第二章(2)

「三十分経過だよ」


 僕と津島さんの間、その少し手前、三人で正三角形を描くように高瀬さんが立った。


「津島さん、何だか楽しそうだね。堤君も人が悪いよ。大事な話が終わったんなら、すぐにあたしのところに来るべきだと思うんだけど……」


 高瀬さんは苛立たしげに言葉を並べた。一方津島さんはまだ食べ終わっていない弁当に蓋と包みを施して、立ち上がった。そして、レジャーシートから出て上履きを履いた。因みに、僕は既に弁当を食べ終わっていた。


「レジャーシート使っていていいわよ。戻ってきたら返して」

「うん。ありがとう」と僕は返事をすると、津島さんは屋上を後にした。入れ替わりで高瀬さんが上履きを脱ぎ、レジャーシートに入る。そして僕達は向かい合う。


「で、堤君は津島さんと一体何を話してたのかなぁ?」


 高瀬さんは目を閉じて、すさまじい笑顔を僕に向けた。瞼と頬に入っている力が尋常じゃないことは見れば分かる。その圧迫力で視線が捻じ曲げられてしまい、僕は彼女を直視できなくなってしまった。


「春日さんに関することだよ。どうやら姉さんが関係しているらしくて、津島さんに協力することにしたよ。あとは……好きな小説のことかな……」

「そっか。んっ? 最後のは何かなぁ?」


 ちらりと高瀬さんを見遣ったが、彼女はまだ例の笑顔のままだ。


「約束通り、後半三十分は君のために使うから、前半三十分はどう使ってもいいよね」

「そうだけど、ちょっとは気を遣ってほしかったなぁ。……もういいや、本題入ろう」


 高瀬さんは眼を開けて、笑みを消した。それを機に僕は高瀬さんの方を向いた。


「君に憑いている霊のことなんだけどね。これから、対策を考えていこうと思うの。そうしないと、訳も分からずに意識が飛んじゃうじゃない。さすがに、それは嫌だよね」


 確かに嫌だ。今は学業だけをしていればいいので不自由は少ないが、将来仕事をするとなるとこの身体は不便になる可能性が大きい。何とかできるものなら、勿論何とかしたい。しかしその方法とは何だろうか。


「対策って具体的に何するの? 神社とかでお祓いとかするのかな?」

「それを言うならお寺だよ。神社のお祓いは除霊じゃないよ」


 無知な人間がただの思いつきでものを言って悪かったです。


「それに、無駄だと思うよ。霊が憑いてるから除霊しますって、そういう簡単な話じゃない。まあ、あたしは除霊をするわけではないけど、それでも君に霊が憑いている原因を突き止めないことにはどうにもできないよ」


 僕に姉さんが憑いている原因か――。その発言の意図が分からない。


「原因って……姉さんが死んだから、知り合いの僕に……」

「ちょっと待って!」


 高瀬さんが右の手の平を前に押し出した。僕が口を止めると、彼女はゆっくりと手を下ろした。何かと思ったが、すぐに高瀬さんが僕を制止した原因が分かった。


「何勝手に、霊が白川さんという前提で話を進めようとしてるの」


 そういえば、高瀬さんは僕に憑いている霊が誰なのかをまだ断定していなかった。ただ、その霊が姉さんだと僕が思い込んでいるだけだ。


「でも、今のところ他に考えられる人がいないし、姉さんでいいんじゃないかな?」

「ダメ……。あたし、根拠がないのに決めつけるのは好きじゃないの……」

「幽霊とか言ってるのに、根拠に結構拘るんだね」


 そう言うと、高瀬さんは頬を膨らませた。


「堤君。その認識は甘いよ」


 そうなのか――。幽霊なんていう不確かなものを相手にするのなら、明確な根拠なんてどうでもいい、むしろ直感に頼るイメージがあるのだが、それは的外れのようだ。


「心霊主義者っていうのはね、むしろとても根拠にうるさい人種なんだよ。本当に幽霊が介入している現象かどうか確かめるために、綿密に実験なり調査なりするの。そうじゃないと、本物か偽物か見極められないでしょ。あたしは霊感があって、その過程を素っ飛ばしてるから、その見極めが楽にできるだけ……。実際は霊感がない人が心霊現象を相手にすることが多いから、出来る限り根拠を集めないといけないんだよ」


 心霊主義者というのも大変なようだ――。高瀬さんがそう言うのなら、無理に結論を出させようとしない。


「原因の話に戻るけど、今は何の根拠もないから仮説すら立てられない。ただ堤君には、想定される原因を知っておいてほしいの。大まかに言うと二つあるよ」


 高瀬さんは右手人差し指を上げた。


「まず、低級霊が意図的に、堤君に憑依すること。霊媒は常に低級霊、特に好んで悪さをするような邪霊に狙われてるの。そこで、あることをきっかけに、堤君が霊に取り憑かれるような隙を作ってしまって、今のようになったっていう可能性がある」


 創作でよく扱われる、幽霊に取り憑かれるパターンだと考えればいいのだろうか。


「幽霊が僕のことを恨んでいるとか?」

「いや、恨んでいるかどうかは関係ないよ。霊が別の人に凄い恨みを持っていて堤君に八つ当たりしているだけかもしれないし、単なるいたずらかもしれない」


 どちらにしても迷惑な話だ。高瀬さんは中指を上げた。


「それから二つ目。生きている人間が意図的に、霊を堤君に憑依させた可能性だよ」


 後者もあまり考えたくない可能性だ。どちらかというと人に嫌われる人生を送ってきたわけだが、幽霊をぶつけられる程恨まれるようなことをした覚えはない。それに――。


「霊を呼び出すことは霊媒にしか出来ないはずじゃ……そういう人が僕の周りにまだいるの?」

「いや、霊を呼び出すこと自体は真っ当な手順を踏めば誰にだって出来るよ。霊を呼び出してから霊能力を使って霊言なりなんなりをするのはまた別の話だけどね。ただ、堤君が霊媒だから、何の能力も持たない人が霊を呼び出して、霊を堤君に取り憑かせようとして、本当に取り憑いちゃったっていう可能性もないことはないよ」


 高瀬さんの説明のお蔭で、憑依の原因に対する考え方というものは分かった。


「問題はいつ憑依されたかだよね……」

「去年だよ」

「本当に去年なのかな。去年だとしたら、去年のいつなんだろう?」


 確かに、憑依された時期を詳細に特定できれば、霊の正体をつきとめるのに役立つだろう。僕としては、せめて姉さんの死の前なのか後なのかを判明させたい。


「バスケで最初になったのは去年の十一月。一応、姉さんが亡くなった後。バスケ以前にはあんなことは起きていない」

「文化祭の踊りの時も起こらなかったの?」


 僕を《幻の呪い姫》にしたあの踊りの時に憑依現象が起こっていたのならば、少なくとも霊の正体の候補から姉さんは除外される。とはいえ、その仮説は肯定できない。


「うん。ちゃんと踊り切ったよ。だから、あの時は憑依されていない」


 急に踊りを止めて歩き回っていたら、大騒ぎになって踊りは中断されていただろう。しかしそのような事態は起こらなかった。踊りは無事終了した。


「練習も結構したけど、その時は一切何も起こらなかった」


 体力の問題かは分からないが、バスケよりも激しい運動を何日もしていたにもかかわらず、踊りの練習も憑依現象を引き起こさなかった。個人練習の時は全くなかったと断言できないが、少なくとも二人での練習の時に姉さんを困らせたことは一度もなかった。


「じゃあ、憑依されたのは去年の文化祭から十一月までの間かな。詳しいことはこれから調べていこう」


 一つ気になることがある。どうして最初からそうしないのかと思ったが、おそらく高瀬さんは無理だと判断しているのだろう。


「ねえ、憑いている原因とかその幽霊に訊いてみたらどう? それとも無理なの?」

「うん。無理だよ。交信を試してみたんだけど、霊が応じてくれないの。霊交信ができると言ってもね、交信に応じてくれる霊っていうのは結構少ないの。しかも、霊は堤君に取り憑いてるのであって、あたしには目もくれないんだよ」


 そうか。霊能力があるといってもそう便利なものではないようだ。


「これ以上あれこれ考えても仕方ないから、次に霊自身の状態を話しておくね。これは前に言ったけど、身体全体の損傷が激しいの。特に顔が潰れていて、見れたものじゃないよ。ついでに少し火傷の痕もあるかな……。とにかく、顔で誰かを特定するのは諦めて」

「顔が潰れていて見えないっていうけど、幽霊って怪我が残るものなの?」

「それは霊の振動数によるよ。普通の霊は、振動数が物質世界よりもはるかに高くて、霊になったら生前の肉体的障害は消えるよ。例えば、生前に事故で腕が切れたとしても、死後はその腕が戻る。けど、突発的な事故で亡くなった場合、霊が自分のことを霊だと認識できなくて、自分が置かれてる状況を夢のように思う場合があるの。その場合は、霊の振動数が低くて、物質世界に近くなってしまう。あたしのような霊視能力者が霊界から呼びよせることなく視る霊は大抵こういう霊だよ。それで、そういう霊の自覚のない、物質世界に近い低い振動数の領域で彷徨ってる霊は、完全に霊になりきれなくて、生前の肉体的障害が残ったままになるの。あと、生前に霊の存在を信じなかった人も振動数の低い状態になりやすいよ」


 姉さんと幽霊の話はしたことがある。その時は、彼女は信じないと答えていた。それともう一つ、高瀬さんが説明してくれた霊の特徴で、姉さんと共通することがある。


「姉さんはトラックに轢かれて、顔が潰された。高瀬さんも知っているでしょ」


《幻の呪い姫》の噂を説明した時に、高瀬さんが言っていたことだ。


「だから、白川さんがその霊だって言いたいの? まあ、矛盾していないけど」


 高瀬さんが求める根拠を言ってみたのだが、彼女は納得いかないようだ。


「火傷はどう説明するのかな?」

「それは本当に火傷? 轢かれた時の擦過傷じゃなくて?」


 素人の考えだが、火傷と擦過傷は見分けがつきにくいのではないだろうか。さすがの高瀬さんも怪我に関しては専門外のようで、先程までの強気が消えていた。


「まあ、間違ってはいないかな……。それでもその霊が白川さんだとは限らないけど」


 その通りだ。顔が潰れて死ぬなんて姉さんに限ったことではない。現時点では、姉さんの死亡時の特徴と霊のそれが偶々一致したというだけの話だ。それでも、僕が霊に憑依された期間といい、姉さんに繋がる根拠が揃ってきているような気がする。


「一つ安心してほしいことがあるよ。この霊は積極的に堤君に危害を加えようとはしないみたい。無理な運動はしなかったら霊現象も起こらないと思う」


 何だかすごく適当なことを言っているような気がするが、根拠を求めたがる高瀬さんが自信ありそうに言うのだから多分大丈夫だろう。


「でも厄介なのは、昼間でも問答無用に起こることだよね」


 質問したいことができたが、訊いたら高瀬さんにすごく馬鹿にされる予感がする。とはいえ聞かぬは一生の恥とも言う。


「ねえ、幽霊って夜に出るものじゃないの? 昼に出る幽霊もいるの?」


 幽霊に対してものすごく陳腐な印象だ。また「認識が甘い」と詰られることを覚悟して質問してみたが、高瀬さんはこくりと首を振った。


「うん。まあ、その認識は間違いとは言い切れないね。とりあえず堤君の誤解を解いておくと、幽霊が昼に出るとか夜に出るとかは、霊じゃなくて霊媒によるの。霊媒はエクトプラズムという半物質によって霊現象を引き起こしてるっていうのは昨日話したよね。基本的に、エクトプラズムは光に阻害されるから、霊能力を発揮するとなると暗い所が好まれるよ。だからどっちかって言うと、夜の方が、霊現象が起こりやすい。けどこれには諸説あるし、堤君みたいな昼間に霊現象を起こす霊媒だって確かに存在するよ。あたしだってその一人だし」


 そこで高瀬さんは品定めでもしているのか、顎に手を当てて、微笑みながら僕を眺めている。


「それにしても、堤君が憑依されたのって昼間だよね。屋内とはいえ、昼間に霊能力が引き出されるってことは、堤君って結構霊媒としての素質があるかもね」


 あまり嬉しくない評価結果だ。それと――。


「昨日は、エクトプラズムとか何とかが少ないから、僕は優秀じゃないって言われた気がするけど……」


 高瀬さんが矛盾したことを言い出すとは意外だ。彼女の足元を掬ったと思いきや、高瀬さんは焦らずに首を横に振った。


「それとこれとは話が別だよ。RPGで例えると、堤君は通常ステータスは低いけど、便利な特殊スキルを持ってるって感じかな」

「その所為で不便を被っているわけだけど」

「あはは……そうだったね」


 笑いごとではないのだが、そこまで深刻に思うことでもない。


「今教えられるのはこれくらいかな。ごめんね、まだ分からないことが多くて。これから頑張って調べるから」

「いや、謝らなくていいよ。いろいろありがとう。ところで、幽霊が憑いている原因というのをこれからどうやって調べていくつもり?」


 今のところ手がかりがなさそうに思っていたが、それは杞憂だったようだ。高瀬さんは堂々と首肯してみせた。


「実は一つ手がかりと思えることがあるよ。この霊は、よく春日さんを見つめているの」


 また春日さんか――。今度会って話をすることになっているが、真剣に臨まなければならなさそうだ。


「幽霊は、春日さんに近しい人かもしれないってこと?」

「うん。憑依している相手でもないのに彼女のことを見ているのには何か理由があるはず。そういえば堤君って春日さんのこと知ってるんだよね?」


 どうしてそういう設定になっているのかと一瞬思い、すぐに高瀬さんの誤解が分かった。


「いや、僕は姉さんの知り合いだからということで、春日さんのことに関わろうとしているだけ。春日さんと面識はない」

「そっか」誤解が消えたところで話を戻そう。


「津島さんの協力っていうこともあるから、幽霊のことで直接問い質せないと思うけど、何かヒントになることがあったら高瀬さんに伝える」

「りょーかい」


 多分幽霊との関係を否定されると思うが、言わないよりはいいだろう。


「早速一つあるんだけど、まあ話半分に聞いて」


 僕はポケットからペンダントを取り出して、高瀬さんに見えるように差し出した。


「はあ……ロケットペンダント……」

「僕のお守りなんだ」


 僕は津島さんにしたのと同じように、高瀬さんにロケットの中身を見せた。


「テルミ……」

「春日さん、春日照美だよね。このペンダントは八年前に姉さんからもらったものなんだ。だから、このテルミと春日さんが同じ人かは怪しいけど、こういうことがあったってことは知っておいて」


 高瀬さんは特に反論もせずに「分かったよ」と答えた。


「僕の方からも以上だよ。これからどうする? 教室に戻る?」

「うん。じゃあ、休み時間まだ残ってるし、ゆっくりおしゃべりしましょ」


 僕と津島さんが責められたのは一体何だったのだろうか。

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