fate
第1話
「おーいシュン!」
軽く机の脚を蹴られて、我に帰る。5月の陽気、今は昼休みだ。
「なんか生気ない顔してんなあ・・・」
「いやいつもの顔だからほっとけよ」
俺の目の前にいるのは大親友の
「いやいや、なんか遠くの惑星まで行ってきたみたいな顔だぜ?」
「どんな顔だよ!お前やってみろよ」
「いや、まるで・・・そうだな」
やや思案したあと、突拍子もなく、
「そう、恋に落ちた乙女のような!」
飲んでたお茶を吹き出しかけた。ご名答だユキ、確かに俺は今まさに恋に落ちてる。それも、お前の元カノにな。
「あれぇ?まさかお前・・・」
「あんだよ」
「マジで恋して「いやないからねそんなこと」わざわざ被せなくてもいいだろうが!」
台詞を被せて全力で否定する。ここでコイツに察知されると、かなり厄介だ。外交問題になりかねない。
「なんかシュンさあ、さっきからヤケに全力で否定するなー」
「ったり前だろ!恋なんて俺からしてみれば程遠いんだって!」
「よく言うよーシュンのくせに。お前、なにも知らないのか?」
はあー、と長く深い溜め息を吐き、
「別に何も」
素っ気なく、突き放すように返してやる。 するとユキは突然嬉しそうな顔で、
「2組の安脇、お前のことまだ好きなんだってよ」
こっちの事情は全く考える気がないらしい。
安脇っていえば・・・思い出したくない。
「この前フッただろ、コクられたときに」
「よく知ってんな」
「さっき本人から聞いたからな、『荒神君にもう一度告白したる!今度こそ振り向かせたる!』って意気込んでたぜ」
「厄介だなー・・・ってあいつ関西弁なんか喋んだな」
「いや、語尾は俺氏独自の脳内変換によるものだから、本人とは一切関係ないけど」
・・・・・。まあ、どーでもいいけど。
「だいたい安脇だけじゃないぜ?お前のこと好きなヤツ、学年外でも案外少なくないらしいな」
「なんとなくそんな気はするけどな、うん」
「おいおいおいおいシュンさーん!」
実際、女子がなにも話しかけてこない日はないと言ってもいい。なんだかんだで俺から話しかけることも少なくない。しかもよく廊下で女子からの視線を感じるが、決して敵意や悪意のある視線ではない。
「まさかの早速モテる宣言かー!?」
大声で囃し立てるユキの頭を引っぱたくと、
「あのなあ、俺はモテたいなんて思ったことないからな!断じて!」
実際は真っ赤な嘘だが、好奇の目でこっちを見てくる男女の意識を反らしたいがためだ。特に女子の厄介さは身をもって理解している。小さな恋バナは、いつしか某週刊誌並の誇張と装飾によって原形を失くし、大きなスキャンダルとなって上にも下にも光の速さで駆け巡る。入学1ヶ月早々で、それだけはマジで勘弁してもらいたい。
「でもさあ、噂の安脇はどうなんだよ?え?本音でな!」
「バカ、話題になってなんか・・・」
「どうなんですか荒神さん!」
レポーター気取りで有無を言わせぬようなプレッシャーをかけるユキを前に、なにも言えなくなってしまう。
どうにか振り切るためのカードに選んだのは、およそ互いの墓穴を掘るかのような質問だった。
「そういうユキの事情はどうなんだよ?」
訊いた直後に、内心焦った。ユキにとってはきっとタブーだし、第一俺にとってもかなり危険な地雷だ。
-ヤバい、どうこの場を取り繕うか・・・
嫌な予感を感じ、咄嗟にどうすべきか思考回路を回す。ユキに悪夢を思い出させるのも、俺が間違って恋患いを口にするのも、どっちにしろ避けなければならない。
だが案外ユキは気にしてないようだった。
「まあ、あの黒歴史はな・・・うん」
苦笑いはしたものの、バツが悪そうに目を細めるだけだ。よかった。
「まあ、いい思い出なんじゃね?」
「ユキのそのポジティブ精神、マジリスペクトだわ」
あはははは、と二人して爆笑する。
こんなユキはきっと、俺がコイツの元カノに恋してるなんて知らないだろう。二人にとってなんともいえない救いだったのは、そのときユキの元カノであるマキナが教室にはいなかったことだ。
※
いつも決まって放課後までの二時間の授業は、ただただ苦痛のひとときでしかない。火曜日の午後なんて特に、古文と数学という超弩級の睡眠誘導科目が揃ってる。中でも古文は余計に最悪だ。起きてるのが精一杯だから、頭は別のことを考えている。そして自然と目線もあらぬ方向へ行く。
マキナ-
肩まで掛かる茶色いロングヘアーの毛先を弄りながら、彼女は机の下でスマホを操作していた。また誰かとLINEでもやってるんだろう。あるいは新しくアカウントを作り直したというTwitterか。いずれにせよ、彼女のだいたいの授業での過ごし方であり、さほど新鮮味も感じない。
よく考えてみる。どうして俺はコイツのことを好きになったんだ。どこが好きなんだ。よりによってユキの元カノなのは何でだ。
そもそも、「あのとき」がどうして恋に落ちた瞬間だったのか分からない。落ち込む彼女を見て恋に落ちる自分が不思議でならない。というか、怖い。衝動的な恋ならば、今頃には既に醒めてるはずだ。
「コラ、宮路!」
古文の竹原の鋭い声が響く。見た目は60代だが実年齢は50代前半だという彼の目は、俺の斜め前の席のマキナをはっきりと捉えていた。
「さっきから机の下で何をしている!」
どうやらスマホがバレたようだ。しかし当のマキナは全く動じる素振りも見せない。
「出しなさい」
竹原の鋭い声。有無を言わせぬ威圧だ。
しかし、マキナは怯みもせず、恐ろしいほど落ち着いて口を開いた。
「あたし何かしてました?」
-いやいやいくらなんでもそれは白々しすぎんだろ!?
内心、鋭いツッコミを入れる。バレてもなお図太く抗議する彼女の姿は、一目であまりにも白々しいって分かる。
「じゃあ、机の下にあるものを出しなさい」
「はーいはい」
不服そうに気だるく返事した彼女がおもむろに手を上に動かした。
-さすがにバレてんだろ、机の下でも。
ところが、おもむろに挙げた彼女の手には、古文のテキストが握られていた。
「あー、コレっすかねー先生」
あっけらかんと彼女が言うと、竹原は唖然とした顔で見つめた。そりゃそうだ、彼女の手にはさっきまでスマホが後生大事に握られてたはずなんだから。
驚愕と不満の表情を残しながらも竹原は、渋々マキナに席に座るよう指示した。
「マジなんだったんだよ」
怒気を孕ませて小声で呟く彼女の仕草は、明らかに演技だ。竹原もよく見抜けなかったな。節穴なのか。
しかし席についたマキナは、再びスマホを取りだし、性懲りもなく操作し始めた。
こんなヤツに恋してるなんて、きっと今の俺、最高にクレイジーだ。
結局その後はバレないまま古文の授業は終わった。竹原はマキナを一瞥すると、なにやらまだ不満そうな顔つきで教室から出ていった。それもそうだろう、あのときのマキナの動きは誰が見ても明らかに怪しかったんだから。
竹原がいなくなるや、マキナが俺の席にやって来た。笑顔が綺麗だ。
「ういーっす」
「ういーっすじゃねーだろ。よく竹原に目眩ましできたな」
「見てたのかよ!」
「なんつーか、たまたま視界に、な」
マキナが苦笑しながら俺の頭をはたいた。
「ちょっとねー、あんたのためにあたしはリスキーな仕事してたんだからね。少しは感謝しなさいよ」
「はいはいどうも・・・って俺のためってなんだよそれ」
マキナは悪戯っぽく笑う。どうしてマキナがTwitterするのが俺のためになるのか分からない。
「じゃーん」
マキナに差し出されたスマホの画面には、安脇とのLINEのトークが表示されている。Twitterじゃなかったんだ。
「お前安脇と仲良かったんだな!って、あいつ委員長だろ・・・おい委員長さん・・・」
「そうやって固いこと言わない!委員長でもたまには道を踏み外すことだってあんの!」
「これがどうした?俺にフラれたことを根に持ってるみたいだから屋上から突き落とされてこいってこと?」
「ちゃうわ!」
小突かれた。目の前のマキナがゆっくりと指を動かす。床を差した人差し指がいったい何を意味しているのか、全く理解できない。
「放課後、別にいいっしょ?」
「いや地獄に堕ちるのは放課後でも嫌痛い痛いわかったわかった!」
喋ってる途中で右腕に間接技をキメられた。とても痛い。コイツ、どこでこんな技覚えたんだ。
そういえば、俺が知ってるマキナの情報は、ユキから聞いたものと、直に見たものだけだ。それも少ない。あまり興味がなくて聞き流していたのを後悔した。
「で、放課後どこに来いって?」
「正門。委員会も部活もないみたいだからチハルも早く帰れるみたいだし、数学終わったらすぐ待ち合わせね」
「待て、終礼は」
俺らの学校には、下校前に終礼という謎のものが存在する。なんとも生産性のない時間だが、すっぽかせば後から面倒なことになる。担任の朝井が面倒な人間だから、余計に厄介だ。
チッと軽く舌打ちしたあとで、
「そういやあんた、部活はあんの」
一転してぶっきらぼうに尋ねてきた。
一瞬考えたあと、
「あとでユキに訊いてみるわ」
ユキの名前を出した直後、咄嗟にマキナの顔を伺う。しかし、その顔からはなんの感情も伺えなかった。安心した。
「今叩き起こして訊けよ」
多少言葉に棘はあるが、それは彼女にとっては普通の対応の範疇だろう。
今コイツはユキをどう思ってるんだ。もうユキの顔も見たくなくなっただろうか。
「じゃ、遅刻したら罰金な!」
明るく笑って、マキナは去っていく。同時くらいで教室に数学の津田が入ってきた。
結局ユキに部活について訊くことが出来ないまま、今日最後の授業が始まってしまった。
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