―9― 頑固じいさんと凍った騎士(1)

「おおお…女ぁ?!」

「えっ……ちょっ……!」

 両手に剣を持ち、自分たちへと飛びかかってくる女に、ルークとディランがたじろいだ。

 だが、その女――ローズマリーはそんなことなどお構いなしに、彼らに向かって―― 


「うおっ……!!」

 ガキンと”4本の”剣が交わる音。

 腰の剣を素早く抜き、間一髪でローズマリーのその光る刃を眼前で阻止することができたルークとディランであったが、自分たちの手にビリビリとした痺れが伝わってきた。


 このローズマリーは、名前の可愛らしさに反比例するように、鍛え上げられた肉の塊、または頑丈な丸太を思わせるほどの迫力があった。

 彼女の肉体はルークやディランよりも一回り以上大きく、腕の太さ――骨を包んでいるその筋肉ですら、彼らに勝っていた。その筋肉により、彼女の衣服に包まれた手足ははちきれんほどパツンパツンに張っていた。

 そのうえ、彼女は両刀使いである。武術の訓練だって、彼女は相当に積んでいるはずだ。

 彼女のその肉体は、戦闘のためにそのように生まれつき、なおかつ彼女自身も戦闘のために鍛え上げた女体であると表現しても過言ではないだろう。


「ルーク! ディラン!」

 ローズマリーにパワー負けしかけているルークとディランに、トレヴァーも剣を手に駆け付けようと――


 この空からやって来た怪力の大女・ローズマリーは、肉食動物のように一瞬で自分の獲物の姿をとらえた。


 あの元魔導士というよりも農夫みたいなじいさんはネイサンの獲物だから、自分は今は手出しはしないつもりだ。で、今、目の前にいるのは、くすんだ金髪の小生意気そうなガキに、栗色の髪の融通が利かなそうなガキ。近くで木の枝を握りしめたまま、まるで女みたいに震えている黒髪のなまっちょろそうなガキ。そして、今、この2人のガキの助太刀をしようとしている――


「……まあ、この中ではお前が一番、楽しめそうだな」

 筋肉隆々の逞しいトレヴァーの肉体を目でとらえたローズマリーは低い声で言い放った。

 今、自分の刃を防いだこの2人のガキも、それなりに筋が良く楽しめそうではあるが、自分よりも大きな肉体をしている者は、褐色の肌のあのガキ1人だ。厚手の服の上からも盛り上がった筋肉が分かる。あれほどの肉体をしていたら、力の面で全く話にならないということにはならないだろう……と。


 女であるというただ一事のために、兵にもなることができず、自分のこの戦闘能力を持て余し、すさんだ酒場で酒をあおり、やさぐれていたローズマリーは、フランシスという不気味な男に声をかけられ、彼に雇われることとなった。

 魔導士・フランシスはそれはそれは不気味であり、特に真っ当に生きることを第一に望む者にとっては決して関わってはいけない雰囲気を発していたが、ローズマリーはそんなことは二の次であった。フランシスは男だとか女だとか、そういった自分の力ではどうすることもできないこと抜きで、自分のこの優れに優れた戦闘能力だけをただまっすぐに認めてくれたのだから。


 カシャン! と剣が擦れ合う音がして、ルークとディラン、ローズマリーの交わっていた刃が離れた。

 ルークもディランも瞬時に感じ取った。この怪力の大女は、次はトレヴァーに剣を振るうのだということを。

 ルーク、ディラン、トレヴァーの3人とも、それぞれ剣は抜いてはいたものの、例えどんな女であっても、女を刺したり、斬りつけたり、ましてや正当防衛とはいえ、殺すなんてことはできない。ただ、男3人かがりなら何とか、このローズマリーを押さえ込むことができるかもしれないと――


 だが――

「うぐっ……!!」

 次の瞬間、ルークの鳩尾にローズマリーの一撃が鈍い音を立て、入った。

 ルークたちの考えをローズマリーもまた感じ取ったのか、彼女は即座に剣を持っていたその手をグルリと回し、剣の柄でルークに強烈な一撃をくらわせたのだ。

「ルーク!!」

 痛みに体を折り曲げたルークに、ディランとトレヴァーが同時に叫び、ダニエルは鳥がしめ上げられたような悲鳴をあげた。

 が、間髪入れず、ローズマリーはその鍛えられた脚でビュンと風を切り、次はディランに回し蹴りをくらわせた。

「ぐあ……っ!!!」

 18才の青年として標準以上に鍛えられているはずのディランも、吹っ飛び、後方でオロオロしてしていたダニエルにドカッと衝突した。

 衝撃を受けたダニエルも「ひぎゃっっ!!」と呻いて、吹っ飛んだ。

 この間のローズマリーの一連の動きに、一切の無駄はなかった。


 巻き添えを喰って吹っ飛んだダニエルは、この騒ぎのなか、その冷たい肉体を焼け残った床に横たわらせているままの青年・フレデリックの上にドサッと倒れ、彼に乗っかる形となった。

「も、も、申し訳ございません……っ!」

 既に死んでいるフレデリックの屍に、ダニエルは丁寧に謝った。

 痛みに顔をしかめながらも立ち上がろうとしたダニエルは、燃えさかる部屋の隅に燃え残っていた”ある物”に気づいた。



 後回しにする3人の獲物を振り切ったローズマリーは、自分の最優先の獲物――トレヴァーへと踊りかかっていった。

「!!」

 ガキン! と、ローズマリーの2本の剣とトレヴァーの剣が強く鋭い音で交わった。


 自分の攻撃を強い力で防いだトレヴァーに、ローズマリーの胸はドキンと高鳴った。

 彼女のその胸の高鳴りは恋のときめきなどであるはずがなく、自分のこの腕が鳴る相手に出会うことができたという彼女の闘争本能からくる疼きであった。

 ガキン、ガキンと、彼女たちの刃は数度、いがみ合いの音を響かせた。ローズマリーが剣を振り回す度に、赤ん坊の頭ほどある彼女の乳房はブルンブルンと揺れる。


 ローズマリーが刃を振り上げ、トレヴァーがそれを防ぐという繰り返し。


 2本の剣で風を切り続けるローズマリーは思う。

 やはり、この男……私が女だから手を出せないんだろうな、だが……これならどうかなと、ローズマリーは舌なめずりをするようにその桃色の唇をベロンと舐め回し、トレヴァーを上目遣いで見上げた。

 次の瞬間、ローズマリーは素早く腰をスッとかがめ、その固い膝でトレヴァーの急所を蹴りあげようとしたのだ!


「!!!」

 が、トレヴァーは自身に迫ったその最大にして最凶の危機を察知し、身をよじり、彼女のその金的蹴りを間一髪避けることができた。


「ぶっ!……馬鹿め!」

 男にしかない大切なところを守ろうとしたため、滑稽にも隙が生じたトレヴァーにローズマリーは吹き出すと同時に、右手の剣を空へと向かってバッと振り上げた!

 トレヴァーの左肩はザックリと裂け、真っ赤な血が縦にブシュっと吹き出した。燃え残っていた木の床の上に彼の真っ赤な血がおびただしく飛び散った。


「ぶははっ!! 情けねえなあ!」

 肩を血で染め、「ぐっ……!」と呻き声を発したトレヴァーの姿に、その大きな乳房をブルンブルンと揺らしながら、ローズマリーは背中をそらせて笑い声をあげた。

 その時――

「何っ!!」

 そのローズマリーの肉体は宙より飛んできた固いロープにより、一瞬にして拘束された。


 ロープの操り主は、ダニエルであった。

 巻き添えをくって吹っ飛ばされたダニエルであったが、この家の残骸のなかにかろうじて残っていたロープを利用し、ローズマリーの動きを封じたのだ。

 彼は自分がこの場でできることを即座に見つけ、実行に移した。彼は役立たずなどではなかった。

「み、み、皆さま、今のうちにっっ……!!」

 ダニエルはロープを握りしめたまま、裏返った声で叫んだ。

「でかしたぞ! ダニエル!!」

 ルークも叫び、ディランとともに、今のうちにローズマリーを押さえこもうと――


 けれども、ローズマリーは「ふんっ!」と鼻を鳴らし、自身を拘束しているロープをグンっと引っ張った。

「ひゃあ……っ!」

 ロープを握りしめたままのダニエルは、あっさりとローズマリーの前に引っ張られ、ズデンと土埃の舞う床へと倒れ込んだ。

 燃え残った床にペッと唾を吐いたローズマリーは、ダニエルの黒髪をむんずとつかみ、彼を立たせた。

「おい……このガリヒョロのキモチキン野郎。てめーから真っ先にしばき倒してやろうか? あぁん?」

「ひぃいぃいぃぃ……!」

 互いの息がかかるほどの至近距離で、ローズマリーにすごまれたダニエルは、極限の恐怖により、締め上げられたような悲鳴を発し、ブルブルとその全身を震わせ……



 地上で自分の仲間の女が4人の男を相手に暴れている光景を、空中より見下ろしていたネイサンは必死でプククと笑いをこらえていた。

「……ったく、笑えるなあ。まさに、カオスじゃんか。いくらローズマリーが並みの女でないとはいえ、女1人にああまでボコボコにされるなんてさ……正直、あいつらにも興味があったけど、とんだ期待外れ。やっぱり、この俺の相手はそれ相応の相手じゃないとね。ね、タウンゼントさん?」

 ネイサンは、依然として地上より自分に射るような視線を向けているアダムへと視線を移した。


 寝癖のついた胡桃色の髪で、でかいラクダ色の腹巻を巻き、生活感に溢れ、今はただの頑固そうな爺にしか見えないこのアダム・ポール・タウンゼントであったが、やはり高名な魔導士であったというのは、事実であるだろうと、ネイサンは思った。

 彼――タウンゼントは俺が今から何をするつもりなのかに気づいているのだ、俺が背中に回した手で何をしているのをも。


 ネイサンが種明かしをするよりも先に、アダムがその重々しい口を開いた。

「……お前、あの暴れてる大女を連れて早くここから去れ。そして、二度とジェニーにも、このアレクシスの町にも近づかないことだ」

「だからさあ、俺はあなたの孫娘なんかはどうでもいいんですって……ただ、俺は自分の力をこうして試すことのできる奴にしか、興味がないんです。俺は試験や試練が好きなだけなんですから」


 アダムの言葉にネイサンが眉根を寄せた。

「お前は自分の力を試したいのではなく、ただ誇示したいだろう。自分こそが神に選ばれた存在だということを他者に知らしめたいがために。昔、お前によく似た奴を知っていたよ。だが、お前よりもずっと狡猾で陰険ではあったがな」

「あっれえ? おそらく、タウンゼントさんが言っている人と、俺の上司は同一人物だと思いますよ。俺の上司もタウンゼントさんのことを忘れらなかったみたいですけど、タウンゼントさんも忘れられなかったんですねえ。互いに運命の人ってことですよね? 男同士ですけど……」

 アダムをからかうネイサン。

 愉快そうなネイサンとは反対に、ネイサンの話に出てきた”上司”の話を聞いた、アダムの顔はますます渋く険しくなっていた。


 依然として愉快そうにアダムを見下ろしていたネイサンであったが、自分の背中に回していた右手をスッと体の正面へと持ってきた。

 暴れ狂うローズマリーの刃と拳を受け止めていたルークたちも、そしてローズマリーもネイサンの両手の内にあるものにハッとした。

 彼の両手に内にあったのは、小さな太陽とも形容できる気の塊であった。

 だが、彼のその気は命の恵みをもたらす太陽などではなく、全てを焦がし焼き尽くす破壊の太陽であるだろう。


 この少年魔導士・ネイサンは、アダムに馬鹿にしたような口をききつつも、これほどの気の塊を自分の背中に回した片手でわずかな時間のうちに練り上げていたのだ。

 末恐ろしさを感じさせる彼は、自信に満ちた表情で言った。

「おーい、ローズマリー! そろそろ、そこから逃げた方がいいよ! 君も焼き豚にはなりたくないだろ?」

「黙れ!!」

 ローズマリーがネイサンを睨んだ。

 そして、彼女は獲物のトレヴァー、ルーク、ディラン、ダニエルに自分の手で止めをさすことができなかった悔しさをその顔に滲ませたものの、これ以上ここにいたら、自分の命が危ないという判断を即座に下した。

「ちいっ!」

 舌打ちしたローズマリーは、ピイっと口笛を吹いた。

 すると、古びた木の板がまるで意志を持っているがごとく、ローズマリーの足元へと飛んできたのだ。

「じゃあな! ガキども!」

 言い捨てたローズマリーは、その巨体から想像できないほど身軽に――いやその巨体から受ける印象のまま豪快に板にドスンと飛び乗った。そして、彼女を乗せたその板は空中に浮かび、鳥が飛んでいくようにネイサンの隣へと並んだ。

 

 古びた木の板に乗り、空に浮かんでいる1人の魔導士と1人の女。

 ローズマリーが自分の隣に並んだことを確認したネイサンは、アダムを見下ろしてニタリと笑った。

 いやアダムだけでなく、ローズマリーにもみくちゃにされた4人の青年たちそれぞれにも、その笑みを見せた。

 アダムは構えた。

 先ほどと同じく、ネイサンの攻撃を防御するために。

「あの……タウンゼントさん、1つ重要なことを教えてあげますよ。言わない方がいいかなと思ったけど、言ってあげた方が親切かと思いますんで。きっと、あなたは俺がこうして2発目の気で攻撃するまでの間に、孫娘たちをこの地帯より引き離そうと、あえて何もしなかったんでしょう。でも、残念ながらあの孫娘たちは、あなたの”遺言”は守らなかったようですよ。この俺の2発目の気の攻撃に巻き込まれ、木っ端みじんとなるに違いない場所にいるんですもん」

「!!!」

 クスッと笑ったネイサンは、地上のある一点――ここよりそう遠く離れていない場所をスッと指さした。


「まずい!!」 

 ルークとディランが駆け出した。レイナとジェニーがいる場所へと。彼女たちを守るために。

「あーあ、あんなに走っちゃってさ……無駄なことなのに。時間っていうのは待ってはくれないんだって……もう、それぞれの人生の物語には幕は落とされるんだ。さよならなんだって」

 フッと口から笑いにも思える息を漏らしたネイサンの瞳が、キラリと光った。



 レイナはジェニーとともに、残っていた木の影にて、家の中の様子をうかがっていた。

 あの爆発により、死んだと思っていたルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエルは無事であった。そして、姿が見えなかったジェニーの祖父・アダム・ポール・タウンゼントらしき声も聞くことができた。

 アダムの「早く逃げろ」という声の後、ほぼ崩壊となった家の中で、何やらドタバタ騒ぎが聞こえてきた。

 ジェニーと手をつなぎ、やっぱり自分も彼らの元へと駆けつけようとしていたレイナたちであったが――


「レイナ! ジェニー! 伏せろおぉ!!」

 真っ青な顔をしたルークとディランが、自分たちの方へ駆けてきた。

 ハッとして顔を上げたレイナとジェニーは見たのだ。

 板に乗って空中に浮かんでいるあの長髪の少年が、チカチカと目がつぶれるほどの気の塊をその両手の内にたずさえているのを。


 そして、彼はその気の塊を、まるで野球のピッチャーのようなフォームで、すでに自らが崩壊させた家に――残る、トレヴァー、ダニエル、アダム、そして死せる青年・フレデリックがいる家へと向かって――


「早く!」

 ディランに腕を引っ張られたレイナは、ジェニーとともに地面に身を伏せた。自分たちをかばうように、ルークとディランが覆いかぶさってきたのが分かった。

 そして、次の瞬間、レイナの視界は閃光で埋め尽くされた――



 ネイサンは、無邪気に荒らし破壊したこの地に、二度目の滅びへ向けての気を全力投球した。

 いくら高名であっても、寄る年波には勝てなかった元・魔導士アダム・ポール・タウンゼントへと、そして面白い奴らに思えたがもうどうでも良くなりかけているルーク、ディラン、トレヴァーの3人の青年へと。

 そのうえ、たまたまこの場に居合わせばかりに死ぬことになった”マリア王女”(あのイカレ王女の肉体が滅んだことを知ったら、オーガストの奴、発狂するかもしれない。でも、知るもんか、何の力も持っていないくせにあいつに文句など言わせやしない)、あのタウンゼントの孫娘と、よく分からないが濡れたような黒髪の根暗そうな男、そして白い布をかけられてすでに死体みたいに床に転がっているグレーの髪の男へも。



 地上を埋め尽くした閃光は、発信主のネイサンの瞳にも映った。閃光は彼の熱意と好奇心で満ち溢れている、その瞳をさらに輝かせた。

 彼の隣にいるローズマリーも、ゴクリと唾を飲み込み、「す、すげえ……」と呟いていた。彼女の血色がよい、まるまるとした顔の頬はわずかに青ざめていた。

 ネイサンの全身は震え出した。

 自分があのアダム・ポール・タウンゼントを倒したという信じられないこの現実に。

 このことをあのフランシスや、タウンゼントの昔馴染であり、自分の上司であるサミュエル・メイナード・ヘルキャットが知ったら、一体どんな顔をするだろうか、とも思わずにもいられなかった。


 けれども、数秒の後、ネイサンは知ってしまった。

 あのアダム・ポール・タウンゼントは……この自分の渾身の一撃を防ぎ、守るべき者たちを守り抜いたのということを。



 閃光とともに、レイナたちに襲い掛かってきたのは、世界の終わりかと思うほどの地響きであった。

 レイナの悲鳴も、ジェニーの悲鳴も地響きに吸い込まれていった。自分たちに覆いかぶさったルークとディランの苦し気な呻き声が聞こえてきた。

――ルークさん、ディランさん……

 2人の青年は、家族でも恋人でもない自分たちをこうして、自分の身を捨ててでも守ろうとしてくれていたのだ。

 レイナの瞳からは涙が溢れ出した。それは、何度目かの死への恐怖による涙ではなかった。

 レイナは、ジェニーの柔らかな手をギュっと握った。ジェニーも自分の手をギュっと握り返してくれた。

 自分は――いや、自分たちは強運にも何度も命の危機を乗り越えてきた。だが、今回ばかりは駄目かもしれない。ここで、全員死ぬのだと……


 ギュっと目をつぶったレイナであったが、自分たちの肉が焼け焦げる音や匂いも、地獄のような激痛も襲ってはこなかった。

「???」

 恐る恐る目を開けたレイナ。

 自分だけでなく、ルーク、ディラン、ジェニーの肉体にも滅びという最終章は襲ってきてはいなかった。

 自分たちはアダムの気によって、守られていたのだから。


 あの少年・魔導士ネイサンの最初の攻撃を防御した気のバリアよりも、さらに広くこの大地に広がる気のバリアに自分たちは守られていた。

 アダムの渾身の気のバリアは、まさにギリギリのところであった。

 あと、レイナたちがいた位置がアダムよりもあと1メートルほど遠くであったら、間違いなく全員とも助からなかっただろう。



「さっ、さすがですね……タウンゼントさん。ま、そうじゃなきゃ、面白くないけど」

 自信があった一撃を防御されたネイサンの声は、わずかに裏返り、アダムと最初に対峙した時と同じ台詞を繰り返してた。

 ネイサンは焦りを見せまいと、余裕に満ちた表情は崩さないようにしているようであった。焦りや狼狽という綻びを見せた方が負けなのだと。

 アダムは何も言わずに、脂汗を浮かべ、ゼイゼイと息をしながら、ネイサンを睨んだ。

「……でも、あんまり無理しない方がいいですよ。つい、ぽっくり逝っちゃう可能性もある年なんですから……」

 アダムを挑発することを自分の自尊心のためにもやめないネイサンを、ローズマリーが「おい、よせ……」と制しようとした。

 ローズマリーの方がいち早く気づいたのだろう。

 アダムから発せられる怒りに――


「失せろ……この馬鹿ガキが……!!」

 アダムは、低く呻いた。


 空より、彼を見下ろしていたネイサンにも、ローズマリーにも見えた。アダムの手の内に、わずか2、3秒で、彼自身の気が練り上げられ、カアッと浮かび……


――!!!――


 アダムがネイサンに向かって放った気は、ネイサンではなく、ネイサンが乗っている木の板をバシュッと真っ二つにしたのだ。


「はっ! あわわわ……」

 空中での足場を失ったネイサンは、顔面蒼白となり、宙でバタバタと泳ぐように手足をしっちゃかめっちゃかに動かした。

「ネイサン!!」

 彼がその無様な空中踊りを保ち切れなくなる前に、ローズマリーが彼の腰をガシッと片腕で掴んだ。

 自分の命という物語が繋がったことに、ネイサンは恐怖と安堵が入り混じった息はついた。が、すぐに悔し気な表情に変わった。自分が渾身の気を練り上げるのに、数十秒を有したというのに、アダムに至ってはわずか数秒でこの”神人の板”を真っ二つにするほどの威力のある気を練り上げたのだ。その上、狙いは外さなかったのだ。


「ローズマリー……一旦、退却しようか……」

「お前に言われなくても、そうするつもりだ。お前、調子に乗り過ぎだ。いつか、足元をすくわれるぞ」

 ローズマリーの言葉に、ネイサンはムッとする。

「言われなくても、分かってるって。ただの暴力女のお前に、そんなこと言われると腹たつんだけど……」

「何だと!? 今、ここでお前を下に放り投げてもいいんだぞ?! 一度、ミンチになってみるか?!」

 ピクッと青筋を立てたローズマリーは、自分の片腕で支えているネイサンを地上へと落とす真似をした。


「わわわっ! ジョーク、ただのジョークだって! ごめんってば!」

 慌てたネイサンは、自分の命綱であるローズマリーに謝った。

 失敗した。自分の思う通りには、行かなかった。アダム・ポール・タウンゼントを倒せなかった。

 フランシスさん(それにもしかしたら、サミュエルさんも)が、今のこの俺の恥ずかしい失敗シーンを見ているだろう。フランシスさんは、それ見たことかと、側にいる者に長々とした嫌味ったらしい解説付きで話しているのかもしれない。悔しい、でも、ここは退却するしかないのだ、とネイサンは唇を噛んだ。

 肝っ玉母さんに抱えられる子供のような体勢のまま、ローズマリーに抱えられ不格好さに顔を赤くしているネイサンは、アダムに背を向けた。


 退却するネイサンとローズマリー。

 だが、彼らは振り返った。

 ネイサンはアダムと、ローズマリーはトレヴァーと、それぞれが撃つことができなかった一番の獲物と視線を交わらせたのち、さらにググッと上空へと浮かび……



 逃げゆく2人の刺客たちの姿を見ながら、レイナは思う。

――あの男の子は、魔導士としての力を持っていることには間違いないわ。でも……あのフランシスのように”神人の力”は手に入れてないのよね。手に入れていたら、空を鳥のように飛べるはずだもの。それに、あの大きくて強そうな女の人も神人の力は手に入れてはいないようだわ……彼らが乗っていた、あの板が空中に浮かぶ役割を果たしているの? 一体、あの板に何の術が……



「おじいちゃあん!!」

「じいさん!!」

 ジェニーとルークの声に、レイナは我に返った。

 自分たちを守ってくれたアダムのところへと、レイナも駆け付けた。

 焼け残っている床へとガクリと膝から崩れ落ちたアダムは、額に脂汗を浮かべ、あばらを押さえたまま、苦しそうにゼイゼイと宙を仰ぎ、息をしていた。

「しっかりして、おじいちゃん! 死んじゃ嫌よ!」

 全身、土だらけのジェニーが泣きながら、アダムにガバッと抱き付いた。 

「……これぐらいのことで、わしが死ぬものか。ずいぶんと久々に魔術をつかったから、少し疲れただけだ」

 顔をしかめ、まだゼイゼイと苦し気な息を吐き続けるアダムであったが、自分に抱き付き、しゃくりあげるジェニーの髪を優しく撫でた。


 

「……全く……なんて末恐ろしいガキだ」

 泣きじゃくるジェニーを抱きしめたまま、先ほどのネイサンとの対峙を思い返したアダムは、宙を見上げ呟いた。

 アダムは、ジェニーと同じく土で薄汚れてはいるものの、自分の83年の人生で見たこともないほど美しく、なおかつ気品に満ち溢れた娘へと、そして訳が分からないまま自分が守ってしまうこととなり、また自分の大切な者を守ろうとしてくれた青年たちへも、視線を移した。

「……本当に無事で良かった。ジェニー……そいつらのこととか、その別嬪さんのこととか、いろいろとお前に聞きたいことがあるが、今は少し休ませてくれ……」

 アダムが吐いた白い息が、まだこの地にわずかに残る冷気の中で舞った。


 ジェニーに手を貸し、アダムを椅子に座らせたレイナは、持ってきていた自分の荷物を探した。

 アダムの気のバリアによって守られ、レイナの荷物は残っていた。あのアンバーの形見ともいえる重圧なノートも無論、無事である。

 そして、その荷物の中には、今ここで血を流している人たちを手当てできるようなものがあったかもしれないとも……

 この中で一番、目に見える深手を負っている青年は、トレヴァーであった。

 彼の頑強な左肩は真っ赤な血で染まっていた。そして、次に深手を負っているのは、ダニエルであろう。彼は、額から血を流し、鼻血までも出していた。

 そして、よくよく見ると、ルークやディランも彼らほどではないが、血を滲ませていた。彼らの流血の原因は、あの魔導士の少年ではなく、あの筋肉の塊のような女性であるだろうとレイナは思った。


「あ、あの私、怪我の手当を……」

 レイナは、清潔で薄手の衣類を荷物より取り出した。これを引き裂けば、包帯の代わりにはなるだろう。

 そのレイナの動きに、ジェニーもアダムの側よりハッと立ち上がり、「私、裏の井戸から水を汲んでくるわ……水が凍ってなければいいんだけど」と、ウサギのように駆けていった。


 屋根も破壊された家の燃え残った木の床の上で、まずはそれぞれの傷の手当てを第一とした。

「……すっげえ、パワーだったな。あの姉ちゃん」

「本当にびっくりしたね。ある意味、あのフランシスって魔導士と対峙した時よりも……」

「あ、あ、あんな女性がこの世にいるなんて……」

 額のかすり傷の止血、そして鼻血を止めるため、片方の鼻の穴に詰め物をしたダニエル。そこかしこにかすり傷や打撲痕があるルークとディラン。そして、上半身裸となり、褐色の猛々しい左肩に刻まれた傷の手当てをするトレヴァー。


 椅子に座ったままのアダムは、トレヴァーの痛々しい傷を見た。

「……お前のその傷だが、もうしばらくしたら、わしが魔術で傷口をふさいでやる。その方が治りが早いだろう……」

 そう言ったアダムであったが、その直後、ゴホゴホと咳き込んだ。「おじいちゃん!」と、ジェニーがアダムの背中を慌ててさする。

 高名な元魔導士であり、なおかつ今も至って健康で足腰もしっかりしているアダムであったが、回復力という面ではやはり年に逆らうのは厳しいのだろう。

 

 アダム・ポール・タウンゼントが回復した後、自分たちが彼の孫娘であるジェニーに導かれ、ここへとやってきた経緯と明確とはいえない理由をきちんと話す。

 だが、自分たちも彼に聞きたいことがあるのだ。

 今より200年前に生きていたと思われる青年、フレデリック・ジーン・ロゴの存在について。

 みずみずしい肌をしているも、波打つ命の鼓動もなく、すでに命無き者となっているフレデリックに、アダムは微塵も驚いた様子も見せていない。それどころか、彼”も”無事であったことに、安堵したような表情も見せていた。

 つまりは、アダムだけが分かっているのだ。

 フレデリックが今ここにいる経緯と理由について――


 レイナがアダムからフレデリックの遺体に再度、視線を移したその時であった。

「!!!」

 上にかけられた白いシーツから覗くフレデリックの白い指先がピクリと動いたのだ。

 見間違いよね、きっとそうだわ、とレイナが自分に言いきかせるよりも先に、今度はフレデリックの睫毛が激しくまたたいた。


 そして、何と、既に死んでいたはずのフレデリックは、瞳を開けたのだ。


「きゃあっ!」

 ジェニーが後ずさった。

「そ、そんな……確かに脈がなかっ……」

 瞬時に真っ青になったダニエルの、鼻の穴の詰め物がポトリと床に落ちた。


 レイナだけでなく、この場にいたアダム以外の者は驚愕し、死していたはずのフレデリックが目覚めるその姿に目が釘づけとなっていた。

 シーンと静まり返った、いまだ冷たい空気のなか、フレデリックはゆっくりとその上体を起こした。白いシーツが胸板から、彼の腰にまでするりと流れ落ちた。

「やっぱり、失敗となったか……あと1人だったのに……」

 アダムが頭を抱えて、呻いた。


 蘇った青年・フレデリック・ジーン・ロゴは、吸い込まれそうなほど深いグレーの瞳で、”ここはどこだ?”と言わんばかりに、辺りをグルリと見渡した。

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