13.七夕祭り(2)

 すっかり聞き慣れた優の神楽笛の音に導かれ、彩花は舞台へと進む。自然に背筋がピンと伸びる。いよいよ出番だ。直前に銀星の手で髪へ結いつけられたくちなしの花が、歩くごとにまわりへ濃厚な香りを振りまいていく。その香りに、少しだけ体が軽くなった。

 一歩。また一歩。ゆっくりと中央に進む。何も目印はない。けれど、体が自然と位置を覚えていた。定められた場所へとたどり着くと、柔らかな所作で向きを変え、自分が進み出てきたほうへと向く。


 次に出てくるのは、御使いだ。まずはじめに出てくるのは、銀髪の青年。髪に結わえつけられた鈴が歩くたびに軽やかな音を奏でていた。衣擦れの音すらも、一つの音楽のように調和している。その後ろに、夕焼け色の髪をした男が続く。少し緊張した面持ちが、逆に男の精悍さを引き立てている。ちらちらと光をはじく長髪は後ろで一つにまとめられ、髪よりも少し色の明るい直衣には、複雑な文様の刺繍が所狭しと縫いこまれていた。


 見目麗しき人外の青年二人の姿に、周りを取り囲む観客たちからもほうっとため息が漏れる。耳や尻尾は隠されているので、彼らが人外のものであるということはわからない。それでも、彼らの存在は何か「特別」なものである、と思わせるほどの神々しさを醸し出していた。


「大城山の柚良様より、巫女舞をする玖珠木彩花どのへ」

「われら御使いより『鈴』を賜る」


 神楽笛がやみ、静まり返った中へ凛と響く声。並んだ二人の前で体を沈め、膝をつく。そっと手を差し出すと、ずしりと重みのある神楽鈴が乗せられた。


「その音はすべての邪気を払い、祈りは等しく神へと届く」

「祈りをうたい、願いを舞え。さすればこの町へ加護をさずけよう」

『咲耶柚良比売の名において、強き護りを約束しよう』


 口上が終わる。これからが始まりだ。一年に一度の大舞台。邪気を打ち払い、人々の祈りを等しく柚良へと届けるための、巫女舞。柚良の、大城山の女神の加護の力を、より堅固なものにするために。もう二度と守護を失わないための、何より大切な儀式だ。


 鈴が鳴る。

 笛が音色を奏でる。

 低く柔らかな声で紡がれる神楽歌に乗って、彩花の体が動く。


  どうか。たったひとりの、かみさま。

  わたしたちのしたことを、ゆるして。

  すべてをうばってしまったわたしたちの。

  たったひとつ、あなたにできるおくりものを。


 鈴の音が一つ響くたび、祈りの声が一つ生まれる。言葉になる前の、小さな音。祈りはやがて琥珀色の粒子になり、きらきらと舞い上がって鈴の中へと吸い込まれていく。

  

  ああ、われらのいとしごよ。

  わたしたちのおかしたつみを、ゆるしてくれるならば。

  あなたがさびしくないように、いのりのことばをとどけましょう。

  あなたがわらっていられるように、おくりものをとどけましょう。


(この歌は、許しを願う歌……?)


 今まで、彩花は神楽歌に耳を傾けたことなどなかった。あくまで舞うための音楽としか、とらえていなかった。けれど、今回初めて歌に耳を傾けてみて、わかったことがある。この舞と歌は、たった一人の少女を犠牲にして安寧を得た村人たちの贖罪だった。どうか私たちを許して、罪滅ぼしをさせて、とうたい、柚良へと祈りの声を届けるための舞。ただ、それだけのための。


  やまへのぼった、わたしたちのいとしごよ。

  どうか、どうかゆるしてほしい。

  いまわたしたちがくらしていけるのは、すべてあなたのおかげ。

  むらをまもり、やくめをはたしてくれた、あなたのおかげ。

  

 くらり、と頭の奥でめまいがした。どうか許して。なんて、どこまで身勝手な願いなんだろう。少女の声を無視しながら、許して、贈り物をするから、わたし達の声を聞いて、などと。どうして言えるのだろう。最初に声を聞かなかったのは、村人たちのほうなのに。

  

  せいいっぱいのかんしゃとしゅくふくをささげましょう。

  それが、あなたのねがいをきけなかったわたしたちの。

  せいいっぱいの、つみほろぼしのかたち。

  だから、どうか。これからも、かわらぬかごを。

  かごを、おあたえください――


 りいん。

 ひときわ高らかにならされた鈴の音が、舞の終わりを告げる。それと同時に、観客の上へと白い花びらが一斉に舞い落ちた。舞台の四方に立つ神職たちが、大きなかごに入れられた花びらを振りまいているのだ。大城山の神の象徴とされ、ちょうど七夕の時に花をさかせる、くちなしの花。甘やかな香りが場を見たし、観客たちはそのひとひらをつかもうと必死に手を伸ばす。これを手に入れたものは今までの邪気が払われ、向こう一年の加護を得るという。


 われさきに、と花に手を伸ばす観客を見ながら、彩花はそっと舞台の奥へと引き上げた。





「彩花、泣いてるの……?」


 ためらいがちにかけられた声は、銀星のものだった。まなじりに手をやると、確かに濡れている。自分は泣いていたのだ、と彩花はその時初めて自覚した。


「……銀星、わたし、本を読んだの。柚良さまが、どうして大城山の神になったのかを」

「知って、しまったのか……」

「どうして、誰も教えてくれなかったの」

「柚良さまが、それを望まなかったからだ。憐れまれたくないから、と」


 ほんの少し恨みがましく響いてしまった言葉は、銀星の一言で打ち砕かれた。憐れまれたくない。確かにそうかもしれない。村の犠牲になってしまった、哀れな娘。現に彩花は柚良に対して、そういう感情を持った。だからこそ、告げなかったのだろう。彩花が自分で知ろうとするまでは、知らなくてよい、と。それゆえ、皆が口をつぐんだのだ。

 けれど、彩花は知ってしまった。今更知らなかった時には戻れない。


「声が、ね……きこえるの」

「声?」

「私を見て、神様なんかなりたくない、って言ってる声が聞こえるの」


 ぽろぽろと涙を落とす彩花に、二人の御使いたちは途端うろたえた表情になった。きっとこれを言っても、二人を困らせてしまうだけだろう。けれどあの悲痛な叫びは、彩花一人で抱え込むには重たすぎて、もう限界だった。


「目を閉じるときこえるの。柚良さまの声。助けて、ってずっと繰り返してる」

「彩花……」

「どうして私にだけ聞こえるのかはわからない。でも、でもね、きっとあれは柚良さまの声よ。神様に祀り上げられる前の、人間だったときのっ……!!」


 それ以上はもう、言葉にならなかった。涙が決壊し、言葉にならない感情が泣き声とともにほとばしる。柚良は、一方的に許しと加護を願うあの舞と歌を、どのように聞いているのだろう。あれだけ声を上げても誰もこたえてくれなかった、村人たちの贖罪の歌を。


「本の残留思念を読み取って、共鳴してしまったんだな。一人で抱え込むのはつらかっただろ」

「――我慢するな。気が済むまで泣くといい」


 ふわり、と抱きかかえられた感覚に、彩花が泣き濡れた目を見開く。気付けば、彩花は飛焔の腕の中にいた。力強い腕と、温かいぬくもり。今は何も見なくていい、ただ泣けばいいと、優しく言い諭す声が聞こえる。いつもの彩花であれば、恥ずかしさで逃げてしまったかもしれない。けれど、今は無性にそのぬくもりにすがりたかった。


 わあああ、と泣く自分の声が遠くに聞こえる。どうか、泣くのはこれで終わりにするから。事実をしっかり受け止めて、前へ進むから。だからどうか、今だけは。

 そんな思いを見透かしたかのように、彩花を抱く腕に力がこめられる。銀星とはまた違う、骨ばった腕、厚い胸板。やがて泣きつかれて頭をもたせかければ、かすかに鼓動を刻む音が響く。


 安心感と心地よさに、彩花がそのまま眠りにおちようとしたとき。

 意識の中に、最大の不機嫌さと、怒りをはらんだ声が飛び込んだ。

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