第8話

 

「・・・あ?」

 なんの前触れもなしに巨大な嵐を起こした俺に、すぐ目の前に立つトシからの怪訝な視線が向けられた。構わず続ける。

「そうやって自分勝手なことばっかほざいてさ、背中向けて、それじゃお前だって!やってることは昔の俺となんにも変わんないだろ!なにが俺は知らねぇだよ!俺が最低だとか言う前にさ!気付けよ!そうやってお前はさ!自分一人だけあのバンドの全てから逃げようとしてんだろ!」

「んだと・・・」

「黙れ!黙って聞け!今は俺の番なんだろ!」

「・・・チッ」

 舌打ちし、嫌々ながら、トシは黙った。どうやら大人しくしてくれるようだ。俺はさらに続ける。

「ああ確かに俺だって悪かった!お前の話を相手にもしなかったけど!お前の言ってたことは正しかった!でも!もし、もしあそこでやめてたって!そのあとなにが見つかったんだろうな!ただ無意味に先伸ばしして!それで終わりじゃなかったかって!俺は思うぜ!だったら!失敗することでなにか得られる方が!よっぽどいいんじゃねぇのかって!違うか!そうだろ!お前だってほんとはそう思うんだろ!」

 息が苦しい。そして、胸が苦しい。一度、ゆっくりと深呼吸した。微動だにしないトシは、黙ったまま俺を見つめる。

「俺は・・・」

 言いたいことは全部吐き出した。だから、もう落ち着いた。これ以上喚き散らすのはやめよう。無駄に疲れるだけだ。

「俺さ、お前とまたバンドしたい。心の底から本気でそう思ってる」

 これは本心だ。口先だけの甘い口説き文句なんかじゃない。トシの型破りなまでのギターに、俺の歌を乗せたい。そこには一点の嘘も存在しない。

「やろうぜ、トシ」

 目の前でトシが震えだした。顔を伏せ、涙を隠そうとするが、身長の都合で見上げる格好になる俺には見える。確かに目許がきらりと光った。

「なっ?」

 覗き込むようにして尋ねると、「こっち見んなよ」って無愛想ながらも微かに返事した。

「やろうぜトシ!」

 やっとケイも声を上げ、ここに来たときの邪悪なものとはまるで違う笑顔を見せた。

 もはやそこには邪険な空気も戦闘体勢もなく、陰鬱だった空さえも明るさを取り戻しはじめた。過去に囚われ続けてきた三人と、不器用ながらも懸命に戦ってくれたユキが、今ではその全てを洗い流して立ってた。

「お前の・・・お前の、言いたいことは、よく分かった、ああ」

 やっとトシが言葉を発した。途切れ途切れでもなにかを伝えようとする姿は、再び前を向くって強い意思表示にも見えた。

 ややあって、ゆっくりと顔を上げたトシが、

「お前の考え、きちんと理解できたよ。今さらだけど悪かったよ、俺もいろいろと」

「・・・いや、お前は悪くないさ」

「だから、俺やるよ、もう一回。組もうぜ。そしたら、お前らも今度こそ本気でやれよ」

 一瞬、その場の全員が顔を見合わせた。しかしすぐにその緊張は、笑いと取り戻した絆の実感へと変わった。さっきまでの異様なまでに殺伐とした空気は、今やどこにもなかった。

 俺が右手を差し出すと、トシはしっかりと赤い目で俺を見ながら、右手を差し出し強く握った。その力に、これから再び動き出す新たなストーリーの一歩を感じて、ようやく胸のつかえが取れた。

 長きに渡った過去の因縁からやっと解き放たれた俺らは、口々に大失敗したあのライブの苦い思い出をあっけらかんと語り合い、あれもいい経験だったなと懐かしんだ。まあ正直言うと、その場の約一名ほどは完全に取り残されてたんだけど。そいつは居心地悪そうにしながら、それでも次々と挙がる失敗談に腹を抱えて大爆笑してやがった。


 ※


「しっかしなあ、まさかあそこでシュンまでキレるとはなあ・・・」

 その日の放課後。新橋駅に向かう道すがら、ケイとユキと並んで歩きながら、屋上であったあまりにも壮絶なドラマを振り返った。ユキはともかく、もはやケイなんてなにもしてなかったような気が・・・。

「ほんとだよ、俺も軽くビビったからね?」

「ったくよぉ、お前やることがマジ無茶苦茶すぎんだろ」

「それは昔から変わんないもんな、シュン」

「ほっとけバーカ」

 軽くカバンをケイにぶつけ、ついでにユキの背中を強烈にはたいた。「なんで俺まで!?」って叫ぶ彼の抗議をまるで無視してケイに話しかける。

「やっとだな」

「ああ、いいんじゃないか」

 一部とはいえあのときのメンバーで、新しい一歩を踏み出した。それだけでも偉大な進歩だ。これからはきっと、どんなに失敗した過去でも笑って振り返れる。

「トシはきっと、お前に言われたときから答えは決まってたのかもな、シュン」

「なんで?」

 今一つ、ケイの言うことがよく理解できない。

「俺が誘ったときには、答えが決まってた?」

「過去を払拭したかったんだろ。きっとあいつもシュンともう一度組みたかったんだろうね」

「え、なんでそう言えんだよ?」

 ユキもすかさず突っ込んだ。きっとコイツも理解できてない。

「まあな、今だから言えるけどな」

 言いかけて、ケイは空を見上げる。空には飛行機雲が一筋、オレンジ混じりの青を切り裂くように白く伸びてるだけだ。

 言葉の続きを、俺とユキは静かに待つ。

「嬉しそうにしてたからな、トシ。お前が話したいって電話で伝えたときにさ、やっと会えるのかってね」

「・・・あいつ、気付いてたんだな」

「みたいだな。クラスまで突き止めてたんだってさ」

「・・・キモッ」

「ただひたすらにキモいな」

「おいキモいはないだろお前ら!」

 突き止めたなら会いに来いよなんて、俺は言わない。俺らの事情が、過去の傷が、そんな単純じゃなかったことくらい自分だって分かってる。たとえ俺がトシの立場だとしても、絶対に訪ねには行かなかっただろう。

「あのさ・・・」

 ユキが俺に向き直る。

「昔のお前らのバンド、なんて名前なの」

「renovation」

 ケイが即答する。

「リノベーション?」

「改革って意味さ。社会改革って意味合いでつけたわけ」

「誰が?」

「まあ、お前は知らないやつさ」

「んだよそれー・・・俺だけ蚊帳の外じゃねぇか・・・」

 不満げにユキがぼやいた。確か、トシでもケイでもなかった。もちろん、俺であるわけがない。

「それよりさ、あとの二人ってなにしてんだ?」

 俺の素朴な疑問に、ケイは首を横に振る。

「あれから逃げるように脱退して以来、連絡がとれない。ご丁寧にケータイまで変えたみたいでな、電話も繋がんない」

「マジか・・・あ、でもあいつらTwitterやってんだろ!」

「・・・この前確認したら、ものの見事にブロックされてた」

「どっちも?」

「どっちも」

「すげー避けられようだな・・・」

「LINEも変わったから、連絡つかないね」

「・・・チェックメイトだな」

 もちろん詰んだのは俺らの方だ。ここまで避けられると、いっそ清々しくもなれる。

「あいつら高校は?」

「二人とも別々さ」

「どこ?」

「えっと確か・・・どっちかが横浜の私立で、もう片方が十条とかいう場所」

 俺は地理に疎いが、十条って聞くと、京都くらいは連想できる。

「十条って、京都?」

「・・・たぶんな」

 よかった。当たってたみたいだ-

「バカ、十条はとても埼玉に近い東京の外れだろうが」

「「そうなの!?」」

「かなり昔だけどライブで行ったんだわ、十条」

 ユキの突っ込みで、向こう10年はケイを信じる気がなくなった。

「サラッと聞き流したけどなんのライブ?」

「まあ、いろいろとあってな」

 納得いかないという表情でなおも食い下がろうとするケイを、横からつつき、首を横に振るジェスチャーで制す。ケイもさすがにそれ以上の深追いはしなかった。

 しばしの間、沈黙が支配する。

「つーかさあ」

 黙り込んだ重苦しい雰囲気の中、おもむろにユキが口を開いた。忘れ物を思い出すかのようなその口調は、続く言葉の不吉さを暗示してた。

「・・・どした」

「俺ら、かんっぜんに忘れてるけどさあ」

 忘れてる。忘れてる。なにかそのワードに引っ掛かるものがあった。

「んー?なんかあったっけな」

 なにかヤバい予感が、電流のように走る。

「あっ、部室寄ってねぇじゃん!」

 今思い出したかのようなケイの言葉はしかし、

「いや今日休みの日だろ、部活は」

 無下にもユキの一言で玉砕された。ユキが気付いてるのは間違いない。ますます悪寒が強くなる。

「じゃあ、学生の本分といえば?」

 本分。

「勉強だろー?それは気に食わないけどな」

 勉強。

「じゃあ、学生時代に必ず存在する敵がいる。なんだ?」

 学生時代。敵。

「失恋」

「バカかお前は。勉強関係ねぇだろ。流れでわかんねぇのかよ」

「え、リアルにわかんないんだけど」

 俺は既に、一つの答えに行き着いてた。スケジュール帳を開いて確認するまでもない。

「勉強・・・勉強・・・学生時代の敵・・・んー・・・」

 いつまで気付かないのか見てるのも楽しいが、いい加減気付いてほしい。

「敵・・・あ、ああ」

 大きく見開かれた目で、俺を見る。そうだ、やっと気付いたか。遅ぇよ。

「ま、まさか・・・」

 口がパクパク動く。金魚みたいだ。出目金ならぬケイ金は、指を天に向け、この世の終わりのような声音で告げる。

「せ・・・」

「「せ?」」

「せせせ、せ、生活・・・指導・・・」

「「そっち!?」」

 綺麗に俺とユキがハモった。まさかそんな発想があったなんて。コイツある意味天才だ。

「もはや勉強関係ねぇだろ!さっきから部室寄りわすれたことしか考えてねぇだろ!」

 まくし立てるユキ。しかしケイはキョトンとした表情を崩さない。これは本物ガチだ。

「安心しろ。軽音部は生活指導入んねぇから。ついでに行き忘れても気付かれなきゃ誰もなんも言わねぇから。つか分かってたからサボり常習犯やってたんだろ?なにを今更ビビってんだよ」

 呆れたように早口で言うユキは、もはや怒る気力も無くしてた。

「あれしかねぇだろ、あれ」

「ああ・・・あれね」

「やっと分かったのかよ・・・」

「うん、やっぱわかんないわ」

「「・・・」」

 駄目だ。これ以上はやってらんない。

「中間試験だろ。それ以外にあるかよ」

「ああ、中間試験ね、ハハ、そうか・・・中間・・・いや嘘だろ!?」

 やっと理解した途端、今度はにわかにやかましくなった。

「うるせぇよ。嘘なわけねぇだろ。誰がそんな嘘で得すんだよ」

 頭に手を当てながら、ユキが言う。ケイの重症っぷりに、言葉も出なくなってるようだ。コイツ、鈍い。

「で、どうする?」

 ユキの問いかけに、二人揃って天を見上げる俺とケイ。

「おい、まさか勉強なんかしてねぇだろうな」

「その質問おかしいよね!?シュン!」

 ケイの呼び掛けにも反応せず、俺は現実逃避を試みる。

「おいコラ」

 ユキが現実に引き戻しに来た。やめてほしい。わりと本気ガチで。

「とにかく、だ。赤点なんざ取るもんだ」

「取ったら部活停止になるだろ!バカかお前は」

 今度はケイが呆れたような表情になる。さっきまで分かんなかった人間が言えることでもない。

「ヤベぇな・・・」

 頭を抱えながら、三人は夕方の新橋を歩き続ける。傾いたが、俺らの成績を暗示してるように見えなくもない。

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