第7話
「落ち着けトシ!」
「うるせぇ!てめえまでグルかよ!」
ケイの必死の声も、今のトシには届かない。暴れだした虎の如く荒れ狂うトシは、矛先を俺からケイにも向け、さらにわめき散らす。
「てめえらにいったいなにが分かるんだよ!てめえらに痛みがあんのかよ!なあ!俺一人だけが悪かったんかよ!俺だけかよ!全部俺かよ!」
こんなに荒れるトシは、あのときくらいしか見たことがない。シルバーのアッシュが入った前髪を振り乱し、拳を強く握りしめたまま、俺とケイを代わる代わる睨み付けてる。その鋭さは、まさに野獣そのものだ。
「全部、全部俺が悪かったのかよ!」
さらに吠えたてる。まともに手が付けられそうにはない。仕方なく、俺は黙ったまま真正面からトシを捉える。
「なんとか言えよ!言ってみろよ!」
なにも、何一つ言えるわけがない。トシはきっと分かってる。俺もケイも、なにを言えばいいのかわからない。
「ケイ!」
一際大きくなった声で、再びケイをなじる。
「ふざけんな!俺はてめえを信じてここに来たんだろ!あのとき俺になにがあったかも!てめえは全部分かってた!忘れるはずがねぇ!そうだろ!なのによ!今度はてめえが裏切んのかよ!そうやっててめえら-」
「いい加減にしろ!バカかお前は!」
トシの咆哮を遮り、鋭いユキの一喝が響いた。今更思い出したかのように、トシがユキに目を向ける。彼の怒りはさらに膨張した。
「誰がバカだよ!」
「お前だよ、お前以外にいるかよバカ!」
互いに一歩ずつ、ゆっくりと前に進み出る。ケイが慌てて間に入ろうとするのを、「ケイ!」と短く俺が制した。見守ることがいいと、直感的に判断した。
「全くの部外者のてめえごときになにが分かんだよ!」
「部外者じゃねぇ!」
「部外者だろうが!俺らの過去のなにを見てたっつーんだよ!」
威嚇するように、トシが強くなじる。しかし、ユキとて一歩たりとも引こうとしない。
「過去になにがあったかは詳しくは知らねぇ!けどよ、シュンもケイも、コイツらマジでお前が必要なんだよ!だからこんなに頼んでんだ!そんなことも分かんねぇのかよ!」
「知らねぇよ!」
「じゃあ知れよ!知ろうって努力しろよ!分かんねぇだ?なら分かればいいだろ!なあ、分かってくれよ!」
全く乗り気でもなく傍観者のようにやり過ごすはずだったユキが、今や俺らのためにここまでしてキレてる。その姿には、ある種の恐ろしささえも感じた。
興奮状態のトシは、さらに一歩、ユキに向けて足を出す。その頬は既に紅潮してた。俺もケイも、そこには一切干渉はできない。ここはたった二人の時空だ。
まさに一触即発の空気が漂い、辺りがより一層と殺伐になる。いつ、どっちから踏み込んだとしてもおかしくはない。
-行くな、絶対行くなよ、ユキ。
俺は強く、強く念じながら、じっとユキを見つめる。しかし、願いがユキに伝わってる様子は全くもってない。
僅かにだけど頬に感じる程度に流れる風。危機感だけが一層張りつめる空間で、ケイは世界から一人取り残されたようになって硬直してる。
もう一歩、ユキは小幅に踏み出した。
「分かるか、コイツらのマジな思いが」
静かに語りかけるユキは、それでも戦闘体勢を解こうとはしない。
「ハッ、思いだなんて、少なくとも部外者のてめえごときが偉そうに言えることじゃねぇ」
さっきよりかはいくぶん落ち着いたトシも、負けじと返す。こっちも戦闘体勢を解くそぶりは見られない。
今にも飛びかかるつもりなのか、ユキが左足を半歩下げた。しかし、トシは動かない。
「俺もお前が必要だ」
「よく言うよ」
「俺は本気だ」
「黙れ」
「その頼みはお断りするぜ」
応酬はなおも続く。
「俺が必要だ?どいつもこいつも雁首揃えて今更のように・・・」
「本気で必要としてるからだろ、分かれよ」
「そんなら過去もみんなチャラにする気か?」
俺に振り返るユキの目が、「違うよな?」って尋ねる。
-違うさ。
-そうだよな。それでいいんだろ?
-当たり前だろ。
一瞬のアイコンタクトで、俺とユキの考えてることはシェアされた。同じことを、今度はユキとケイがする。意思は確認できたようだ。
「違う」
自信のある声で、ユキは口を開いた。
「なにが違う」
「コイツら、過去のこともきちんと背負ってやる気だぜ」
トシが鼻で嗤う。
「ふざけんな」
一拍置いて、
「俺は信じない。なにがあったか、なにをされたかも、俺は一生忘れられない」
きっぱり言い放つ。迷いのない、断固とした主張を見せる。
「バンドの方針が徐々に合わなくなってた。僅かにでもズレがあった。少なくとも、練習のときの音を聴いてりゃ分かんだよ。メンバーそれぞれの意思が離れ始めてんのもな」
唐突に、トシが語り始めた。三人はただ黙って耳を傾ける。
「あのとき俺さぁ、お前らに訊いただろ。本気でやる気あんのかって。それは俺が練習とかしててそんな雰囲気を感じて、かなり危機感持ってたから口にした言葉だからさ、なにも俺はバンドが気に食わないとかそういうことじゃねぇしさ、むしろバンドを思って言ったんだ。違うか?」
ケイはずっと俯いたままだ。ふと思い出したんだろうか、その視線は深く地面に沈んだままだ。
「それなのにさ、シュン、確かお前は俺に言ったよな。『お前、最近なんかおかしいんじゃね?』って。しかも半分笑いながら。マジあり得ねーっつーの」
口を開くべきか迷ったが、その前にトシが続きを紡ぐ。
「あのとき俺はおかしくなかった。間違ってなかった。現にそのあとのライブは散々だったろ。しかも、そのあとどうなったかだって」
スッと右手の人差し指を俺に向ける。
「シュン、この中で、てめえこそが一番よくわかってんだろが」
スポットライトのように三方向から向けられた視線に、俺は耐えきれなくなった。さりげなく目を逸らすと、まだ昼だっていうのにあまりにも暗い空が目に映る。これから雨でも降るんだろうか、なにもかもがいちいち陰険だ。
「シュン」
「・・・なんだよ」
「こっち見ろよ」
顔を上げた先には、ついさっきまで激昂してたとは思えないくらいに穏やかな、しかし凛々しい表情のトシがいた。
「俺は言いたいこと全部言った。さあ、次はお前の番だ」
「そうか」
ゆっくり、俺は前へ進み出る。トシは黙ってそこに立ってる。
『お前、最近なんかおかしいんじゃね?』
『なにが?俺間違ってるか?』
俺は確かに言った。おかしいのは俺のほうだ。
『次のライブはやめた方がいいだって?大丈夫かお前』
『俺は絶対その方がいいと思うぜ』
なおもトシに向けて足を踏み出す。ゆっくり、一歩一歩。
『なんでだよ』
『間違いなく、メンバーそれぞれの心がバラバラの方向を向いてんだ。そんな状態でライブやってもつまんねぇって。絶対上手くいかない』
『誰もバラバラじゃねぇよ。なにを突然言い出すんだよ。ふざけんなよ』
『ふざけてねぇよ!』
あのときもトシの目は、そう、今みたいにこんな鋭く俺を貫いてた。珍しく、トシがそんな強い目を見せたんだ。
『いいか、ライブは必ずやるからな。バラバラだなんて、お前のただの思い込みだ』
違う。トシが言った通りだった。実際に、一ヶ月後のライブは最高に大失敗だった。それぞれの鳴らす音は空中分解して共鳴せず、最後まで一瞬たりとも調和することはなかった。そしてそのあと、一つの音を切り捨てたがために、全ての音のベクトルがあっさりと、バラバラに離れてった。
『・・・どうなっても俺知らねぇからな。責任取れねぇわ』
『おいトシ!トシ!』
トシのその言葉をまともに聞いてれば、今はこんなことにはなってなかった。後悔と自責の念が沸き上がる。
今更謝るのもなんか遅い気がする。けれど、謝らなければ収まらない。究極のジレンマ。
「どうなっても知らねぇよ、あのときお前そう言ったよな」
違う。そんなことが言いたいんじゃない。俺はそんなことが言いたいんじゃないはずだ。でも一度開いた口は意思に反して、立て板に水を流すかのようにサラサラと言葉を繋いでしまう。
「ああ、言ったよ。俺は確かにどうなっても知らねぇからな」
「・・・そうかよ」
「てめえが独断で決めるようなこと、俺はマジ知らねぇよ。責任取れねぇわ。そうだろ?」
「・・・おう」
確かにトシが言うことは正論だ。俺はそれを理解できてるつもりだが、俺の脳は意に反するかのごとく、裏の思考を紡ぎ出す。
-お前だってメンバーだっただろ。
違う、そんなことは関係ない。俺が独断で走った話だろ。ならばトシが責任持てなくたってそれは当然の反応だろ。
-一人で逃げる気かよ、お前。
それはただの勝手な責任転嫁だろ。落ち着いて考えろよ、俺。
-お前、マジ自分勝手すぎんだろ。
そっくりそのまま俺に返してやりたい。違う。落ち着いて考えろ!
真の自分と脳内の自分の戦いは、収まる気配がない。自分の考えが間違ってることなんて、充分理解してるはずなのに。ヤバい、どうかしてるぜ、俺。
『てめえのせいだろうが!』
あのライブの直後、舞台袖で俺に掴みかかったトシを思い出す。ライブハウスのスタッフの仲裁を振り払い、彼はなおも俺に突っ掛かった。
『だから俺は何度も言っただろうが!やめとけって、てめえなんで聞かなかったんだよ!』
突然のトシの爆発に思わず面食らったのと、ライブのあまりの大失敗に対するフラストレーションで、俺は咄嗟に、謝らなければいけないべき場面なのに真っ向から立ち向かってしまった。
『なにがやめとけだ!お前だって散々ミスっただろ!やる気あんのかって、そりゃお前に訊きたいよ!』
怒鳴り返す。ケイも、他の二人も、止めようともせず、ただ押し黙ったまま様子を伺ってるだけだった。あのとき誰かがなにか言ってれば-いや、やっぱ俺が謝ってればよかったんだ。大失敗も糧に出来たに違いない。もっと言えば、トシの忠告をまともに聞いてればよかった-
「トシ」
それでも、俺の中のなにかが抑えられない。沸き上がるものを鎮められない。
「本気で言ってんのかよ、それ」
「本気以外になにがあるってんだよ」
嘲笑うように鼻を鳴らしながら、挑発的に目を剥いてみせる。さらに俺は自分の血の激しい流れを感じた。
「その言葉に嘘はないだろうな」
確かめるように、しかし最後に自分を塞き止めるように、問いかける。その問いは、果たしてトシの嘲笑を増幅させるに止まるだけだった。
「なに言ってんだてめえ、嘘もなにもあるわけねーだろ。頭大丈夫か?」
もう、限界だ。
ブチッ。ブチブチッ。なにかが鋭利で甲高い音を立てた。なんだ。なんの音だ。いや、聞かなくたって分かる。
仕方ない。俺は自分の脳に従うことにした。
さらに一歩、ゆっくりと踏み込んだ。もうトシは目と鼻の先だ。
息を吸う。
「トシ」
「んだよ」
トシが軽く身構えた。警戒の色を隠そうともしない。
「お前こそ・・・」
顔を上げ、トシの目を睨み付けた。
「お前こそふざけんじゃねぇよ!」
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