The Eden Project



 いくつもの滅びを見てきた。




     ●




 時間と時間の間をすり抜け、多次元宇宙の境界を彷徨い、いくつもの宇宙を渡り歩く。空間の波にゆらゆらと漂い、「それ」は宇宙と共にあった。


「それ」はある種のエネルギーの集まりで、周期的に正と負への変化を繰り返していた。宇宙の始まりと終わり、そしてすべての宇宙と「それ」は共にあり、「それ」にとっては始まりが終わりで、終わりが始まりだった。


 宇宙自身ですら推し量れない無限の時空を見つめ、いくつもの滅びを見てきた。


 いくつもの、いくつもの。


 時間の果てから果てへの、あるいは宇宙から宇宙への旅、終わりから始まりへ、始まりから終わりへと時と空間をめぐる「それ」の前に、滅びは幾度となく繰り返された。


 彼らは、顔をひきつらせて死を拒み、結局かなわずに灰へとかえり、あるいは静かにその生に身をゆだね、ゆったりと滅びへと流されていった。悲鳴をあげるものもいれば、柔らかい笑みをうかべるものもいた。


 彼らは一様に美しかった。


 少なくとも「それ」にはそう感じられた。

 その理由が、しかし「それ」にはわからず、そしてそれが知りたくて永遠を目指す旅をしていた。


 あまり昔のことは覚えていない。ここに来る前にどこにいたのか、何をしていたのかはわからない。もっとも、「それ」は自身の過去について深く考えることはしたことがなかった。


 意識してそうしていたわけではなく、過去などどうでもいいと思っていたわけでもない。「それ」が過去を認識できない、というだけの話だ。「それ」にとって過去とは現在であり、現在は未来であり、未来は過去だった。


 ただ、自分のいるべき場所はここではない、という意識がぼんやりとあった。




 あるとき、「それ」は外部ではなく、自身の内部に過去を見つけた。


 その遥か遠い記憶のなかで、彼はどこか高いところにいる。一歩踏み出せば何もなく、目の前には青い空がある。


 広大な空だ。


 そして、それだけだった。それ以上は何も思い出せず、永遠から永遠へとわたる旅を彼は続けた。


 いくつもの生と死を見た。様々な滅びと誕生のパターンが飽くことなく彼の前に現れては流され、消えていった。

 滅びはやはり美しく、そしてその理由はいつまでたってもわからなかった。


 けれど、次第に何かが変わりつつあった。


 彼は、自分が永遠だと思っていたのだ。それが、違うとわかった。

 自分もいつかは滅びる。永遠にも終わりは訪れる。

 永遠は無限大の時のなかで変質し、やがて終わりへと向かうベクトルを与えられる。


 終わりがあるから、美しい。

 終わりがあり、それに抗おうとする姿を、自分は美しいと感じていたのだ。


 やっとわかった。

 どうして自分が滅びを美しいと思うのか。


 彼らは、人間たちは、滅びのなか、死のなかにあって、その極大の速度のなかにあってなお、死ではなく生を見つめているから。死から目を背けるのではなく、生を見つめているから、だから美しいと思えるのだ。


 それは、たしかな生命けものの姿だった。


 そして、彼のいる死のおとずれない、速度が0のそこは、まごうことなき監獄だった。


 けれど、彼はいまや速度を与えられ、その意識は無限に広がっていた宇宙の果てから急速に収束しながら、ある一点を目指して進んでいた。

 近づくごとに速度を増し、意識は過去へと、内側へと向かう。



 歌が聞こえる。


 次第に歌声は大きくなる。


 行く先に光が見える。


 そこを目指して、彼は速度を増していく。


 懐かしい香り、


 歌声、




 光にのまれる。




     ●




 受付の看護師さんは丁寧に病室を教えてくれた。


 来客用のスリッパをぺったんぺったんいわせながら階段をのぼり、右に曲がってずるぺたずるぺたリノリウムの廊下を進む。手に提げたビニール袋が重い。


 手前から三番目、奥から四番目。ここだ。プレートには、


 202号室・植野孝仁 様


 と書かれていた。

 深呼吸をひとつ。ゆっくりとノックする。ドアごしのくぐもった声が、


「はい」


 と答えた。


 入るのに、少し勇気が必要だった。


 ノブを回し、入る。


「おろ」


 ベッドの上で上半身を起こし、驚いた顔で俺を迎えたのは弟だった。


 へらりと笑い、


「やあやあ」


 俺も、


「よう。起きてたのか」


 と返しておく。

 見舞いのリンゴをテーブルに置き、備え付けのパイプ椅子をベッドのわきに引き寄せて腰かける。


 へらへらと笑っていやがる。


 まったく。


「何やってんだお前。親父が死ぬぞ」

「いやあ、ごめんごめん。電車代、高かった?」


 そんなことを言ってるんじゃない、と言おうとしてやめた。ため息をつき、ビニール袋のなかに手を突っ込んでリンゴを一つ取り出す。


「食うか?」

「そんなにたくさん食べれないよ」

「うるせえ。人からもらったもんは文句言わずに食え。拒否権なんぞ認めん。断固食え」


 言いながら、果物ナイフで皮をむいていく。くるく


 ぐあっ。


「ははは、下手っぴー」


 記録はわずかに三センチ。

 というわけで、選手交代した。




 くるくるくるくると器用にむいていく。無駄にうまい。もう三つ目だ。食っているのはほとんど俺だった。


 とりとめのない話ばかりした。俺の大学のこと、親父の慌てようとその後の怒りよう、そしてリンゴと看護師さんのことを話して、とうとう話題が尽きた。


 くるくる、


「なあ」

「なに?」


 くるくるくる、


「なんで、死のうと思ったんだ」


 くるく


 手が止まった。

 少し首をかしげ、わずかな時間考えこんでからこう答える。


「なんか、よくわかんなくなっちゃって」


 くるくる、


「なあ」

「なに?」

「また死のうとしたり、しないよな」


 くるくる、


「うん、しない」

「そうか」

「うん」

「よし、それじゃあ選手交代だな」

「ええー。リンゴがかわいそう」

「やかましい。病人がつべこべ言うな」

「怪我人だよ」

「やかましい。いいからかわれ」

「ええー」





 窓の外には、抜けるような青空。







































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The Eden Project 弥生 久 @march-nine

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