第8話 筋肉の村
筋肉というのは大切なものです。
だって、ちょっと考えてみて下さい。
何をするにも筋肉がなくては始まりませんね。
もしあなたが頭脳明晰なる人物であったとしても、口を動かさなくちゃ、何も伝えることができないわけです。その口を動かすのは筋肉です。
きっと草や木も、ああ私にも筋肉があったらなぁ、と思っているに違いありません。
それで、草にも木にも岩にも水にも砂にも、もし筋肉があったら、なんてことを思ってみたのですが、安心して下さい。そんな気持ちの悪い世界があったら、とたんにあなたも逃げ出したくなるでしょうから、今回はそういう話じゃありません。
肉太郎という男がおりまして、これはその男についての物語です。
この男はとんでもない怪力の持ち主なのですが、それを除けばまぁ平凡な男です。
ただちょっと力が強い、いや、強すぎるのです。
ちょっと小石に躓いて、よろけた拍子に大きな木に手をつく。すると、どうでしょう。
どしーん!
たった、それだけのことで木が倒れてしまいます。困りましたね。
こんな男が身近におったのでは、とても生活していけません。
そういうわけで、肉太郎は悪い奴じゃないのですが、みんなから遠ざけられていたのでした。
ところが、ある日旅の途中で、この肉太郎の話を聞いた慈悲深い女がおりまして、話を聞くなり、不憫なり、不憫なり、と同情致します。
そしてついには、肉太郎に会いにいき、何か話をしてくると、居場所を聞いて、会いに往くと言い出したのです。
肉太郎は、人の居ない山奥におったのですが、もう何十年も人の姿を見ておりません。
ところが、若くて美しい女が歩いてくるではありませんか。
女を見慣れていない肉太郎は、すっかり見とれてしまいました。
「あなたが肉太郎さん?」
「はいですだ」
「私、あなたに会いにきたのよ。あなたの話を聞いたの」
「俺なんかに何の用です?」
「用なんてないんです。ただ会いにきたの」
そう言いますと、女は肉太郎の横に座りました。
「いい天気ですね」
「んだ」
人と話すことに慣れていない肉太郎は黙り込んでしましました。
美しいお嬢さんがやって来たのだから、何か話さななければと思うのですが、必死に考えても、何をいえば喜んでくれるのか、わからないのです。
結局その日は何も話せないまま、夕暮れが来てしまいました。
二人はただずっと、山の景色を見ていたのです。
「明日もまた来ますね。さようなら」
「んだ」
そういうと、女は村へと去っていきました。
肉太郎は女の気持ちが全くわかりませんでした。でも、明日も来る、その一言がたまらなく嬉しくて、肉太郎の心を輝かせました。
肉太郎は、次に女が来たらもっと仲良くなろうと思って、何かプレゼントになるものはないかと探しました。
しばらく山を歩いていると、きれいな花が咲いていました。
この花は、あの美しいお嬢さんに相応しい、と思いました。
それで、そっと力を込めずに、そうっと、引き抜いてみたのです。すると・・・
パン!
と弾けるような音がして、気がつくと、花はあまりのエネルギーに蒸発してしまいました。ちょっと、摘んだだけなのに。
肉太郎は、もっと力の強さを調整できるように日頃から訓練しておけば良かったと、激しく後悔を致しました。
翌日、女がまたやってきました。
「こんにちは」
「んだ」
「どうしたの?悲しそうな目をして」
「昨日な、花を摘もうと思ったんだ。あんたに渡そうと思って。でも、俺の怪力じゃ花を持つこともできねぇ。触ったものは、なんでも壊しちまうんだ」
「まぁ、私のために花を摘んでくれたの?」
「んだ」
「ありがとう」
「え?」
「花はなくても、私、嬉しいわ」
「どうして?」
「だって、私のことを思ってしてくれたんでしょう?」
「んだ。まぁ、そうかもしれねえ」
それから、二人はまた山の景色を眺めていました。
「何の役にも立たねえ」
肉太郎は言いました。
女は不思議そうに問い返します。
「なにが?」
「俺の筋肉さ。何の役にも立たねえ」
「そうね・・・」
女は気がつくと涙を流していました。
「でも、いいじゃない」
「なにが?」
「わからないけど」
やがて夕暮れがやってまいりました。
「私、明日もまた来ますね」
「もう来なくてええ」
「どうして?」
「来なくていいんだ」
肉太郎は精一杯言いました。
女は静かに頷くと、歩き去っていきました。
その夜、肉太郎はおいおいと泣きました。
こんなふうに泣いたのはいつぶりくらいかわかりません。
とにかく涙が次から次へと溢れて仕方なかったのです。
すると、その声が聞こえたのでしょうか、雲の上から仙人がひょいっと降りてきました。
「おい、おまえさん。なんだって、あの女に、あんなことを言ったんだ」
「聞いてたのか」
「うん。たまたまな、通りかかってな」
「どうしようもねえんだ」
「わけをいってみな」
「俺はあの女が好きになっちまった。でも、俺はこの通りの怪力だ。どんなに好きになっても、あの女には触れられない。指先でちょっと触れただけで、殺しちまうだろう」
「ふむ、それは困ったもんだな」
「どうしようもねえんだ」
「まぁ、そう言わずに、ちょっと待ってなさい」
そういうと仙人は雲に乗って、どこかへ行ってしまいました。
三ヶ月後に、仙人は戻ってきました。
「待たせたな」
「あんたか。どこに行ってたんだ?」
「ほれ、これをやろう。これは普通薬といってな、飲めば普通の人間になれるという、そういう薬だ。これを飲めば、お前の怪力は消える」
「本当か?どのくらいの間効くんだ?」
「ずっとだよ」
「ならすぐ飲む」
「うむ。飲んでみ」
さて、仙人が肉太郎の口に薬を放ると、肉太郎の筋肉は普通の筋肉になり、顔つきも優男に変わっておりました。もちろん、花を持つことだってできたのです。
「これはすごい。ありがとうですだ。生きる希望が湧いてきただ」
「これからは普通に生きると良い。ただし、『バルス』と言ったら、薬の効果が消えてしまうから、気をつけるんだぞ。そうなったときのために、もうひとつ薬を渡しておこう」
「ありがとうございますだ」
親切な仙人は満足げに微笑むと、また雲に乗ってどこかへ行ってしまいました。
普通の優男になった肉太郎は、旅に出ました。
これまで体験できなかった普通の生活というものを味わってみたかったのです。
毎日がとても新鮮でした。
お皿を持つことができるのです。
お箸を持つことができるのです。
それはもう、肉太郎にとっては、この上ない感動なのでした。
そんな日々も慣れてくると、慣れるものです。
肉太郎はすっかり普通の村で、普通の男として暮らしていました。
ある日、そこへ旅の女がやってまいりました。
肉太郎は、一目見てあの女だとわかりました。
忘れるはずがありません。俺のために泣いてくれた、あの女の顔を。
しかし、女は肉太郎を見ても、何も気づかない様子でした。
肉太郎はショックを受けましたが、無理もないことです。すっかり肉太郎の風貌は別人のものになっていましたし、身のこなしも変わっていたのです。
それでも、肉太郎は何かこの女に親切なことをしたいと思いました。
「もし、旅のお嬢さん。何か困っていることはありませんか」
「いいえ。困っていることなんて何もありませんわ」
「では、欲しいものはありませんか」
「さあ、特にありません」
「それでも、俺は何かあんたの役に立ちたいんです」
「そう言われても、困ります」
「なら、あんたの旅についていくとしよう。それで、何か困ったことがあったときは、何でも俺に言って下さい」
「変な人。まぁ、一人旅の途中ですし、お話し相手がいるのは結構ですわ」
「俺は話は上手じゃないが、努力するよ」
そういって、なんとか肉太郎は、女に付いていくことにしました。
この女はとにかく旅が好きな性分で、気の赴くままに、とにかく行ってみたい、知らない景色を見てみたい、という、そういう信念で動いている女なのでございます。
さて、そんなふうに旅をしていると、危ない目に遭うことだってあるわけでして・・・。
ある日、山あいの細い道を歩いていると、突然崖崩れが起こりまして、先も後ろも岩で埋め尽くされ、進退窮まるといったことが起きたのであります。
「はぁ、困ったわ。閉じ込められてしまった」
「お嬢さん、俺に任せて下さい」
「まぁ、無理よ。いくら男の人だって、こんな大きな岩、どうにもできないわ」
「大丈夫ですよ」
そういうと肉太郎は「バルス!」と叫びました。
すると、どうでしょう。これまで普通の優男だったのが、みるみる筋肉ムキムキになったではありませんか。
「役に立った。役に立った!」
と、肉太郎は嬉しそうに笑いました。そして、次々に道を塞いでいる岩を粉砕していったのです。
それを見て、女はついに思い出したのでした。
「あなた、もしかして・・・」
「これまで黙っていて、すみません。きっと本当のことを言っても、信じてはもらえないだろうと思ったものですから」
「まぁ」
女は思わぬ肉太郎との再会に驚き、涙を流しました。
「ひとつお願いがあるのだが、薬を飲ませてもらえませんでしょうか」
肉太郎は困った顔をして言いました。
「実は薬を飲まないと、普通の体に戻れないのです。仙人さまにもらった最後の薬です。でも、自分で飲もうと思うと、薬を摘んだ拍子に、薬が弾け飛んでしまう」
「分かったわ。腰袋の中から取り出して、あなたの口に放ればいいのね」
「んだ」
女は、肉太郎の口に薬を放りました。
すると、肉太郎はまた普通の優男に戻りました。
「これで、いつかの恩は返すことができました。私は満足です」
「恩?」
「あなたが俺に会いにきてくれたことです。俺は嬉しかったんだ。あんたの気持ちはわからなかったけど、俺はあんたが会いにきてくれたことが嬉しかった。だから、恩だ」
「まぁ。恩だなんて。私は自分勝手に私の気持ちをあなたに押しつけただけでした。だから、私はてっきりあなたに嫌われたのかと思っていました。だって、もう来るなって・・・」
「それは嘘です。好きな人に会いたくないはずがありません」
「あら。そんな、だったらどうして?」
「俺はこんな薬があること知らなかったんで、触ればあんたを壊してしまう。いつかきっと殺してしまう。それが怖かったんだ」
それからも二人は一緒に旅を続けました。
私が聞いたところでは、なんでもそれから一年後くらいに夫婦になったそうですよ。
おしまい。
あ、「筋肉の村」ってタイトル、結局何だったのでしょう? ま、いっか。
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