第三章

第三章(1)

 土曜日、他に誰もいない教室で、僕と津島さんは向かい合って席に着いている。


「改めて謝罪するわ。私が判断を誤った。あなたが言ったことの解釈を間違っていたわ。白川さんに関心があるかどうかという質問は、春日さんの覚悟を訊くためのものだと思ったけど、ああいう話になるとは思わなかったわ。そもそも無理にでも話を中断するか、私が代わるかするべきだったわね」


「謝罪と皮肉のどちらが本命?」


 僕がそう言うと、津島さんは不機嫌さを表に出した。


「なら言わせてもらうわ。あなたもあなたよ。春日さんに気を遣おうなんて気持ちはあんまりなかったでしょ。それについて何か弁解はあるかしら?」

「ないよ」


 津島さんがあからさまに溜息をついた。


「あなたって人は……本当に殴ってやろうかしら?」


 言い訳をしないのに殴られるのはあんまりだ。しかし津島さんなら悪くない――。


「まあいいわ。あなたのお蔭で問題の本質が分かったことには変わりないのだし……」


 その通りだ。昨日津島さんが言ってくれた。春日さんはただ姉さんに憧れていただけで、姉さんの暗い面を見ようとしない。姉さんの本質を知ろうとは思っていない。


「春日さん……あの子、何か隠しているわね」

「えっ……?」


 一瞬驚いてから、よく考えてみると当然に辿り着く答えだと分かった。春日さんのことを真剣に考えていなかったとはいえ、そんな単純なことを見落としていた自分に驚いた。


「やっぱり、気付いていなかったようね」


 津島さんは勝ち誇ったかのように笑みを浮かべている。


「いつ……分かったの?」

「何となく勘付いたのはあなたを止めたあたりね。確信に至ったのは春日さんが取り乱した時よ。あなた、向かい合って話していたのに春日さんの動揺ぶりに気付いていなかったの? まぁ、ただの直感だけど、あれは何か隠している感じだったわ」

「じゃあ、僕を止めた時、どうしてそのことについて何も言ってくれなかったの?」


 春日さんが姉さんについて何か隠しているのであれば、踊りの後に重要な事を言われたことを黙っているのであれば、それを知ることは僕にとってメリットどころの話ではない。目的が達成される。しかし津島さんはあの時、春日さんと話すのは無意味だと言い切った。


「黙っていたことも謝るわ。けど、あの時は無用な混乱を避けたかったの。春日さんが何かを隠しているかもしれないことを話さなかったのは、それを話すことであなたがいきなり核心に触れようとすることを恐れたからよ。結局それでも駄目だったけどね」


 当たり前のことだが、僕は津島さんに信用されていないようだ。


「分かった。少し話が変わるけど、津島さんには姉さんについて知ってほしい」


 しかし僕は津島さんを信頼している。彼女はそれ程の逸材だ。だから、そろそろ津島さんにも姉さんの本性を話しておくべきだろう。


「姉さんは成績優秀、容姿端麗、凛々しくて面倒見がいい、それだけ挙げれば絵に描いたような優等生だったけど、その反面凄い臆病者だった。本当は、自分はそれ程凄い人じゃないのに、臆病者なのに、周りが持ち上げるって会う度に嘆いていた。臆病者だからこそ周りの期待を裏切る勇気もなかったんだろうね。自分が期待されていること、その期待を裏切るかもしれないことに怯えていた」


 津島さんは何度も頷きながら聞いていた。そして僕が一通り説明し終えると、平然とこう口にした。


「なるほど。本当にそれだけかしら?」


 その問いかけを聞いて、思わず笑みが零れてしまった。


「君、本当に勘がいい」


 それだけなはずがない。優等生のフリをするのが疲れるくらいのことなら、《幻の呪い姫》など誕生しなかっただろうし、姉さんが『首が欲しい』と言われることもなかっただろう。それがなくても、以前から姉さんには僕にも隠しているような何かがあると感じていた。


「勿論、僕だってそれだけだとは思っていない。けど、それ以外のことは僕も知らない」


 姉さんが劇的に変わったのは、八年前の火災の後だ。その時彼女は小学生だ。まさか男関係ではないだろう。彼女の両親とは何度も会っているが家庭に問題があるとも思えない。所詮僕のようなガキの視点なので、実際は想像を絶するような深い闇が存在していたかもしれない。僕は去年の文化祭まではそう思ってきた。しかし《幻の呪い姫》になってその考えを捨てた。たとえ酷い仕打ちを受けたのだとしても、それがあの踊りに繋がるとは到底思えない。


「でも、春日さんがそれを知ったかもしれないわね」


 そう。先程の津島さんの予想を聞いて、まっ先に思い浮かんだのはそれだ。姉さんは春日さんに本当の自分を明かしたのだ。僕の知らない部分まで全部だ。とはいえ春日さん程度の人間を姉さんが認めるわけがないので、感情的になって言ってしまったのだろう。もしそうだとしたら、春日さんを徹底的に問い詰めたい。何としてでも僕は姉さんを知りたい。


「分かっていると思うけど、しばらくあなたは春日さんと話してはダメよ」


 言われると思っていた。さすがにこれ以上津島さんからの信頼を失いたくはないので、ここは黙って頷いておいた。


「ところであなた、春日さんの悩みが分かっていたのなら、どうして春日さんを挑発するような物言いをしたの?」

「昨日言ったはずだよ。僕は僕の考えを伝えただけだって」


 そう答えると、津島さんはまた溜息をついた。それにしても気になることがある。


「ねえ、津島さんはどうして僕をもっと怒らないの?」


 僕は結果として津島さんの為になることをしたが、その過程は津島さんの意にそぐわなかったはずだ。それに、僕の軽率な言動は春日さんを傷つけるだけに終わってもおかしくなかった。さすがに津島さんの邪魔はしたくなかったので、春日さんの悩みについて考えた上での言動だったが、他者からはただの軽蔑と受け取られても仕方がない。事実、長田君にはそうとしか受け取られなかった。

 しかし津島さんは僕に不平を言うだけで、過度に怒りはしなかった。


「あなたに対して全く怒りを抱かないと言えば嘘になるわね。けど、あなたが汚れ役を引き受けてくれたと考えると怒るに怒れないのよ」

「別に、そんな役を演じたわけではないけど……って、汚れ役ってどういうこと?」


 その言い方だと、津島さんが汚れ役になるはずだったという意味に思える。


「私が春日さんの相手をしても、彼女を傷つけていたでしょうねということよ。さすがにあなたみたいに無警戒に春日さんを傷つけるような真似はしないけど、それでも、似たような結果にはなっていたと思うわ」


 そういうことか。僕は図らずとも津島さんの身代りとなった、ということだろう。


「それに私はあなたを止めることができたのに止めなかったでしょ。春日さんを傷つけるって分かっていたのに。だから、私にも十分非があるわ。紆余曲折はあったけど、あなたには感謝している。あとは私や黒田先生が何とかするから、あなたはもう春日さんのことに関わらなくてもいいわ」


 つまり、お役御免か。津島さんは相変わらず僕を春日さんから引き離したいようだ。僕は津島さんに与えられた役目を果たしたが、自身の目的を果たしていない。


「勿論、春日さんと白川さんの間に何があったか、春日さんが隠していることが何なのかは、分かり次第あなたに伝えるわ。それと、問題が解決したら、二人でお茶しましょう。駅の近くに良い店があるの。私が奢るわ。そこでゆっくりお話しましょう」


 津島さんが問題を解決できればという条件はあるが、僕が黙っていても利益を得られるようになり、さらに期待していなかったプレゼントまであるようだ。まさか津島さんに餌づけされるとは――。とにかく、これで僕は引き下がるしかなくなったわけだ。

 それにしても、津島さんと洒落た喫茶店か――。想像しただけでも身体が温かくなる。津島さんの助けになるだけでこんなにいいことがあるのなら、もう少し春日さんのことで協力してもいいかもしれない。いや、それは津島さんに断られるのか――。少し残念だ。


「うん、いいよ」


 あくまで浮かれた気持ちは表情に出さずに、僕は微笑みを返した。

 その時、教室の扉が開かれた。そろそろ誰か登校してもおかしくない頃合いだ。


「あっ、堤君。グットモーニング。昨日はごめんね。っておわぁぁぁぁああああ」


 教室に入って来たのは高瀬さんだ。彼女は僕を見るなり駆け寄って来たが、津島さんを見るなり足を止めた。急ブレーキだ。その反応が何とも可愛らしかったが、それをからかう場面ではないことくらい分かる。高瀬さんは最前列の席より奥に立ち、津島さんを指差し叫んだ。


「どうして君がいるのよっ!」

「ここは私のクラスで私の席よ。それに文句があるの?」


 疑いようのない正論だ。それを聞いて、口を結ぶ力が強いあまり唇が前に出てしまっている高瀬さんも可愛い。


「言い方が悪かったよ。で、どうして堤君とこんな朝早くにいるの?」

「春日さんのことで相談していただけよ」


 この二人、どうしたら仲良くなってくれるだろうか。二人共魅力ある人だから、僕としては二人が仲良くなって、三人で話せるようになるのが理想である。


「あなたも堤君に用なの? いいわ。丁度話が終わったところよ。彼を好きな所に連れて行きなさい。それとも私が席を外した方がいいかしら?」

「別に、そこに座ってれば。その代わり邪魔しないでよね」


 高瀬さんは自分の席に着いた。僕の席の左隣である。僕も視線を高瀬さんの方へ向けた。


「風邪の方はもういいの?」

「大丈夫だよ。心配掛けてごめんね。堤君の方こそ、あれから調子はどう?」

「特に。けど、いろいろ分かったことがあった。まず頼みたいことが一つある」


 僕はカバンの中からある物を取り出した。DVDが二枚。去年の僕と姉さんの踊りを記録したものと八年前の踊りを記録したものだ。前者は、昨日の昼休みに生徒会室を訪れた時に会長から渡されたものだ。ついでに八年前の映像も持ってきた。


「例の踊りの映像だよ。去年か八年前かはちゃんと表に書いているから」


 何かヒントになることがあれば高瀬さんに伝えるという約束だ。踊りの最中にトランス状態になった可能性があることについては、昨日高瀬さんに説明しておいた。それでも、このDVDはまず僕が確認することになった。会長が言ったことが正しいのか、つまりこの踊りの中に僕が踊った記憶のない踊りが記録されているのかどうかを確認するためだ。


「メールでも伝えたけど、会長の言う通りだった。だから君に見てほしい」


 高瀬さんがDVDを受け取った瞬間、彼女の目つきが変わった。あの真実を見通そうとする鋭い眼だ。僕はさらにカバンから冊子を取り出す。


「あと、参考までに振り付けのコピーも持ってきた」


 それも高瀬さんに手渡す。これに関してはまだ彼女に伝えていないことがある。


「昨日会長に言われたのだけど、もしかしたらこの振り付けには続きがあるかもしれない」

「それは、堤君の知らない振り付けのこと」

「いや、そこまでは。ただ会長が言うには、元の振り付けノートには外国語の文が後の方に書かれていたらしい。今は元のノートがないから確かめようがないけど」


 元のノートは姉さんが管理していた。おそらく既に処分されているだろう。


「分かった。とにかく帰ってすぐに確認するよ」


 普段お調子者の高瀬さんだが、こうなるとかなり心強い。


「もう一つ、放課後一緒に保健室の先生の所に来てほしい」


 養護教諭の黒田先生が八年前の生徒会副会長であることや春日麻美さんのことについても、一昨日高瀬さんに報告した。昨日は高瀬さんの体調不良のため断念して、今日黒田先生に話を聞きに行くことになったのだ。

 高瀬さんから返事が聞けると思ったが、意外にも次に発言したのは津島さんだった。


「もしかしてあなたたち、春日麻美さんのことを聞きに行くつもりなの?」


 高瀬さんが怒りだす前に、僕が我先にと質問した。


「津島さん、春日麻美さんのことを知っているの?」

「黒田先生から聞いたわ。あの人が八年前の執行部の人だってことも知っているわよ」


 よく考えてみれば当然だろう。津島さんは春日さんを助けようとしている。だから春日さんの人間関係を調べるはずだ。おそらく春日さんの騒動の後、春日さんを保健室に運んで、その時に黒田先生からいろいろ聞いたのだろう。


「どちらかというと踊りについての話を聞きに行く。けど、春日麻美さんは姉さんとのかかわりもあるかもしれないからそれも聞くよ。ペンダントのことも分かるかもしれない」


 これは津島さんのためになるかもしれない。そういう善意から僕は訊いた。


「良かったら、津島さんも来る?」

「ちょっと堤君。やめてよ」

「そうね。遠慮しておくわ」


 やはりこうなるか。二人が仲良くなるきっかけになればいいと思ったが、そもそもそのきっかけ作りが困難のようだ。

 そこで津島さんは僕を見遣る。


「放課後に行くのなら、多分長田君も来ると思うわ。黒田先生のことを教えてあげたの。昨日の今日だけど、もし一緒だったら出来れば力になってあげて」


 長田君も春日麻美さんのことを聞きに行くのだろう。僕と最終目標は異なるが、おそらく知るべきことは一緒だ。僕は首肯で応じた。

 それから津島さんは高瀬さんに視線を移した。


「私から一つ言っておくわ。たとえ春日さんが堤君を治すことと関係があるのだとしても、春日さんに変なことを吹き込むのは許さない」

「変なことって霊のこと? そんなの言われなくても分かってるよ」

「そう」と津島さんは呟き、それから後は双方何も言わずに、自席に腰を下ろしていた。

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