第二章(3)

 放課後、僕は生徒会室を訪れた。ノックをして、返事が来たので「失礼します」と言って中に入る。そこには生徒会長とあと三人男子がいた。おそらく全員が執行部の二年生だろう。姉さんから聞いたことがある。この学校の生徒会執行部は、全員二年生で構成されている。任期は二年生の始まりから終わりまでだ。ここは進学校だから、三年生は学業に専念するためらしい。生徒会執行部の構成員は生徒会長、副会長、書記、会計といった標準的なものだ。風紀委員なんかは別みたいだ。その男子の内の一人が僕に近づく。


「君、一年生だよね。どうしたの? もしかして入会希望者?」

「違います。アポなしですいませんが、生徒会長の八尾静香さんにお話があって来ました」


 僕はすぐに会長を見遣る。


「会長、二人きりでお話がしたいのですが、よろしいですか?」

「ちょっと君、何をいきなり言っているんだ。そんな勝手……」


 僕に近づいてきた男子が声を荒らげる。僕はそいつを見向きもせずに告げた。


「僕は会長に訊いているんです。会長が嫌と言うのなら大人しく帰りますが、あなたの指図は受けません」

「な……」「稲田君、待って」


 稲田という男子が何か言い返す前に、会長が声を発した。


「みんな、少し席を外してくれない?」


 会長がそう言うと、男子三人はそれぞれ了解の意を示して、生徒会室を後にした。稲田ではない方の男子の一人が部屋を去る前に僕の肩を叩いて「お前面白い奴だな」と言ってきたが、僕は「どうも」としか答えなかった。

 これで望みどおり、生徒会室は僕と会長の二人きりだ。コの字を描くように設置された長机のちょうど真ん中の席に会長が座っている。僕は会長の真正面、つまりコの字の中心に足を踏み入れた。


「お久しぶりです、八尾静香さん。まあ、こうして話すのは初めてですね」

「そうね。初めましてと言った方がいいかな。堤一思君、いえ……」


 会長は一拍置いて、あの名を告げた。


「《幻の呪い姫》さん」


 八尾静香。おそらく去年の踊りを観た者の中で唯一、《幻の呪い姫》の正体が僕であることを知り、なおかつこの高校に入学してきた僕を《幻の呪い姫》だと見抜いた人物だ。僕はこの人の代役として文化祭のステージに上り、《幻の呪い姫》となった。


「僕の名前と、僕が男だということも元から知っていたんですね」

「うん。白川先輩から君のことはよく聞いたから。あの踊りとは関係なしにね」


 姉さんが僕の話をする、ということはかなり根の深いところまで語っているのではないだろうか。そうだとすると、会長は姉さんに相当気に入られていたことになる。


「それにしても白川さんから聞いていた通りの子だね。あれはちょっと生意気だったんじゃないかな。稲田君すごく怒っていたよ」

「別に、彼に気に入られようとは思っていません」


 直感で分かった。稲田という人はすごくつまらない人間だ。下の人間には強い態度を取って、上の人間にはただ媚びへつらうタイプだろう。そんな奴を敬う気は毛頭ない。

 会長本人にではないが、そういう生意気な態度をとり続けてなお、会長は僕をきつく咎めようとはしない。むしろ彼女は微笑みを浮かべている。


「先輩は、君みたいになりたかったのかな」


 確信した。姉さんは会長に自分の本質を曝け出していた。そんな人が僕以外にいたことに驚く。最初は、僕の踏み台となった人としか認識していなかったが、それは間違いだ。どうして姉さんに認められたのだろう。会長のことをもっと知りたい。


「姉さんは会長にそんなことを言っていたのですか?」

「ちょっと、堤君落ち着いて」


 そこで気付いた。僕は机の直前まで来て、両手をついていた。さらに上半身を乗り出していた。あまり人に見せていい顔をしていないだろう。案の定会長は少し身を引いて、怯えた表情をしていた。これでは僕が会長に襲いかかろうとしていると誤解されても仕方がない。


「すいません。取り乱しました」


 僕は急いで元の場所に戻った。会長の顔色が心配だったが、苦笑いをしてくれた程度には、僕の信頼は失墜しなかったのだろう。


「まあ、気持ちは分かるよ。白川先輩の本当の姿、知らない人の方が多いでしょ」


 多いどころの話ではない。僕の中では、僕と会長以外の全ての人間は姉さんのことをまるで知らない。会長のような人に出会えたのは奇跡以外の何ものでもない。


「姉さんに、気に入られていたんですね」


 僕は微笑みながら言ってみると、会長は微笑み返してくれた。


「否定したら嘘になるね。こうして生徒会長になれたのも白川先輩のお陰だし……」


 会長は少し哀しそうに項垂れて、すぐに顔を上げた。


「それで私と何を話したいの?」


 挨拶はこれくらいにして、そろそろ本題に移ろう。会長が姉さんに認められた人だというのなら、期待を遙かに超える結果が望めそうだ。


「去年の文化祭で、どうして姉さんが僕を選んだのか、知っていたら教えて下さい」


 真実の解明に胸を躍らせていたのだが、対する会長が怪訝そうに僕を見返した。


「ちょっと待って。どうして君がそれを知らないの?」


 よく考えてみればそうだろう。会長からしてみれば、姉さんが僕を代役に選んだ理由は代役である僕に伝えられているものだと思うのが普通だ。


「私が君に訊くつもりだったのに……あの踊りの意味を」


 踊りの意味なんて、おかしなことを言う。それではまるで――。


「あの踊りに何か特別な意味があるとでも?」

「ええ、私はそう思うわ。じゃあ、堤君はあの踊りがどういう経緯で始まったかも、白川先輩から教えてもらってないのね?」

「はい」僕は首肯した。あの踊りことは振り付け以外まるで知らない。踊り子として、踊りができた経緯には興味がある。


「分かったわ。君には教えておいた方がいいわね。まずあの踊りは、白川先輩が始めたものじゃなくて、八年前に行われたの」


 八年前。忘れもしない、あの忌々しい事件が起こった年だ。おそらくあの事件が姉さんの人格を根底から変えてしまったのだろう。今まで姉さんの話をしていたので、つい憎しみが込み上げてしまったが、今は踊りの起源についての話だ。冷静になろう。八年前の時点では、あの踊りと姉さんに何の関連性もないはずだ。


「八年前の踊りがどうして行われたかというと、当時の生徒会長が亡くなったからなの。その会長を弔うために、生徒会役員の女子二人によって行われたのが始まり。ちなみに書記と会計の人が踊ったらしいわ」

「だから僕が女装する必要があったのでしょうか?」


 ダンスは普通男女でするものだ。社交ダンスがまさにそれだ。一対の男女がペアを作る。しかしその常識を破って、僕に女装させてまで、敢えて女子二人で行う形を作ったことがずっと疑問だった。当時、それを姉さんに問い質しても「そうすることが必要だから」としか答えてくれなかった。


「両方女子が踊ることを想定した振り付けだったみたいだからね。多分そうだと思うわ」


 なるほど、疑問の一つはこれで解消された。しかし疑問ならまだまだある。


「でも、どうして僕だったのでしょう?」


 周りに女子ならばいくらでもいる。気に入らない人間だとしても、踊るくらいなら利用してもいいだろう。と思ったが、問題の本質が別にあると気付いた。


「いや、そうじゃない……。どうして会長が相手ではなかったのですか?」


 そう訊くと、会長は悲痛そうな表情を浮かべた。その瞬間、会長の表情の意味を察した。この質問をしてしまったことは間違いではないが、申し訳ないとは思う。


「私には……無理だったの……」


 そう。あの踊りはとても難易度が高かった。そして体力の消耗も半端ではなかった。運動に慣れていない女子ができるものではなかっただろう。


「君は実際男の子だし、運動神経もかなりいい方だと思うからできたんでしょう。けど、あまり運動をしていない女子が、いきなりあんな踊りをやれと言われてもできないわ。私も運動は苦手だから、一生懸命練習していたんだけど結局できなくて、君に踊ってもらったわ」

「ということは、最初は姉さんが会長を相手として選んだのですか?」


 姉さんと会長が踊る予定であったが、踊りの難しさのあまり会長がリタイアした。そのシナリオなら筋が通る。しかし会長の首の動きはそれを否定した。


「それは半分間違っているわ。私が白川先輩と踊りたいと勝手に思っていただけよ……」


 そして会長は寂しげな微笑みを浮かべながら続ける。


「八年前の踊りの資料を見つけたのは私なの。確か去年の夏休みに入る少し前だったかな。生徒会室を整理整頓していたら、棚の隅の方で見つけたわ。振り付けのノートと、八年前の本番の映像があって、それを白川先輩に見せたの。振り付けのノートはなんとなく眺めていたのに、踊りのDVDを観てから目の色が変わった。その時はもう少し考えさせてって言われたからそうしたわ。数日してから、白川先輩がまたDVDを観て『そういうことだったの……』って驚いていたことはよく覚えているわ。その後に先輩は一緒に踊ろうと言ってくれたの」


 また妙な話になった。踊りのことを知ったばかりの姉さんが、その踊りの映像を見て何かを納得するような状況があるのだろうか。


「そういうこと、とはどういうことだったのかは姉さんから聞いていないんですね」

「ええ。訊いたけど、はぐらかされたわ」


 しかも姉さんはそれを秘密にした。この踊りに一体何があるというのだろうか。話を聞けば聞く程疑惑が深まっていく。


「それで、夏休みの間は一緒に練習したわ。けど、夏休みが終わるくらいになって、私はクビになったの。他に踊りたい人ができたって。今まで一生懸命頑張ってくれたのにごめんなさい、って謝られたわ」


 僕が姉さんに踊りの話を持ちかけられたのも、確か夏休みが終わる一週間前くらいだった。


「あの時、私は全然踊れていなかったわ。本番まであと一ヶ月ちょっとしかなかったのに。本当は白川先輩と踊りたかったけど、足を引っ張るよりはいいと思って、素直に辞退したわ」


 会長には荷が重かったのは分かった。しかしそれは代わりに僕を選ぶ理由にはならない。難易度の問題ならば、運動が得意な女子を誘えばいいだけの話だろう。もしくは、踊りの方を少し簡単にすればいい。

 最早こう考えた方がよさそうだ。あの踊りは八年前に作られた時と全く同じように演じられる必要があり、なおかつ僕が参加する必要ができた。もっとも、その必要性は今のところ皆目見当がつかない。

 会長にも分からないだろう。だから僕は別の話題を持ち出すことにした。


「ところで、会長は踊りの後に、僕達のところに来て姉さんとどこかへ行きましたよね。一体何をしに行ったのですか?」


 僕と姉さんは踊りの後、控室に戻った。僕が会長と出会ったのはその時だ。とはいえその時会長は姉さんとすぐにどこかへ行ってしまったので、会話を交わすことなどなかった。


「私はあの時、踊りを撮影するよう白川先輩に頼まれていたの。体育館の二階があるでしょ。そこから撮っていたの。踊りが終わった後は、その映像を渡しに生徒会室に行ったわ」


 晴れ舞台を収めてもらうこと自体はおかしくない。妙な点があるとすれば――。


「姉さんは、そんなに急いで映像をもらいに行ったのですか?」


 姉さんは僕に、着替えたら早く帰るよう告げて、会長と一緒に控室を後にした。姉さんと文化祭を回りたいと思っていたが、正体を隠している身だったので、楽しみは来年にとっておこうと心に決めていたのが懐かしい。


「ええ。しかも生徒会室ですぐに踊りの映像を観ていたわ」


 もう何が何だか分からない。姉さんの言動には不可解な点が多い。すぐに踊りを観る必要があったのだろうか。それとも、一刻も早く踊りの中に確認したいことがあったのだろうか。どちらにせよ、ある推測ができる。


「最初からその踊りの映像を見るために、あの踊りをした。とは考えられませんか?」

「ええ。それは私も考えたわ」


 しかし推理できるのはそれまでだ。その踊りを見て何が得られるのかが想像できない。あの踊りには異変はなかったはずだ。確か気持が昂り過ぎて、記憶がおぼろげだが、目に見えておかしなことはなかった。ならば、一体あの踊りに何が隠されているというのだろうか。


「白川先輩は、踊りの映像を観た後、死にそうな顔をしていたわ」


 姉さんは何かを理解したということだろう。そして絶望した。


「その映像は、今ありますか?」


 振り付けノートのコピーと八年前の踊りのDVDならば僕は姉さんから渡されており、今でも自室に保管している。しかし去年自分が踊った時の映像は、ついに姉さんから渡されなかった。


「ええ、DVDにダビングしてあるわ。見たいなら明日持ってくるね」

「お願いします」


 僕が踊りを見たとして姉さんと同じ境地に辿り着けるかどうかは分からないが、何もしないよりかはいいだろう。


「会長から見て何かおかしな点はありましたか?」


 期待はできないが、今は藁にも縋りたい気分だ。


「白川先輩の反応に納得がいくようなものは特に……でも」


 そこで会長の目つきが変わった。僕にいろいろ教えてくれる優しい先輩の眼差しから、僕から情報を聞き出す攻めの眼光に転じたのだ。


「ねえ堤君。私は途中で脱落した人間だから、とやかく言う資格はないと思うけど……君はあの踊りの途中から、振り付け通りに踊っていなかったよね?」


 会長は踊りの振り付けと、実際に僕が踊った姿を両方見たはずだ。単に会長の記憶が誤っているのだろう。そう思いたかったが、そんな馬鹿な質問をする会長でもないとは思う。とにかく、僕は事実を述べた。


「振り付け通りに踊りましたよ。それは間違いありません」

「なら、振り付けにない踊りまで踊っていたの?」


 もう一度考察する。会長は踊りのDVDを持っていて、振り付け通り練習もしていた。その会長がここまで強く主張するのだ。何かの間違いでは済まされないだろう。

 そこで気付いた。会長が言っていることが正しければ、僕は踊りの最中の記憶を一部失っている。それはつまり、バスケや反復横跳びの際に起こった現象と同じでないか。高瀬さんが言う、トランス状態になったのではないか。


「僕はあの時ずっと踊っていましたよね?」

「変なことを訊くわね。ちゃんと踊り通していたわよ」


 ただふらふら歩いている時間はなく、意識がない時もずっと踊っていたということになる。それではトランス状態時の行動の傾向が異なってしまう。


「でも、終わり方が突然過ぎたって感じはしたかな」


 仮に僕があの踊りの時にトランス状態になっていたとしたならば、踊りが突然終わったことの説明はつく。単にエクトプラズムが尽きて、僕が正気に戻ったのだろう。


「振り付けにない踊りを僕は知りません。それはどういったものでしたか?」

「ちょっと堤君。どうしちゃったの? 一体何を言っているの?」


 会長が困惑するのは十分分かるが、僕としてはこう質問するしか仕方がない。


「お願いです。答えてください」


 改めて頼むと、会長は真剣な態度で答えてくれた。


「横への移動が多かった。それと、地面を二回連続でタップしたことが何度もあったわ。詳しいことはDVDで確認してみて」


 これに関しては会長の言う通り、踊りの映像を見てみないことには何も理解できないだろう。踊りのことはこれくらいにして、姉さんに関する最大の謎について会長に意見をうかがうことにしよう。


「ところで、踊りの後うちのクラスメイトが姉さんと話したらしいのですが、姉さんは、首がほしいと言われた、と言ったそうです。それについて何か心当たりはないですか?」


 もしかしたら姉さんは謎の言葉について会長にも話しているかもしれない。そう思ったが無情にも、会長の首が振れた方向は左右だった。


「もしかしてそのクラスメイトっていうのは、春日っていう女の子?」

「そうです。会長は春日さんを知っているのですか?」


 その答えに対しても、会長は首を横に振った。


「その子とは話したことはないわ。ただ、踊りの映像を見た後、白川先輩の様子がおかしかったから、一旦休ませようと校外に出たの。そこで女の子が声を掛けてきたわ。確か、白川先輩がその子のことを春日さんって呼んでいたと思う。それから先輩はその春日さんとどこか行ってしまったの」


 会長の話を聞いて、それがとても不可解なことに気づいた。踊りの前には、姉さんは何かに怯えているような素振りを見せなかった。だから僕は今まで、姉さんが謎の言葉を言われたのは、踊りの後から春日さんと話した時の間だと思っていた。しかしその間、姉さんは僕と会長の他に誰とも会っていないということになっている。だとしたら、踊りの前の姉さんの異変を僕は察することができなかったということだろうか。


「春日さん……ね……」


 そう呟くと、会長は立ちあがり、部屋の隅にある棚に近づいて行った。そしてその棚から冊子を一冊持って席に戻った。そして彼女は隣にある椅子を引いた。


「こっちに来て。見てほしいものがあるの」


 言われた通りに、僕はテーブルを回り、会長が用意した席に着いた。そして、会長が既に広げていた冊子の、会長が指している箇所を見遣る。そこに書かれている年号と名前を見た瞬間、素直に驚いた。


「この名前、どう思う?」


 偶然として片付けたかった。その苗字は別に珍しくはない。しかし逃げ道を作っている場合ではない。どんな真実にも向き合わなければ、姉さんには届かない。

 その冊子には、春日麻美(かすがあさみ)という名前が記されていた。


「春日さんの姉……?」

「やっぱりそう思うよね……」


 春日麻美。彼女はこの学校の生徒会長だったようだ。しかも生徒会長を務めたのは今から八年前のことだ。つまり、八年前のあの踊りはこの人を弔うために行われた。とにかくこの人が春日照美の姉であるかどうかは確認する必要がありそうだ。もしかしたらうちのクラスの春日さんも踊りについて何か知っている可能性がある。


「彼女はどうして亡くなったのですか?」


 何となく、有意義な答えを求めずに、無意識に呟いた程度の質問だったが、返ってきた答えは僕の背筋を凍らせるのに十分なものだった。


「火災で亡くなったらしいわ」

「もしかして! その火災って!」

「ちょっと堤君。興奮しないで」


 僕はまた同じ過ちを犯したらしい。気がつけば会長と僕の顔が十センチ程度しか離れていなかった。キスを迫っているように見えなくもないだろう。姿勢を戻してから「ごめんなさい」と告げた。そして心を落ち着かせてから改めて訊いた。


「その火災、当時有名だった、ホテルで起きたやつですね」

「そうよ。君が小学生の頃の話よ。よく覚えているね」

「姉さんが、それに巻き込まれましたから」


 八年前のホテル火災。当時かなり話題になった事件だ。ホテルは十五階建てであったが、それ程値段の高いホテルではなかったと記憶している。防災対策が万全でなかったこともあり、火は瞬く間に広まり、九階から上がほぼ全焼したらしい。原因は放火であり、犯人は数日の内に捕まった。会長が姉さんに認められた人間ならば、きっと話を聞いたことはあるだろう。


「ちょっと待って。そんな話、白川先輩から聞いたことないわよ」


 意外な答えだった。姉さんの人格を形成したと思われる出来事だ。会長に話していてもおかしくはない。しかし少し考えて得心がいった。あの火災で姉さんの身に起こった詳しい出来事は、僕も姉さんから伝えられていない。それ程話したくない出来事があの火災にはあったのだろうか。そして――。


「姉さんはその時春日麻美さんに会った?」

「さすがに考え過ぎではないの?」

「でも、根拠ならありますよ」


 本日三度目だ。僕はペンダントを取り出して、そのロケットに彫られている文字を会長に見せた。例の『TERUMI』という名前だ。


「これは八年前の火災の後に姉さんからもらったものです。これ、春日麻美さんがうちのクラスの春日照美さんに渡そうとしたものとは考えられませんか」


 ここで会長は首肯した。そして冊子に視線を移す。


「堤君、ここを見て」


 会長は春日麻美のすぐ隣に記された名前を指差した。そこには黒田栄子(くろだえいこ)という名前がある。


「保健の先生のことよ。春日麻美さんと同じ代で、副会長をされていたそうなの。そのペンダントのことも知っているかもしれない。詳しいことは彼女に訊いてみたらいいと思うわ」


 だからかあの養護教諭はペンダントを見て驚いていたのか。ならば会長の助言通り、あの養護教諭から実のある話が聞き出せそうだ。


「私から伝えられるのはこれくらいよ。他に何か分かったらすぐ教えるわ。だから、白川先輩の謎を解くのに協力して」

「分かりました。いろいろありがとうございます」

「どういたしまして。私の方こそありがとう。君に会えて良かったわ。お互い頑張りましょう」


 姉さんが残した謎、それを解いて何になるかは分からない。しかし僕には姉さんを理解する義務がある。そう思ってこの学校に来たのだ。《幻の呪い姫》だからではない。姉さんと踊ったからではない。

 姉さんが好きだから――。

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