12.七夕祭り(1)

 少女が、叫んでいる。

 どうか、だれか、わたしをみて、と。

 ごうごうと吹き荒れる風の中、必死で声を張り上げて。ただひたすらに、助けを求めている。少女の姿はもやの中に包まれていて、見ることはできなかった。その声はひどく傷ついた幼子のように甲高く響き、びりりと空気を切り裂く。どこか聞き覚えのあるような声は。大きく張り上げすぎて声がひび割れるのも構わずに、何度も、何度も、ただひたすらに、繰り返している。


 いや。いや。おねがい。いきたくない。

 わたしはにんげんのままでいたい。

 かみさまになんか、なりたくない。

 ねえ。ねえ。だれか。

 だれでもいいの。わたしをみて。

 わたしをたすけて――……!!



 目を覚ますと、そこは見慣れぬ部屋だった。水から上がった魚のように、息が苦しい。うまく空気を吸えなくて、はっ、はっ、と肩で息をする。じっとりと体に張り付く衣服がうっとうしい。

 ここはどこだっけ、とまわらぬ頭で考える。自室とは違う、畳の部屋。七夕祭前の潔斎のため、水城神社に泊まっていることを思い出したのは、数拍置いたのちの事だった。


(また、あの声だ……)


 昼間きこえた声と同じもの。わたしをみて、たすけてと少女が叫んでいる。

 全身を震わせる、魂の叫び。誰かに向けて放たれた、最後の言葉。

 それがだれのものなのか、彩花はだんだんと理解しつつあった。

 なぜ、自分にその声が聞こえるかはわからない。残留思念を感受してしまっているだけなのか、誰かの意図で残されたものなのかも、判別はできない。けれど、どういう形であるにせよ、彩花が聞いている声は、彼女のものに違いないという確信はあった。


「柚良さま……」


 大城山を総べる神。村人の手で祀りあげられた、一人の少女の。

 神になりたくない、と。人間のままでいたいとただひたすらに希う、魂からの叫びだった。





「あまりよく眠れなかったのかい、彩花」

「少し……考え事をしてしまっていただけ。大丈夫。きちんと役目は果たすわ」

「無理はしないように。何かあったら、すぐいうんだよ」


 朝に顔を合わすなり、優は眉をひそめて渋い顔をした。昨日の夜、寝てはうなされて起きることを繰り返していたせいで、彩花の目の下にはくっきりとくまができてしまっている。どうにかごまかせないかと起きてすぐに鏡の前で粘ってみたものの、その努力も空しくすぐに見破られてしまったらしい。

 彩花をとがめたいのではなく、心配しているのだ、ということは理解できたので、放っておいてと突っぱねることはせず、嘘を言わない程度の説明をする。それに対してあまりいい顔はされなかったが、納得はしてくれたらしく、あまり問いただされずに解放された。


(そばに、白藍がいてくれたらなあ……)


 ふと、親友の妖を思う。神社は結界に守られているので、御使いでもない一介の妖は立ち入ることはできない。寝不足で思考が鈍る中、彼がいてくれたら、と願いの欠片が無意識にこぼれた。大丈夫だ、と一言笑い飛ばしてくれれば。彩花は考えすぎなんだ、と叱ってくれれば。それだけでいいのに。目を閉じれば聞こえてくる声と、自分の果たさなければいけない役目と、柚良の事。今は目の前の役目に集中しなければ、と思うのに、いろんなところに思考が散らかって、いつまでたってもまとまらなかった。


「彩花さま。食事の準備が整いました。さあこちらへ」


 部屋の隅でぼうっとしていると、神職見習いの一人に声をかけられる。こんなことではいけない、と自分を叱咤し、彩花は思考を切り替えるべく立ち上がる。ただいま参ります、と声をかけると、先導の青年は身をひるがえして歩き出した。


(柚良さまの事はいったん忘れて、できるだけ考えないようにしよう)


 そう自分にひたすら言い聞かせて、彩花も歩き出したのだった。





 遠くから神楽の音がするのを、彩花はただ静かに聞いていた。準備や出番待ちに使われる部屋へてきぱきと出入りを繰り返す神職者や見習いたちを見る限り、昼過ぎから始まった七夕祭りは今のところつつがなく進んでいるらしい。優とは朝会ったきり、全く顔を合わせていなかった。

 もうすぐ自分の出番だ。緊張しているのか、少し胸が苦しい。普段あまり人前に出ることのない彩花にとって、何度こなしても慣れるのない役目だ。いったん始まってしまえば、舞いに集中するので緊張は忘れてしまうのだが、出番が来るまでの間、緊張にさいなまれながら待つのが一番苦手な時間だった。


「御使い様の御着き――!!」


 ふいに、一人の声が飛び込んできた。祭りに参加する御使いの到着を告げる声に、にわかに室内があわただしくなる。ほどなくして、見慣れた顔が二人、部屋へと案内されてきた。見知った顔に、少しだけ体のこわばりが解ける。薄青の衣に身を包んだ銀髪の青年と、茜色の直衣の男。銀髪の青年は部屋へ案内されるや否や彩花のほうへ駆け寄り、わああっと声を上げた。そういえば家に引きこもってばかりだったので、彼らに会うのは久しぶりだったと思い出す。


「あいたかったぞ彩花ー!!」

「銀星と……飛焔。お役目ご苦労様……わっ!」


 名前を呼ばれると同時に、ぎゅむ、と遠慮なく銀星に抱きつぶされる。ちょっと会えない期間が長くなると、すぐに心配性の彼はこうやってスキンシップを図る。彩花もそうされるのは全く嫌ではないので、いつもされるがままになっているのだが、今日はことさら長かった。それどころか、飛焔までなぜか抱きつぶされている彩花の近くに来て、頭をぽんぽんと撫でていく。その触れ合いはもう終わりと彩花が宣言するまで、しばらく続いた。


「彩花、全然山に来ないから心配してたんだぞ。また少しやせたんじゃないのか」

「ふむ……俺から見ても少しやせたように見えるな。もっと食べなければ」

「二人とも。そんなことないわよ、ちゃんと食べてるもの。気の所為よ」

「彩花の大丈夫は全く信用できないからなあ」


 一呼吸おいてから、今度は彩花の心配をあれやこれやとしだす御使いたちに、彩花はあわてて大丈夫だと答えた。嘘やごまかしなどではなく、本当にちゃんと食べているのだ。ただし、例年に比べれば、の話ではある。いつもなら夏バテにやられている時期だが、今年はなぜかそこまで体調を崩していない。その理由の一つとして、神社に足を運ぶと同時に、優へあれやこれやと世話を焼かれていたことがあるだろう。その点については少し癪ではあるが、祭りが終わったらきちんと感謝の気持ちを伝えようと彩花は決意した。


 ああでもそのまえに、と彩花は現実に思考を引き戻す。周りが全く見えていない銀星を見かねてのことである。雫石や市伊がいない中、これは自分にしかできないことだ。大きく彩花は息を吸い込むと、銀星の顔を覗き込み、小さい子に言い聞かせるような口調で語りかけた。


「あのね、銀星。いうのが遅くなったんだけど、ここではあんまりいつもみたいにお喋りしすぎないようにしてね。御使い様の威厳が台無しになるから」

「なにおう……! この俺からあふれ出る威厳が――」

「それそれ、そういうとこ。ほら、周りの人たちがみんながびっくりしてるから」

「ぐぬぬぬ……」


 会ってそうそう一か月ぶりに親友と再会した女子高生のようなテンションではしゃぐ銀星に、部屋の神職やその見習いたちは皆あっけにとられて成り行きを見守っている。一番最初がこれだったらもう手遅れかな、とも思いながら、彩花は一応くぎを刺しておこうとため息をついた。

 銀星は去年初めて七夕祭りの御使い参列を任されたので、今年で二年目である。去年は雫石とともに参列したため、うまく彼女がコントロールをし、御使いの威厳を保っていたのだが、今回の共は飛焔だ。抑えとしての役目は期待できそうにないなあ、と遠い目をしながら彩花は周りであっけにとられる神職たちにぺこりと頭を下げた。


「お騒がせしてすみませんでした。どうぞ、お仕事にお戻りください」

「は、はい……それでは御使い様方、出番が参りましたらおよびいたしますので、それまでごゆるりとおくつろぎください」

「お役目ご苦労。それではしばしの間、世話になるぞ」

「先ほどは騒がせてすまなかったな。よろしく頼む」


 とたん真面目な顔で話しだす御使いたちに、もう今更遅いんじゃ、という突込みは心の中でとどめておくことにした。神職たちも、最初のは何も見なかったことにしようそうしよう、とばかりに目をそらし、言われたとおり仕事へと戻っていく。彼らも、多少はあれど能力があり、神職に従事する者たちなので、ある程度の妖に対する自由さに理解は持ち合わせている。たとえそれが、神からの使いとされる者たちであっても。


「彩花、くれぐれもこのことは雫石に内密にしてくれよ? こっからはちゃんと御使いらしくしとくからさ……!」

「銀星……雫石姐さんにはよくよく伝えておくわ」

「うむ。俺からも言っておこう」


 こそこそと手を合わせて頭を下げる銀星に、彩花ははあ、とため息をつく。ここで甘くしちゃだめだ、とにっこり笑う彩花と、頑張れ、という目をした飛焔。二人にあっさり敗れた銀星は、己の負けを察したのだろう。素知らぬ顔で他人事のように話す犬神に、そうじゃないだろ、とつっこんだ。


「あのな! 飛焔!! お前も同罪だからなっ!」

「俺は関係ない。お前と違って、はしゃいでなどいない」

「お前だって彩花の頭撫でてただろ!」

「頭をなでるくらいはいいだろう。彩花も嫌がっていなかったのだし」

「そういう問題じゃねーよ!!」


 くわっ、と飛焔にかみつく銀星の声が自然と大きくなる。先ほどくぎを刺したことは、もう忘れてしまったらしい。神職の者たちは頑張って知らんぷりをし続けてくれているが、何名かは肩を震わせて笑いをこらえている者もいた。それに気づいた彩花が再び彼の名前を呼ぶと、銀星はしまったという顔で口をつぐむ。だが今さら己の失態に気づいても、もう遅い。せっかく回復しかけていた威厳は散り散りに消え去ってしまっている。


「お祭りが終わったら、雫石姐さんと市伊さんにちゃんと全部伝えておくね」


 にっこりと笑って通告した彩花に、涙目の青年はがっくりとその場にしゃがみ込んだのだった。

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