幻の呪い姫

荒ヶ崎初爪

第一章

第一章(1)

 僕は王子様になりたかった。

 そう思ったのは、僕にとってお姫様に当たる人がいたからだ。悪い女王が犯人ではないだろうし、永い眠りについていたわけでもないが、彼女には邪悪な呪いをかけられていた。その呪いを解こうとしていた。

 そのためにはかなり無茶をした。中学一年生の頃が一番酷かっただろう。クラスメイトから度重なる罵倒を浴びせられた。暴力沙汰になったことだって何度かあった。教師からも幾度となく叱責を受けた。両親には多大な迷惑をかけたことだろう。二年生になったあたりからは、僕が大人しくなったことで、周囲からの攻撃は止んだ。勿論、僕はクラスメイトから、いや教師からも、忌避されていた。それでもお姫様のことを思えば耐えることができた。

 お姫様は呪いの所為で自分のことが嫌いになっていた。だから僕は、お姫様には自分のことが好きになってほしいと願っただけだ。確かに呪いのおかげでお姫様は皆に好かれていただろう。しかし、たとえ呪いがなくても僕はお姫様のことが好きだ。呪いの解けたありのままのお姫様でいてほしかった。

 幸か不幸か、僕とお姫様は別々の中学校に所属していた。中学校での試行錯誤を経て、お姫様と一緒の高校に通い、永い時間を共に過ごしさえすれば、お姫様の呪いを解くことができると信じていた。

 結局、それは叶わなかった。

 誰が、何が、お姫様に呪いをかけたのかを、僕は知らない。

 だから僕は、せめてお姫様を苦しめた元凶をつきとめるためここに来た。お姫様と同じ、この高校に。


「つ……み……く…………」


 僕は目を覚ました。場所は体育館。入学してから間もなく行われた体力測定の最中のはずだ。眼前には、僕のことを呼び続けてくれていたのであろう女の子が立っている。彼女は僕の両肩を軽く揺すった。


「良かった。大事に至らなくて……。堤君、話せる?」


 少女に応じる前に、僕はしっかりと踏ん張ることに集中した。依然意識が朦朧としており、まっすぐ立つことも一苦労なのだ。断わっておくが、僕は目を覚ましてから起立したのではない。意識が戻った時点で既に、僕は立っていた。不思議なことであるに違いないが、僕にとってこれは初めてのことではない。


「ああ、ところで君は?」


 僕が話し始めたところで少女は手を離した。そのころには身体が無駄に揺れない程度に回復していた。彼女は折り曲げていた膝を伸ばして、僕を見下ろしてから答えた。


「隣の席なのに覚えてくれてないなんてひどいなぁ」


 少女は少しの間不貞腐れたが、すぐにっこりと笑って答えた。


「高瀬涼(たかせりょう)だよ。よろしくね」


 生憎クラスメイトの名前はあまり覚えていない。入学してまだ間もないが、そろそろその言い訳が通用しなくなる時期だろう。


「よろしく……君って保健委員なの……?」

「いいえ、違うよ」


 それはおかしくないだろうか。保健委員でもない人が、どうして率先して僕を助けようとしたのだろう。高瀬さんとは以前に面識はないはずだ。彼女に僕を助ける義理などあるとは思えない。確か男女共に同じ体育館で体力測定を行っているが、場所は男女で分けられている。それをわざわざここまでやって来たことも不可解だ。加えて高瀬さんから十数メートル離れた所で体育教師が待機している。そもそも、まず僕の面倒を見るべきなのは教師なのではないだろうか。にもかかわらず、すぐそこには高瀬さんしかいない。この状況はすごく異様だ。


「ねぇ……そろそろみんなのところに戻らない?」


 とにかく問題は去ったのだ。後ろに控えている連中を安心させることを提案したが、高瀬さんは首を横に振った。


「その前に一つ訊かせて。君はいつまでの記憶がある?」


 僕は即座に後退した。構えをとり、一瞬も気を休めることなく高瀬さんを見据える。確かに僕は気を失っていた。しかし意識のない間は辺りをふらふらと歩き回っていたのだろう。事情を知らない人間が見れば、僕の意識はあるように見えるはずだ。実際、過去何度かこのような出来事があったが、その時の僕の状態を察した人間は一人もいなかった。にもかかわらず高瀬さんは一目見て、僕の意識がなかったことを見破った。僕が警戒を示したので、相手も焦ったのだろう。高瀬さんは両手をぶんぶん振りながら言う。


「待って。ちょっと待って。そんなに怖がらないでよ。お姫様」


 さらに警戒を強めるべきかと思ったが、それは違うと判断した。今の高瀬さんの冗談に裏はないだろう。ただ単に僕がお姫様のように見えただけみたいだ。中学生の時、さんざん揶揄されたものだ。

 確かに僕は中性的な顔立ち――というよりむしろ女の子みたいな顔をしている。髪は耳が隠れないくらいの長さだからまだ女子みたいな男子として見られるだろうが、髪を伸ばせば女の子にしか見えないだろう。それに加えて背が低い。同年代の男子の平均身長より低いどころの話ではない。女子の平均身長よりも低い。

 高瀬さんは両手を下げて、落ち着いてから続けた。


「ごめん……。いきなりそんなこと訊かれたら困るよね」

「まあ……」僕も緊張を解いた。「その話は後でゆっくりと」

「そうだね。って、ちょっと向こう行くね」


 高瀬さんが体育教師の方へ踵を返したと同時、入口から二人の人間が姿を現した。一人は女子生徒で、もう一人は白衣を着ているところを見るに養護教諭だろう。女子生徒の方はすぐ生徒の輪に帰って、高瀬さんと養護教諭と体育教師の三人が話し始めた。その後、高瀬さんと養護教諭がこちらに向かい、体育教師は体力測定を再開した。養護教諭は僕の近くまで来るとすぐに質問した。


「君が堤一思(つつみかずし)君ね。具合はどう? 保健室へ行った方がいい?」

「いいえ。もう大丈夫です」

「一体どうしたの?」


 僕は、高瀬さんを一度見遣ってから、養護教諭へ視線を戻した。高瀬さんが何を知っているのかは分からないが、ここで下手なことは言わないだろう。


「反復横跳びの最中に、意識が飛びました。それからしばらく覚えていないのですが、歩いていたそうです」


 あと、確信が持てないのだが、あの時僕は何かを感じた。何かは皆目見当もつかないが、自分の中に何かが入っているように感じていた。


「そう。ところで君、何か持病でもあるの?」

「いいえ、大きな病気はありません。至って健康体ですよ」


 とはいえ反復横跳びごとき軽い運動で意識が混濁したのだから、持病があることを疑われるのは当然だ。実際は複雑――というよりよく分からない問題なのだ。今後世話になる可能性はないわけではないので、事情だけでも聞いてもらおう。


「けど、去年の秋くらいに似たようなことが二度ありました。二回とも体育の授業でバスケをした時に――一回目はただの貧血かなって思いましたが、同じことが二度も続いたので、医者に診てもらいました。けど、身体のどこにも悪いところはありませんでした。それから、マラソンをしても何にもならなかったのですが……」


 長時間走り続けても何も起こらなかったから、持久力に関係することではないだろう。あの時期にバスケットボール以外の球技をしなかったので他の球技と比較はできない。今のところ、特定の運動によって生じる原因不明の奇妙な現象と言うしかない。

 次に、養護教諭は高瀬さんに訊いた。


「ねぇ高瀬さん。あなたは真っ先に堤君の方へ向かって、いろいろ取り仕切っていたそうだけど、堤君の症状に何か心当たりはあるの?」


 当然浮かぶ疑問だろう。あの状況から察するに、高瀬さんは体育教師を制止してまで、僕の元へと駆けつけたのだ。ならばそれ相応の理由があるはずだ。

 対する高瀬さんは笑顔で答えた。


「いえ、全然」


 よくも堂々と嘘をつけたものだ。僕は高瀬さんを半眼で見遣ったが、彼女は楽しそうにウィンクで返してきた。


「なんだか夢中で……って、そうだ」


 高瀬さんは自分のポケットから何かを取り出して、それを僕に差し出した。


「これ君のでしょ」


 高瀬さんの手の平に乗っていたのは、ペンダントだった。彼女の言う通り、それは僕の物だ。普段はポケットに入れている。体育の授業の時も例外ではない。高瀬さんが持っているということは、意識を失っている間に、僕はそれを落としたのだろう。つまりそのペンダントをポケットから取り出して、手に持っていたということだろう。


「ありがとう……」


 不可解に思いながら、僕はペンダントを受け取った。そしてそれをポケットに入れようとしたところで、養護教諭の顔が見えた。彼女は何故か驚いたような顔をして僕を見ていた。


「ねぇ……あなた……さっきのペンダント」


 確かに学校でペンダントやピアス等の装飾品を身につけることは校則で禁じられている。許されるのは女の子のリボンやカチューシャくらいだ。だからといって養護教諭がそれを注意しようとしていると考えるには、彼女の態度はおかしい。


「このペンダント、僕にとってはお守りのようなものなんです。校内では身につけませんから、見逃してくれませんか?」

「えっ……ええ……まあ、それならいいわ……」


 やはりおかしい。養護教諭は明らかに動揺している。このペンダントについて何か知っているのならば是非聞きたいところだが、今は自重しよう。おそらく訊いたところで、はぐらかされるのが落ちだ。


「そうですか。すいません、ご迷惑をおかけして。高瀬さんも、ありがとう」

「どういたしまして」


 高瀬さんは笑みを振りまきつつ、女子のスペースに戻っていった。そんな彼女を見送った後、僕も体力測定の場に戻った。

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