―6― 動き始めた刺客たち
後ずさったレイナに、オーガストは近づいてきた。
水たまりに突っ込んでしまったレイナの足先には、さらに冷たさが浸み込んできた。
――やっぱり、1人で宿を出るんじゃなかった! 逃げなきゃ!
だが、震える脚はレイナ自身の心が発する指示を聞いてはくれなかった。
迫りくるオーガストに後ずさることしかできなかったレイナは、そのまま、宿の壁にドンと背をぶつけることとなった。
「……な、な、何ですか?」
やっとのことで声を絞り出すことができたレイナに、オーガストは口元に笑みを浮かべたまま答えた。
「”マリア王女”の様子を見に来たんだ」
「!!」
――この人、一体、何を言っているの?! マリア王女の魂は、あのフランシスに消滅させられたはずよ。もう、この肉体にマリア王女の魂を戻すことなどできないのに……!!
疑問と恐怖に固まったレイナの、わずか数歩の距離にまで迫り来たオーガストは、”レイナ”の両手首をグッと掴んだ。
彼のその細身な外見からは想像できないほどの力の強さに、レイナは「痛っ!」と顔をしかめた。レイナが、いや”マリア王女”が痛みを訴えたためか、彼は慌てて、その手を少しだけゆるめた。
「はっきり言って、マリア王女の中にいるあんたの魂がどうなろうが、そんなの俺の知ったことじゃない。あんたはただ、マリア王女の肉体を腐らせないためだけの存在なんだから……」
オーガストの吐いた息が、レイナの頬にかかった。
「……な、何を言って……マリア王女の魂は、もうすでに……」
レイナの言葉にオーガストはフッと笑った。そして、チラリとリュックのように自身の前面に負っている鞄に目をやった。
「あの方は、消滅などしていないよ。まだ、生きているんだ。俺とともにね。そうですよね、マリア王女」
「……ソウ……ワ、タ、シ、ノ、カ、ラ、ダ」
そのオーガストの声に答えるマリア王女のか細い声が、鞄の中より、発せられた。それは確かにレイナが知っているマリア王女のあの美しい声であった。
「!!!」
――マッ……マリア王女はまだ生きていたの? そんな……じゃあ、これから先もこの人や、あのフランシスは私を……!
「……フランシスは、マリア王女の本当の肉体にこだわる必要はないと言っていた。あいつの計画が成功した後、別の形でマリア王女を元通りにすることができるとも。でも、マリア王女も俺も、やっぱり本当の肉体にその魂が戻ることを望んでいるんだ」
レイナの両手首をつかむ、オーガストの手に徐々に力が入り始めた。レイナの震えを感じながらも、オーガストは今度はその手を緩めることはなかった。
「美しいマリア王女……今までもこれからもずっと、あなただけを……あなたのその美しく愛らしい肉体の全てを俺は知っているんだ……」
「……朝っぱらから、気持ちの悪いこと言ってんじゃねえよ」
ルークだ。
ルークが背後より、オーガストの肩をグッと掴んでいた。
「お前……確か、オーガストとかいう人形職人だろ。今さら、何の用だ?」
「俺はただ、”マリア王女”の肉体に傷がついていないか、見に来ただけだ。それに、あんたらみたいな薄汚くて野蛮なアホどもが、身の程知らずに”マリア王女”に手を出していないかもね」
「誰が薄汚い野蛮なアホだよ! それにお前、何、ニヤニヤしてんだ!?」
オーガストの肩を掴む手に、さらに力を入れるルーク。そして、依然として下卑た笑いを浮かべながら、ルークをさらに挑発しようとするオーガスト。
「あんたら、何の根拠もないのに”英雄になる”だなんて担ぎあげられて、ジョセフ王子にも媚を売っているようだけど、ただの平民でしかないのに、本当にそんなことができるか?」
「お前……!!」
やけに自信ありげに自分に突っかかってくるオーガストに、イラつき始めたルークであるが、それと同時に「何だ、こいつ?」と思わずにもいられなかった。
肉体労働で生計を立てていた自分と、おそらく人形職人として手に職を付けるための修行を積んできたオーガスト。オーガストが実は隠れた武術の使い手などではない限り、拳を交えたら、自分の方に軍配はあがるだろう。それにも関わらず、彼は自分を怒らせ、わざと殴らせようとしているのでは、と。
「どうしたんだよ、俺を殴らないのか?」
オーガストがルークに問う。
「……お前を殴るのは、次に会う時にしておくよ。まあ、二度と会うことはないと思うけどな。とっとと失せやがれ」
「へえ……これからの試験を受けても、同じことが言えるのか?」
「試験だと……!?」
怪訝な顔をするルークと、より不安げな”レイナ”に、オーガストは勝ち誇ったように言う。
「あんたが英雄になれるかどうかの試験だよ。ちゃんとフランシスに許可はもらっている。まあ、今回の試験をするのはフランシスではないけどさ」
「フランシスって……!? お前、まさか、まだあのいかにもヤバげな魔導士とつるんでんのか!? お前こそ、アホだろ? いい加減に目ェ覚ませよ!!」
ルークの言葉にオーガストはニッと笑った。彼のその表情には、誇らしさすら感じられた。
「全てはあの方のためだよ。俺は自分をこれほどまでの気持ち……命すら差し出せるほどに愛しく思えるあの方と出会えたことは俺の人生最大の喜びだ。神に感謝すらしている」
このオーガストが、あの淫乱で残虐なマリア王女に身も心も奪われているのは、レイナもルークも知っていた。だが、いかに絶世の美貌を持っていても、その中身は恐怖や嫌悪しか感じないあのマリア王女をこれほど愛する男がいるということ。
恋は盲目という度合など、超越している。
マリア王女に出会わなければ、おそらく善良な1人の民として暮らし、その生涯を終えたであろうオーガストは、神ではなく、悪魔が仕組んだ出会いの罠にかかり、愛の海に溺れているのだ。
オーガストの肩を掴む手を緩めたルークと、後ずさったレイナを交互に見たオーガストは、ククッと笑った。
その時、ルークもレイナも気づいた。
自分たちのところへと向かってくる足音。そう、極めて軽く小さな足音に。
「そろそろいいかしら? オーガスト……」
歩んできた1人の少女より、か細く愛らしい声が発せられた。
少女の年頃は、あのゲイブよりも少し上ぐらいだろう。レイナの元の世界の基準でいうと、小学校中学年に該当するほどかと思われた。
少女の肩を少し過ぎた濃いめのダークブロンドの髪は自然と内巻きになっており、重たげなバイオレットのローブにその全身を隠しているが、その下に非常に華奢な肉体が隠されていることは、一見して分かる少女であった。
少女は、やや小作りな顔立ちではあったが、整ってはいた。だが、無表情に自分たちを見ているその少女に、レイナはどこかちぐはぐなアンバランスな印象を感じずにはいられなかった。
まごうことなき子供といえる年齢にある少女。だが、その少女が醸し出す雰囲気は、大人の女のものであった。
先ほどのオーガストへの喋り方といい、そのどこかトロリと哀しい色をしている瞳、そしてなぜか子供にあるまじき色気すら放つ小さな唇――
「ヘレン……そろそろ、こいつに試験をしてくれて構わないよ」
オーガストは、ルークへと顎をしゃくった。
突如、現れた少女・ヘレン。
オーガストの仲間ということは、勿論、フランシスの仲間もしくは手下である。
何か別の目的があるため、アドリアナ王国(主にジョセフ王子)にちょっかいをかけるのは控えると、あの魔導士・フランシスは確かに言っていた。けれども、今、こうして自分たちの目の前に、オーガストとともに、刺客をよこしてきたのだ。
ヘレンは自分たちにすぐさま襲い掛かってくるわけではないようであった。
”慌てて”ルークから距離を取ったオーガストにも、ルークにも、そしてレイナにも目線を合わすことなく、ヘレンはルークの足元を見つめ、ブツブツと何か呪文を唱え始めた。
彼女はおそらく魔導士であるのだと、ルークもレイナも瞬時に理解した。
「……おい、お嬢ちゃん、一体、何を……?!」
怪訝な顔のままのルークが、ヘレンに問う。
次の瞬間、ルークは気づいた。
昇り始めた朝日による自分の影が、煮立った湯のようにグツグツと音を立てていることを――
「?!」
ルークが足元に視線と落とすと同時に、その”煮立った影”はルークに向かって、ザアッと襲い掛かってきたのだ!
「うおっ!!!」
ルークはそれを避けた。本当に間一髪であった。
彼は近くに積まれていた薪の束へと盛大に突っ込み、派手な音を立て、それらは散らばっていった。
ルークが立っていた雪の地面からは、シュウシュウと音を立てて湯気があがっていた。熱湯、いや強烈な酸による攻撃であるだろう。
ルークがこれほど機敏でなかったら、ヘレンが操る酸の影は、間違いなくルークの肌を焦がし、焼けただれさせていただろう。
「ヘレン! マリア王女の肉体には、絶対に火傷はさせないでくれ!」
オーガストが声を荒げた。もしかしたら、彼自身もヘレンの魔術とその威力を自分の目で見たのは、初めてだったのかもしれない。
「分かっている」
可憐な声で短く答えたヘレンは、顔をしかめながらも体勢を立て直そうとしているルークへと先ほどと同じく身構え、呪文を――
「ルークさん!!」
レイナは感覚がなくなりかけるほど震えている脚で、ルークの元へと駆け寄った。そして、彼をかばうために、彼の前へと立った。
「どいてろ! 危ねえだろ!」
ルークがレイナの両肩を後ろからガシッと掴んだ。
「いいえ! こうして、私たちの影が重なっていたら、あの女の子に攻撃はされません!」
叫ぶようにルークに答えたレイナであったが、本当に生きた心地がしなかった。
――なんて、うかつだったの! 私の軽はずみな行動で、ルークさんまで巻き込んでしまうなんて…… せめて、ルークさんだけは守らなきゃ……こうして、私がルークさんの前にいたら……
今、自分とルークの影はこうして、重なっている。
だが、オーガストはともかく、あの少女・ヘレンの気が変わり、”自分”を酸の影で攻撃してくるのではないかと、まるで全身が心臓になってしまったかのようにドッドッドッと脈打っていた。
一瞬のうちに、このうえないほど白くなめらかなこの美しい肌が真っ赤に焼けただれ、血膿を持ち……そう、あのマリア王女に顔を焦がされた侍女・サマンサのようになってしまうのではと。
睨み合う4人の男女。
誰が先に動くかの、睨み合いであった。
が、突如、近くの民家の扉がガタンと音を立てて、開いた。
「ちょっと、兄ちゃんたち! 朝からうるさいよ! 喧嘩なら他所でやってくれ!」
贅肉が過分についた体を揺らし、重たげな二重瞼をこすりながら1人の中年男性が出てきた。おそらく、つい先ほどまで彼は毛布にくるまり、ぬくぬくとした至福の時を過ごしていたのだろう。
ヘレンの両の瞳がすぐさま、その男性へギュンと向けられた。
「まずい! おっさん、早く家の中に戻れ! 影を作るな!!」
ルークが叫んだ。
「……一体、何言ってんだ? 兄ちゃん!?」
男性はこの極限まで緊迫した空気を感じ取ることもなく、目脂がついたまま、ポカンとルークたちを見た。
「早く逃げろって!」
ついにルークが男性へと向かって、バッと駆け出した。
だが、ルークの脚よりも、ヘレンが呪文を唱え終るほうが早かったようであった。
男性の煮立った影は、ザアッと男性自身へと襲い掛かった!
「!!!!!」
その時、誰にも予期せぬことが起きた。
突如、物陰から飛び出してきた1人の青年が、男性を突き飛ばしたのだ。獲物めがけて吹き出した酸は、誰の肌も焦がすことなく、雨混じりの白い雪のみからシュウシュウと湯気を上げさせた。
「ギャ――――ッ!!!」
誰よりも甲高く絶叫したのは、襲われた当の男性ではなく、助けようとして躍り出てきた青年の方であった。男性は、まるで魚のように口をパクパクとしたまま、声が出ないようであった。
彼らは折り重なったまま、目を極限まで見開き、荒い息を立て続けていた。
黒曜石のような黒髪の痩せぎすのその青年の絶叫に、幾多もの窓がバタンバタンと開く音がレイナやルークにも聞こえた。
「ルーク!」
「レイナ!」
宿の中にいたディラン、トレヴァー、ジェニーが、外に駆け出てきた。ジェニーはまだ寝間着のままであった。
彼らの姿を見たヘレンはオーガストの服の袖を掴み、バシュッと瞬く間にかき消えた。ヘレンの魔力――瞬間移動による退却であった。
「あ、ありがとよ。兄ちゃん……」
黒髪の青年にかばわれ、彼の下にいた男性がまだかすれている声を絞り出した。
「いい、いいい、いいえ。そ、そそそんな……」
青年もまだ盛大に震えており、地面に這うようにして男性より重なっていた体を離した。
「おい、おっさんたちも平気か? 特にあんた……靴が溶けちまっているぞ」
ルークがいまだ起き上がれない青年の靴を指差した。
青年の冬靴の踵に、あの酸がかかったのか、ぱっくりと割れ、青年の白い素肌が見えていた。
自分の踵を確認した青年は、「ヒッ!!」と悲鳴をあげ、もともと青白い頬をさらに青くした。
――あれ? この人、まさか……?
レイナはその青年に見覚えがあった。それはディランやトレヴァーも同じであったらしい。
その青年――ウェーブのかかった黒曜石のような綺麗な黒髪で青白い顔の上半分を隠し、ひょろひょろとした体躯で、吹けば飛ぶような雰囲気の彼は、数日前、自分たちの後をつけてきていたと思われる”あの青年”であった。
「……ルーク、その人は一体、どうしたの?」
この黒髪の青年は、悪者には見えない、むしろ被害者であるのはこの状況から見れば明らかだと思いつつも、ディランは念のため、ルークに聞いた。
「単に巻き込んじまっただけだよ。それに、さっき、この兄ちゃんのおかげで本当に間一髪だったんだ」
ルークが言う。
「あ、あの、皆さん、実は……」
ヨロヨロと起き上った青年は、覚悟を決めたように口を開きはじめたが、ルーク、ディラン、トレヴァー、レイナ、ジェニーの5人の視線を一気に受けたためか、その頬が徐々にほてったように赤くなり始め……
「い、いえ、やっぱり、なんでもありません! さよならっっ!!」と、溶けた片方の靴から白い踵をのぞかせたまま、彼はダッと駆けていった。
「……何なんだろう?」
「……何なのかしら?」
トレヴァーとジェニーが同時に呟いた。
挙動不審過ぎる青年の様子に、皆、あっけにとられてしまった。
人形職人・オーガストと、新たに姿を見せた魔導士の”少女”ヘレンからの試験という名の攻撃。全く無関係の男性を巻き込み、最悪の場合死に至らしめていたかもしれないのに、それを間一髪で防いだのは、先ほどの青年であった。
だが、レイナとルークの前で見せた勇敢さと、人と話をすることに慣れていない今の彼の様子。厳しい言い方をすれば、不審人物にも思え、酷くアンバランスな感じがした。それは、彼自身も自覚しているのだろう。
そそくさと逃げていったはずの彼が、近くの建物の影から顔だけをそーっとのぞかせ、こっちを見ていたのだから。
「あ、あの……やっぱり、私の話を聞いていただけますでしょうか……?」
青年のその懇願は、今にも泣きそうな声であった。
この優柔不断な青年の登場に「??」と思っていたのは、レイナたちではなかった。
アドリアナ王国の遥か上空に浮かぶ神人の船にて、自身の魔術により目の前で四角形の空間を波打たせたフランシスもそうであった。
彼はまたしても、紡がれゆく物語のワンシーンを覗き見していたのだ。
「あの黒髪の青年ですが……魂が、成長過程で様々な要因により屈折し、本来の輝きが押さえ込まれているように思いますね。彼の魂には、あの我儘生首王女の魂のような、禍々しさは微塵も感じませんが、何だか哀れさをさそいます。それと、あのルークという青年ですが、なかなかの反射神経の持ち主であることは間違いありませんね。あのヘレンの攻撃を火傷1つ負わずにかわすとは……彼が本格的に剣を握り始めてから、まだ日が浅いようですが、もっと幼い頃より本格的な訓練を受けていたら、今ごろもっと上にいけていたかと。やはり、全ての者にその適性に応じた教育ならびに訓練を受けさせる社会となるのが、理想でございますね。ねえ、あなたはどう思いますか、ネイサン?」
フランシスは自分の隣で、面白そうに映像を眺めている少年・ネイサンに問う。
悪趣味な覗き見を嫌い、無関心に本を読んでいたヘレンとは違い、ネイサンは興味津々といった感じで、自分とともに今の映像を見ていた。
「あのルークって奴、面白いと思いますよ。それに、この先、俺たちと対峙するのが、単なるドンくさい奴だったら、つまんないじゃないですか? そして、他の……ディランとトレヴァーでしたったけ? あいつらも気になるなあ。女は別にどうでもいいけど。ま、いざという時は、俺がドカンと一発やれば、あいつら全員お陀仏だと思いますし……」
ネイサンは自分の言葉に自分でハハッと笑った。
フランシスはネイサンの横顔をチラリと見下ろした。
後ろで無造作に束ねた長髪、小生意気そうな鼻がツンと尖っていた。
わずか15才の少年でいながら、大人の魔導士顔負けのパワーを持つ魔導士。首都・シャノンに近い都市で、この世に生を受けた彼は、その生まれ持った力の強さより、城お抱えの魔導士となるスカウトも直々に受けたことがあるらしかった。
だが、彼はアンバー、カール、ダリオのように、首都シャノンで品行方正に管理されたエリート魔導士としての道を歩むよりも、自由であり破天荒な道を歩むことを選択した。
穏やかで着実な人生よりも、激動にまみれた非凡であり刺激的な人生を彼は何よりも望んでいた。穏やかな海よりも、荒れ狂う波に乗りながら、自己流の方法でやがてこの世界で”名を永遠にとどろかせる”魔導士となるのだとと。
物事の善悪などもよりも、彼は自身の非凡な存在でいたいという、その希望の方が比べ物にならないほど強く、厳格で堅実な両親の元を飛び出し、フランシスたちの仲間に加わったのだ。
卓越した魔力の強さもさることながら、彼は使える、いろいろと使い道がある、と考えたフランシスは、まだ神人の力を手に入れていない彼を迎え入れたのであった。
「しっかし、何よりもヘレンさんに一番驚きました。というか、ドン引きしましたよ。いつもは、物静かというか無表情で、俺たちの中では唯一の常識人ですってオーラを醸し出しているのに、全く無関係なおじさんまで殺そうとするんですもん。あんな虫も殺さないような顔してさあ……」
ネイサンはおかしそうに笑った。
ネイサンは、フランシスへの”やっぱり類は友を呼ぶんですね”という言葉は飲み込んだ。
フランシスを敬っているように見せかけていても、心の底からは敬ってはいなかった。
それに、ネイサンは時々自分の勝手な判断で行動はしていたものの、魂のひとかけらの生首にされたマリア王女とは違い、ここまでやったら、このフランシスがブチ切れてしまうというボーダーラインは分かっていた。だから、スレスレのところで手を緩めてはいた。そのことはフランシスも分かっているだろう。
「……ヘレンをかばうわけではありませんけど、ちょうどあの年頃の中年男性は、ヘレンにとっては最も嫌悪を起こさせるものなのですよ」
フランシスが言う。
ネイサンは「?」と思ったが、あえて深く聞かないでおくことにした。
ああして、10才にもならない少女のまま、このフランシスと同じく、肉体の年齢が止まってしまった(止められたのかもしれないが)ヘレンの過去については。彼の興味は、過去よりも現在、そしてこれからの自分が生き続ける未来のことであった。
次は自分があの青年たちに試験をしてみたい、とうずうずし始めたネイサンにフランシスが言う。
「ネイサン、次にあなたが彼らの元に行ってみますか?」
「……本当にいいんですか?!」
ネイサンは、顔を輝かせた。退屈しなくてすむ、自分があの3人の青年たちに直接対峙する許可をもらえたのだから。
フランシスはそんな彼への牽制の意味を込め、コホンと咳払いをした。
「ただし……あなた1人ではありません。オーガストにはヘレンと行くことを許可いたしましたように、あなたにも別の者と行動してもらいます。いわば、チームワークの強化でございますね」
「……誰とですか? サミュエルさん? それとも、フランシスさんと?」
フランシスはゆっくりと首を横に振った。
「先日、私が超武闘派のレディを1人雇ったことを覚えておりますか? あなたには、彼女と行っていただきたいと……」
「えっ! あのローズマリーと! それに、あいつが”レディ”って……」
ネイサンが口元を押さえ、プククと笑いをこらえる。
が、すぐに真面目な顔に戻り、フランシスに向き直った。
「ありがとうございます。ぜひ、行かせていただきます。でも、俺があいつら3人の腕や脚の1本をもいだり、ちょっと力を入れ過ぎて”つい”殺しちゃっても、構いませんよね?」
「ええ、それは……」
フランシスがネイサンに頷いた。フランシスは、”あなたにそれができるものならね”という言葉は飲み込んだ。
口笛を吹きながら、ネイサンはすこぶる上機嫌に部屋を出ていった。
フランシスはふうっと溜息をついた。そして――
「どうやら、あの3人の青年は次はリネットの町にいる、あなたの昔馴染である例の人のところへ行くようですよ。そこにネイサンが奇襲をかけます。で、あなたはどうされます、サミュエル?」
フランシスは背後へと振り返った。
空気と同化するがごとくに気配を消し、先ほどからずっとこの部屋にいたサミュエル・メイナード・ヘルキャットに。
フランシスは当然のごとく、随分と前からサミュエルの存在に気づいていたが、あのネイサンは全く気づいていなかった。
それはやはり、魔術の勉強と訓練に費やした時間の差によるものだろう。ネイサンとフランシスは一世紀以上も年が離れ、ネイサンとサミュエルは祖父と孫ほど年が離れているのだから。
サミュエルは依然としてその実体を見せず、ゆらりと黒い影をくゆらせた。彼のクスッと笑う低い声が響いた。
「どうもしやしないさ。でも、ここぞとばかりに、好き勝手するだろうな、あのガキは……」
「おやおや、あなたこそが、アダム・ポール・タウンゼントに会いに行きたいものだと思っていたのに……」
実体のない黒い影は、ゆらゆらと揺れた。
「まあ、あいつが今、どうしているかという興味はあるが……正直、枯れた老いぼれになったあいつをあまり見たくないという気持ちもある」
「これはこれは……男が女に夢を描く、または女が男に夢を描くということはありますが、男が同性である男に夢を描くということもやはりあるのですね」
サミュエルがククッと笑い声をあげた。
「夢か……気色の悪い表現だが、そうとも言えるな。俺の人生で認めた魔導士は、お前とあのアダム、そして俺自身の3人だけだからな。ひょっとしたら、ネイサンの奴こそ腕の一本や二本を失って戻ってくるかもしれないぞ。わざと行かせたんだろう、お前。底意地の悪い奴だな」
今度はフランシスがクククッと笑った。
「いやはや、長い付き合いのあなたには、やはりばれておりましたか? ま、これもネイサンにとっては、社会勉強ですよ。自分の力など及びもしない魔導士が私たち以外にもいるってことをね。大人を、そして社会を舐めてかかると、痛い目に遭うということを、私はネイサンにその身を持って教えたいだけですよ。実際に痛い目をみないと分からない子供はいますからね」
「さて、そろそろ、覗き見はおしまいといたしますか? そろそろ、ヘレンとオーガストがここに帰ってくるでしょうしね」
フランシスがパチンと指を鳴らした。
今、”自分は”アドリアナ王国にちょっかいを出すことは控えている。だが、自分も自分の手下たちは、やがて英雄となる3人の青年、そしてマリア王女の肉体で生き続ける者の動向に、非常に興味を示している。彼らが自分たちのユーフェミア国に関する計画に関与してくるかもしれないのだから――
喜び勇んで、上空に漂うこの神人の船より下りたネイサンは、あの3人の青年たちを追いかけているところであるだろう。
かつてサミュエルと双璧の魔導士であるとも評された、あのアダム・ポール・タウンゼントは、力技のように魔術を使う少年魔導士・ネイサンにどう対峙するのであろうか?
フランシスは、高い鼻よりフッと息を漏らし、ほくそえんだ。
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