11.町の歴史と真実
長い時間をかけて読み終えた書物。そこに書かれていたことは、彩花の想像を絶するものだった。
自分のいる
生家の祖先のこと。
どうして大城山の神がこの町を守護するようになったのか。
本から与えられた情報が多すぎて、頭がついていかない。思考が混乱し、四方八方に散る。知り得た情報をどう整理していいのかすら、今しばらくは見当がつかなかった。
乱れた思考を落ち着かせるように、いったん深呼吸をして、優のくれた飲み物の残りをのむ。ジュースは時間がたってすっかり生ぬるくなってしまっていたが、混沌とする思考を少しだけすっきりさせてくれた。
「ゆら、さま……」
この神社へ祀られている一人の少女。大城山を総べる大神であり、神木村を守護する存在――そんな彼女が、元は人間だった。ましてや、自分と血を同じくするものだったとは。
いままで、彼女がどうやって「神」になったのかなど、考えすらしていなかった。「神」はうまれたときから「神」だったわけではない。それは、根本的な概念すら覆してしまうものだ。
そしてなにより衝撃的だったのは、柚良が500年前の玖珠木家当主の隠し子だったこと。彩花は現
柚良が今まで彩花に目をかけてくれていたのは、自分を重ね合わせていた部分もあるのだろうか。同じ家に生まれ、霊力の高さのせいでしきたりに翻弄されるものとしての、憐みがあったのかもしれない。
本当の事は柚良に確認してみないと、わからない。
柚良の本心が知りたい。
逃げ出したいと、神にされてしまうのは嫌だと、思わなかったのだろうか。
自分を犠牲にした町に復讐したいとは思わなかったのだろうか。
もし自分が柚良の立場だったら、と考えてみても、いったいどの道が幸せだったのか見当もつかなかった。もっとも、幸せな道があるのかすら、わからないけれど。
ぐるぐるとまわる思考に疲労感を覚える。ゆらりと本棚にもたれこみ、彩花は静かに目を閉じた。自分とほとんど歳の変わらない外見の少女。たった十五歳で山の神に祀り上げられ、その小さな肩に大城山と坂木村の守護を背負って。いったい、どれほどの重圧だっただろう。逃げ出すこともかなわず、ただ人々の祈りを受けて500年もずっと過ごしてきたのだ。重圧と、孤独と戦って。
それでも、彼女からはそんな悲愴さは一切感じなかった。いつもはじけるような笑顔でわらっていて、優しくて。風貌は15歳のそれなのに、時々とても色っぽい。気分屋で、感情がすぐ表に出るけれど、いつだって公平に、平等に、判断を下してくれる神様。
その笑顔の裏には、いったいどれだけの感情が隠れていたことだろう。
「ゆらさま……!」
ぼろぼろの本を胸に抱き、自分にやさしく笑いかけてくれた少女の事を想う。胸のうちからこみあげる嗚咽を抑えることができなくて、彩花はぼろぼろと涙をこぼした。
どうしてこんなに胸が張り裂けそうなのかはわからない。まるで誰かの感情が流れ込んできたかのように不透明で、つかみどころのない激情。それはひどく苦しくて、痛かった。荒れ狂う感情をただ外に逃がしたくて、彩花は熱い雫をこぼす。ほたほたと流れ落ちるものが、苦しみを洗い流してくれるように。痛みを取り去ってくれるように。そう祈りを込めて。
(どうか。だれか。わたしをみて。わたしをたすけて。ねえ。だれか。いきたくない。なりたくない。わたしは、わたしのままでいたい……!!)
耳の奥で、誰かの声がこだまする。悲痛な、少女の声。必死で誰かを呼んでいる。全身を震わせて叫ばれる声。応える者は誰もいない。みんな聞こえていたけれど、誰ひとり、彼女の声には応えてやらなかったのだ。
――あんなにも、
(いやだ。にんげんのままでいたい。ねえ、ねえ。アスハ。いやよ、いや。あなたとはなれたくない。わたしはここにいたい……!!)
どこか聞き覚えのある声。それがだれなのかもわからないまま、彩花はただその声に耳を傾けていた。聞かなければ、受け止めなければならない、と薄れゆく意識の隅で感じた。この本を書きとめた誰かが聞いた声。それはきっと、誰の邪魔にもならないようにひっそりと、存在を感じさせないように暮らしてきた少女の。たった一度きりの願いの声だ。
「いやだ……!!!」
響く声はやがて彩花自身の声となって喉から滑り出た。いろんな感情が混ざり合い、もはや自分の気持ちか、誰かの気持ちかわからない。すべてを拒絶するかのような絶叫がぷつりと途絶えた後。泥の沼に沈んでいくように、彩花の意識はゆっくりと薄れていったのだった。
「……か、あやか、あやか……!!」
遠くで聞こえた声に反応して、意識が覚醒する。汗に濡れてじっとりと張り付く服。蔵の中のような暑さはなく、ひんやりとした空気が頬を撫でていくばかりだ。おくれて、ほんのり甘いお香のにおいが鼻腔を満たす。一気に戻った五感の感覚に、少しばかり頭がついていかなくて混乱する。ふと気付くと、うるさいほどに耳奥に響く蝉しぐれの合間をぬって、何度も自分の名が呼ばれていた。
「彩花! よかった、気づいたんだね」
「ここは……?」
「神社の空き部屋だよ。書庫に倒れていた君を連れてきたんだ」
眉根にしわを寄せて、優は少しぶっきらぼうに言葉を継いだ。ふと目に目に飛び込んできた時計を見ると、とっくに約束の時間を過ぎてしまっている。不機嫌そうなのは、彩花が言いつけを守らず根を詰めすぎてしまった所為か、練習の時間を過ぎてしまっていたからか。まだぼんやりする頭の隅でそんなことを考えながら、ゆっくりと起き上った。
「どこか痛いところは? 体はだるくない?」
「少し頭はぼうっとするけど、大丈夫。練習の時間……ごめんなさい」
「時間を過ぎても君が来ないから、心配していったら案の定だ。軽い熱中症だよ」
「そう……」
熱中症、といわれても、あまり実感はわかなかった。蔵の中はたしかに涼しいといえる温度ではなかったが、外に比べると格段に温度は低いはずだ。水分補給もしていたし、ご飯も食べた。とはいえ、本を読み終わったあたりからだんだんと記憶があいまいになっていたので、そこから体調が悪くなったのだろう。自己管理ができていなかったのは彩花の責任なので、反論はせずに素直に頭を下げる。
「ごめんなさい。最後の練習だったのに。今からでも――」
「だめだ。今日はゆっくり休んで、明日の本番に備えてくれ。この一週間君の練習を見ていたけれど、悪いところなんてどこにもない。大丈夫だ」
「……わかりました。今日はもう帰ります」
練習しなきゃ、と布団から抜け出そうとする彩花を押しとどめ、優は首を振る。明日に備えてくれ、という言葉に、彩花は黙ってうなずいた。それでは帰る支度を、と向きを変えると、優は再び彩花を押し戻す。
「祭り前日から、潔斎のためここに泊まらなければならないのを忘れてしまったかい?」
「……いいえ、そうでした。手荷物だけ家からとってこさせてもらえる? 今は持ってきていないから」
「いいよ。体の負担にならないよう、早めにね」
すっかり潔斎の事を忘れてしまっていた彩花に、優が少し語調を強めて念押しをする。言葉を濁しながら一時帰宅の旨を告げると、渋々ではあるものの許可はもらえたので、彩花はほっと息を吐いた。一通りの確認が終わると、優はそっと押しとどめる手をはなし、身を引く。彼のすこしだけ安堵した顔を見て、心配をかけてしまっていたのか、と今更ながらに自覚した。
(本を読んだ時の、女の人の声。あれは、誰だったんだろう……)
ふと頭をよぎる疑問。記憶があいまいで、うまく思い出せない。彩花に本棚を指示したということは、あの本を優も読んだのだろうか。村の成り立ちを記す、歴史書を。もしも読んだのなら、あの声をきいただろうか。全身が引き裂かれそうなほどの悲しみに満ちた、あの声を。
「あの……」
「なんだい? 彩花」
「……ううん。なんでもないの。遅くならないうちに、もう行くわね」
いったん口にしかけたものの、彼にそこまで聞く勇気はなかった。こういうたぐいのものをひどく嫌い、排除したがる彼の事だ。なにか細工をしたに違いないと、御使いたちに疑いをかけられてもかなわない。結局言葉を濁して、会話を終わらせるにとどめた。そうして彩花は門のところまで優に見送られながら、一時帰宅の途に就いたのだった。
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