第10話
古文の授業時間、フルで廊下に立たされてた。俺とユキは互いに疑心暗鬼な雰囲気の中、60分を過ごした。それでもユキは追及をやめた。そしてそれに甘えるように、俺は最後まで真実を明かさなかった。
授業が終わって教室に入るなり、ユキは俺に突拍子もなく、「近いうちにバンドのミーティングしねぇとだろ」なんて言い始めた。
「いや待て、まだギターがもう一人欲しいな」
「4ピースでも出来なかあねぇだろ?」
「んー、できるけどさ、4ピースは音薄くなるだろ?ギター2本いると曲の幅がぐっと広がるからさ」
「でも探せんのか?」
探せなくはない。単純にその作業が億劫なだけだし。
「・・・まあ、やってはみるさ」
ユキはフッと笑い、「頼むぜリーダー!」なんて軽口を叩きながら、別のクラスメイトのとこに向かった。コイツの内面はほとんど読めない。磨りガラスのように、透明にみえても実は透明じゃない。だから決して綺麗になんて見えやしない。そもそもリーダー俺かよ。
「アラ」
斜め後ろから脇腹を突っつかれて振り向くと、マキナが立ってた。
「わお」
「なにがわおだよ。キモいわ」
「いきなり背後に立たれてビビんないヤツがいるか?」
「ビビり方キモい。ついでに存在も」
「黙れ。息吸うな」
こんなやりとりでさえ、クラスメイトと雑談しながらもマークしてるユキは、いったいなにを躊躇ってるんだろう。
「なあ」
「なによ」
「お前さあ、」
ユキのことどう思ってんの?って続けられたら、どこか引っ掛かったものは取れるのかもしれない。それでも、今じゃない気がしたから、仕方なく口をつぐむことにした。
「なに」
「やっぱいいや、なんでもない」
「うわキモッ」
笑いながら去ってくマキナの姿を、間違いない、ユキの目は確実に追ってた。やり直したいかもじゃない、確実に、やり直したいんだ、アイツは。
俺は今、一歩ずつ、許されざる領域に足を踏み入れてしまった。もしバレたら、ユキはきっと許さないだろう。
「これが危険な恋、かねぇ」
「ん、なにが危険だって?」
「おわあっ!」
急に話しかけられて振り向くと、クラスメイトのエリカ-菩提寺エリカ《ぼだいじ えりか》が身を乗り出してた。コイツは中間試験後の席替えで俺の前の席の住人になったんだけど、以来なにかと俺に絡んでくる。
「なんなんだよお前・・・」
「エリカ様よ私。おほほほほ」
「おほほじゃねーだろ、独り言を盗み聞きすんなよ」
「独り言って盗み聞くものじゃないっしょ。だいたい危険な恋だなんて物騒なワードを口にされると気にもなるじゃん」
「じゃあ気にすんな」
疲れる。しっしっと手を払うが、一向に前を向こうとしない。
「ね、あれでしょ」
いきなり声を潜めて、
「実は好きなんでしょ、マキナのこと」
「ごフッげフッごっフッゴッホゴッホごほっ、あーごめんよく聞こえなかったんだけどなー」
「じゃあ大きな声で言いましょうかあ?皆さんに聞こえるように」
「バカバカバカバカさすがにそれはやめろ!殺す気か!?
「わっかりやすっ!マジ慌てすぎー」
コロコロ笑うエリカは、俺に人差し指を向けて静かに言う。
「言えないのもなんとなく理由わかる。三好っちが怖いからチキってるんでしょ。ご名答ね!」
見透かされたように勝手に話を進められ、少しむきになった。
「チキるとかいう問題じゃないだろポタージュ」
「ポタージュじゃなくて菩提寺エリカ様ね。いつになったら覚えてくれるのかしらね。バーカ、愚民」
「はいはいわかった、ポタージュエリカ様ね、略してポタエリ痛い痛い痛い痛い暴力反対お前いつも思うけどマジ握力いくつあるんだよ!」
「んーわかんない。最近測ってないし。とりあえずこのまま頭握り潰すね?いい?」
「可愛く言っても殺人だからなそれは痛い痛い痛い痛いギブ!わかった謝るから離せ!」
シャレにならない力で握られ、頭がキーンと響くように痛む。毎度ながらコイツの握力、ハンパない。
「は?」
「離せ!」
「は?離せ?」
「離してください!」
「離してください?」
「離してくださいエリカ様!」
「うん、よろしい」
満足したかのように手を離すと、そのまま自分の机に伏せ、眠り始めた。
「寝るなよ」
エリカ、いつもながらマイペースにつき。ついてけないけど、特に嫌いでもない。
「ったく・・・」
毒づきながらも、エリカの長い黒髪がかかる背中をまじまじ見てる俺。学年でもかなり可愛い部類に入るし、性格も人に好かれる。マイペースなとこは少々好みが分かれなくもないけど。
「ま、いっか」
どうでもよくなったから、考えるのをやめた。
最近わかったのは、このクラスにはキャラがだいぶ濃いヤツが多いってことだ。ユキ、マキナ、エリカは言うまでもなく、他にも何人もいる。ユキの周りに集まるやつも、だいたいその中にカウントできる連中だ。
「ほんっとキャラ濃いクラスだな」
呆れたように呟いたあと、俺もバッテリー切れして眠りについた。津田が入ってきて号令が掛かっても、俺は気付かなかったようで、エリカに叩き起こされた。いつからエリカが起きたのか、とても知りたい。
※
日曜。午前11時、待ち合わせの渋谷駅のハチ公前に立ったまま、俺はずっと辺りを見渡してた。なるほど、渋谷だとチャラい俺でも埋没できてしまう。マイペース感のあるマキナが来るまでには、もう少し時間が掛かるだろう。早く来すぎた気がして、なんだか損した気分になる。
タバコの煙。どこの言葉か分からない会話。明らかに水商売風の男女。そして、スマホ片手に待ち合わせの約束をする若者たち。雑踏の中に、いくつもの
マキナがこの街を好きな理由は、「ウザさ」らしい。ざわめく雰囲気がまとわりつくのがウザく、それが快感に思えるのがいいとか言ってた。意味わかんない。それってただうるさいだけだろ。
中学時代、彼女と渋谷デートしたことがあったけど、デートっていうより買い物に付き合わされた感じだった。まあマキナのことだから、そうなるくらいは覚悟の上だ。
漫然と人間観察しながら辺りを見渡してると、ふと赤いスカートが目に入ってきた。赤なんてずいぶん派手な色だななんて眺めていたら、それがマキナだって気づいた。レモンイエローのシャツに、丈の短い、赤いスカート。しかも白いヒールが異様に目を引くデザインだ。いやいや、それは派手すぎんだろ。こんな渋谷でも浮いてんぞ。
「アラ!」
観察してるうちにこっちが気づかれた。小走りでやってくる。ハデハデのマキナは、いつもより少し濃いメイクを施し、若干大人っぽさが増して見える。
「よく気付いたな」
「なんか異様にキモい視線を感じたから殴ってやろうと思って見たら、アラだったわけよ」
「あーはいはいすいませんねー」
気のない返事であさっての方向を見る。確かにマキナより派手なヤツはいくらでもいるが、それは目を引くような派手さではない。マキナはこの渋谷でも輝いてる。
「なにしてんだよっ」
急にバッグで背中を叩かれて振り返ると、口を尖らせたマキナが不満そうにしていた。まるで女王のような佇まいだ。
「派手だな」
「悪かったね派手で」
「悪いとは言ってないだろ」
「じゃあなによ」
「いや・・・お前らしくていいなって」
「意味わかんない」
不満げな声とは裏腹に、顔は喜びを滲ませてる。
「まったく」
褒められて嬉しいなら素直に言えばいいのに。マキナの心が読めない。
「案外あんたも人のこと褒めれるんだな」
「案外は余計だろ」
「ふーん」
意味ありげにマキナは俺の顔を覗き込み、
「あたしのメイク、褒めてくれたことないよね」
「・・・マジか」
「マジだよ」
痛いとこを突かれて黙り込む俺に、
「まあ今褒めてくれたぶんでチャラにしてやる」
「チャラにしていいんだな、それ」
「まあね」
人通りの多いスクランブル交差点の信号で下らないバカ話をしてると、なんとなく非日常を感じて胸が踊る。人混みの流れに身を任せながら、青に変わった信号機に合わせて動き出した。
「アラ」
不意にマキナが呼ぶ。
「人めっちゃ多い」
「だな」
「はぐれそう」
「ガキかお前は。手でも繋ぐか?」
わりと冗談で言ったつもりだった。しかしマキナは至って真面目な顔で、
「・・・繋いでよ」
「は!?」
「手、繋いでよ」
右手を俺の方に差し出してきた。
「あ、ああ・・・」
全く心の準備をしてなかった。自分の軽率な発言に後悔しつつ、このシチュエーションに戸惑いと歓喜を抱いてた。
片想いのマキナと、手を繋ぐ-予想よりもかなり早いスピードで、マキナとの距離が近づく。俺は包み込むように優しく、マキナの右手を握った。
「はぐれんなよ」
「わかってるって」
恥ずかしさからだろうか、マキナが手を握ったまま、顔を反らした。俺だって反らしたい。この場面にユキがいたなら、俺は間違いなく三途の川経由であの世行きだろう。
109の中に入りたいと言うマキナの言葉に従い、俺とマキナは学生っぽいギャルや清楚系が一緒くたになって蠢く巨大なビルへと入っていく。ここが渋谷の中心地だ。
「服でも買う気か?」
また買い物に付き合わされるのかと思ったが、
「バカ。いい感じのカフェ入ってんの、ここ」
知らなかった。ひとまず安心して、マキナに行き先を委ねた。
「俺あんま知らないからさ、109は」
「来たことないの?」
「いや・・・」
どう答えればいいか、頭の中で戸惑う。まさか昔付き合ってた彼女の買い物に付き合わされただけとは言えないだろう。マキナの見る目が一気に裏返りかねない。
ひとまず無難な回答に向かうことにした。
「一回だけ、女友達と来ただけだし」
「あんた女友達なんていたんだ!」
驚愕の表情で仰け反ってみせるマキナを、空いてる手で小突いてやった。
「俺にだってそれくらいいてもおかしくはないだろ」
「おかしい。天変地異起きるわ」
「俺に女友達がいると地震でも起きるか」
「うん」
マキナは一人でゲラゲラ笑い出す。俺は軽くマキナを睨むと、
「んで、カフェってどこにあんの」
「もうすぐ。つーかこの一個下のフロアじゃん」
慌ててエスカレーターを降りる。昔来たときの嫌な思い出をマキナと手を繋いで塗り替えてる奇妙さに、俺はなんとも言えない感動を覚えた。
『最初にこっちのお店行って、それから一個上のフロアの二軒回ってから二つ上のフロア行くからね。いい?分かった?』
あのとき俺らは互いを見れていたんだろうか。ただ自分の一番近くにいるヤツくらいの感覚じゃなかっただろうか。恋とか愛とかを知らないまま、ままごとをしてただけなんじゃないか。結局俺は、まだ恋なんて知らないガキなんだ。
「なに考えてんのよ」
「ん?いや別に」
ぼーっとしてた俺を、疑わしげにマキナが睨み付けてきた。
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