第11話
「アラ」
マキナは疑うような声音で俺に問う。
「なんかあったの」
「いや、ちょっと昔のことを思い出してただけ」
「ふーん、昔、ねぇ」
まるで獲物をいたぶる野獣の目だ。マキナはとことん追及しないと気が済まないタイプだが、今日はさらに輪をかけてタチが悪い。
「もしかして、昔ここに来たのってさ」
「女友達だ」
きっぱり断言した。
それを彼女とは決して言えないだろう。あまりに虚しいだけだったお遊びのような恋愛を、本物の恋だなんて言えないだろう。だったら女友達ってのは全くの嘘じゃない。
「ほんとにただの女友達なのかなあ?」
それでもマキナは顔を覗き込みながら、なおも追及の手を緩めない。
「正直に言いなよ」
不意に「あのとき」と同じ言葉を聞いた。妙に耳に残る言葉だ。
『正直に言いなよ』
『正直ってなんだよ』
『アラ、あんたさ、あたしとアイツが別れたのが気に入らないんでしょ』
『んなことは一言も言ってないだろ』
『わかるよ。あんたは嘘を吐けない。でもきっと、正直には言えないだけなんだよ』
あれからもう一ヶ月以上経った。今も俺は、正直に言えない人間のままだ。
「んで、なに考えてたの?」
無邪気とも言える笑顔を前に、心が揺らいだ。
「カフェ入ったらな」
せめてもの意地に、無愛想に返してやるのがやっとだった。
「最初っからそう言やいいのにさ、バカ」
「バカはないだろ!」
猛烈にツッコんだ。
『あたしさ、友達のためにそこまで怒れるあんたがマジで羨ましいよ。あーあ、あたしもさ、あんたみたいな人間になりたかったなあ・・・』
「あのとき」、東京湾の地平線にゆっくり沈んでく夕陽に照らされて、頬が赤く燃え上がりながら不確かに揺らめいてたどこか寂しげな横顔は、いつしか俺がマキナを追いかける十分すぎる理由になってた。頬に刻まれる痕跡を、俺が隣で少しでも消してやりたい、そんな一心で恋をした。
「もう、早く早く、さっさと行くぞ!」
急かすようなマキナの声が、浸るように思い出へと遡ってた俺を過去から現実へ連れ戻した。
※
マキナのイメージにぴったりな、派手な外観のカフェに入る。座るなりメニューをそそくさと手にした彼女は、「ストロベリーパフェとアイスティー」って言いながら俺にメニューを差し出した。
「なにが美味い?」
「あんたなら宇治抹茶パフェじゃね?」
「マジか、あるんだ」
「あっても別におかしくはないでしょ」
「いやあ・・・」
ファンシーな店のムードに著しく反するような宇治抹茶パフェとアイスカフェラテを注文し、マキナの分まで注文すると、マキナが鋭い眼を向けてきた。
「さっきの話、詳しく聞かせてもらおうか」
「お前は刑事か」
「んー、はっきり聞いといた方がいいじゃんね」
取り調べでも始まるのかと思ったら、
「あんたさ、たまに遠くを見てんだよね。なんかずーっと考え事してるみたいな。それもさ、なんかに悩んで苦しんでるみたいな眼でさ。もしアラが過去になんかあったんだったら、それが原因かもしんないじゃん」
「過去に・・・」
「あたしなら少しは手助け出来るかもよ。少なくともアイツなんかよりかはね」
アイツっていうのがユキのことだってのは理解できる。でも、ユキよりは手助けできるって言われても反応に困る。
「手助けもなにもお前が聞きたいだけだろ」
「そんなことないよ。あたしは本気であんたを助けたいと思うもん」
「なんで?なんでそこまで俺に手を貸そうとすんの?」
一瞬、なにかを言いかけたマキナが、すぐに口を閉ざした。なにかに躊躇うような表情は、俺になにかを隠そうとしてることを如実に表してる。
「・・・別に、なんとなくだし」
不貞腐れたような声は、間違いない、本心を隠して出したものだ。
「俺がユキの親友だから?」
「それは絶対ない」
きっぱり言い切る表情に、迷いはなかった。
「アイツは三好雪晴だし、あんたは荒神舜じゃん。アイツとあんたは別物だから」
「別物?」
今一つ意味がわからないって顔をしてたら、
「あのさ、」
マキナがフォローを入れに来る。
「結局、あんたとアイツは別の人間なわけじゃん?あたしはそれぞれを一人の人間として気に入ってるってこと。あんたらを一緒くたにして見てはないってこと。もしあんたがサイテーなヤツだったら、いくらアイツの親友でも、仲良くしたいなんて思わないし」
「ああ」
ようやく理解出来た。俺が納得したのが解ったのか、満足げな表情でマキナはグラスの水に手をつける。
「だから、アイツとあんたは別なの」
「解った」
「喋り疲れたわ」
ちょうどそのタイミングで、注文したものが運ばれてきた。マキナはそそくさと毒々しいまでに赤いパフェに手を伸ばす。
「すげー色だな、そのパフェ」
「アラのだってすげーエグい色してんじゃん」
にかっと笑いながらマキナが指差す。確かに宇治抹茶パフェと言えども渋さ全快の色だ。小さい頃からなぜか抹茶ラブだった俺も、ここまで渋すぎる色の抹茶アイスはお目にかかったことがない。
先にカフェラテに手を伸ばそうとしたとき、
「で、教えてよ」
「は?」
「とぼけんなって。あんたの過去のこと、教えてよ」
「いや待てよ・・・」
「さっき約束したじゃん、カフェ入ったら話すって」
-そう言えばそんなこと口走ったな。
自分の発言を思い出して頭を抱えたい心境にも関わらず、マキナは全然容赦しない。
「どーせ恋っしょ。あたしの目は誤魔化せないからね」
目の奥が嫌な光り方をした。こうなったマキナには敵わない。
一息ついて、
「わかった」
「それでよし」
偉そうなマキナを見ながら、カフェラテを一口流し込んだ。
「中学の頃さ」
思い出を辿るように、俺は眼を閉じる。
「コクられて付き合ってたヤツがいたんだ。付き合ってたって言っても、なんだろ・・・」
「半分はお遊びみたいな?」
「そんな感じ」
マキナが的確な言葉を見つけてくれた。俺は続ける。
「そいつさ、良く言えばわりとマイペースなんだよね。やること全部が自分中心、自分が一番カワイイみたいな。まあはっきり言えばジコチュー」
ゆっくり、マキナが気だるげだけど確かな相槌を打つ。ジコチューって自分の言葉がやけに耳に残ってる。
「なんかさ、俺と付き合ってんのに全っ然自分のことしか見てないし、俺のことなんてなんにも考えてないっぽくて。だけど俺もそのときはかなりのチキンだったから、怖くてなにも訊けなくて深く踏み込めなかった」
「怖かった?」
「そいつの本音を聞くのが、なんとなく怖かったんだ。ほんとはどう思ってんだろって考えると、それをいざ直接聞くのって怖くてさ」
黙ったまま、マキナは俺を正面から見る。渋さ全開のパフェを一口口にすると、俺は続きを紡ぐ。
「でさ、そいつと昔109行ったことがあったの」
「へえ」
さっきから関心なさげな態度を見せてるけど、実は注意深く聞いてる。それが宮司真希波って人間だ。
「普通さ、二人でデートするってさ、好きなヤツと肩並べて歩くものだろ?それをさ、なんか俺は買い物に付き合わされただけみたいな構図になっててさ。限定品のためにずーっと列に一人で並ばされたり、袋持たされたりして、結局最後は金まで出させられた。挙げ句にありがとうの一言もなかった。そんなの信じられるか?金まで出したんだぜ?ふざけてるにもほどがあんだろ」
喋りながら、気付けば一人で激昂しかけてた。思い出すだけで腹が立ってくる。
「で、そのあとどうしたの?」
「そのあと?」
「買い物に付き合わされたあと」
落ち着いた口調のマキナが先を促す。
「彼女はさっさと帰ったんだ。追いかける気もしなかったね」
「それからは?」
「・・・別れた」
「いつ?」
「一週間くらいして、彼女から『別れて欲しい』って言われた」
「なんで?」
次々と質問を浴びせられ、一旦流れを切るためにパフェを口にした。緩やかながら溶け始めたパフェは、話すことで少しずつ溶け始めた俺の心みたいだ。
「マキナ」
「ん?」
同じくストロベリーパフェを口に運んでたマキナが動作を止める。
「お前さ、どうしてユキと別れたの?」
「え?」
不意の質問に虚を付かれたか、マキナが面食らったような面持ちになる。
「訊かれてる最中で申し訳ないけどさ、俺もそれ訊きたかったんだよね」
今度は俺のターンだ。ここぞとばかりに猛反撃に出る。
「俺はさ、ユキからしか話聞いてないから、なんでマキナとユキが別れたのかよく解んないんだわ。肝心のユキが解ってないし、それじゃ俺だってこれからの接し方に困るわけだ」
マキナを指差す。
「お前らいったいなにがあったの?」
「なにって、別になにも・・・」
「じゃあなにもないけど別れたの?」
「あ・・・」
言葉に詰まるマキナを、もう少し壁際まで追い詰めてみたくなった。
「もしかしてさ、マキナってまだユキのこと好きなんじゃないの?」
「そんなわけないじゃん!」
テンパった状態での答えはそれでもしっかりしてた。
「あたしはアイツとは切れてんの。アイツがまだ好き?だったら最初っから別れたりなんてしないよ!」
やや興奮したようだ。口調が少し激しくなる。
「だいたいね、アイツが悪くて別れたのに、理由が解んないって?カラッポの頭でだって解る話じゃん!」
両腕を広げ、呆れたってジェスチャーを示す。やや苛立ちを滲ませた表情は、演技じゃない。
「じゃあなんで別れたの?」
「それは・・・」
口ごもる彼女は、なにを隠そうとしてるのか。探ろうとしたが、
「それより先にあんたの方でしょ」
冷めた口調でカウンターアタックを食らわせる。
「今は俺がメインターゲットか・・・」
「そゆことよ」
どうしても自分が上手に立ちたいんだろう。主導権は渡さないと言わんばかりの表情に、俺は苦笑を返す。
「マキナ」
「なによ」
「俺が教えたら、お前も教えてくれんだよね?」
「あー・・・」
「なあ、教えてくれんだよね?」
意地の悪い笑顔で交換条件を提示してやった。途端にマキナが唇を噛み、歯痒そうな表情になる。
少し間が空いて、マキナが微かに頷いた。交渉成立だ。やっと知りたかったことが手に入るとはいえ、まずは俺からカードをオープンすることが条件だ。そこはフェアにやらなきゃいけない。
「わかった、俺が別れた理由を教えてやる」
「はいはい」
二人揃ってパフェを口にする。溶ける前に味わおうって思いは一緒みたいだ。
パフェのグラスが空になると、俺はカフェラテを一口飲んだ。
「俺も彼女もさ」
淡々と切り出す。
「解ってなかったんだよね、きっと」
「なにが?」
「恋ってなにかってこと、ほんとに理解してたわけじゃない気がする」
「恋・・・」
「ってかそれ以前に好きって感情も解んなかったんだろうね、俺ら」
「それってさ、」
マキナが口を挟む。
「理解してた、してないの問題だったのかな?」
「え?」
マキナが意味ありげな目で俺を見据える。
「ほんとはあんたもその子も理解してたんじゃないかなって思う。解ってるけど、どうすればいいのか解んなかった。そんな気がする」
「どうすればいいか、解んなかった・・・」
「そ、」
マキナは軽く眼を閉じると、突然告げた。
「あたしもアイツと別れたのは、そのせいだったもん」
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