―8― 矢継ぎ早に生じる謎と2人の刺客

 全ての者を凍えさせるような冷気に満ちた家の中。

 その中心に敷かれた布の上に何者かが横たわっている。白いシーツを平らな胸までかけられたその者の、生命の息吹は全く聞こえてこなかった。


「……おじいちゃんっ……!!!」

 ジェニーの悲鳴にも思える声。

 ジェニーだけでなく、この場にいる誰もが最悪の想像をしていた。

 今、自分たちの目の前に横たわっているのは、”殺害された”アダム・ポール・タウンゼントであるのでは。あの冷酷な悪しき者たちは自分たちの先回りをし、この家に1人でいたアダム・ポール・タウンゼントを殺害した。悪しき者たちはそれだけでは飽き足らず、力を誇示し、または残された者たちをさらに苦しめたいがために、アダムの亡骸にわざわざ白い布をかけ――

 あの悪しき者たちなら、在り得ることであった。

 

 薄暗いなか、ジェニーは窓の方へとダッと駆け寄った。

 彼女は窓の近くに積み重ねられている家具に身軽によじ登り、分厚いカーテンをサッと開けた。まだ眩しい太陽の光が差し込んできた。あと数時間もすれば、外は夕暮れとなるであろう。

 差し込んできた太陽の光という自然の息吹。そして、逃げ道のために開け放された玄関から吹いてくる風が、この不気味な冷たさをわずかに和らがせた。


 ジェニーは失神寸前の青ざめた顔のまま、横たわっている者へと振り返った。

「……誰?」

 ジェニーのその声は震えていた。

 けれども、ジェニーがそう漏らしたということは、横たわっているこの者は、彼女の祖父のアダムではないということだ。

 そして、レイナたちも、そのジェニーの声を聞かなくとも、この横たわっている者がアダムであるはずがないと即座に理解できた。

 かたく瞳を閉じたまま、横たわっていたのは、まだ年若い青年であったのだから――


 青年の年の頃はちょうど、ルークたちと同じ、18才前後であると思われた。彼のグレーの髪の毛はうねりが全くなく、サラサラとしている。西洋系の濃い顔立ちの者が多く暮らしているこのアドリアナ王国にしては、彼はややあっさりとした目鼻立ちではあるだろう。けれども、鼻筋はすっと通り、髪の色と同じ色の眉毛はやや濃く凛々しさと意志の強さを感じさせた。

 そのうえ、呼吸を全く感じられない彼のその肌は、眠っていると言われても納得できるほど瑞々しく、若者特有のはりがあり、まさしく生者のものであった。


「……誰? 一体、誰なの?!」

「ジェニー、落ち着いて。この人、知ってる人ってことはない? 町で見かけた人とか……」

 ディランの問いに、ガクガクと震え続けているジェニーは、首をブンブンと横に振った。

「知らない! 全く、見たこともない人だわ! おじいちゃん、一体、どこに行ったの?!」

 横たわっている屍は祖父ではなかった。けれども、全く知らない見たこともない青年が自分の家の中にこうして横たわっている、そして祖父はどこへ行ってしまったというのか、と、矢継ぎ早に生じる謎にジェニーはパニック起こしかけていた。

「ジェニー!」

 ガクリと膝を折るように、ふらついたジェニーにレイナは駆け寄り、彼女を支えた。

「少し、座っていた方がいい」と、トレヴァーは積み重ねられていた家具の中から椅子を取り出し、ジェニーを座らせた。

 ジェニーは胸に両手をやり、荒くなってくる呼吸を必死で抑えようとしていた。彼女の背中をさすりながら、レイナはこの家の中を見渡した。

 冷気に満ち、家具が部屋の中心部から窓の方へと意図的に積み重ねられているようには思えたが、この家の中に何者かに荒らされたような爪痕はないようにレイナには思えた。まめに掃除をしているのか、埃っぽさは感じらされなかった。それによくよく見ると、テーブルなどの大きな家具はロープできちんと固定され、窓の方へと押しやられているのだ。



 青白い頬のダニエルがゴクンと唾を飲み込んだ。

「……し、し、失礼します……っ」

 そして、彼は皆と同じく荷物を床に置き、死体のごとく横たわっている青年へと近づき、かがみ込んだ。

 おそらくダニエルは、この青年が”本当に”命亡き者であるかを調べようとしているのだろう。

 もう一度、ゴクンと唾を飲み込んだダニエルは、深く深呼吸をし、慎重に青年にかけられている白いシーツをめくった。

 青年は衣服は何も身に着けてはいなかった。彼はまさに生まれたままの姿である。だが、彼の骨ばった彼の”両手首”に腕輪がはめられていた。

「あ、あの、私……念のため、この方の脈の確認をいたしますっ……」

 ダニエルは、両腕をまくった。ダニエルの両腕は、透きとおるように白く、力仕事などしたことがなさそうな華奢な腕であった。


 ダニエルは、緊張で湿った手で青年の左手首にそっと触れた。だが、青年の”弾力がある”その肌は、とうの昔に死んだ者のように冷たく、ダニエルの肌すらもブワッと鳥肌立たせた。

 ゴクンと3度目の唾を飲み込んだダニエルは、青年の首筋へとその震える手を伸ばした。

 ”今度こそ”脈を確認するために。

 けれども……

「や、やっぱり、ななな亡くなってます……この方……!」

「!!!」

 ダニエルだけでなく、レイナたちの頬もさらにサアッと青くなった。


 自分たちの目の前には、紛れもないく死体が横たわっている。

 ジェニーだけでなく、誰もが見知らぬその青年の死体が……

 けれども、なぜ、このような状況に――?


 誰もが息を飲み、静まり返った。

 その時、ルークが「?」とダニエルが先ほど確認した左手首にはめられた腕輪に目を留めた。

「その腕輪……模様か文字みたいなもの、彫られていないか?」

 青年の両手首にある、やや太めの腕輪。

 それは、流れゆく時にさらされたようにボロボロであり、黒ずんでいた。

「はっ……そ、そうですね。何か、文字が彫られていますね。私、あまり目が良くないので、気づきませんでしたっ……」

 ダニエルはまるで咎めを受けたように、ペコペコと頭を下げ、慌てて青年の左手首を手にとった。青年の脈無き左手首にしっかりとはめられている腕輪に彫られている模様か文字を確認するために。


 ドッドッドッと、脈打つ自身の心臓の音を聞きながら、レイナは考えていた。

 青年の両手首にある重々しい腕輪。

 両方の手に腕輪をはめられるという事柄より考えられること。この青年は、捕らえられた者か、もしくは……

 

「こっこれは、囚人の手枷などではありませんっ……手枷だったら、鎖が接続されていた跡があるはずですから……それにこの方、両足首には何もありませんし……」

 ダニエルも、レイナと同じことを考えていたらしかった。この青年は囚人ではないようである。

「えっと……腕輪には文字が彫られておりますね。”アドリアナ王国の偉大なる国王 ジョセフ・ガイの御代に永遠の光あれ”と……」

 腕輪にぐっと瞳を近づけたダニエルは、腕輪に彫られている文字を読みあげた。


 国王ジョセフ・ガイ。

 この世界のことなど、まだ碌に把握もきてはいないレイナだけでなく、このアドリアナ王国で生まれ育ったルークたちも訳が分からなくなった。


 このアドリアナ国の直系の王族は、家の名前ともいえるラストネームは持たない。

 現在の国王の名は、ルーカス・エドワルドである。

 国王には妻である王妃・エリーゼ・シエナ、そして本来だったら彼ら国王夫妻は3人の子供がいたはずであったが、無事にこの世に産声をあげることができたのは、2人の子供だけであった。

 第一王子ジョセフ・エドワードと、第一王女マリア・エリザベス。

 同じジョセフというファーストネームであるが、国王の唯一の後継者ともいえる、あのジョセフ王子とはミドルネームが異なっているし、第一に彼はまだ国王とはなっていない。

 ”国王 ジョセフ・ガイ”とは、一体……?!


「……このジョセフ・ガイとは、今より約200年ほど前にこのアドリアナ王国を治めていた国王の名前ですね……今はとても平和なこのアドリアナ王国ですが、200年前は内乱や他国からの奇襲で非常に不安定で……そんななかにあっても、ジョセフ・ガイは文武にたけ、非常に有能な国王であり、民たちに人気があったと歴史には残っております」

 ダニエルが皆の疑問に、解説付きの回答をした。

 元貴族であるダニエルは、文字の読み書きはもちろんのこと、このアドリアナ王国の歴史を教養として、しっかりと身につけていたのだ。


 目の前の死せる青年は、200年前の国王の名を腕輪に刻んでいる?

 誰もがその疑問を消化する前に、ダニエルが「もしかしたら、そっちの腕輪に……」と、何かを思い出したように、青年の右側へと回り込み、その右手首に同じくある重々しい腕輪に瞳を近づけた。


 不思議にも、この時の彼――ダニエルには、いつものようなオドオドビクビクとした様子は全く見られなかった。そして、彼は続ける。

「やっぱり、ありました。この右手の腕輪に彫られているのは、おそらくこの方のお名前だと思われます。”フレデリック・ジーン・ロゴ”と……」


 フレデリック・ジーン・ロゴ。

 これがこの青年の名前であるらしい。だが、ダニエルはなぜ、そう思ったのか? それを知っていたのか?

 レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァー、ジェニーの「?!」といった視線を、またしても一瞬で集めてしまったダニエルの青白い頬はみるみるうちに赤く染まっていった。


「あ、ああ、あ、あの私、単に本で読んだのです。国王ジョセフ・ガイの治世で、戦地に赴く若者たちの間で両手首にこうして腕輪を付けるのが流行ったと……いわゆる、おまじないのようなものですね……左の腕輪に自分が命をかけて愛する者、または絶対に忠誠を誓う者の名前を彫ってもらい、そして右の腕輪には自分の名前を……こうして、左の腕輪に大切な者、右の腕輪に自分という唯一無二の存在の名を彫った腕輪を身につけることにより、例え、戦場で窮地に陥ったとしても、死の窮地から引き上げられると……」


「へえ……物知りなんだな」

 ルークが感心したように呟いた。

 ダニエルの口からは、珍しいほど饒舌に言葉が紡がれていた。彼は金づるなどではなく、こうしてきちんと知識の面で役には立っている。

 だが、ダニエル自身は、自分にしては喋り過ぎてしまったことに気づき、ハッとして、その血色のよくない唇を押さえて俯いてしまった。

「……い、いいえ、単に本で読んだだけの知識です。貴族の身分を捨ててからというもの、時間だけはたっぷりありましたから……」


 今のダニエルの話によって、この青年の素性というよりも1つのことが判明した。

 この青年は、200年前に生きていた者である可能性が高いということだ。だが、そのことは余計にこの謎と不安に満ちた事態を混乱させる要素にもなった。

「まさか、魔導士って、死んだ人間を蘇らせることとかもできるのか?」

 ルークが言う。

 元魔導士・アダム・ポール・タウンゼントが何らかの必要があり、約200年前に死亡したと推測されるこの青年を蘇らせようとしたのでは、と。

 ジェニーは涙目のまま、首を横に振った。

「いいえ、おじいちゃんは言っていたわ。魔導士だからと言って、何でもできるわけではないって……すでに滅びた肉体を再生させたり、冥海へと行ってしまった者の魂を呼び戻すことはできないと……だから、死者を蘇らせることはできないはずよ」

 

 レイナもルークと同じことを考えていたが、ジェニーの言葉に納得せざるを得なかった。

 魔導士が死者を蘇らせることができるというなら、アンバーが死んだ時に、カールもダリオも、そしてあのフランシスこそ様々な意味合いで必要としていたアンバーをすぐさま甦らそうとしていたはずだ。

 やはり、人智を越えた力を持っている魔導士たちでも、踏み入れることができない禁忌はあるのだ。


 けれども、そうすると、この状況に説明がつかない。

――もしかして、ジェニーのおじいちゃんって、あのフランシスを凌ぐ力の持ち主ってことなの……?

 グルグルと回り出すレイナの思考。矢継ぎ早に生じる謎に、その思考は収拾がつかなかった。

 けれども、「おじいちゃん、どこへ行ったの?」というジェニーの泣き声に我に返った。

――そうだわ! 今は何よりも、ジェニーのおじいちゃんの無事を確かめなければ……!


「ジェニー、おじいさんは悪者に連れ去られたという可能性もある。でも、念のため、この家の中を全て調べてみよう!」

 ディランが言った。

「そうね! おじいちゃん、眠りが深くなってきて、ちょっとやそっとじゃ、最近起きなくなっているもの! どこか狭いところで眠っているだけかもしれないわ!」

 自分自身に言い聞かせるようなジェニーのその言葉であった。


 孫娘のジェニーと同じく、眠りが深い体質であるらしい祖父のアダムが、この家のどこかで眠りこけているのではという希望。それは、この状況では極めて叶う可能性が低い望みであるとも思われた。


 ジェニーが椅子から立ち上がり、溢れ始めた涙をぬぐった時であった。

 開けっ放しの玄関より流れ込んできた強い風が、青年・フレデリックにかけられていた白いシーツをバサッと吹き飛ばしたのだ!

 薄いシーツは鮮やかなまでに宙をふわりと舞った。


「キャ――――!!!」

 一糸まとわぬ姿となった青年の姿に驚いたジェニーは、近くにいたレイナの手をガッと掴んだ。

 レイナはジェニーに引っ張られるようにして、家の外へと彼女とともに逃げることとなった。

「ジェニー! レイナ!」

 トレヴァーが自分たちを呼び止める声が、背中より追いかけてきた。



「なんつー声だすんだよ。あいつ……」

 わずかな期間に、ジェニーの大絶叫を2度も聞くはめになってしまったルークが両耳を押さえて、顔をしかめていた。

「そりゃあ、悲鳴もあげるよ……」

 ディランが溜息をつき、風に飛ばされた白いシーツを拾い上げた。

 ディランもルークと同じく、耳にキーンとした耳鳴りが残ってはいたものの、突然の風のイタズラにより、うら若き乙女たちの前で自分の意志に関わらず、全てをさらけ出すことになってしまった青年・フレデリックにも同情し、彼に白いシーツをそっとかけ直した。


 だが、その時――

 彼らはバタバタという足音を聞いた。それは明らかに、この家の中より聞こえ、自分たちのいるところに近づいてくる音であった。


「ジェニー!?」

 バタン! と奥の扉の1つが勢いよく開いた。

 その扉の向こうに立っていたのは、1人の老人であった。

 年はおそらく80才は越えているだろう。日焼けした四角い輪郭の顔にことさら深く刻まれている目じりの数本の皺、だが年の割には引き締まって頑強な印象を与える肉体に分厚いラクダ色の腹巻を巻いた老人は、あばらを押さえて、息を切らしていた。

 老人の瞳は胡桃色であり、頭髪のてっぺんは極めて薄くなっているが白髪交じりの胡桃色の髪の毛がサイドに残り、寝癖ではねていた。

 ジェニーと同じ瞳の色と髪の色。

 そう、ジェニーの名を呼んだ、この老人こそ、まさに自分たちの尋ね人の1人であるアダム・ポール・タウンゼントであった。

 彼は、”ルークたちから見て”異常な事態が起こっていると思われたこの家の中で、つい先ほどまで深い眠りに落ちていたのだ。


「む? 誰だ、お前ら?」

 寝起きのアダム・ポール・タウンゼントも驚いた。

 確かに孫娘のジェニーの悲鳴が聞こえた。ベッドより飛び起きたアダムは、痛むあばらを押さえて、駆けた。

 だが、悲鳴が聞こえたはずの扉の向こうには、ジェニーではなく、見知らぬ4人の若者がいたのだ。

 自分と孫娘の家に、勝手に入り込んでいる4人の若者たち。

 分かりやすいほどにその外見にそれぞれ個性がある4人の若者の年は、皆それほど離れていないようであった。

 80年以上も様々な人間を見てきたアダムは、自分の前にいるこの若者たちは、いかにもなゴロツキや悪人のようには思えなかった、だが、自分は確かにここにいるはずがない孫娘の悲鳴を聞いたのだ。この冬が終わるまでは、デブラの町の宿で、自分とは長年の顔なじみであり信用のおける女将の手伝いをしているはずの孫娘の――


「確かにジェニーの声がした……お前ら、ジェニーをどうした? どこへやったんだ?!」

 アダムが野太い声を張りあげた。そのアダムの剣幕に、ダニエルがビクンと飛びあがった。

「いや、俺らがどこへやったつうか、あいつが……」

 ルークが言い終わる前に、アダムが「!!!」として、視線を上に上げた。

 元魔導士・アダムは気づいたのだ。

 この家に迫り来る、”本当に悪しき者”が放つ気に――



 全く予期せぬハプニング。

一瞬のことであったので、レイナはあの青年・フレデリックの陰部をそれほどしっかりとは見なかった。だが、盛大な悲鳴をあげ、自分の手を取って駆けるジェニーは自分と同じくあまり男慣れしていないというか、初心であるらしかった。

――さっきのことには私も本当にびっくりしたわ。でも、一体、どうなっているの?

 訳が分からない。

 あの小さな家の中から、この辺り一帯にまで漂っている冷気。200年前に生きていた痕跡がある瑞々しい青年の死体。それに姿が見えない、アダム・ポール・タウンゼント……

 レイナの手を取ったまま、駆け続けていたジェニーであったが、ハッと思い出したように立ち止まった。

「……おじいちゃんっ!!」

 涙目で家の方を振り返ったジェニー。レイナは、そっと彼女の手を握り直した。

「……ジェニー、とにかくあの家の中へと戻ろう。まずは、おじいさんを探そう」

 レイナの言葉に、ジェニーは胡桃色の愛らしい瞳より一筋の涙を流して、頷いた。


 ジェニーと手を取り合い、ルークたちのいる家の中へと戻ろうとしたレイナであったが、雨が完全にあがり晴れた”青空に”不気味な2つの人影を見た。

「!!!」

 ヒイッとレイナの喉が鳴った。

 2つの人影はそれぞれ板のようなものの上に乗り、冬の青空を風を切って、飛んでいるのだから。

 人間が鳥のように空を飛べるわけがない。

 魔導士の力を持って生まれた者でもそれはできない。ただし、例外があり、空を鳥のように飛べる神人の力を手に入れた魔導士なら……あのフランシスのように――

 だが、レイナの青き瞳に映っている2つの人影は、フランシスでないのは明らかであった。

 顔ははっきりとは見えないが、長い髪を後ろで1つに束ねた成長途中の少年の輪郭と、それとは対照的に豊満すぎるとも思える女の輪郭。長い髪の毛をツインテールにした女の胸や尻は、遠目に見ても相当なボリュームがあることは分かった。今朝、自分たちを襲撃してきたばかりの魔導士の少女・ヘレンや、人形職人・オーガストなどでもない。

 新たな2つの影。そう、新たな2人の刺客。

「ジェニー! 早く!」

 レイナは思わず叫び、ジェニーの手を引っ張っていた。

 自分たちに一体何ができる、と思ったレイナであったが、家の中にいるルークたちに悪しき者たちの襲来を知らせ、ともに逃げることをしなければと。

 

 だが、必死で駆けるレイナやジェニーよりも、空を飛ぶ者たちの方が早かった。

 女はレイナたちなど全く興味がないようで、ただまっすぐに目的地――アダム・ポール・タウンゼントの家の上空へと向かっていた。

 だが、少年の方は、雪解けの大地を滑りそうになりながらも駆けているレイナとジェニーを見下ろして、クスッと笑いを漏らしてその口元を歪ませたようにも見えた。


 そして――

 余裕に満ちたまま、アダムとジェニーの家の上空に着き、地上を見下ろしていた少年は、両手をすっとかざした。

 みるみるうちに、その青年の手の間に、まるで稲妻のような光が幾つもバチバチと瞬き始めたのがレイナたちにも見えた。

「!!!」

 少年は、自分の気をためている。そして、その気を放出し――

 あの少年は間違いなく魔導士としての力を持った者だ。

 そして、少年は、瞬く間に両手の間に煮えたぎらせたその気を、ぽいっとゴミでも捨てるような感じで、家の屋根へ向かって落としたのだ!




――!!!!!――




「きゃああああああ!」

 レイナとジェニーの悲鳴は、凄まじいまでの爆音に飲み込まれていった。

 鼓膜が破れてしまったかと思うほどの爆発音と地響きが、あの小さな家を震源として発せられた。

 レイナはジェニーと手を取り合ったまま、雪解けの大地にバッとなぎ倒されたように伏せていた。いや、衝撃により、まともに立つことができなくなったといった方が正解であるだろう。

 地面にうつ伏せとなったレイナとジェニーの頭上を、ヒュンヒュンと破壊された家の欠片が飛んでいく。小さな石らしきものが、ビシバシと手や腕にぶつかってくる。

 死の覚悟。

 レイナが元の世界の洋画で見ようなダイナマイトによる爆破に近いことが、虚構ではなく命の保証など全くない、まさに現実のものとして――



「……レ、レイナ」

 ジェニーがうつ伏せの状態のまま、レイナの手を握った。ジェニーは無事に話ができるようであった。

「ジェニー……」

 レイナもジェニーの手を握り返し、恐る恐る顔を上げた。うつ伏せとなっていたはずなのに、口の中に砂や土が入り込んでいたらしく、口内はざらついていた。

 よろよろと身を起こしたレイナは、「死」を覚悟するほどの怪我による激痛が自分の身に襲い掛かってはいなかったことが分かった。隣で伏せていたジェニーも、自分と同じく、土だらけで手などにわずかに血を滲ませていたが、大きな怪我はないようであった。

 死んではいない。

 レイナとジェニーはガバッと抱き合い、ヒックヒックとしゃくりあげた。互いの服についていた土埃が、悪魔に引っ掻き回された雪と土の上を舞った。

 爆発の震源より距離があったため、自分たちはこうして助かった。

 だが――


 ジェニーの家は吹き飛んでいた。

 残る家の残骸がメラメラと燃え上がり、煙がくすぶっていた。

 ジェニーの思い出が詰まった大切な家は――それに何よりも、あの家の中にいた4人の青年たちは……


「そ、そんなこと……」

 彼らの死。

 抱き合ったままのレイナとジェニーの埃で汚れた頬の上に、涙が幾筋も流れ落ちていった。

 わずかな間とはいえ、ともに旅をしていた彼らの死は信じられない。いや、信じたくなどない。でも、瞳に映るこの光景は、彼らの生存という希望を微塵も持つことが許されないほど、凄惨なものであった。


 けれども――

「!!!」

 レイナとジェニーの涙と土煙でグシャグシャになった瞳に映ったのだ。爆破されたはずの家の中で、ゆらりと動いた複数の人影が……




 元魔導士・アダム・ポール・タウンゼントが空より迫り来る悪しき者たちの気配をいち早く察知し、とっさに気で防御のバリアをはらなければ、アダム当人だけではなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエルの4人の青年、そして床に横たわっていたあの青年・フレデリックの肉体は、一瞬のうちに木っ端みじんとなり、いくつかの肉の塊となって、転がっていただろう。

 ゼエゼエと荒い息を吐き、額に脂汗を浮かべ、両手を宙にかざしたままのアダムは、ルークたちをバッと振り返った。

「……ついお前らまでかばってしまったが……お前ら一体、何なんだ?! まさか、お前らがあの”ガキ”をここまで連れてきたのか?!」

 アダムは憎々し気に、空へと顎をしゃくった。

 ルークたちも見えた。

 空より迫り来た刺客の姿を。長方形のボロボロの板の上に立って、宙に浮かんでいるその”1人の”刺客。

 刺客は少年であった。

 年はルークたちよりもやや下、おそらく15才前後であるだろう。

 金髪と赤毛が混じったような長髪を後ろで無造作に1つにまとめ、遠目にも個性的なデザインで原色を使ったやや風変りとも言える衣服を身に着けた少年。

 だが、彼のその全身からは、好奇心とみなぎる自信によって、強烈でどっかアンバランスなオーラが放たれていた。

 少年は、アダムの姿を見て、うれしそうに笑い声をあげた。

「おじいちゃんがタウンゼントさんですね。やっぱり、噂に聞いていた通りの力の持ち主だ。ま、そうじゃなきゃ、面白くないけど」

 自分のこの攻撃を防御されたにも関わらず、少年は非常にうれしそうであった。

 魔導士をとうの昔にやめたはずの老人・アダムの力が自分の期待に外れず、これから起こる、いや自分が引き起こす嵐への期待が高まったためであろう。

 少年がニッと白い歯を見せた。そして――

「俺はネイサンって言います。よろしくお願いします。無愛想なヘレンさんは、自己紹介なんてしなかったけど、俺はちゃんと自己紹介しますよ。社会人としてね……ちなみに、俺が乗っかることに決めた船は少数精鋭でやっていってます。ちなみに船の大将は、フランシスという名のこの世界で最強の力を持つ魔導士で、おそらくタウンゼントさんよりも、力ははるかに上かと……」


 自分の名前どころか、自分の属する組織までペラペラと喋った少年・魔導士ネイサンに、両手を構えたままのアダムが眼光を鋭く光らせ、問う。

「お前……ジェニーをどこへやった?!」

「……ジェニーって……? ああ、もしかして、あの胡桃色の髪の娘のこと? 俺は何もしちゃいませんよ。まあ、この家の外にいるとは思うけど、俺のさっきの攻撃で巻き添え喰って軽~く吹き飛んでいったかも。”マリア王女”と一緒にね」


「!!!」

 今のネイサンの言葉に、アダムだけでなく、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエルもハッとした。

 自分たちは成り行きとはいえ、アダムの気のバリアにこうして守られた。だが、魔導士としての力を持っていないジェニーとレイナは、今の攻撃の巻き添えによって……

 わずかな間とはいえ、ともに旅を続けた2人の少女が黒焦げの死体となって、家の外に転がっているのではという、まるで悪夢のような光景を思い浮かべずにはいられなかった。



「きっ……貴様……! よくもジェニーを……! それに”マリア王女”とは一体何を言っている?!」

 瞬時にアダムの全身より発せられ始めた怒り、それにもうすぐ大切な孫娘を守れなかったという悔恨も加わってくることが見て取れたネイサンは、フフフっと笑った。

「ただの田舎の村娘が、なぜ国王の娘である”マリア王女”と一緒にいるのかを説明すると、まさに何ページもあるような物語を読み聞かせるみたいなものだから割愛しますよ。何より、メンドくさいし。それに、タウンゼントさん。俺やタウンゼントさんみたいに、人より遥かに秀でた力を持って生まれた魔導士には、家族なんて手枷足枷にしかならないと思いますよ。タウンゼントさんの昔馴染みらしい”あの人”もずっと独身主義でやってきているんだし。余計な”もの”は捨てて、身軽に、魔導士としての頂上を目指していくのが利口な生き方ですよね」


 家族を余計な”もの”と言い切ったネイサンは、自分の言葉に自分で頷き、なおも続けた。

「そんなことより、タウンゼントさん。俺とタイマンはりませんか? 最初は、その野生の狼みたいなルークとかいう奴や、横の坊っちゃん顔やムキムキ男にも興味があったんだけど、やっぱり最初は魔導士同士でやりあいたくなりました。何より……年寄りが若者の好奇心の芽を摘み取るのは良くないことですよ」

 ネイサンが愉快そうに言い放った。

 彼は面白がっている。ルークやディラン、トレヴァーなどよりも、高名な元魔導士とやりあえるかもしれないというこの状況を。好奇心と、そして、ひょっとしたら、わずか15才の自分があのアダム・ポール・タウンゼントに勝てるかもしれないという自信。


 自身の魔導士としての力を強烈なまでに信じ、あまりにも軽くポップにその力を使おうともしている魔導士・ネイサン。

 その時――

「……おじいちゃん! おじいちゃんなのね!」

 土煙の向こうより、ジェニーの声が彼らの元に届いてきた。

「皆さん! 無事ですか?!」

 続くようにレイナの声も。

 レイナとジェニーは無事であった。

 たった1人の家族を失うことにはならなかったアダムと、ともに旅を続けてきた2人の少女の声を空耳ではなく、しっかりと聞いた青年たちに安堵が広がっていった。

「ジェニー! こっちに来るな! 一緒にいる娘と早くここから離れろ!」

 アダムが声を張りあげた。

「でも……おじいちゃんっ!」

「いいから、早く逃げろ!!!」

 アダムのその声は、悲痛な叫びであった。



「ちょっと、タウンゼントさん……今は、俺と話をしているんだから、集中してくださいよ。例え肉親であっても、女なんてどうでもいいじゃないですか。女なんて、キャイキャイ口やかましいのが大半だし。それに、あんまり、女にはまり過ぎると俺の知っている人形職人みたいになっちゃいますよ」

 自分が今、アダムと対峙しているのに、外から余計な茶々が入ったことに、ネイサンは頬を膨らませた。


「じいさん!」

 まだ土煙が盛大に待っているなか、アダムに加勢しようと、ルーク、ディラン、トレヴァーは剣を手に身構えた。ダニエルもオロオロとしながらも、この家に入るまで握りしめていた太い木の枝を構え、その血の気のない唇をグッと結んだ。


「だ~か~ら~、今から俺がタウンゼントさんと、タイマンはるって言ってるじゃないか! 少しは空気読めよ、お前ら。ま、アホなのは顔見りゃ分かるけど」

 ついに、苛立ちが隠せなくなったネイサンは、自分に構えるルークたちを見下ろし睨んだ。

「なんだとぉ! 下りてこいよ、お前! 空の上なんて、安全地帯にいやがって……地上で勝負しろ!」

 ルークが怒鳴った。


「魔導士の力を持っていないお前らとは、ちゃんと地上で勝負するさ。ただし、相手はこの俺じゃないけどな……」

 ネイサンがクククっと笑った。

 含みを持たせた彼のその笑い方は、あの魔導士・フランシスを思わせた。

「待たせたね、ローズマリー。そいつら、好きに刻んでくれちゃっていいよ」

 ニヤニヤしたまま、ネイサンは顎をしゃくった。


 一瞬の静寂。が、次の瞬間――


「こっちだ! ガキども!!」

 ネイサンによる攻撃開始の合図を待ち構えていたように、ルークたちの背後から大きな影がバッと躍り出てきた!

 ドスン! と燃え残った床に着地したその影。

 影が発した声は紛れもなく、女の声だった。そして、ローズマリーという名前も女の名前であった。

 だが、その大きな影――ローズマリーは、赤みがかった艶のある長い髪をツインテールに結った妙齢の女であると同時に、その両手に剣を握る筋肉隆々で超長身の大女でもあったのだ。

 

 誰が見ても、超武闘派であることが分かるローズマリーは、その丸顔のなかにあるぱっちりとした瞳を光らせ、やけに艶々としてる唇の口角をニッと上げた。

 そして、獲物たち――特に自分からより近い位置にいたルークとディランの2人に向かって両腕を振り上げ、凄まじい跳躍力で飛びかかっていった。

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