9.探し物と休憩
それから彩花は七夕祭りまでの間、ずっと舞の練習前に書庫へ通い詰めた。ここにおさめられている書物はどれも古く、丁寧に扱わないとすぐ破れてしまう。そのうえ書物の多くが古い言葉で書かれているので、解読は容易ではなかった。こんなことなら学校の古典の時間に、もっとしっかり授業を聞いておくのだった。そう後悔しても、いまさら遅い。
「ううん、これでもない……。こっちも違う。一体どこにあるの……?」
昨日はここの棚、今日はあっちと、場所を決めて手当たり次第にぺらぺら本をめくってみても、それらしい記述は見つからない。大城山のことに関して書かれているものはあっても、柚良や、妖について書かれているものは全くと言っていいほどになかった。
額や首筋に浮かぶ汗をぬぐいながら、彩花は次々に書物をめくって読んでは積み上げ、本棚に戻す。先の見えない探し物は疲労を倍増させていく。加えて夏の暑さが体力を奪い、思考を鈍らせる。暑さと疲労でくらくらする頭を必死に働かせながら、彩花は黙々と調べ物をつづけた。
「お疲れさま。調べ物は進んでる?」
「きゃああっ!!」
「ひどいなあ。まるで人を化け物のように扱って」
「優さん……!」
調べ物に集中していたせいで、彩花は人が部屋の中に入ってきたことに全く気付かなかった。そのせいで、突然ヒヤリと頬にあてられたものに驚き、大きな悲鳴を上げてしまう。恨めしそうに声の主を見上げると、優はくすくすと笑って冷えたペットボトルを差し出した。
「調べ物に精を出すのはいいことだけど、ほどほどに休憩しないと倒れるよ。水分補給どころか、昼ごはんもろくに食べてないだろう」
「す、優さんには関係ないことでしょう……!」
「いいや、関係あるよ。僕が許可を出して書庫を解放しているのに、そこで倒れられたら困る。それに、七夕祭りの本番は明後日だ。舞姫不在じゃ祭りは立ち行かない」
理路整然と正論を述べられて、彩花は言葉に詰まる。全くもって優の言う通りだと思ったので、黙って差し出されたペットボトルを受け取った。紫色のパッケージの飲料は、彩花の好きなぶどうジュースだ。ふたを開けて口をつけると、芳しいぶどうの香りが鼻を通り抜けていく。のどを滑りおりていく冷たい感覚。おもっていたより、体は水分を欲していたらしい。のどの渇きをいまさらながらに自覚して、むさぼるようにジュースを飲む。
それをみて、優がくすりと笑った。むっとした顔を向けると、慌てて笑いを引っ込める。だが、目だけはほらね、といったように笑いかけていた。この男はいつだってそうだ。当然のように彩花の好みを把握し、彩花の体調が悪くなりかけた頃合いを見計らってこういうことをする。それこそ、彩花ですら気づいていない絶妙のタイミングで。
「はい。お昼ごはん。食欲があまりなくても、何か口にはいれるべきだよ」
「そこまでしてもらうわけには――」
「これを食べないなら、調べ物は禁止だけど?」
「……わかったわよ、食べればいいんでしょうっ、食べれば!」
遠慮半分、そこまで世話をされるつもりはないという気持ちが半分。いつものように突っぱねるつもりだった彩花の拒否は、あっさりと潰された。ああそうだこういう男だった、と思いながら、苦虫を噛み潰したような表情で差し出されたものを受け取る。両腕のなかにおさまるくらいの荒く編まれた籐の籠の中には、こぶし大の握り飯が三つと巨峰の房が一つ入っていた。
「どうせ食べ終わるまではそこにいるんでしょう? だったら、全部は食べきれないからあなたも食べて」
「わかったよ。梅と昆布のおにぎりは彩花が食べるといい。僕は鮭おにぎりをもらうから」
「……最初から全部織り込み済みってことね」
優はよどみないしぐさで彩花の好きな具のおにぎりを渡し、嫌いな具のおにぎりを取ってぱくりとかじりつく。きっと、三つは多いから一つ食べて、といわれるところまで予想していたのだろう。すべては、彩花と昼ご飯を一緒に食べるために仕組んだことに違いなかった。はあ、とためいきをつきながら、彩花もおにぎりに口をつける。たくさん汗をかいた身体が塩分を欲しているのか、なんでもない塩味のおにぎりがこの上なくおいしく感じられた。
朝からほとんど何も口にしていなかったこともあり、思っていたよりおにぎり二つは負担にならずに食べられた。おにぎりを包んでいたラップを皮入れにして、みずみずしい巨峰にも口をつける。つるり、とのどを滑り降りていく冷たい果物はとても甘く、疲れ切った頭をすっきりとさせていく。おいしい、と彩花が思わずつぶやくと、そうだね、と優がうれしそうに笑った。
「さて。じゃあ全部食べ終わったことだし、邪魔者は退散するよ」
「……おひるごはん、ありがとうございました……っ」
「どういたしまして。あまり根を詰めすぎないようにね」
「……はい」
巨峰にはほとんど手を付けず、彩花が食べるさまを嬉しそうに見ていた優は、全て食べ終わったのを見届けると腰を上げた。全てを見透かされているのは癪だが、彼が持ってきたお昼ごはんと飲み物は、思ったよりも疲労の回復に役立ったらしい。ぼうっとしていた頭はすっきりし、喉の渇きもおさまっていた。お礼はちゃんと言おう、と力を込めて言った言葉に、優が破顔する。そのあとの彼の言葉は本当に彩花の体を心配していることが分かったので、余計なお世話だと無視するのではなく素直にうなずいた。
本当なら、彩花だって彼といがみ合いたいわけではないのだ。妖に対する考え方が違いすぎて、彼自身のことが受け入れられなくなっていただけで。今でも彼の考えに賛同する気はないし、彼が飛焔に言ったひどい言葉を許すつもりはない。けれど彼の過保護なまでの過干渉ぶりは、彩花を心配してこその言葉で、決して嫌がらせではない。この三日間ほど彼と言葉を交わしてそのことを実感したので、少しばかり彩花のほうからも歩み寄ってみようと思ったのだ。その試みは、いまのところ良い方向に進んでいる。
「ああそうだ、君に言おうと思って忘れていたんだけど」
「……なに?」
「もしまだ何も手がかりを得られていないのなら、奥の朱塗りの棚にある本を探してごらん。きっと、探しているものが見つかるよ」
じゃあ頑張ってね、という声と共に、優は扉の向こうへと消えていった。彩花は彼を見送るのももどかしく、朱塗りの棚、と言われた言葉を繰り返す。奥のところ、といわれて、薄暗い書庫を進むと、確かにほかの棚とは違う色の棚を見つけた。うっすらとほこりのつもった書物をふるえる手でいくつか抜き取り、そうっと頁をめくる。そこに記されていたのは、村の歴史と水城神社の成り立ちについてだった。時代が違う、もう少し前、と一つ一つの書物をひもとき、少しずつ時代をさかのぼっていく。
めざす記述を見つけたのは、六冊目の中ほどに差し掛かった時だった。
「村一番霊力の高い
みつけた。動揺しながら、書物に踊る文字をたどたどしく読み解く。流麗な文字でそこに記されていたのは、運命に翻弄された一人の少女の物語だった。
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