第3話 天界の少女と温泉


チーン。

と鳴って、エレベータの扉が開きますと、そこは天界でした。

と言っても私に見えましたのは、もくもくと湯気が煙る、温泉。

あんまり靄がかかって遠くまでは見えません。

足下は、石畳が敷いてありまして、まぁ地上の露天風呂が雲の上にあると思って下さいな。


つるつるっと足を滑らさないように、私は慎重に一歩を踏み出しました。

いや、裸でいても違和感のない所がスタート地点で幸いでしたよ。


あら、随分と大層な方法で殿方が現れましたわ?


と、にこにこと微笑みながら、バスタオルを胸に巻いた少女が目を丸くしながら、目の前で私を見つめていました。

私はとっさにミカンの乗せてあった籠を取って、股間を隠し、雷神さまに視線を送りました。

雷神さまは、ええよ、もってけ、とゴミを放るように手を縦に振ると、エレベータと一緒に下へさっと消えていきました。

どうも、お世話になりました。ありがとうございました。

私は何度も何度も感謝の気持ちを込めてお辞儀をしました。


さて、少女が驚くのも無理はありませんな。

だって、雲の下から突然大きなエレベータの頭が突き出てきて、扉が開くと裸のミカンを食ってる男が、目をキョロキョロさせながら、なんじゃろここは、と降りてきたのですから。


あなた、なんだか面白い人ね。どっからいらっしゃったの?


周囲を見ると若い女性ばかりのようで、皆さんジロジロと私を見るけれど、別段、きゃーだの、変態、だのと騒ぐこともなく、どちらかと言えば好奇の目、面白がっているような目で、まじまじと私のほうを見つめているようでした。

ええ、ちょうどこの、目の前に立っている愛らしい少女と同じように。


いや、参りましたよ。

私は、雲の下の地上からやって来たんですが、ここは天界ですか。

あ、どうも、はじめまして。


私が深くお辞儀をすると、面白がって少女も同じようにお辞儀を返してきました。

相手の真似っこするのが好きなんでしょうか。

少女は小首を傾げて、頬に指を当てました。


地上ってどんな所?私知らないの。

私ね、生まれた時からずっとここに住んでるのよ。だから雲の下の世界なんて、見たことも聞いたこともないわ。


少女はなんだか嬉しそうに、まじまじと私を見つめます。

そんなに純真な目で見られると、は、恥ずかしい。


あらあら、なんだか面白そうね。私たちもその話に混ぜて下さいな。

地上だなんて、私も話でしか聞いたことありませんもの。


なんと温泉に浸かっていた他の女性たちも、そうやってぞろぞろと私の周囲に集まってくるじゃありませんか。

いや、なんだか大変なことになってしまった。

私は目のやり場に困って、つい少女の腰のくびれに目がいってしまう。


ね、こっちに来て一緒にお話ししましょ。


少女はおくびもなく、私の手を引っ張って、温泉の湯の中へと強引に連れて行きます。

ああ、なんというか、少しも私を悪い輩だと疑う所がないようです。

うーん、天界の少女はみなこうなのでしょうか。


少女は不意に私のほうへ振り返りました。


私ね、りん、ていうの。

りん、って呼んでね。

私が最初にあなたを見つけたのよ。だから、あなたは最初に私と話をするの。

いい?


は、はぁ。

私は頷くと、ざぶんと白濁した湯の中に肩まで浸かりました。

体が冷えていたわけじゃないですが、何かこう芯のほうまでじんわりと温かくなっていくのがすごく、ほっこりするのでした。

ああ、ありがたや。


周りには、若い女性たちが好奇のまなざしで、たくさんの瞳が、艶やかな肌が、濡れた髪が、こちらを見つめているのです。そんな私の目の前に、また少女がずいっと顔を近づけてきて、さあさあ、私と話しなさい、と表情で訴えてきます。

さっきは、りん、と名乗っていましたね。おりんちゃん、か。


湯のおかげで胸がぽかぽかします。

私は満足げに微笑みました。あたりを見渡します。うーん。


私はもう、こんな素晴らしい温泉があるってだけで、この天界が気に入ってしまいましたよ。


と、私は感慨深く感想を述べました。


ウフフ、私たちも毎日ここに通っているのよ。だって温泉は気持ちいいしね。

でも、あなたみたいなお客さんがここへ来たのは、今日がはじめてね。


集まってきた女性の一人がそう言いました。

おりんちゃんはムッとした顔で、その人を睨みつけます。

そうですね、最初に私と会話をするという約束でした。

でも、おりんちゃんは、無理矢理私を連れ込んだくせに、いざ質問しようとすると、何から尋ねていいのかわからないといった具合でして、目ばっかりせわしなく動いて、なかなか質問してこないのです。


あのね、ええと、ええと、そう、あなたはどうやって地上からここへ来たの?


やっとのことで、質問です。


へえ、そうですね。はじめは、草原に大きな木が生えてきたもんで、私はそれをよじ上っていたのです。ところが、途中で雷神さまが現れて、それじゃ一万年かかるからエレベータに乗りなさいって。それで、今しがた、そこにエレベータで着いた所です、はい。


私はさっきエレベータで出てきたあたりを指差しました。

みんなもそっちを見ますが、もう何もありゃしません。


へぇ、あの乗り物は、えれべーた、て言うものだったのね。なまえ覚えたわ。


おりんちゃんは、得意げな顔をします。


私ね、新しいこと覚えるの得意なんだ。えれべーた。妖怪みたいね。面白いわ。

うーんと、それじゃ、あなたは雷神さまにここへ連れてきてもらったのね。


はい、そうです、そうです。


私は重ねてこくりと頷きました。


いやぁでも、雲の上に天界があるなんて、生まれて初めて知りましたよ。

だから私は、ここのことをなーんにも、知らんのです、はい。

良かったら、皆さん、ここのことを教えちゃくれませんか?


もちろん、いいわよ。ねえ?


おりんちゃんがそう呼びかけると、皆さん親切そうに微笑み返しましたよ。


じゃあ、代わりばんこにお互いのことを教えることにしましょうよ?ね?


おりんちゃんは、みんなに提案します。


あなたは地上のことを、私たちに教えて下さいな。

そしたら私たちは、天界のことをあなたに教えてあげるわ。どう?


おりんちゃんがそう言うと、わー、ぱちぱち、と楽しげな拍手が起きました。

なんだかテレビ放送が始まって、茶の間に集まってきた大家族みたいな、そんな雰囲気になってきましたよ。


ねぇ、じゃあせっかくですから、何か飲み物でも持ってきましょうか?


そうね、何か飲みながらお話ししましょうよ。

お酒がよろしくって?冷たいのがいいかしら?


とまぁあれよあれよ、と飲み物だけじゃなく、干物や果物や菓子や何やら、とにかく色んなものが盆に乗せられて、運ばれてきたのでした。

いや、これはもうちょっとした宴会ですな。いやはや。

色んな物が乗った盆がぷかぷか湯の上に浮いています。

それじゃ、私はさっそく冷酒を頂いてみますか。

うん、ちょいと辛口めの純米酒ですな。

くぅ。

つるりと美酒が喉を滑っていく、味わい。鼻孔をくすぐる香り。

ああ、美味い!


こんなに美味しいお酒を、いいんですかい?


あら、いやーね。遠慮なんてしないで下さいな。

ここ天界では、お酒なんていくらでもあるんですのよ。

あなた様のお好きなだけ飲んで下さいな。


一人の女性がそう答えると、他の女性たちもうんうんと頷きました。

どうも天界の皆さんは貧乏臭いのが性に合わないようですな。

それじゃせっかくですからと、ご厚意に甘えることにしました。


さ、私たち天界のことを一つ教えてあげたんだから、次はあなたが答える番よ。


おりんちゃんは、腕組みをして、私を睨みつけます。

まるで獲物を狙うような目つきです。

あれ、なんでそんなに真剣なのでしょうか。


おっと、知らない間にもうこんなに時間が過ぎていましたか。

一旦ここで区切りますね・・・。


次回は、何をしようか、まだ決めていません・・・。







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