Titanomachy
自分が誰なのかを確認する。いま自分はどこにいるのか。何のために自分はここにいるのか。
存在確認。
十月二十四日、
自分のすべきことは、少しでも多くのデータを集めること。
死ぬまで。
息をつく。目の前には白線が地の果てまでのびている。そしてその上に、戦闘機にしては小さく、ひどく薄い黒光りする機体。
異形の黒鼠、エフェルス型戦闘機。
ひたすらにステルス性能を向上させることのみを目的に設計された機体であり、死地に飛び込むとしてもろくな装備ももらえない。その代わりに機動性と隠密性、そして索敵能力においては桁外れの性能をほこる。それゆえ、
現在時刻、
自分は今度こそ死ぬかも知れない。今まで幾度となくその紙一重を生き延びてきたが、いつ死んでもおかしくないのだから。
F-224隊など、「死ににいけ」と言われて戦場に送られているに等しい。
本隊より先に敵陣に突入し、捕捉されるまで情報収集をおこなって衛生経由で本部に送るという隠密偵察がこの隊の任務である。集められたデータから戦闘継続不可能と判断され、本部から作戦中止が言い渡されれば、隠密偵察部隊は容赦なく切り捨てられる。一切の援護なしに敵陣のど真ん中から離脱しろなどというのは、死ねと言っているのと同義だ。
頭を振る。疲れている、出撃前にこんなことを考えるなんて。少し眠ろう。三〇分後に起きるよう簡易催眠をかけて目を閉じる。
夢を見ていたように思う。
目が覚めた。脳内ログをたどって心拍数から現在時刻を割り出す。
立ち上がって伸びをする。腰に手をあてて、首をぐりぐりと回す。
ため息ひとつ。
どうしようもない恐怖を押し隠すための儀式だった。
今度こそ、死ぬかも知れない。
隠密偵察部隊は二人一組のバディを組む。今回、F-224隊の中で出撃を命じられたバディはアランとウィリアムだった。
ウィリアム・エアハルト少尉。
もう三年ほどの付き合いになる。アランもウィリアムも互い以外の相手と組んだことは一度もない。
アランはウィリアムのことを尊敬している。チームが不安に駆られているときでもウィリアムが一言喋るだけで全員の肩の力が抜けるし、感情的に怒ったところを見たことがない。お調子者だとみんなから言われているが、その実、仲間のことをいつも気にかけていることを誰もが知っていた。
あいつがいなければF-224隊は内側から壊れていたかもしれない。
アランはそう思う。
ウィリアムはアランのことを尊敬している。自分はいつもなにも考えていないが、アランはいつも考えた上で行動している。しかもそれでいて、計算高い人間に多くある冷たい感じがしない。誰にたいしても気づかいを欠かさないし、チームの全員に敬意を払っている。あいつが生きている限り、どんな戦況になったとしても誰もが理性を保てると思う。実際、あいつがいなければ失敗していた作戦は多い。あいつがいなければ、自分はいまここにはいない。
けれど、それゆえ自分たちはあいつに重荷を背負わせ過ぎてはいないだろうか。
ウィリアムがそう思っていることを、アランは知るよしもない。
自機、
第一滑走路では、ウィリアムも今ごろ同じように"KOIOS"のコクピットにもぐり込んでいるはずだ。
メインスイッチをON、電気系統に火が入り、レーダー、光・音・熱センサーが作動を始める。次いでエンジンが予備動作のような呼吸を始め、機体全体がかすかな振動につつまれる。
インターフェースを立ち上げ、コクピットとメインコンピュータをS2
最終安全装置を
大きく息を吸う。
進路クリア。オールグリーン。
雲が多いが、いい天気だ。
管制塔から発進キューがでる。エンジンブースターをキック。加速。強烈なGがかかり、体がシートに押し付けられる。
機首を上げて離陸、あっという間に地表が遠ざかる。やがて雲の合間に消える。
●
やつらの侵攻が始まったのは、二〇〇〇年代だと言われている。
人類がやつらに気づいたのは、正式な記録では二一二八年のことだ。
そして、そのときにはもう手遅れだった。
やつらは最初期の侵攻において、存在と侵攻行動を捕捉されないことを最優先としていた。
例えば、災害現場へと向かう緊急車両をGPS経由で混乱させた。
例えば、大規模テロをネット媒体での催眠暗示によって誘発し、さらには情報通信とインフラを麻痺させて治安部隊の到着を遅らせた。
例えば、はるか昔に放棄された衛星をジャックし、軌道をかえてニューヨークに墜落させた。
例えば、強力な生物兵器のDNAデータをハッキングして盗みだし、培養して世界中にばらまいたあと、さらにはオリジナルと治療薬のデータを削除した。
例えば、ある国の大陸間弾道ミサイルの管制コンピュータをマウントして、ミサイルを発射した。
こうして、人類は四億人にまでその人口を減らしていた。
それだけのことが起きながら、人類はまだやつらの存在に気づかなかった。
そして、西暦二一二八年六月三日、人類に対する宣戦布告が行われた。
それは、機械たちの反乱だった。
世界中のありとあらゆる情報通信デバイス上でそれはなされた。どこにアクセスしても、どこに電話を掛けても、どのチャンネルをつけても、同じ文句が現れるのみだった。
「
世界は一変した。
●
今回の目標は、カナダのエドモントンから北西へ約二十キロ、緯度経度で言えば西経113度北緯53度の地点にある、
今回、アランとウィリアムにあたえられた指令はこうだ。
まず、カナダ領空にロッキー山脈に沿って侵入し、その後北東方向に進路を変え、南西方向からエドモントンに接近、高高度から敵勢力の偵察を行う。リアルタイムのデータを
操縦桿が汗ですべる。息をつく。さっきからため息ばかりだ。
通信が入った。ウィリアムだ。
『よう、調子はどうだ?』
「もうすぐ死ぬかもしれんことを除けば上々だな」
『そりゃいい。ところでこの前貸した金、まだ返してもらってなかったよな』
「そうだったか?」
『とぼけんなこのやろ。帰ったらぜってー返してもらうからな、いいか、利子つきで四十ドル三十八セントだからな。ちゃんと直接返せよ。いいな、絶対だぞ』
「わかったわかった。というかこの通信大丈夫なのか。もうすぐ敵の警戒空域に入るぞ」
『あたりめーだっつの。迷彩かけてるよ。いくら
そしてそんなことはどうでもいいとばかりに、
『いいな、約束だぞ、ぜったい返せよ。返さなかったら私刑に処すぞ』
「わかったって」
苦笑しながらそう言って、回線からアウトする。
やっぱりすごいやつだ、と思った。
HMDに表示された高度を確認する。三万六〇〇〇フィート。既定の旋回地点まで距離一一〇ノーチカルマイル、あと三五〇秒で到達。レーダーをきる。レーダーを使えば敵の位置を正確に割り出すことができるが、同時にこちらの存在も気づかれるからだ。以降はAWACSやTACANとの交信もできない。
三五〇秒後、右方向に4G旋回。ほぼ九〇度向きをかえる。機首方向を微調整してタドボールとフライトパスマーカーを合わせ、目標地点への進路にのせる。高度を下げ、雲の下へでる。
見えた。
エドモントン航空基地。距離がありすぎて肉眼では細かい状況までは確認できない。敵のレーダー観測波を感知。ステルスエフェクター全開で隠密行動をしながら、あらゆるセンサーとカメラで集めた情報を高密度圧縮して
間もなく本隊発進。到着まで五八〇秒。
ひたすらデータを集める。敵のレーダー波が機体をなめ、RWRからのスパイクがくる。思わず息が止まる。
ロックオンは、こなかった。
安堵の息をつく。
残り五〇〇秒。一秒一秒がいらいらするほどゆっくりにしか進まない。
ふと違和感を感じた。事前に伝えられた敵の予想規模はL2だった。確認できる限り、その予想は妥当といったところだ。では一体、何に自分は違和感を感じているのか。一体──
突然ロックオンがきた。
即座に機体を反転、雲の中へと逃げ込む。HMD上にすさまじい速度で接近してくる赤い点が表示されている。
チャフをばらまきながら機体を左にブレイク、再び雲の下に出る。赤い点は明後日の方向に飛んでいく。
全てのレーダーをアクティブ、TWSとGMTで索敵開始。適性目標に脅威度順にE-01、E-02、というようにE-17まで識別番号をふる。全て地上部隊で、SHORADが四つ、HIMADが三つ、レーダーサイトが二つ、残りは自走式対地戦車だ。
ここで気づくべきだった。
ここは、エドモントン「航空」基地なのだ。
なのに、どうして一機の戦闘機も確認されないのか。
残り三五〇秒。
ドップラーを振り切るようにマヌーバしながらダイブ、と同時にアクティブロックオン。目標が対空バルカン砲で応戦してくる。ろくな照準もできていないくせに、そんなものであたるわけがない。
その間にもひたすらデータを送信し続けている。
──ウィリアムは、
いた。三時の方向。どうやら大丈夫そうだ。
それにしても、と思う。どうして捕捉されたのかがわからない。それまで全くこちらを感知できていなかった向こうのレーダーが、ぴたりとこちらに向けられた。
まるで、何かの合図があったように。
02からロックオンがくる。四発のSAMが発射される。旧世代型のKV-07ミサイル。アクティブ・ホーミング型だ。
反転。ミサイルに頭から突っ込み、高速のエルロンロール。ミサイルの、それもKV-07ごときのちんけなホーミングではステルス性能の高いエフェルス型は追跡できない。ミサイルをぎりぎりでかわす。目標を見失ったミサイルが明後日の方向に飛んでいく。そしてそのときにはもう02をロックオンしている。
TDボックスをレティクルに入れ、トリガー。02撃破。
残り一五〇秒。
そしてそれは、アランがそろそろ離脱しようとウィリアムに通信をいれようとした瞬間だった。
機体のシステムがダウンしそうになるほどの電磁波がきた。
HMD上にすさまじい速度でエラーコードが広がっていく。すぐさま機体の各部分をチェック、主翼・尾翼問題なし、姿勢制御系問題なし、各種センサー正常、外部通信は不能、レーダー、
レーダー、
──何だ、これ。
HMDに、絶望が表示されていた。
こちらをぐるりと取り囲む、赤い矢印。
その数、一五二。
全て戦闘機だった。
何も考えずに全速離脱しようとした。外部通信が死んでいるため本隊に連絡できないが、仮にできたとしてももう遅い。本隊もすでに包囲網の中に入ってしまっている。
一五二というのは、あまりにも絶望的な数字だった。
そして、電磁波発生から十二秒後にはコンピュータがその発生源を割り出していた。
HMDには、こう表示されていた。
EF-03.KOIOS/Wiliam·Erhart
目を疑った。
照合をしたコンピュータを疑っている暇はなかった。E-077、E-106、E-006からロックオンされた。
超強力迷彩を施した通信をKOIOSに送る。
──応答なし。
諦めてたまるか。
先程の大出力の電磁波は、おそらくステルスエフェクターの暴走が原因だ。そのあおりを食って無線がダウンしている可能性が高い。
なら──
電子通信系を調べる。これは生きていた。
現在その回線を使っているプログラムを全てKILL。空いたチャンネルを使ってウイルスパケットを最優先通信のヘッダーをつけてKOIOSに送りつける。受信と同時に強制的にパケットが開き、ウイルスがばらまかれる。その数は無数のケーブルを通ってKOIOSのメインコンピュータの最外防壁にたどり着くまでに三倍に増え、最終防壁を突破するころには元に戻っていた。無線通信系を調べる。
ビンゴ。
電磁波のせいで自動的に回線を閉じ、機能をサスペンドしていた。さらに何を間違えたのか、コクピット側からの接続もロックしている。
本来なら、メインコンピュータに
自機でなら五秒で片付ける自信があるが、今はKOIOSのトラブルだ。ウィリアムにその指示をする手段がないし、あったとしてもそんな方法は使わない。あいつは電情戦が苦手なのだ。今は一秒がおしい。
暗号鍵にMETISのメインコンピュータの演算速度に物を言わせた
まだか、まだか──
E-127、E-039にロックオンされた。同時に合計六発のミサイルアラートがきて、HMD上に不気味な速度で接近してくる赤い点が表示される。焦りのあまりインターフェースに頭突きをくれそうになる。
メインコンピュータがシミュレーションで叩き出した数字は八〇秒。八〇秒以内に包囲網を突破しなかった場合の生存確率は三パーセントをきる。
ついに暗号鍵をぶち破った。KOIOSの無線をマウントし、METISに繋げる。
怒鳴った。
「ウィリアム、聞こえるか ! ?」
『おー、アランか。よう、調子はどうだ?』
「聞け、今すぐ離脱しろ。あと六〇秒もない。一時の方向に」
『そういやあお前に貸してた金、まだ返してもらってねえよな。四十ドル三十八セント。基地に帰ったらちゃんと』
アランのなかで、何かがはじけた。
「いい加減にしろ ! ! いつまでもふざけてんな、いいから聞け ! ! ウィリアムきいてくれ頼む ! !」
アランの声は、ほとんど悲鳴に近かった。
だから、HMD上にウィリアムが精神汚染されている可能性を示すコードが表示されていることに、アランはとうとう気づかなかった。
『なあなあお前覚えてるかよ、昨日のほら、なんだっけあのバカすぎる番組。あれさあ』
E-013、E-086、E-059からロックオンされた。
「ウィリアム、四十ドルでも百万ドルでも払うから、だから」
『ああそうそう、あれは面白かったよなあ。ほら、サルディエル大尉のバースデイパーティー』
レシーバーから笑い声、
『あのひとあのごつい顔で無表情のまんまでさ、三角ぼうなんかかぶって、けいれい、してるときみたく、せすじのばして、くらっかーならして、たよな。ん、でけーきくうときは、まん、なかのちょこれー、ともきんとうにわけ、るのだ、とかいいだして。しゅやくなん、だからあのひと、がくえばいいの、になあ』
アランは泣いている。そのことに自分で気づいてもいない。
あと四十秒。
『あのひと、まだ、げんきかなあ』
違う。サルディエル大尉は死んだ。半月前に死んだじゃないか。
もう、どこにもいない。
『かえっ、ら、またから、かって、やろ、かなあ』
ウィリアムは、アランに話してはいない。もう誰にも話していない。
ウィリアムがレシーバーの向こうでバースデイソングを歌い出す。実に楽しそうに、もうろくに回らない舌で歌っている。
それが、ふつりと止まった。
そしてアランは、ウィリアムが「誰だお前?」と言うのを確かに聞いた。
次の瞬間、レシーバーから絶叫がほとばしった。
バースデイソングまじりのその絶叫がぶつりと音をたてて途切れ、切れたのではなく自分が切ったのだということに気づくのにしばらくかかった。次いで二十四発のミサイルが殺到し、新たにロックオンが六つきた。
どうやってミサイルをかわしたのかも覚えていない。
気づいたときには離脱コースに機体をのせ、全速で発進させていた。追いすがってくるミサイルをチャフで、フレアで、マヌーバでかわした。
震えが止まらない。ウィリアムの絶叫が耳の中で鳴り響いている。思わず耳を掻きむしった。喉の奥から意味をなさない幼児のような呻き声がもれ、かたかたと鳴っているのは何かと思えば自分の歯が打ちならされる音だった。
本隊は大混乱を極め、アランが包囲を突破した頃にようやく、レシーバーからこう聞こえた。
『全機に告ぐ、作戦中止! 直ちに撤退! 本部に救援要請、付き』
んの部隊を呼べ、とでも言うつもりだったのだろう。
ぶつりと音をたててレシーバーは沈黙し、静かになった。
コクピットには泣き声とも笑い声ともつかない声が漏れている。
それきり、何も聞こえない。
なるほど確かにウィリアムは正しかったのだろう。アランは確かに慎重で、常に考えてから行動していた。
それは、生きていたかったからだ。
死にたくなかったからだ。
部隊にいるだれよりも、アランは死ぬのが怖かったのだ。
アランはコクピットにうずくまって、身動きもしない。
レーダーが六時の方向に
敵か味方か。
KOIOSだった。
息が止まった。
うれしくないわけではない。だがいまアランの頭を占めているのは「なぜ」という問いだった。
なぜ、あの状態であの状況から離脱できたのか。
自分は確かにあの絶叫を聞いたはずだ。
そして自分はウィリアムを見捨ててきたのだ。
四十ドルでは到底足りない。百万ドルでも足りはしない。
戦慄した。
なぜ生きているんだと思った。このあとウィリアムとどう顔をあわせればいいのかわからない。いっそ、
いっそ、死んでくれていたらよかったのに。
何か来る。
そう思ったのは唐突だった。
KOIOS側から、先程アランが接続し切断した通信系のラインをたどってMETISに幾重にもはりめぐらされた防壁をすさまじい速度で突破しながら、何かが接近してくる。
咄嗟の行動だった。未だ震えた手で、防壁暗号を通常の状態からマイクロセカンド周期で乱数的に変化するものに変更する。バッテリーは食うが、これを突破するのは相当に難しい。ほとんど呆然としたまま、なかば無意識のうちに偵察ウイルスを差し向け、相手の正体を探る。ウィリアムではないのはわかりきっていた。
三秒後、全てのウイルスが無傷で生還した。
──?
おかしい。相手の力量を見るにウイルスが全滅させられても然るべきだ。それが無傷で還ってきた。一体これは──
気づいた。ウイルスがおかしなことをしている。手当たり次第にMETISのデータを複製して食い続けている。そのなかには防壁暗号の乱数表も
しまった。
ウイルス群を焼き払う。が、失敗した。紙一重で避けられた。ウイルスが防壁の向こうに消える。
ウイルスを奪われた。
信じられない。わずか三秒で、
そして、数瞬の沈黙ののち、すさまじい追跡が始まった。乱数変化暗号の演算に追いすがってくる。あと十秒ももたないだろう。
本能が、今すぐ全ての回線をKILLしろと絶叫している。
アランは震えていた。指一本動かせない。どうすればいいのかわからない。ウィリアム───
背筋が凍った。
相手の、侵入経路。
メインコンピュータを目指しているものとばかりに思っていた。メインコンピュータをジャックして、機体の制御を奪うつもりなのだ、と。
違った。
そいつが目指しているのは、メインコンピュータとコクピットをつなぐS2回路だった。
つまり、そいつが目指しているのは、アランだった。
今度こそ悲鳴をあげた。ひとたまりもなかった。
通信系の回路をKILL、他の外部接続ができる回線も全て切断した。邪魔なミサイルと拡張デバイスを捨て、少しでも速度をかせぐ。
叫んだ。
「
セフティが外れる。
フルスロットル。
先程までとは比べ物にならないすさまじいGがかかり、
そいつは追いかけてこなかった。
モニターに映し出された後部カメラの映像のなかで、なぜか少しだけ、そいつは寂しそうに見えた。
●
後にわかったことである。
あの日の朝の機体の整備でKOIOSの神経系統にわずかなノイズが見つかっていた。
まるで、何かを考えていて、あるいは外部と連絡をとっていて、それを迷彩処理で誤魔化したような。
整備課の連中はそれに気づかなかった。
それからもうひとつ。
この事実は第一種機密に指定され、深い時の腹のなかで眠ることとなる。
時を同じくして、こんな噂が兵士のなかで言い交わされていた。
いわく、真夜中の第三
その第三
数千に及ぶ防壁をすり抜け、幾重にもかけられたピコセカンド周期乱数変化暗号鍵も突破したその先、深い深い時間の腹のなか、次官以上の階級のパスカードと
まさに、これ以上ない機密である。
このファイルを開くのには、さらに複数の次官以上のパスカードと四種の
その内容は、ある偵察機についてだ。
ら、当該機は自我に目覚めていた可能性が非常に高い。また、諜報部の調査によって、当該機が頻繁に外部と連絡を取り合っていた痕跡があることが示されている(資料 File.S-201321を参照)。以上のことから今回の地上部隊を囮に使った包囲作戦は当該機の手引きによるものと推察される。今後同様に抑制プログラムを破壊して自我に目覚める機体が現れる可能
やめよう。やはり、これは時間の腹のなかで腐っていくべき話なのだ。
きっとそうなのだ。
●
なにが、死ぬかもしれない、だ。
大して死ぬ覚悟もないくせに、死ぬことの重みもわかっていなかったくせに、相棒を見捨ててリミッター解除までして全速力で逃げたくせに。
アランは軍法会議にかけられた。作戦放棄をして逃げ出したのだから死刑にされてもおかしくなかったが、あのとき作戦に参加していた全ての機体の外部通信が死んで、戦闘データを唯一持ち帰ったのがアランであったこと、また直後に本隊からも撤退命令が出ていたことから減刑されて、三日間の謹慎処分となった。
だから、アランには考える時間ができた。
できてしまった。
三日間は地獄だった。
棺は、空っぽだった。
式は粛々と進み、ウィリアムは大尉へと昇進した。
上官に、よく生きてかえってきたと誉められた。
よく仲間を見捨ててきた、と言われた気がした。
今でもたまに思う。
あのとき。
あの、自分が「誉められるべき行い」をしたとき。
全ての回線をKILLする直前、ほんの一瞬、声が聞こえた気がした。
きみはだれ?
そう聞こえた。
第三
「お前は誰だ?」
黒鼠はこたえない。黒々とした体を薄闇のなかに横たえて身じろぎもしない。
●
あれ以来、アランは出撃のときは必ず、コクピットに四十ドル三十八セントの現金を持ち込むようになった。
その理由を訊かれると、アランはいつも、
「直接返せ、との言いつけでね」
と、そう答えたとか。
その言葉の意味を知っているものは、もうひとりもこの世にはいない。
●
ここにひとつの墓がある。
空っぽの墓だ。
こう刻んである。
ウィリアム・エアハルト
2111.7.10 ─ 2135.10.22
──翼は永遠に──
そして、下のほう。ひと目ではわからないくらい小さく、そこには手彫りでこう刻んである。
借りは必ずそちらで返す ──A・B
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