第3話

 

 マキナと安脇と尋問に近い状態で話をした数日後、俺は軽音部の部室にいた。隣にはユキが寝転んでる。コイツも、俺を悩ませ掻き乱す一因なんだけど。

 恋患う俺にとっての唯一と言ってもいい安息の時間は、この軽音部という名のほとんど廃人部に浸るときだ。たまに部室に顔を出さないときにメンバーや先輩たちから叱られるのが珠に傷だが、新入部員の中では数少ないバンド経験者だから、さほど行くのが嫌になるようなことはない。第一八割がた安息の地だ。

 9月には文化祭を控えている。その前には体育祭が6月にある。体育祭の後夜祭で、俺たち1年生はステージに上がることはないだろうけど、文化祭はきっと出番があるはずだ。できればオリジナルで会場を盛り上げたいな、といつしかユキと話はしている。ところが今の時点でもユキ以外の他のメンバーさえも決まってないのが現状だ。

「おいユキ」

 隣でただ寝そべるだけのユキに声をかける。ドラムスティックを握って寝転んだ姿勢のまま、ユキは顔を向けた。さっきまで軽くドラムを叩いていたが、それだけで疲れたような顔を見せている。

「どーするよ。このままじゃ俺ら、正真正銘の廃人だぜ、おい」

「ああ・・・」

 一呼吸置いて、

「簡単にメンバー見つかればラクなんだよなあ」

「それできてりゃ俺は今頃こうやってお前が軽く叩くのをただ見つめてボケッと座り込んでないだろーが。今寝転んでるけど」

 二人で顔を見合わせ、苦笑する。確かに俺らは入部以来ずっとこんな感じで、メンバーを探そうと努力したことも一度だってない。頭の中ではやるべきことを理解しているが、なかなか腰が上がらないんだ。

 高校に入ったら、飛びっきりの恋をして、ステージで歌ってライブハウスとかにも行って・・・描いていた理想の高校生活は、入学わずか一ヶ月強にして早くも大幅に崩れ去ろうとしていた。

「なあシュン」

 不意にユキが俺を呼んだ。寝転んだ姿勢はキープしたままだ。

「お前の恋してる人ってさ、どんな人なの」

 -いや、どう答えろと仰るんですか。

 あの電話からはもう数日経ってる。結局、気になるあの言葉の続きはまだ聞けてない。ただ、俺が恋してる相手がマキナだと分かれば、ユキとはきっと修復不能なほどの仲違いになるだろう。ユキが断じて許すはずがない。

 ユキは静かに俺の目をを見つめ、答えを待っている。隣の部屋からは、エレキギターの甲高い響きが聞こえてきた。しばらくその音を聞き流す。

「ユキ」

 考える。だが、どうしたって答えられない。ユキは大事な親友だ。

「今から探しに行かないか、メンバー」

 答える代わりに話を大きく逸らし、渾身の笑顔で誘う。親友だとしても、少しでも隠さなければならないことだってあるんだから。

「じゃなきゃ理想のオリジナル、いつまで経ってもできないだろ。な?」

 なにかを感じたのか、それ以上はユキも全く追及してこなかった。


 ※


「探すってよ・・・お前、アテあんのか?」

「まあなんとなくだけどね、それなりにあるさ」

 パラパラと生徒手帳を開きながら答える。実は軽音部に入るって決めてから、部室に貼られたリストを見て密かにメンバー候補をメモしていた。

「とりあえず、まだいるかどうか、校舎の片っ端から探してみるしかないな」

 並んで歩くユキは、俺よりもほんの少しだけ上背が高い。窓から射し込む光に照らされたその顔には、若干の気だるさが残っている。

 リストの一番上には、ケイ-輪湖桂珠わこ けいじゅの名前がある。安脇と同じクラスだ。いつの時代もバンド結成で一番苦労するのはベース探しだが、俺は彼がベーシストだということを知っている。何故なら彼とは同じ中学だったからだ。

「とりま、安脇のクラス行くぞ」

「・・・今から安脇に会いに行くのか?」

「んなわけねーだろバーカ」

 安脇のクラスってだけでかなり気が乗らないから、ケイを見つけたらさっさと連れ出してやろうと思っていた。

 しかし災難なことに、教室に着いてみると、安脇と彼女の友達しかいなかった。肝心のケイはいない。行方を尋ねるために仕方なく安脇に声を掛けようとしたとき、

「あ、荒神君!」

 なんと安脇のほうが先に俺らに気付いた。何とも嬉しそうだが、残念ながら俺はお前に会いに来たわけじゃない。

 片手をさりげなくひらっと掲げると、

「ケイどこだ」

「・・・ケイ?」

 知らない名前だといわんばかりの様子の彼女は、周りの友達に、誰?と尋ねる。しかし誰も分からない。当たり前だ。今気付いたが、ケイなんて俺くらいしか呼ばないからだ。

「・・・わり、輪湖桂珠知らない?」

「あー、輪湖か!輪湖ね!」

 安脇の周りから声がした。輪の中の一人が続ける。

「輪湖ならきっと図書館ね。いなかったら帰ってるよ」

 -あいつが図書館?

 あまりにも意外すぎて戸惑いながらも、礼を述べ、二人で図書館へ向かう。背後では輪の中から、あれがチハルの好きな荒神君?かっこいいじゃん!チハルと付き合っちゃいなよ!と歓声が上がり、勝手に盛り上がっていた。鬱陶しささえも覚える。

「おい、図書館の中じゃ話できねーだろ。どーすんだよ」

「バカかお前。図書館の外まで連れ出せばいいだろ」

「だいたいその輪湖ってやつ、お前の知り合いなのか?」

「そうだよ」

 突然ソワソワし始めたユキの左腕を、ぐっと直感的に強く掴む。

「離せ!今日は兄貴が早く帰ってくるんだよ!」

「どーせバンド仲間になるんだからよ、きちんと顔合わせしとけって」

「苦手なんだよ!俺は初対面なのにお前は知り合いってシチュエーション!最悪じゃねぇか」

 散々抵抗したが、最後は抗う気力もなくなったようで、観念した。俺だって我慢して安脇に話しかけたんだ、頼むからそれくらいはユキも我慢してくれよな、と心の中で呟く。

 だが、不意にまた安脇を執拗に避けようとしたことに気付いた。

 -別に意識なんかしなくていいのにな。

 なんなんだ、この奇妙な感覚は。思考回路という迷路の中で、さまよい漂う自分の姿が行方不明になるようだ。

 -まさか・・・俺、意識してんのか!?

 いや、これ以上考えるのは怖くなり、震える自分を迷路の中に置き去りにしたまま意識を反らした。ちょうど図書館にも着く頃だ。

 この中に久々に再会する友がいると思うと、何となく落ち着かない。入学してからなかなか会えないままゴールデンウィークも過ぎた。しかも彼のクラスが分かったのは安脇にコクられたあとだったので、わざわざ会いに行く気にもなれなかった。卒業するときに変えたという連絡先も聞きそびれたから、高校進学後は一切関わってない。

 再会へのわずかな戸惑いと大きな喜びを胸に、俺は大きく扉を開けた-


 ※


「・・・シュン」

「・・・なんだ」

「・・・確か、図書館にいないなら、帰ってんだよな?」

「・・・そう、みたいだな」

 図書館の中に懐かしい友達の姿はなかった。つまり、彼は帰宅していたわけだ。

「てんめぇ・・・」

 隣でユキが荒ぶりかけている。

「まあ待てユキ、何事もこうやってトライが必要「そういう話じゃねーだろ!」分かった分かった悪かった!」

「兄貴に怒られるリスク背負ってまでわざわざ来てみたら既に帰ったってなんだよ!こっちは思いっきり拍子抜けじゃねぇか!」

 どうやらあれはただの逃げ口上ではなく事実だったようだ。俺はユキに深くお詫び申し上げた。

「しっかしなあ・・・どーせ遅れるならもうとことん遅れてやるかー」

「毎度毎度結局そーなるんだなユキ。投げやりもどうかな」

 二人して笑う。放課後の帰り道でユキがこうなったときのパターンは、いつも決まってる。まだまだ何人か当たりたい候補はいたが、今日はユキにとことん付き合ってやろうと決めた。

「ラウワン、行くか」

 結局ラウンドワンでボウリングになる。

「まあ、俺ららしいっちゃらしい過ごし方だよな、これも」

「んなことばっかやってっからあっという間に金すっ飛んでんだよ。あーあ、また兄貴から嫌々借金しねーと」

 嫌そうな顔がまったくの演技だということも、このひと月ほどの間で学んでいる。

「んじゃ、行くのやめるか?」

「そりゃねーだろ!悪魔かお前!」

 学校の最寄り駅である新橋からゆりかもめに乗り、お台場へ向かう。寄り道は校則違反だが、基本的にバレてもそこまで咎められないらしい。同じ軽音部の上田とかいう先輩から聞いた話だ。

「なあ」

 ユキは窓越しに迫り来るレインボーブリッジをまじまじと眺めながら、不意に口を開いた。

「俺さあ、なんでマキナと別れたんだろ」

「そりゃ、マキナに一方的にフラれたからだろ。なにもユキのせいじゃない」

「フラれたのは俺がなんかしたからだろ。それがなんなのか分かんねぇんだって」

 そういえば、ゴールデンウィーク明けにユキから不意に別れたことを報告されたとき、「原因不明すぎる」とかなんとか言ってた。突然マキナから別れ話を切り出された、と告げるユキのあまりにも淋しげな横顔を、ふと思い出した。

「お前はいったいマキナのどこが好きだったんだよ」

「・・・さあ?」

「さあじゃないだろ。じゃあなんで付き合い始めたんだよ。わざわざ志望校のランク落としてまで同じ高校にも進学したのにさ」

「なんでか分かんねぇけど、それくらい好きだったんだよ、あいつが」

 もうこれ以上語りたくないと言わんばかりにふてぶてしく両腕を広げて見せた。俺だって親友の失恋話を根掘り葉掘り聞き出すほど無粋な人間ではない。さっき深追いしないでくれたせめてもの礼に、俺は黙り込むことを決めた。


 ※


 台場駅につくと、とうに5時を回っていた。このあと兄貴の待つ家に帰宅するユキのその後を思うと、とてもじゃないけど笑える状態じゃなくなってきた。

「なあユキ」

「あん?」

「ほんとに帰んなくていいのか?」

「・・・な、なにを今更言って」

「声震えてんぞ」

 まあ気持ちはわからなくもない。っていうよりかよくわかる。

「今頃言ったってもうお台場着いただろ!引き返せないだろ!」

「まあそりゃそうだわな」

 ぶつぶつ言いながらもゆっくりと台場駅の階段を改札口に向かって降りていた、まさにそのとき。

 俺らの目の前から一人の男が登ってきた。俺らと同じ制服を着てる。だいたい170センチより少し高いくらいの上背で、セミロングの前髪だけが明るいオレンジ色。大胆に緩んだネクタイの隙間のYシャツの下からは銀色のネックレスが覗く。明らかに、この台場駅で俺と同じくらいに、いやそれ以上に目立ってやがる。

「シュン、あいつ、うちの制服だよな」

「・・・ああ」

「あんなド派手なヤツ、うちにいたっけなー」

 いや、俺はそいつを知らないわけがない。髪の色こそ記憶と違えど、まさにさっきまで俺らが必死で探してた人間だ。

 互いの距離が徐々に近づく。

 -ケイ。

 あと2メートルくらい。

 -ケイ。俺だ!

 心が叫んでる。

 さらに近づく。すれ違うまでにさほど時間はいらない。

 そして、彼がこっちに気付いたのは、すれ違うほんの寸前だった。チラッと横を見た彼と、視線がぴったり合致した。

 その間、およそ2秒。

「・・・シュン?シュンじゃん!お前シュンだよな!」

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