14.七夕祭り(3)

「……なにを、している……!!」


 床板を踏み抜きかねないほどの大きな足音。目を開けずとも、声の主がだれなのかはすぐにわかった。ひどく怒りをにじませた声。先ほどまで祭りの神事を執り行っていた優のものだ。


(飛焔から離れないと……また誤解されてしまう……!!)


 ぼうっとする頭の隅、必死で彩花は思考を巡らせる。前回のように誤解されてしまえば、今度こそ優は彼を御使いとして認めてくれないかもしれない。そうなる前に早く、彼の腕からでてしまわなければ。だがそう焦る彩花の意思に反して、抱き込む飛焔の腕の力は強くなるばかりだった。


「なにも。彼女がひどく混乱していたので、休める場所に連れていこうとしただけだ」


 落ち着き払って答える飛焔に、優が彩花を見る。じっと品定めするような視線。返事を待っている様子からするに、どうやら今回は意見を聞いてくれる気があるらしい。泣き過ぎてかすれた声を張り上げて、彩花は必死で言葉を紡いだ。


「急に体調が悪くなって……それで、歩けなくなった私を運んでくれるところだったの。休めるところに連れていってほしいと、私からお願いしたのよ」

「酷く泣いていたようだけど、本当に運んでもらっただけ? 嫌なことはされていないんだね?」

「されていないわ。泣いていたのは……ちょっとひどい頭痛がして……」


 声が上ずるのを必死で抑え、飛焔は何も悪くないと訴える。言葉の半分は嘘だが、体調が悪くなって歩けなくなったのは事実だ。問いただされるようなやましいことは、何もない。それは飛焔も同じだったようで、優の疑うような視線にも全く動じず、堂々とふるまっていた。優は二人を交互に見比べた後、確かめるような視線を銀星に投げかける。


「御使いさま。この者の言い分を信じても?」

「本当じゃ。何も偽りは申しておらぬよ」

「わかりました。ならば貴方と彩花に免じて、今回は信じましょう」


 はあ、と深いため息とともに、額を押さえながら優が答える。どうやら信じてもらえたらしい。そのことに安堵して、彩花はこわばっていた体の力を抜いた。ゆるゆると目を閉じると、どっと疲労が押し寄せてくる。安心したからか、泣き過ぎたからか。言い訳ではなく今度は本当に頭痛がし始めていた。


「飛焔どの……いや、使どの。こちらへ。彼女が休める場所へ案内しよう」


 さっと身をひるがえして、優が歩き出す。さらりと告げられた言葉に、彩花は耳を疑った。彼は飛焔を『新しい御使い』と呼んだ。つまりは、飛焔を御使いとして認める、とそういったのだ。


「優さん……彼を、認めてくれるの……?」

「彩花、体調が悪いんだろう。あまりしゃべらないほうがいい」

「でも……」

「言うことを聞かない子だね……きみは。彼は今回、立派に役目を果たしてくれた。だから僕は、柚良様に仕える正式な御使いとして彼を認めるよ」


 飛焔に抱きかかえられて運ばれる彩花には、前を歩く優の表情は一切見えなかったが、声の調子から仕方なく、といった感情がありありと感じられた。きっと今、ひどく苦々しい表情をしているに違いない。それでも、飛焔が御使いに認められたことは事実だった。


「ありがとう、優さん……」

「お礼を言われるようなことは何もしていない。僕はただ、水城神社の神主として、この町を守る最良の選択をするだけだ」


 照れ隠しなのか、優自身を納得させるために言い聞かせているのか。その物言いはひどくぶっきらぼうだったが、今まで感じていたような拒絶は声音に含まれていない。そのことが嬉しくて、彩花は感謝の言葉をもう一度繰り返した。妖に関して今まで全く聞く耳を持たなかった彼が、少しでも彼らを認めてくれた、そのお礼として。


「ここのなかへ。ああ、ひどく顔色が悪いね。君のお父様には連絡を入れておくから、ここでゆっくり休むといい」


 優の声とともに、彩花の体は柔らかいものの上へとおろされた。お日様の匂いのする、ふわふわの布団。頭を起こしてゆっくり見回すと、部屋の隅に彩花の手荷物が置いてあった。どうやら、昨晩休んだ部屋へと連れてきてくれたらしい。空調を入れ始めたばかりの部屋の空気は生ぬるかったが、頭痛と共に寒気もし始めた彩花にはちょうどいい温度だった。


『――ひい、ふう、みい、よ、いつ、む、なな、や、ここのたり。ふるべ、ゆらゆらとふるべ』


 そっと目を閉じた彩花の耳に、りいん、りいん、と澄んだ音が響く。これは、銀星の鈴の音だ。そう認識するまでもなく、玲瓏たる声が言葉をうたい始めた。ならされる音の合間、一つ一つ声が刻まれるたび、頭の痛みは少しずつ薄れていく。耳によくなじむ、銀星の低い声。言葉とともに、彼の霊力が彩花の体を満たす。銀星が言霊を唱えてくれるのは、いつぶりの事だろうか。昔はよくけがをした彩花を心配し、言霊を唱えては霊力を分けてくれていたものだった。


「ありがとう、銀星。少し楽になったわ」

「これで夢も見ず、深い眠りを得られるじゃろう。ゆっくりとお眠り」


 髪をなでる、優しい手。これは誰のものだろう、と考える間もなく、彩花は眠りのふちへと落ちていく。頭を支配していた痛みは、いつのまにかほとんど消え去っていた。


「――おやすみ、彩花」


 愛しさを込めて、小さくつぶやかれた声。けれど、その言葉は誰の耳にも届かぬまま。少女は何者にも邪魔されない、深い眠りについたのだった。

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