第一章(2)
体力測定での出来事があったその日の下校時間、僕は高瀬さんと帰路を共にした。誘ったのは僕の方だ。とはいえ可愛い女の子と仲良くなりたいという下心が湧いたわけではない。確かに高瀬さんは美人だし、僕の興味をそそるものを内面に秘めていそうな気がするが、今はそれどころではない。高瀬さんが僕について何を知っているのかを聞き出さなければならない。出来れば校内に残ってじっくり話をしたいところではあったが、高瀬さんは早く帰らなければならないらしく、帰り道で話すことになった。
僕達は横に並んで通学路を歩いている。そこで、体育館で既に分かっていたことではあるが、高瀬さんの身長が女子にしてはかなり高いことを改めて認識した。おそらく同年代の男子の平均身長を上回っている。自分の身長にコンプレックスを抱いているわけではないが、女子の顔を見るためにここまで顔を上げなければならないのは珍しいとは思う。
何気なく高瀬さんの横顔を見ていたら、彼女がこちらを向いた。
「なに、この髪型可愛い?」
何と呼ぶのかは知らないが、両サイドの髪の一部を束ねた髪型だ。高瀬さんは片方の房を持ち上げながら自慢げに訊いてきた。僕は前方に視線を戻してから答えた。
「可愛いけど、それより本題に移らない? そろそろいいと思うけど」
これから他人に聞かれるのはあまり愉快ではない話をするので、校門を出た直後の人の多い場所では黙っていたが、そろそろ下校する生徒が疎らになりだした。一番近い人間でも十メートルは離れている。
「そんなに焦らないでよ。あぁ……髪伸ばして良かったぁ。こんなに可愛い子に可愛いって言ってもらえるなんて……」
僕は歩みを速めた。後から高瀬さんが駆けてくる。
「ちょっと待ってよ……。つれないなぁ……。折角、仲良くなろうと思ってるのに……」
「別にこっちは、君と仲良くなるために誘ったわけじゃない」
「可愛い顔して冷たいなぁ」
ふと歩みを止めて、高瀬さんを見遣る。
「話す気あるの?」
こちらが頼む立場であるのだが、高瀬さんがあまりにふざけるので苛々した。さすがに高瀬さんも僕の心情を察してくれたようで、少しだけだが表情に真剣味が浮かんだ。
「ごめん。そろそろ本題に移ろっか」
再び歩き始めたところで高瀬さんは話し始めた。
「今日のことで訊きたいことがあるだろうけど、その前に一つ訊くね。この学校にはね……《幻の呪い姫》っていう噂があるみたいなんだけど、堤君は知ってる?」
そんな噂は耳にしたことがない。どういうものかは察しがつくが、知らないものは知らないので、僕は首を横に振った。
「この学校の文化祭って、秋にあるらしいのだけど、去年の文化祭でダンスが催されたの。って言っても二人でのダンスだけどね。女子の生徒会長と、その会長が選んだ女子と一緒に踊ったんだって」
僕は高瀬さんを見ずに、黙って彼女の話を聞いていた。
「その会長が選んだっていう女子が誰なのかは教えられなかったの。でも誰もそんなことを気にしないで、ダンスは予定通り行われた。例の女子は、すごく激しいけど、綺麗なダンスを披露したらしいよ」
高瀬さんはここで一拍置いた。
「文化祭の日から五日後の夜、その会長が、交通事故で亡くなったの。トラックに轢かれてね。車体と地面で顔を打って、原型は留めてなかったらしいよ。その後、会長と一緒に踊った女の子は誰だったかって話になったの。だけど、ここの生徒は誰も名乗り上げなかったわ。常識的に考えれば、会長が学外から連れてきた子だったんでしょうね。けど……」
そうはならなかった。噂がどんな内容なのかはもう大体予想できる。大衆の周りで暴れ回る噂などろくなものではない。それは噂の名前が既に告げている。
「あの女子は会長を呪い殺すためにやってきた幽霊だったんじゃないかっていう噂が流れ始めたの。一緒に踊った女の子を殺してしまう正体不明のお姫様っていう風にね」
だから《幻の呪い姫》か。なるほど、単純だが言い得て妙だ。しかし――、
「くだらないね……それ」
率直な感想だ。ものすごく馬鹿げている。馬鹿な連中があちらこちらに言いふらしたのだろう。呪いなんていうありもしないものを面白半分に持ち出して、実際に死んだ人間に失礼だとは思わないのだろうか。まさか高瀬さんもそんな愚か者の一人ではないだろうか――。
「そうだね。すごくくだらない噂だと思うよ」
意外にも、高瀬さんはあっさりとその噂を唾棄した。話題に挙げるくらいなのだから、てっきり信じているものだと思っていた。高瀬さんへ無礼な疑念を抱いてしまったことを心の中で謝罪しておく。
「何を根拠に呪いだなんて言ってるんだろう。ホント神経疑うよ」
その言い方だと、《幻の呪い姫》と呪いの関係を否定したが、呪いの存在自体は肯定したことにならないだろうか。まさかそんなことはないだろう。きっと僕の気のせいだ。
それより、今訊くべきことを訊こう。
「ところで、その噂と僕にどんな関係があるの?」
自分でくだらない噂と思いながらも、《幻の呪い姫》についてわざわざ教えてくれたということは、それなりの理由があるはずだ。
「分からない……。けど、君はこの噂を知っておいた方がいいと思ったの。勿論、呪いなんてくだらないことは抜きにして、そういう事件が起こったことをね」
高瀬さんの声は今までにないくらい元気のないものだった。しかし意味深長な返答をされたからには、さらに質問を重ねずにはいられない。
「どういうこと?」
僕は高瀬さんを見遣ってから訊いた。対する高瀬さんはこちらを向かずに俯いてしまう。
「ごめん。まだ、はっきりしたことが言えないの。あたしこういう、勘に頼るってことがどちらかというと嫌いなんだけど、他に考えられることがないし……」
しかし次の瞬間、視線を合わせてきた。
「でも、君の知りたいことがこの噂の中にあるかもしれない」
僕は足を止めて高瀬さんの眼を見つめた。彼女も同じく立ち止まり僕を見つめている。その眼は怖くはない。別に怒っているわけではなさそうなので、それは当然だろう。しかし力がある。目標へ一直線で突き進み、それを捉えて貫き通すような意志を感じる。少し前に僕をからかっていた人とは別人ではないのかという錯覚すら生まれる。
「僕の知りたいことって……今日のことを言っているの?」
「うん。そうだよ」
「分かった。とりあえず歩こう」
これ以上高瀬さんの瞳を見続けていると、顔面までも射抜かれてそのまま固定されそうな気がしたのだ。僕達は前へ向き直って、再び帰路を進んだ。それから先に口を開いたのは高瀬さんだった。
「先に確認したいんだけど、あの時いつから記憶がなかったの? やっぱり反復横跳びの途中からかな」
「うん。その通りだよ」
反復横跳びを行っている最中、僕の意識は突然途切れた。
「ところで、あの時僕は何をしていたの?」
まずは単純な質問だ。高瀬さんでなくても答えられることだが、誰にも訊かなかったので、この際説明してもらおう。とはいえ、高瀬さん以外に訊いたら、頭がおかしいのではないかと心配される。予想ではなく事実だ。実際過去にそのような扱いを受けた。
「反復横跳びの途中で急に立ち止まって、それから真っ直ぐ歩いてたよ……それだけ」
そんなことだろうとは思っていた。特に変な結果は期待していなかった。というのは、過去二回にこの現象が起こった時も、僕は歩き回っていただけらしい。
ふと高瀬さんの返答に不自然なところがあることに気づいた。
「見ていたの? 一部始終を?」
やはり彼女には謎が多い。僕が半眼で高瀬さんを睨みつけると、高瀬さんは僕の質問の意図を汲みとっていないのか、きょとんとした顔を見せた。
「そうだけど……それがどうしたの?」
「どうして僕が反復横跳びをしているところを見ていたの?」
一拍置いて、高瀬さんは「あっ!」と大きく口を開いた。自分の失言にようやく気付いたようだ。僕が反復横跳びの途中で急に立ち止まる瞬間を高瀬さんは見逃して、その後に起こったことだけ説明してくれるとばかり思っていた。しかし彼女は立ち止る瞬間すらも目撃していた。当時男子と女子が別々のスペースで体力測定を行っていたにもかかわらず。僕が反復横跳びをしている姿を高瀬さんはずっと観察していたと解釈してもおかしくはない。
高瀬さんは片手をぶんぶん振って、慌てて言い訳する。
「あの時はたまたま何もしてなかったから」
「それは理由にならない」
「ホント……たまたまだよ……。変な意味はないから……」
「本当に?」問い詰めてみると、高瀬さんは諦めたように溜息をついてから白状した。
「ごめん。それを説明すると話がややこしくなるから……また今度でいいかな?」
ものすごく怪しいが、高瀬さんに話す意志があるのならば保留しておいてあげよう。今は他に優先すべきことがある。よく考えてみると、過去と今回に異なる点があるのだ。
「分かった。話を戻すけど、真っ直ぐ歩いていたの? ふらふらせずに?」
「うん。多少はふらついてたけど、割と真っ直ぐ歩いてたかな」
バスケットボールでこの現象に陥った時、二回とも、僕はどこへともなくさまよっていたらしい。しかし今回は違う。僕は真っ直ぐと進んでいたらしい。今までとは明らかに違う。もしかして、あの体育館がこの現象にとって特別な場所なのだろうか。
「どこに向かっていたの?」
真っ直ぐ歩いていたということは、目的地があったのではないだろうか。
「うーん……。壇上かな」
何となく察しがついていた。思い返してみると、あの体育館で目覚めた時、壇上を向いていたような気がする。それに頭に引っかかることもある。
「だから《幻の呪い姫》の話をしたの?」
《幻の呪い姫》はあの体育館の壇上で踊った。僕は気を失っているときにその壇上を見ていた。そこであの壇上に共通点を見出すのは自然といえはそうだろう。
「それもあるけど……あの噂との関係は、根拠がないから今は何とも言えないよ」
しかし高瀬さんの反応は薄かった。これ以上あの噂について訊いても実のある回答は得られないだろう。僕は次の質問を投じた。高瀬さんに一番訊きたかった、高瀬さんしか答えることのできない質問だ。
「ところで……どうして君は、あの時僕が意識を失っていたことが分かったの?」
僕と同じ中学校出身であったならば知っていてもおかしくはない。一度目は何が起こったのかよく分かっておらず、意識が朦朧としていたと教師には答えた。二度目は意識を失っていたと告げた。結局聞き入れてもらえなかったが、その話を生徒が聞いていたかもしれない。高瀬さんが、僕と同じ中学校出身の誰かと知り合いならば、この事情を知る機会は皆無ではない。
しかし、そんな安っぽい落ちが待っているとは到底思えないのだ。もしそうならば、記憶について不自然な程に普通に訊いた高瀬さんの対応が説明できない。
「その話は……長くなるから今度にするね」
これで二度目だ。とはいえ後日話してくれるというのならば素直に従おう。僕としても高瀬さんに話しておきたいことができたが、道端で明かすには気が引ける内容だ。
そこで高瀬さんは急に僕の前へ駆けて、くるりと踵を返してから止まった。当然僕も歩みを止める。お互いしっかりと向かい合う形となる。
「ねぇ、今日堤君に起きたことを不思議だと思う?」
「僕は、君の方が不思議だと思うよ」
何せ説明してくれなかったことが二度もあったのだ。そう思うのは当然だろう。本人もそれは自覚しているようで、苦笑いを浮かべていた。
「それはそうだね。じゃあ、折角だから不思議なことを言ってあげるから、覚えててね」
そして高瀬さんは微笑んだまま、その言葉を告げた。
「真実は――人よりも高みにある」
誰かの受け売りだろうか。たとえそうだとしても、臆面もなくそんな言葉を放つ高瀬さんは只者ではない。心の底から彼女に興味が沸いた。例の現象とは関係なしに、これからも高瀬さんと付き合っていきたいと思う。
「じゃあ、私あっちだから……また明日。グッバイ」
「ちょっと待って」高瀬さんが振り返ろうとしたところで、僕は慌てて彼女を呼び止めた。高瀬さんに言いたいことができたのだ。
「前言撤回するよ。君と仲良くなりたい」
そう言うと、高瀬さんは屈託のない笑顔を返してくれた。
「ありがと」
それから僕らは朗らかに別れの挨拶を交わした。
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