝、突如、輝く光の中よりヴィンセントは現れた。

 ヴィンセントは、あのリネットの町で自分たちと交わした約束をきちんと守ってくれた……のか?

 だが、彼のその現れ方に一同、面食らうしかなかった。

 まず、第一の疑問として、首都シャノンにいるはずのカールとダリオも一緒に現れた。カールとダリオはともに優れた力を持つ魔導士であるから、町を飛び越える瞬間移動が可能である。つまりは彼らがヴィンセントをここまで移動させたのだろう。

 そして、第二に……いや、この第二の疑問こそ、ここにいる一同が彼らに真っ先に問いたい疑問であった。

 ヴィンセントの均整のとれた長身の、両手首と両足首には重たげな手枷と足枷がそれぞれ付けられ、そのうえ逃走を防ぐかのように彼のその両腕に、両端のカールとダリオの腕ががっちりと回されていた。

 そう、まるでとらえられた囚人であるかのように、ヴィンセントは自分たちの前に再び姿を現したのだ。


「お、お兄さん……」

 ダニエルの声は震えていた。

 ダニエルの姿を認めたヴィンセントは、恥ずかしそうに頬を赤らめ、「……す、すまない」と小さな声で呟いた。


 ヴィンセントがなぜ、このように現れたのかという疑問に対する回答は以下となる。

 第一の疑問については「ヴィンセントが今朝、目覚めるとジョセフ王子のベッドの中にいたから」であり、第二の疑問については「そのことにより慮外者だとの疑いをかけられ、拘束されたから」であった。


※※※


 事の始まりは昨夜にさかのぼる。

 ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーは、ルークたちとの約束をきちんと守り、リネットの町からアレクシスの町へと移動していた。

 いかにものどかな田舎町であるアレクシスの町の、心地よい冬の終わりの空気を青き月の下で楽しみながら、ヴィンセントは考えていた。

――ひとまず、今夜は宿に泊まるとして、明日の朝、あの胡桃色の髪の可愛い女の子のおじいさんのところへ行くとするか。そこにはすでに”彼ら”も集まっているだろう。どうやら、かなりの町はずれにある家のようだし、朝、早くから出発すべきか……


 その情熱的なこげ茶色の瞳で、一夜の宿と酒の楽しみを兼ねる場所を探していたヴィンセントであったが、とある宿に入ろうとした時、背後から「あら、ヴィンセントじゃない?!」と声をかけられた。

 振り返ったヴィンセントの瞳に映ったのは、リネットの町で互いの同意の元、熱い夜を過ごした旅芸人の女性・メグであった。どうやら、彼女が属している旅一座は、このアドリアナ王国を北から南へと下っていっているらしかった。

 本日の出演を終えたらしく、すっかりほろ酔い加減のメグの周りには、同じくほろ酔い加減の彼女の同僚たちもいた。

 予期せぬ再会。瞳を交わらせたヴィンセントとメグは、同じことを考えていた。


 もし、この時、ヴィンセントはメグの柔らかな手ではなく、宿の扉に触れていたなら、宿の経営者夫婦の会話を聞くことができただろう。

「おい、お前、聞いたか。町はずれに住んでいる、タウンゼントの家が、子供の魔導士に木っ端みじんにされたらしいぞ」「そりゃ、お気の毒にねえ。まさか、タウンゼントさんは亡くなってしまったの?」「いや不幸中の幸いで死者は出なかったらしい。だが、ちょうど間の悪いことに、冬の間はデブラの町に行かせているジェニーちゃんが戻ってきていたらしい。それも複数の男連れで」「なんにせよ、気の毒よね。あの年で家を失うなんて……」「もし入用のものがあったら、タウンゼントのじいさんのところに持って行ってやるか」「……タウンゼントさんって、昔、魔導士だったんでしょ。やっぱり、どこかで恨みでも買っていたのかしら?」「今は普通の気のいいじいさんにしか見えないけど、確かに偏屈なところもあるからな。過去のことは分からんさ」などといった、事件に関係ない安全地帯にいる者たちの好き勝手な会話を。


 ヴィンセントが彼らのその会話を聞いていたなら、自分が明日に向かう先であるアダム・ポール・タウンゼントの家はすでに無くなっていることを知り、レイナやルークたちのみならず、ヴィンセントが弟のように可愛がっている”彼”の確実な安否を真っ先に確認しようとその宿を飛び出していただろう。

 

 だが――

 メグに連れられて入った別の宿の一室で、メグとともにひとしきり汗を流したヴィンセントは、下の肌着だけを身に着け、ベッドで一息をついていた。外はまだまだ冬の冷たさが感じられていたが、この部屋は熱気に満ち、とても暖かかった。

 ヴィンセントのまだ熱く脈打っている胸板の上に、まだ喘ぎを続けているメグが自分の頭をそっともたせかけた。メグの柔らかな髪がヴィンセントの肌をくすぐった。

 ヴィンセントの心臓の鼓動を確認したメグはそっと瞳を閉じた。

「……で、あなたは明日、”弟”がいるところへと向かうのね?」

「そうです。長い間、引きこもっていて本ばかり読んでいた彼が、自らの意志で外に出たいと言ったのです。彼のなかの押さえつけられ、くすぶり続けていた情熱が、ついに沸点に達したのでしょう。私が全てのお膳立てをしても何の意味もない。彼自身が自分から一歩を踏み出さなければね……」

 メグがそっと瞳を開け、ヴィンセントを見上げた。

「でも、その弟って、いささか行動が極端すぎる気しないかしら? 19才にもなって……いきなり、知らない男の子たちに声をかけて、自分を仲間にしてくれなんてねえ……」

「確かに彼は世間知らずなところもあります……彼は一番愛されたかった存在からの愛を感じることができないまま育ち、そのことによって、彼の心は頑ななまでにかたく閉ざされ……」

 ヴィンセントは”彼”の話はそろそろおしまいというように、言葉を濁した。

「一番、愛されたかった存在って、母親かしら? 私みたいに単にポンと産み捨てられた娘も悲しいけど、実の親の元で育っても愛を感じることができないなんて悲しいわよね」

 メグの言葉にヴィンセントは、頷いた。

「……実は私もあなたと同じく、父や母の顔を知らないのですよ。私も捨て子だったのです。私を育ててくださったのは、アリスの町にある領主の城に仕えていた教師の男性です。数年前に冥海へと旅立ちましたが、素晴らしい男性でした。その私の育ての父が言うには、私は木のゆりかごに乗せられた状態で海岸へと打ち上げられたらしいです。それを父が発見して……」


 その話を聞いたメグはガバッと顔をあげて、潤んだ瞳でヴィンセントを見つめた。

「ロマンチックねえ……捨て子のシチュエーションをロマンチックなんて言ったら、失礼だけど……雄大な海から生まれた子供なんて、あなたにはピッタリな気がするわ」

 ヴィンセントは柔らかな笑みを浮かべ、メグの肩を優しく抱いた。

「……そのせいか、いつも瞳を閉じると、波の音が聞こえるような気がするのです。そして、海で私の帰りを待っている母のような存在がいるのではと……」


 メグがヴィンセントの唇をふさいだ。ヴィンセントはそっと瞳を閉じ、メグの唇を受け入れた。

「さあ、ピロートークはこの辺にして、そろそろ眠りますか? 私は明日の朝一で町外れへと向かいますし……メグ、あなたは明日にこのアレクシスの町を発つのでしょう?」

 メグが頷く。

「ねえ、ヴィンセント。明日、あなたが行く先には、前に私の元に訪ねてきた、あの3人の男の子たちもいるのよね。特にあのくすんだ金髪で少し気の強そうな子は可愛かったわ。”私たち”みたいに、30手前にもなると、妙に若さが眩しく感じるのよね。人生はまだまだ続くっていうのに……」

 フフッと笑ったメグに、ヴィンセントが「あの……一応、私の実年齢は23才なのですけどね……」と言った。

 尋常でないほど男の色気が溢れているヴィンセントは、メグだけでなく世の大多数の者(レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァーも勿論のこと)が彼の実年齢よりも上――30才に近い20代後半に見えていたのだろう。


 メグは”え? 6才も下だったの?”と驚いたが、その驚きを大人の女性として顔に出さないようにして、次の話題へと移った。メグはまだピロートークを続けたいらしい。

「……ねえ、首都シャノンにいらっしゃるマリア王女がご病気で長い間、臥せってるらしいわよ。今日、私たちの踊りを見に来てくれた客が話していたわ」

 ヴィンセントはメグの髪を撫でる手をピタリと止めた。

 彼が知る限り、”マリア王女”はリネットの町で会った、その絶世級の外見の美しさにそぐわず、どこかオドオドとして自信なさげなあの娘であった。本当のマリア王女の魂は悪しき者に八つ裂きにされ、今、マリア王女の肉体にいるのは、異世界から来た少女・レイナの魂であるのだと聞いていた。

 やはり、民に本当のことが知られるのはまずいと思い、病気で臥せっているという嘘の噂をきっと城の者たちが意図的に流しているのだろう。


「お城って、どんなところかしら? 一度、行ってみたいわ」

「メグ……やはり女性はお姫様に憧れがあるものなのですか?」

 ヴィンセントのその問いに、メグは”まあ、まさか”というように笑って、ゆっくりと首を振った。

「……正直、小さな子供の頃はお姫様に憧れていたわ。いつも綺麗な服を着て、飢えることもなく、理不尽に傷つけられることもなく、薔薇色の光に包まれてこの世に生を受けた女の子だってね。でも、成長するにしたがって分かるわよ。高貴な身分に生まれた人はそれ相応の義務と責任を果たさなければいけないって。もし、私が王族や貴族に生まれていたら、気苦労とストレスで白髪だらけになって、早死にしちゃうわ。だから、やっぱりこうして自由気ままに、大好きな歌と踊りで生計を立て、時々あなたみたいないい男と抱き合って眠るのが、このメグ・ドゥリーン・ハリスには合っているのよ」


 メグににっこりと頷いたヴィンセントは、「さ、そろそろ寝ますか」と彼女の肩を再び優しく抱き返した。

 毛布の下で2人の人間のぬくもりが重なり合う。

 メグからぬくもりを与えられ、また自身もメグにぬくもりを与えているヴィンセントは長い睫毛に縁どられた瞳をそっと閉じた。

 彼は”考えていた”。

 明日、自分が再び出会うこととなる少女と青年たち。その背後には、このアドリアナ王国の王族もいるのだということを。

 あのルークたちは、このアドリアナ王国の第一王子であるジョセフとも面識があるというより、彼から直接、護衛の任務を命令されたとも言っていた。

 自分もそうだが、片田舎に住むただの平民の青年である彼らが、年頃は同じであったとしても雲の上の存在ともいえる王子とのつながりを持った。しかも、彼らもアポストルなんていう人智を超えた存在から、啓示を受けるような心当たりなどはないと……


 静かなメグの寝息が聞こえてきたヴィンセントは、またしても”考えていた”。

 彼らと合流すれば、いずれ自分もジョセフ王子に謁見することとなるに違いないのだ。

 第一王子・ジョセフは自分より2才年下の21才で、金髪と青い瞳の美しい容姿を持ち、文武にたけた人物であるとは聞いてる。妹のマリア王女があまりにも美しいため、人目に触れさせないようにしているとの噂を旅人から聞いたこともあったが、それはレイナやルークたちの話を信じる限り、真実ではないはずだ。

 ジョセフ王子は、サディスト&ニンフォマニアなマリア王女の被害者をこれ以上、出さないようにとしていたに違いない。


 まだまだ、自分の考えを頭の中でまとめたかったヴィンセントであったが、ウトウトとした眠気がまるで波のように打ち寄せてきている気がしてきた。

 自分の今いる”ここ”は、海からは遠く離れた陸地である。

 常識で考えれば、波の音が聞こえるなどあり得ない。だが、本当に(自分は母の顔は知らないが)母の子守歌のような波の音が、彼の心と肉体を満たしていった。

 それと同時に、「私がこの瞳で見るジョセフ王子とはどのような人物か」ということを”考えずにはいられなかった”。彼の中に響き続ける、波の音はさらに大きくなり、そして、彼は深い眠りへと落ちていった――



 日が昇る直前の首都・シャノンにて。

 城のベッドの上で眠るジョセフは寝返りをうった。彼はすこぶる浅い眠りの中にいた。

 ジョセフはアリスの町から首都シャノンに戻って以来、眠り慣れたベッドでも、深く眠ることができないでいた。やっと眠れたかと思えば、ハッと何かに起こされるように瞳をあけてしまっていた。その繰り返しにより、朝を迎えるのだ。

 食事の量も減り、以前より痩せてしまったことも、ジョセフは自分でも自覚はしていた。


――アンバー……


 ジョセフは心の中で、自分が守り抜くことができなかった愛しい女の名を呼んでいた。ジョセフの瞼の中にいるアンバーは優しく微笑んでいた。だが、自分の記憶の中にいるアンバーにしか、もう二度と会うことはできない。

 ジョセフは瞼をギュっと閉じた。

 生まれてこの方、一度も政務の時間に遅れたことはないジョセフである。眠る時間に眠っておかなければ、政務に差しさわりも出るだろうと。

 と、その時――

「!!!」

 彼は気づいた。

 今はまだ薄暗いこの部屋の中に何者かがいる。そして、自分のベッドに潜り込んでいることに!

 

 自分の背の方向に横たわっている影は大きく感じられた。間違いないなく、男であるだろう。そして、信じられないことにその影はスースーと規則正しい寝息を立てていた。

 近くの部屋で休んでいるはずのカールやダリオが、自分の部屋に潜り込むなどといった無礼な真似をするわけがない。まさか、あのフランシスが自分をからかうために潜り込んできたのか。いや、フランシスだとしたら、こんなに暢気に寝息を立てることなどないだろう。

――何者だ?!

 ジョセフは”不審な大きな影”に気づかれないように、ベッドの側の剣へとそっと手を伸ばした。



 心地よい眠りにまどろむヴィンセントもまたゴロンと寝返りを打った。

 だが、自分の側で寝ているはずのメグの温かな肉体に触れることはできなかった。けれども、シーツの上には自分以外の人間のぬくもりが生々しく残っていた。

「?」

 まだ完全に覚醒しきっていないヴィンセントも、違和感に気づいた。

 自分が横たわっているこのベッドの面積が妙に広がっているような……そしてこの上半身の肌身に触れるシーツや毛布も昨晩よりも質が良く、軽くてなめらかな手触りへと変わっているような気が……


「!!!」


 同じベッドで眠っていた2人の男は、ほぼ同時にベッドから跳ね上がった。


 剣を構えるジョセフの瞳には、燃えるような赤毛と艶のあるこげ茶色の瞳をした美しい男が映っていた。

 下の肌着のみを身に着けたヴィンセントの瞳には、輝くばかりの金色の髪と冴え渡った青い瞳の美しい男が映っていた。

 広い窓より差し込んできた、ちょうど昇り始めたばかり朝日が、それぞれの姿がよりはっきりと照らし出した――


「き、貴様……! 何者だ?!」

 ジョセフがヴィンセントに剣を突き付けた。彼の頬は恐怖ではなく、湧き上がる怒りのためブルブルと震えていた。

――誰だ? この男は?! 城の厳重な警備を潜り抜けて、よくも私の部屋にまで侵入するなど……やはり、あいつの――フランシスの仲間なのか?!


 目の前の見知らぬ金髪の男に、剣を突き付けられたヴィンセントは無抵抗を表すため、無言で両手をバッと上に上げた。

 あのリネットの町で、自分が宿に侵入するという騒ぎを起こした時以上にヴィンセントは焦っていた。

――どこだ? ここはどこなんだ?! 目の前にいるこの男は誰だ?! なぜ、私は……

 近くには一緒に寝ていたはずのメグの姿も見えない。というよりも、ここは昨晩、眠りについた宿などでは絶対になかった。自分に厳しい表情で剣を突き付けているこの男が自分たちのベッドに侵入して来たのではなく、自分がこの男が眠っていたベッドに”侵入してしまった”のだと。

 昨夜からの記憶はない。だが、この状況では明らかに不審者は自分だ。

 しかも、ヴィンセントにとっては、非常に都合の悪いことにこの部屋の廊下よりバタバタと駆け付けてる足音が聞こえてきた。


「ジョセフ王子! いかがなされました!」

 扉をバァンと開け、この部屋に飛び込んできたのは、橙がかった黒髪の兄弟、いや双子だと思われるともに賢そうな顔立ちをした2人の男であった。

「この者が私のベベベ……ベッドの中に!!」

「!!!」

 駆け付けた2人の男は、ハッとしてヴィンセントを見た。

 当のヴィンセントはこの男たちの登場だけでなく、2人の男たちが発した”ジョセフ王子”という言葉に、更なる窮地――それも後ろに退路など残されてはいない窮地に陥ってしまった。

 

――ジョッ……ジョセフ王子だと?! そうなると、ここは首都シャノンなのか?!

 この室内も、そう華美ではないが、厳かな匂いを放つ調度品が揃っている。なおも厳しい表情で自分に剣を突き付けている目の前の男は、金色の髪と青い瞳、高貴で近寄りがたい美貌の持ち主であり、話に聞いていたジョセフ王子の外見の特徴に見事なまでに一致している。

 目の前の金髪の男は、どこかの貴族の家の息子だと一目で予測はついていたが、貴族どころか――


 最悪だ。


 駆け付けた男たちのおそらく弟の方だと思われる、前髪を重たく垂らし目がクリッとしている男のサイドの髪は盛大にはねていた。兄の方だと思われる、やや面長で角ばった顎をしている男のズボンの裾は片方が上がり、上着の胸元ははだけていた。

「一体、どこから、忍び込んだ?!」

 ”弟”の方は、すでにその手に気をたずさえていた。

「貴様、フランシスの仲間か?!」

 ”兄”の方も、すぐさまヴィンセントに向かって飛びかかっていかんばかりに身構えていた。

 主君の異変に気付き、身なりにも構わず駆け付けたジョセフ王子の側近たちは、どうやらともに魔導士であるらしかった。



 王子・ジョセフの部屋での異変を感じ、身支度を整える間もなく、ジョセフを守るために駆け付けたカールもダリオも驚愕した。

 均整のとれた長身、見事な赤毛、そして愁いに満ちたこげ茶色の瞳のすこぶる美しい男がいた。この美しい男が身に着けてるのは、下半身の肌着1枚だけである。

 肌身の上半身は筋肉質というほどではないが引き締まり、下半身は薄い肌着のみであったため、その局部の形までうっすらと見て取れた。

 怪しい。怪しすぎる。

 だが、この美しく怪しい慮外者は、厳重な城の警備をくぐりぬけ、どうやってジョセフ王子の部屋のベッドにまで忍び込んだというのか?

 答えは1つだ。この男も、自分たちと同じく魔導士としての力を持って生まれた者であるのだ。フランシスの仲間かもしれない。まずは、拘束して――

 カールとダリオが互いに素早く顔を見合わせ、再び身構えた時、男が言葉を発した。


「……私の名はヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーと申します」


 両手を上に上げたまま、ヴィンセントはジョセフ王子と彼の側近たちに自分の名を正直に告げた。

 人生でかつて見舞われたことのないほどの窮地に今、立たされている。退路などもう残されてはいない。どうあがいても、自分自身、訳も分からないまま、拘束され裁きを受けるに違いない――

 だが、その窮地に一筋の光が差し込んできた。

 その光は、ヴィンセント自身の中から放たれた光であった。彼は思い出したのだ。あのレイナやルークたちの話を。

 ジョセフ王子は、”ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー”という名が、アポストルからの手紙に書かれていたことを知っているはずであった。それに何より、あの”マリア王女”の中にいる魂の真実をヴィンセントは知っているのだ。

 この場で自分の本当の名を隠すのではなく、告げることが自分自身を救うことになるのだと。


「……ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー?」

 ヴィンセントの願いが通じたのか、ジョセフ王子と彼らの側近から放たれていた殺気が少しだけ和らいだようであった。どうやら、自分の名前を覚えていてくれたらしい。

 この機に――と、ヴィンセントは彼らに懇願するがごとく、言葉をたたみ掛けた。

「ジョセフ王子、大変なご無礼をどうかお許しくださいませ。私は、アポストルからの啓示を受けた3人の青年――ガルシア、ハドソン、ロビンソンよりリネットの町で出会い、彼らより一連の話を聞きました。そして、私は彼らと行動をともにしておられる妹君の”マリア王女”の中にいる魂の真実を知っております」


「……申してみよ」

 ジョセフはヴィンセントに剣を突き付けたままではあったが、彼の話を最後まで聞こうとしていた。

「今のマリア王女の中にいる魂は、アンバーという名の女性魔導士の力によって、異世界より誘われた少女の魂であると……彼女の名はレイナ。年は確か15才だと、レイナ本人が申しておりました……」


 ジョセフが自分に突き付けていた剣をスッと下ろした。カールとダリオも、それぞれの手の内にためていた気をスウッと消失させた。

 ヴィンセントは胸を撫で下ろした。

 あのリネットの町での夜の記憶の引き出しを必死で引っ張り出し、この場で斬り殺されることだけは取りあえず避けられる方向へと向かっている。

 だが――

「……お前が確かにスクリムジョーであるとしよう。だが、なぜ、私のベッドになど忍び込んだのだ?」

 まだ厳しい表情を崩さぬジョセフに問われたヴィンセントは言葉に詰まった。自分自身にもそれは分からない。ジョセフ王子やこのアドリアナ王国の王族に、敵意など抱いていない。ただ、心当たりといえば、昨日寝入りばなに今、目の前にいるジョセフ王子のことを”考えていた”ぐらいなのだから……


「そ、それは私自身にも分かりかねることなのです。間違いなく、昨夜の私はアレクシスの町の宿で眠りについたはずです。そこからの記憶がなく……本当に大変なご無礼をいたしました。ですが、私自身、王子に危害を加えたりするつもりは毛頭ございません」

 ヴィンセントは、その場でジョセフに跪き、深く頭を垂れた。今、自分が口にした言葉は、全て真実である。けれども、馬でも10日以上かかる距離を一夜にして移動したなど、誰が信じてくれるだろうか。


 深く頭を垂れたままのヴィンセントの耳に入ってくる、ジョセフ、カール、ダリオの小声が大きく響いてきた。

「この者はわずか一夜であれだけの距離を移動したということか?」

「魔導士だとしても、たった1人の力でそれだけの距離は……」

「いや、レイナのように魂が肉体に完全に馴染んでいなかったため、起こったようなケースも……」

 

 ふいに彼らの話し声はピタリと止んだ。

 ジョセフの「面を上げよ」という声に、ヴィンセントは顔を上げた。

「今から、このカールとダリオ、そして他の魔導士たちの力で、お前をレイナたちのいるところまで連れていこう。お前が真実、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーであるなら、レイナたちが証明してくれるであろう」

 そのジョセフの申し出に、ヴィンセントは頷いた。

 それしかない。

 あの少女・レイナたちには非常に迷惑をかけることになるし、そのうえ、恥ずかしいが身の潔白(最高級に高貴な身分である王子のベッドに自分が忍び込んでいたのは事実ではあるが)を証明するのにはそれしかない。


「お前たち……この者に服を貸してやれ」

 ジョセフがカールとダリオに言った。


 ジョセフの部屋から出され、カールが持ってきた服を着たヴィンセントは、ダリオに「悪いが……証明できるまで拘束させてもらうぞ」と服と一緒に用意されていた手枷と足枷をガッチリとはめられた。

 その後、わずか数分で自身の身だしなみを整え、いかにも魔導士といった風情の黒衣に着替えたカールとダリオが、ヴィンセントの両隣に立ち、逃走を防ぐように彼の腕にそれぞれの腕を回した。

 どこからどう見ても、裁きを受ける囚人にしか見えない姿で、ヴィンセントは城の長い廊下を彼らとともに歩くこととなった。

「……少しだけ、我慢してくれ。もう少しで、この城の魔導士たちが集まっている部屋に着く。ジョセフ王子もすでにお見えになっているはずだ」

 左隣のダリオが言った。

「今から俺たちが行う瞬間移動だが、首都シャノンからアレクシスの町のレイナのところにまで、正確にコントロールするとなると、かなりの魔力と集中力を要することとなる」

 今度は、右隣のカールが言った。

 

 彼らに挟まれて歩くヴィンセントは思っていた。

 このカールとダリオという2人の魔導士であるが、顔はカールが弟、ダリオは兄と推測できるほどによく似ているが、声は全く違っている。もしかしたら、彼らに血のつながりはないのかもしれないと。


 彼らと肩を並べて歩く、ヴィンセントの前に重圧な扉が迫ってきた。おそらく、あの扉の向こうにジョセフ王子、そしてこのアドリアナ王国の王族おかかえの魔導士たちが勢ぞろいしているはずだ……


※※※


こうして――

自分自身にも訳が分からないまま、一足先に首都・シャノンへと”行ってしまった”ヴィンセントは、遠く離れたアレクシスの町で、自分を待っている者たちの前に姿を現すことになったのだ。

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